花嫁の身代わりでしたが、皇帝陛下に「美味だ」と囁かれています。
「貴様が、我が花嫁か」
低く響いた声に、心臓が一つ跳ねた。
──なんで私、ここにいるの?
“花嫁喰らいの悪魔”、皇帝エルヴィル様。
その甘く整った顔立ちを前にして、私は混乱するしかなかった。
「どうやら、そうみたいです」
初めてのドレス。人形みたいに着飾られて、自分でも「お、割と綺麗じゃん」って思ったけど──
目の前のエルヴィル様を見た瞬間、その自信は蒸発した。次元が違う。造形がおかしい。これ現実?
エルヴィル様はすっと玉座を立ち、カツ、カツ、と足音を響かせて私の前まで来る。そして、
「ッッ!!」
グイッと顎を上げられた。
近い! 顔が近い!
圧倒的な美貌なのに、なにその目! 家畜を見るような、無慈悲な目で私を見ないでください!!
「死ぬか?」
……え、質問、間違ってませんか?
皇帝は冷酷無比って噂は聞いてたけど、まさかここまでとは。え、ちょっと横暴すぎません!?
ていうか、なんで私がこんな目に……!
私はただのパン屋の娘!
本当は侯爵令嬢が花嫁だったのに、怖くて逃げ出して──顔が似てるってだけで、代役に抜擢されたのが私!
うちの両親、人が良くて温和なのが取り柄だけど、「会ってみれば意外といい人かもしれないよ」って送り出すのはどうかと思うのよ!?
頭の中、どこまで平和なのか……!
ぐいっと顎を掴まれたまま、私は固まっていた。というか、心臓がうるさすぎて思考ができない。
だって、近い。
顔面が神の造形ってくらい整ってるくせに、その目が──まるで、肉の質を見てるみたいなんですけど?
こっちは人間なんですけど!?
「……ふむ」
低く喉の奥で鳴らすような声。距離はそのまま、彼は私の頬にそっと指を這わせた。
ビクッと肩が跳ねる。
やばいやばいやばい、なんか、ぞわっとした……!
怖い。なのに、背中が熱い。息が詰まる。
「……これは」
エルヴィル様が、ふっと笑った。
やめて、その顔で笑わないでください。顔がよすぎて、正気が削れる。
「美味だ」
……は?
「えっ、なにが?」
思わず素で聞き返した。というか聞き返さずにいられなかった。
「魔力の味が。お前は──実に俺に適している」
……魔力? 味? 適してる?
なにその意味不明ワードの羅列。あの、翻訳お願いしていいですか?
「というわけで、お前を傍に置く」
「はっ?」
「側妃でも妾でもない。“俺のもの”として、ここに留める。とりあえずは試用期間だ、いいな」
ちょっと待って!? 展開が高速すぎて脳が追いつかない!
「い、いやいや、あの、私、実はただのパン屋の娘なんです! たまたま顔が似てたってだけで、間違ってここに来ただけなんです!」
「美味だ。合格」
人の話、まったく聞いてなくないです!?
「美味とかで相手を決めていいんですか!? 皇帝ともあろう方が!」
「黙れ。顔がうるさい」
顔がうるさいってちょっとひどい……! 泣きますよ?
ってか、もうなに言っても無理そう……私は、これからこの美貌の異常者と、生活を共にするんですか……?
もう帰ってパンこねたい……。
私は結局エルヴィル様の命令で、宮殿の奥深くの居館に連れてこられた。
“魔力供給のために傍に置く”。
なんですかそれ。聞いたことないんですけど。
私はただのパン屋の娘。魔力なんて測ったこともない。けど──
「不思議な体質だな。お前の魔力は、実に美味だ」
そう言った彼は、私の髪に触れる。ちょびっとなにかが吸い取られていく感じ。
「普通は、これほどまでに味はない。だが、お前の魔力は……馴染む。甘い水のように、染み込んでくる。後でまた、頼む」
そういうと、エルヴィル様は出ていった。
……一人置いていかれても、暇なんですけど!?
私は様子を見にきてくれたエルヴィル様の家臣を引っ捕まえて、話を聞くことに成功した。
どうやら彼は、魔力を渇望する体質、らしい。
渇望すると、身体中が飢えたような状態になるんだって。
つまり、魔力供給は食事と同じなのね。
そして取られた側は……倒れる。
いやなにそれ怖い怖い。最初に『死ぬか?』って言ったの、そういうこと? 言葉足りなさすぎじゃない??
エルヴィル様は、今までに“花嫁”を何人も宮殿に迎えている。
私もそのうちの一人だけど、結局は結婚してない。
それはきっと、魔力供給のための食事だったからだ。
その人たち、どうなったんだろ。
……やっぱり死んだのかな。ひえぇぇえ。
ガクブルしていると、夕方になってドア越しに声が響いた。
「リオナ。食事の時間だ」
ひーー、きた!
思わずびくんって肩が揺れる。
エルヴィル様の声って、なんであんなに静かなのに威圧感があるんだろう。しかも“食事”って……それ、魔力供給のことですよね? 私は料理じゃありませんよ?
「……はい。ただいま、参ります」
とりあえず礼儀正しく返事をして、震える手で扉を開けた。
その向こうには、まるで彫刻のように美しい皇帝が立っていて、私を見るなり、少しだけ目元を緩めた。
それだけで、心臓が跳ねるんだから、我ながらちょろい。
「緊張しているのか?」
エルヴィル様は、私の表情を一目で見抜いたらしい。優しく手を伸ばしてきて──私の頬に、そっと触れた。
「……ん、」
ほんの少し、なにかが溶けていく。
これは魔力よね、そうに違いない。他のなにかなんて、あるわけない。
「……少しだけでいい。無理はさせん」
そう言いながら、彼は私の額に、そっと唇を落とした。
──ひゃ、ひゃあぁ……!?
なに今の、なんでキス!? あ、おでこ!? いやでもやっぱキス!! しかも優しいやつ!!
っていうか、わ、結構取られてない!?
「この方法は、触れるだけより効率がいい」
おでこから唇を離して、彼は至極まじめな顔でそう言った。
そうでしょうね、感じましたとも。取られてる感覚、めっちゃあった。
「身体的な接触は、魔力の通り道を開く。吸い取りやすく、美味だ」
美味だじゃないんですよ、エルヴィル様。
ちょっとも照れてないの、なんなの? こっちばっかりドキドキしてるのって、なんかずるい……!
「それって、これからこうしておでこにキスするってことですか? 毎日?」
「一日最低五回はしたい。唇のキスなら一日二回で済むから、仕事の都合上、頼むこともある」
いや、『頼むこともある』じゃないんですよ。
しれっと人のファーストキスを奪おうとしないでください。
「さらに深く繋がれば、二、三日は持つ」
「深く、って?」
思わず聞き返した私に、エルヴィル様は平気な顔で続ける。
「身体の、もっと深いところまで繋がる必要があるのだ」
「だから、それって?」
「肌が触れ合うだけではなく──内側から、満たし合うような……そういう関係だ」
待って、なにそれ。
急に視線が合わせられなくなったんですけど。
「……つまり?」
「男女が、特別な形で結ばれることを言う」
はい、アウトー!!
完全にそういうことですよね!? エルヴィル様、さらっと言ったけどそれ、思ってたよりだいぶ赤面案件ですよ!?
「ちなみにそれをした相手は、魔力が枯渇して死んだ」
だからサラッと言い過ぎなんですってば!!
ひーー、人殺し!!
「お前も死ぬか?」
「いやですよ!!!!!!」
「だろうな。そういう顔をしている」
「どういう顔ですか! そんなの聞いたら、誰だって嫌に決まってます!!」
「……わかっている」
あ、なんか……胸がズキンッてきた。
だって、エルヴィル様がそんな顔するから。
でも死ぬのはイヤ。
「あの……聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
胸がバクバクしてるけど、気になるものは仕方ない。えーい、聞いちゃえ!!
「今までの花嫁候補の方々って、どうされたんですか?」
まさか、全員……夜の相手をして、死んで……ないよね?
私の決死の問いに、エルヴィル様は目を伏せて、ぽつりと答えた。
「皆、今はそれぞれの人生を歩んでいる。望んだ職についた者もいれば、他国で縁談を得た者もいる。……無理に閉じ込めたりは、していない」
「えっ……じゃあ、死んだりとかしてない?」
「俺をなんだと思っている」
「悪魔かなって」
「誰が悪魔だ」
そう言って、ふっとエルヴィル様は笑った。
なんだ、そんな風に笑えるんじゃない。
「亡くなったのは、そのお一人だけです?」
「いや。懸命の蘇生治療で、なんとか生き延びた。すぐにお暇が欲しいと泣いて出ていったが」
……どうしよう。
エルヴィル様の顔が切なくて、胸が痛い。
通じ合った人を殺してしまいそうになって……相手はエルヴィル様を恐れて逃げるように出ていって……つらくないわけがないよなぁ……。
ああーー、同情しちゃう。
私も人のいい両親の血が、たっぷり流れちゃってる!
「ところで、体は大丈夫か、リオナ」
「はい、今のところ。エルヴィル様の飢えは大丈夫ですか?」
「少しはおさまった」
「あの、思ったんですけど、いろんな人からちょっとずつ魔力をいただけばいいのでは?」
そういうと、エルヴィル様は子どものようにむっとむくれた。
やだなにその顔、かわいい。
「男にキスなどしてたまるか」
「そうですか……でも女の人なら」
「そこらじゅうで色んな女にキスをしろというのか? どんな噂が立てられるかもわからん」
いやーエルヴィル様、すでに結構なお噂あると思いますけど。
「それで、花嫁と称して次々と宮殿に入れていたんです?」
「ああ。長くても一年が限界だった。早い者は一ヶ月で限界に達してしまってな」
それで“花嫁喰らいの悪魔”になったと。なるほど。
「でも、手を握るだけでもいいんですよね?」
「それは、ごく微量しか摂取できんのだ。ないよりはマシだが……人の手を握るだけで一日が終わってしまう。非効率的すぎる」
それは確かにどうしようもないやつだ。
皇帝陛下が手を繋ぎ回って一日が終わるのは、さすがにダメだっていうのは私でもわかる。
「悪いが、限界までリオナを吸い尽くすぞ」
いや言い方。
「……まぁ、仕方ないですね。そういう事情なら。死なない程度にお願いします」
「キスしていいか?」
「人の話、聞いてました?」
ちょっとこの皇帝、話が通じないんだわ。
「お前が美味なのが悪い」
「えー、私のせいにします?」
「早く……くれ……お前が欲しい……」
そんな切なそうな顔、やめてください!
私、ちょろいんですから!!
「えーと、じゃあ、おでこどうぞ」
「額などで足りるか。唇をもらう」
「えー」
初キッスなんですけどー!
「……だめか?」
ほんと、その顔ずるい……。
「ダメっていうか、その」
「ああ。初めてか」
「そ、そうですけど?」
「すぐ慣れる」
「情緒ください、情緒!! 初めてなんですよ、私!!」
そう叫んだ私に向かって、エルヴィル様はフッと微笑む。
「仕方ないな。大切にする」
仕方ないって。
でもその目は少し意地悪だけど、優しくて。
心臓がドクンッって、びっくりするくらい跳ねた。
エルヴィル様はゆっくりと、私の頬に手を添えた。その手のひらは温かくて、包み込むようで──
「リオナ」
名前を呼ばれただけで、息が止まりそうになる。
「お前が、こんなに美味だとは思わなかった。……甘くて、馴染んで、心まで満たされる」
ねぇ、ちょっと待ってください。そんな、真顔で“美味”とか言わないで。いや、うれしいけど。うれしいけども!
「お前の初めては、丁寧に、ちゃんと……味わう」
ダメ……そのお顔でそんなこと言うの、ずる過ぎるんですが。
思わず抗議しようとしたその瞬間、エルヴィル様の指がそっと私の顎を持ち上げる。
目が合う。
金の瞳がまっすぐに私を捉えていて、逃げられない。
「目を閉じろ、リオナ」
その命令に、私は言われるままに目を閉じてしまった……なんてこと。
ここまできたら逃げられない! もうどんとこい! あーでもやっぱちょい待っ──、て。
触れて、る……
んあぁぁあ、これ……唇の感触……
あったかい……柔らかい……
待って待って、長い!
あああ、めちゃ吸われてる、魔力……!
額の比じゃないんですけど!?
こんなに吸われて、私大丈夫? 死んじゃなわない?
吸いすぎ、吸いすぎだってばー!!
「んんんん!!」
抗議の声を上げると、ようやく唇を離してくれた。
どこ行った、情緒。
いや、私が勝手に騒いでただけだけど。
「……甘いな。やはり、お前の魔力は格別だ」
「だからって、長すぎです……っ」
「悪い、大丈夫か?」
ん? この皇帝が謝った?
意外に素直。
「今のところ、大丈夫です」
「これだけ美味なものを失うわけにはいかんからな。このままお前を飼い殺す」
だから言い方。
まったくこの皇帝は、本当にいきなり物騒なんだから!
先が思いやられるーー!!
という感じで日々が過ぎていって、宮殿に来てあっという間に三ヶ月が過ぎた。
「もっと、もっとだ、リオナ……」
「ん、ん……っ」
今日も長いですね!? エルヴィル様!!
一日二回の供給でいいはずのキスが、次第に三回、そして四回にと増えてきた。
今日なんてまだお昼なのに五回目ですけど!?
全部唇ですけど!?
もしかして、皇帝陛下は私を殺そうとしてません?
やっぱり花嫁は全員死んでません!?
魔力を吸われて、吸われて、吸われて……
や、ば……意識が遠くなってきた……
「……リオナ?」
ようやくやめてくれたエルヴィル様が、私を覗く。
いい加減にしろって言いたいけど、言う元気もない。
「リオナ! 大丈夫か!? どうしてこんなことに!」
いえ、あなたのせいですから。
「今すぐに人工呼吸を!」
やめてください、本当に死にます。
「エルヴィル、さま……離れ、て……」
手が触れ合うだけでも、ほんの少しの接触でも、少しずつ奪われてしまう。
あー、天国の扉が見えてきた。
扉、開かないで。まだ私はここにいたい。
エルヴィル様は私をベッドに下ろすと、手を引っ込めてくれた。よろしい。
今までにない、心配そうな顔をしているエルヴィル様。
美味しい食事を食べられなくなると思うと、そりゃあ心配にもなりますよねー。
でも私ね、エルヴィル様。
私も、キスがダメって強く言えなかったんですよ。
毎日毎日、私のところに甲斐甲斐しく通ってくれるのが、嬉しかったんです。
いきなり物騒な言葉が飛び出すエルヴィル様、嫌いじゃないんです。
毎日唇を重ねるたび……
どんどん好きになってしまった。バカみたいでしょ?
キスされただけで好きになっちゃうとか、私、本当にどれだけちょろいんだろうって思うけど。
でも、『美味だ』って耳元で囁かれるたび。
『もっと吸いたい』って求められるたび。
身体中が痺れたみたいになって、断れるわけがなかった。
「……悪かった。夢中になり過ぎた」
もう、その一言で全部許してしまいそうになる。
いや、許せばまた吸われそうだから、許しちゃだめだけど。
「リオナが倒れても、手も握れんのだな、俺は……」
その言葉に驚いて、私は目を見開く。
「それって、魔力供給がなくても、手を握っていたいってことですか?」
「そう聞こえなかったか?」
え、ちょ、認めた!?
どうしよう、顔が熱くなるんですけど!
「不思議だ。ついお前を殺したくなってしまう」
だから物騒。
つまり、私を吸い尽くしたくなるってことですね?
それとも、その……深く繋がりたいってことかな。
私だって、吸い取られなきゃ、いくらでもキスさせてあげるんだけど……。
なんなら私だって、深く繋がりた──げふげふ。
でもさすがに死にたくはない。
「本当に厄介な特異体質ですね……呪いみたい」
「そうかもな」
「え? 心当たりがあるんですか?」
「心当たりしかない。俺は恨まれやすいからな」
確かに、一国の皇帝だと、各国やいろんなところから恨みも嫉みも買ってそう。
「でも、生まれた時からずっとこの体質なんですよね?」
「いや……十年前の、十六の時からだ」
「生まれつきじゃなかったんですか!? じゃあなんか絶対原因がありますって! その頃になにがあったんですか!?」
「色々あったぞ。皇位継承争いや、隣国との戦争や、毒殺未遂に誘拐未遂、謀反が三つに、妹が失踪しかけて、魔物が城に湧いたこともあったな」
どんだけー!?
「他にもある。外交の席で婚約させられかけたり、城の井戸に落とされたり、獣化病が流行ったり……」
「不穏なことしかないんですか!?」
「そんなことはない。冬の精霊を助けたことがあった」
「冬の……精霊?」
冬の精霊は、滅多に人前に姿を見せない。
いや、他の精霊も見せないけど。
その中でも冬の精霊は臆病で、さらにはメンヘラって言われてる。
なんか嫌な予感しかしない。
「状況を、詳しく」
「その年は暖冬でな。山に行って精霊を探していたんだ。彼女はやる気が起こらないと、ダラダラしていた」
「いいじゃないですか、暖冬」
私、寒いの嫌いだし。
「いいわけがないだろう。まず、害虫が冬を越して春には大発生してしまう。氷が張らないから、氷室に使う天然氷が採れなくなる。作物の発芽が狂って、収穫期がずれる。冬用の毛皮や暖房器具が売れなくなって、商人や関係者が泣く。寒さで動きを止めるはずの敵国が活発なままなのも困る」
「想像以上に問題山積みですね!?」
暖冬を甘く見ていた。寒いの嫌いとか言ってすみません。
「だから俺は精霊に『少しは働け』と言っただけだ」
エルヴィル様はあくまで真顔でそう言った。
というか、皇帝ってそんなことまでしなきゃいけないのか。大変。
「で、どうなったんですか?」
「やる気が出ないなら殺すと言うと、精霊が泣き出して冷気が吹雪のように噴き出した。問題解決だ」
だからこの皇帝、解決の手段が物騒!!
「その後、帰ろうとしたら、帰らないでと抱きつかれた」
なんで!?
この顔の造形のせい!?
精霊も、この甘い顔には勝てないの!?
顔面の力、恐るべし!!
「仕方ないから、それから少しの間、話を聞いてやってな」
そういうところは、優しいんだよね……エルヴィル様。
「そして結婚してくれと言われたから、無理だと断った」
出会ってその日に逆プロポーズする冬の精霊!!
そしてばっさり断るエルヴィル様!
どうせ殺すとか言ったんでしょう、ねぇそうなんでしょう!?
「思えば、その頃からだな。魔力を渇望するようになったのは」
「原因、絶対それじゃないですか!!」
「そうか? 毎年冬になると城の裏庭に来て、『私の王子に触れる女は許さない』とかなんとか言っているようだが」
「はい、確定です!! その精霊が原因です!」
「俺は王子ではないぞ」
「そういう問題じゃないですから!」
罪作りすぎる皇帝陛下、自業自得でした。
いや、でも可哀想か……エルヴィル様は、自分の仕事をまっとうしてただけなんだから。
「多分、本人に呪いを解いてって言っても無理でしょうね……私が行くと、逆上させそうだし。一年中、冬になっても困るし」
「やはり殺すか」
「物騒な発言やめてください。確かに精霊は死ねば、次の個体がすぐ生まれるという話ですけども!」
「詳しいのだな、リオナ」
話をしているうちに、少し元気が出てきた私は、ベッドから体を起こす。
「実は……私も、精霊に会ったことがあるんです。春の方ですけど」
「ほう、春の精霊か。俺は会ったことがないな」
「森で迷ったとき、出会ったんです。お腹すいたーってうずくまってて、持ってたパンをあげたら、すっごい勢いで懐かれました」
「小動物か」
「しかもそれ以来、毎年春になると、私にパンのプレゼントを要求するんですよ。“春の儀”とか言って。仕方ないからあげてたら、『困ったことがあったら助けてあげる』って言ってくれて……」
「それは利用価値があるな」
「言い方!」
私はベッドから足を下ろして立ち上がった。
「春はもう終わりかけてますけど、まだ間に合うはずです! とにかく行きましょう!」
「春の精霊なら、確かに呪いの解除法を聞けるかもしれんな……行こう」
というわけで、森の奥までやってきた。
まだフラフラしてる私を、エルヴィル様が支えてくれながら。
余計吸われてふらふらするけど、仕方ない。
いつもの場所に、少年のような姿形をした春の精霊がいた。
私を見て、ぱっと花が咲いたように笑う。
「パンの人だー!」
「こんにちは。今年はパンの代わりに、ちょっと相談があって来ました!」
「パンはないの!? ……まあいいや。なんでも聞いて!」
「実は、皇帝陛下が冬の精霊に呪いをかけられちゃってるみたいで……それを解除する方法を教えてもらいたくて」
春の精霊は「ふむふむ」と頷いたあと、にっこりと笑った。
「じゃあ僕が、そっちの男の人に呪いの上書きをしてあげる」
「え!? もう呪いはいらないんだけど!!」
「もうかけちゃった」
「え、ええぇぇぇええ!」
なんでこんなことに……!
まさかエルヴィル様が二重の呪いを受ける羽目になるとか……! 予想外!
「ごめんなさい、エルヴィル様!」
「気にするな。すでに呪われた身だ」
そういうところ、寛容ですね!?
案じてください、自分の体なんだから!
「冬の精霊の呪いはどうなる?」
エルヴィル様の疑問に、少年のような春の精霊は、少し大人びた顔で苦笑いした。
「呪いっていうよりね。冬の精霊は、祝福のつもりだったんだと思うよ」
「祝福?」
呪いと祝福じゃ、落差ありすぎじゃ?
「冬の精霊は、自分の気に入った人に、自分の魔力をぎゅーっと詰め込んじゃうんだ。君に力を分け与えてあげたいと思ったんだよ、きっと」
……え、それって。
「愛じゃないですか?」
「うん、そうだね」
じゃあ、『私の王子に触れる女は許さない』って言ってたのは、呪いじゃなくてただの嫉妬!?
「でもそれで、どうして魔力を渇望するの?」
「精霊の魔力を人の中に入れるとさ。どうなると思う?」
「え? えーと……力が強くなる?」
「それが一つ目。他には?」
首をひねらせると、エルヴィル様が声を上げた。
「人間の魔力の入るスペースが減り、侵食する」
「うん、そういうこと」
「……つまり??」
う、私だけ意味わかんない。
そんな私に、春の精霊が説明してくれる。
「冬の精霊の魔力ってね、人間の中に入り込むと、じわじわと中にある魔力を食べちゃうんだよ」
「……食べる?」
「うん。だから、本人の魔力がだんだん減っていく。それで、体が『足りない!』って叫ぶ。魔力を渇望するんだ」
「……え、それってつまり……」
「人間の魔力を減らすくせに、精霊の魔力で埋めるわけじゃない。だから、どんどん足りなくなって、周囲から吸いたくなる。そういう体質に変えちゃうんだよね」
「やっぱり、呪いじゃないですか!!」
「代償と引き換えに力を授ける祝福なんだよ」
そんな祝福、いらないんですけど!
「じゃあ、解除するには、どうしたら?」
「本人に解除してもらうのが一番だけど、多分無理だろうから、僕が祝福しておいた」
「だが、冬の精霊の祝福は消えていないのだろう」
「そうだよ。僕の祝福と、両方共存してる形だね」
二つの祝福がエルヴィル様の中で共存して……つまり、どういう状態?
春の精霊は、ふんわりと微笑んだまま、でもちょっと真剣な声で続ける。
「春の祝福ってね、相手とちゃんと魔力を“交わす”ことで、完成するんだ。深く、深く、混ざり合うことで、ね?」
「混ざり合うって、まさか……」
「うん。えっち」
幼い顔でそんなにっこり笑って言われても……!
「聞こえなかった? えっち」
二回言った!!
「えっ……ですか?」
「そう、えっち」
「~~~っ!!」
ちょっと春の精霊、えっちな単語を連呼しないでください!?
待って、待って!!
エルヴィル様は、まったく平気な顔してますけど!?
「それで冬の祝福をどうにかできるのか?」
「うん。春の祝福はね。愛が交わることで、二人の中にある魔力を、一つの大きな力に変換させるものなんだ。冬の魔力のように異物になることはないよ。魔力も渇望することはないんだ」
「どうせ代償があるのだろう?」
「鋭いね。魔力を共有することになるから、お互いの考えることが、なんとなくわかるようになるよ」
「心を読まれるってこと!?」
「そんなに精度の高いものじゃないけどね。ま、そんな感じかな」
春の精霊はクスクス笑ってるけど……
心、心を読まれるのかぁああああ……
うぐぐ……いやちょっと待って、その前に、えっち……うあああああっ
「よくわかった、問題ない」
いえ、問題ありすぎでしょう!!
聞いてませんでした!?
「あ、でも一つだけ注意があるんだ」
これ以上まだなんかあるの??
げんなりしてると、春の精霊はひどく真面目な顔になった。
「春の祝福は“愛”がないと、発動しない。ただの交わりだと、冬の祝福のほうが勝っちゃう」
「それってつまり……」
「うん、すごい勢いで相手の魔力を全部食い尽くして、殺しちゃうよ?」
やっぱり!!
一人それで死んでたし!!
いや、蘇生したらしいけど!!
「でもね、大丈夫。ちゃんと“愛してる”って想いがあるなら、春の魔力は強くなる。相手を守ろうとする魔力だから、冬の魔力に負けないんだ。だから、ちゃんと心から──愛してあげて?」
そう言って、春の精霊はにっこりと笑った。
小さな花が、春風の中でふわりと咲いたようだった。
私たちは……帰ってきた。
祝福は解除しない限り一生続くものだから、春が終わっても祝福は続くって。
冬の祝福も、季節問わず発動してたみたいだしね……
今はもう夜。
昼からずっとまともに食べてないから、そろそろ渇望してるかもしれない。
私の鼓動の音がうるさすぎる。
耳の奥でドクドク鳴ってるのに、部屋の中はひどく静かで……エルヴィル様の寝室なんて、こんなに広いのに、今は息をするのも苦しいくらい。
「えーと、あの、エルヴィル様……食べます?」
って、なんて間抜けな質問してるの私!? ほんとに言った!? 言ったよね!?
でもエルヴィル様は、驚くでも、呆れるでもなくて。
ただ、じっと私を見てる。その視線が、やさしくて、つらくて、こわくて。
「春の祝福は、“愛”がなければ、発動しない」
エルヴィル様の言葉と共に、春の精霊の声が頭の奥でよみがえる。
「愛がなければ、冬の祝福のほうが勝ってしまう。そうなれば、魔力を全部食い尽くして、俺がお前を殺す」
言い方。
もちろん、私だって怖い。
怖いんですよ、エルヴィル様。
手が震える。死にたくなんて、ない。
「……リオナ」
エルヴィル様が、低い声で名前を呼んだ。
その声音だけで、体がピクリと震える。
「お前の中にある感情が、“愛”でなければ……お前は……」
それって、私の気持ちひとつで、命が左右されるってことじゃない。
そんなの、重すぎるって……思ったのに。
「……違う」
エルヴィル様が、ふっと目を伏せた。
「殺したく、ないんだ」
……ああ。
もう、心臓が、張り裂けそう。
この人が、こんなふうに言うなんて。
あの冷たくて、ひどくて、ぶっきらぼうで、すぐ「殺す」なんて言う人が……初めて「殺したくない」って。
──もう、無理だ。これ以上、逃げられない。
「……好き、です」
私の声が、震えてた。
「たぶん……私、エルヴィル様のこと、ずっと、好きでした。私って、結構ちょろいんです。キスされただけで……ちょっと優しくされただけでもう……大好きでした」
自分の胸を押さえて、ぎゅっと力をこめる。
「でも、これが“愛”かどうかは……私、正直まだ……自信がなくて」
言いながら情けなくなる。こんな大事なときに、自信がないなんて。
「でも、でも、それでも……私、エルヴィル様のためなら……」
声が詰まりそうになる。でも言わなきゃ。
「死んでもいいって、思ってます」
言っちゃった。
言った瞬間、涙が出そうになったけど、我慢した。
エルヴィル様が、ゆっくりと立ち上がって、私に手を伸ばしてくれる。
その手が、あたたかくて。指が震えていて。
「……お前の中の魔力が減っていくのを、もう見ていられない」
頬に触れるその手に、全部がこめられてる気がした。
「春の祝福で相殺するためじゃない。食事のためでもない。……俺は、お前を奪いたいと思ってる」
その言葉が、私の胸の奥に、焼きつくみたいに響いた。
唇が触れそうになる距離で、息が絡む。
指先が、背中に回って、するりと布をほどいていくたびに、体温が、魔力が、溢れ出すみたいに滲んで──
エルヴィル様の魔力が、冷たい冬の色をしていても怖くなかった。
だって、私の中に、春が咲いてたから。
この人を好きでよかったって、そう思ったから。
***
朝の鳥の声が、どこか遠くで響いてる。
目を開けたら、知らない天井。
じゃなくて……エルヴィル様の部屋だった。
彼の腕の中、胸の鼓動が、ふんわりと私を包んでる。
魔力の欠乏による苦しみは、もうない。
春の祝福は、ちゃんと完成したんだ。
──私は、生きてる。
エルヴィル様の腕の中で。
そして、たぶん……これが“愛”なんだって。
ようやく、ちょっとだけわかった気がして。
私はぎゅうっと、エルヴィル様を抱きしめた。
「……ああ、まだ夢みたいだ」
耳元で、囁くような声がした。
「なにが……ですか」
顔を上げると、エルヴィル様が、穏やかに目を細めてる。
「お前を抱いていることが」
「──!」
言葉の破壊力がひどすぎる。
しかも、そのままキスされそうに──
「ちょ、ま、ちょっと待ってくださ──んんっ……!」
もう、止める暇なんてなかった。
唇が重なる感触に、体の芯がきゅっと熱くなる。
それは、魔力を奪うためじゃない。
ただ、触れたい、通じたいという、気持ちだけのキス。
「……ああ、いいな」
エルヴィル様が、吐息混じりに言う。
「魔力のためじゃなくても、こうしてキスできる。リオナ、お前が生きてるだけで、こんなに嬉しいなんて……」
「そ、そんな、当たり前のことを……」
「当たり前じゃなかった。昨夜までは、ほんの少しのことで命を落とすかもしれなかった。お前がここにいるのは、奇跡だ」
言いながら、またキスされた。
今度は唇だけじゃなく、額に、まぶたに、頬に。
もう、何回するんですか!? ってくらい、優しくて長くて、でもくすぐったくて。
「や、やめっ、そんなに何度も……!」
「嫌じゃないんだろう」
ニヤリと笑った彼が、私の鼻先にキスを落とす。
「春の祝福のおかげで、お前の感情がほんのり伝わってくるようになった」
耳元で囁かれて、ぞわりと背筋が震える。
「だからわかる。お前が俺を求めてることも」
「~~~~っ! そ、それはっ、ちょ、ちょっと待ってくださ──!」
「待てと言われて待てるなら、俺はお前を何度も抱いたりしない」
またキス。
「ち、ちがっ、違いますってば! そ、そういうのって、タイミングとか、空気とか、あの、せめて、朝ごはんのあととか、そういう……!」
「では朝ごはんの後にもキスする」
しれっと言って、またキス。
や、やめて……! 心の中がぐるぐるしてる!
「いつでもしていい」なんて思ってない、でも……。
でも、エルヴィル様の体温も、唇も、ぜんぶ優しくて。
ふわっと包み込まれるたびに、心がほどけていく。
「……ほんとに、ずるいです」
「知ってる」
「調子に乗らないでください」
「そんな俺も好きなのだろう?」
「……もう……」
だめだ、全部バレてる。
祝福の代償、大きすぎない?
言い合いの合間に、またキスされて、結局私も目を閉じてしまった。
ああ、なんでだろう。
心がすごく、あたたかい。
この人となら、ずっと春のままでもいいかもしれない……って、思ってしまう。でも。
「エルヴィル様……私は……」
「ああ、不安にさせていたな。もう試用期間などではない。リオナは……俺の、最初で最後の花嫁だ」
心の不安も、伝わってた。
前言撤回、この代償は便利かもしれない。
「大好きです、エルヴィル様……愛してます」
「知ってる。俺もだ」
エルヴィル様の気持ちも私に伝わってきて。
嘘じゃないって、わかる。
言葉より先に、心がふれて。
温もりが、まっすぐ私の胸の奥に届く。
大好き、エルヴィル様。
だけど、人前でキスするのだけは、やめてくださいね?
「うむ……美味だ」
「まだ味があったんですか?」
私たちはプッと笑って。
そのまま、お互いを味わった。
***
その年にまた冬がやってくると、私たちは冬の精霊に会いに行った。
……というか、ちゃっかり宮殿の裏に来てたんだけど。
精霊は、私たちの間にあるぬくもりに触れて、しゅん……と肩を落としてた。
ちょっとかわいそう? ……と思ったのも束の間。
すぐに、美形の騎士様を見つけて、目をキラーン!
そっちにぞっこんになって追いかけていった。
懲りてない!!
ちなみに、あの“祝福”は陛下がきっぱり禁止したから、もう心配はなさそう。
……冬の精霊にも、いつか本当の春が来ますように。
翌年。
春が来て、庭に花が咲きはじめた頃、私はふと男の子の精霊を思い出した。
「エルヴィル様、春の精霊にパンを奉納しに行きませんか?」
「いいな。準備は任せた」
「任せてください、パン屋の娘ですから」
「期待してる。……あとで俺にも焼いてくれ」
エルヴィル様、目が真剣。
「それは奉納のついでですよね?」
「いや、こっちが本命だ」
エルヴィル様、可愛い。
パン屋の娘の本気、出しちゃいますよ?
そして私はその日、本当にパンをたくさん焼いた。
奉納用に丸い甘いパン。エルヴィル様用には、バターたっぷりの贅沢パン。
厨房の人に呆れられながら、こねてこねて、焼いて焼いて。
食べたエルヴィル様は、なんでもない顔で「美味」って一言。
めちゃくちゃ幸せな気持ちで言ってくれたって、私わかってますから。
焼きたてのパンを布に包んで、春の精霊への準備はばっちり。
出かけようとしたそのとき、隣に立つエルヴィル様が、無言でそっと私の手を取った。
指先から伝わるあたたかさに、胸の奥がふわりとほどけていく。
驚いて見上げると、エルヴィル様はとろけるように微笑んでて。
何それ、ずるい。
だけど、私も自然と笑顔になっちゃってた。
私たちは手を繋いで、春の香りの中を歩き出す。
精霊に渡すパンも、きっと今日の空気みたいに、優しい味がする。
幸せって、こんな風に焼きあがるんだ。ふわふわに、膨らんでいくみたいに。
私たちは見つめ合うと、やわらかく笑い合って。
心の幸せパンを膨らませながら、春の精霊のいる森へと歩いていった。
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