出会ってすぐに終わった初恋が再び動き出した。
中編くらいの長さになってしまいました。
一応、二人だけはハピエンです。
好きな人がいた。年上で既婚者だった。叶わない恋だと知っていたから、心に蓋をしたの。
もう好きになってはいけないと言い聞かせて、私は親が決めた人と結婚をした。
それが私にとって、地獄の始まりだと知らずに。
夫は結婚してすぐに愛人がいることを告白した。その人を愛しているが、身分が許さないので結婚出来なかった。私とは白い結婚でいたいと。
愛人との子供が出来たら、私達の子供ということにしようとも。
私のことなど見えていないように、ただ自分達だけが幸せになれる都合の良い話をしている。
馬鹿にするな。
ティーカップを床に叩きつけた。
夫は驚き、動揺していたが、私は無視して部屋を出た。
私は?私はただお飾りになればいい?人として、女としての人生を送るなって?
ふざけるなっ!
泣きたくないのに涙が溢れる。
悔しい?悲しい?いいえ、憎いわ。
貴方は愛する人といられる。私は愛する人に言葉すらかけられなかったのに。ズルい、ズルい…っ!
庭に出て、花園へと向かう。
花園の中に進みながら、声を押し殺して泣き続けた。
屋敷から聞こえてくる音楽。聞きたくなくて耳を塞ぐ。
その時に見えてしまった。バルコニーで義両親がダンスをしているのを。仲睦まじく、体を密着させて。何度も口付けているのを。
あぁ、見たくなかった。
好きな人が義父だと知った時から、私の中で地獄が始まった。
蓋をした心がズタズタに引き裂かれていく。
もう何も見たくなくて、奥へと進み、花畑になっている場所まで歩き続けた。
到着すると、疲れてしまい、その場で座り込んだ。
もう歩けない。もう疲れた。
私は横になって、暫く空を眺めた後、そっと目を閉じ、考えることをやめた。
✩夫Side
「侍女から聞いたけれど、貴方達、喧嘩でもしたの?」
母上が不思議そうに聞いてきた。まさか愛人がいることや白い結婚のことなど言えず、曖昧に返事をした。
「物を壊すだなんて…結構、暴力的な娘なのねぇ」
…僕が悪いことは分かっている。彼女が怒るのも無理はない。けれど、僕のせいでとは母上に言えなかった。
「彼女の両親に請求しようかしら…ふふ、なんてね」
母上の冗談なのか、本気なのか分からない言葉に返事は出来なかった。
その日以降、妻とは目が合わなくなり、会話もまともにしなくなった。当然だ、僕が悪い。
ただ妻の心が少しでも安らぐような生活を送らせてあげなければいけない。それが僕が出来る唯一のことだから。
✩彼女Side
あの日から数日後。
私は何事も無かったように振る舞っている。
もう夫に期待はしない。離縁も出来ず、実家にも帰れないのなら…心など殺してしまえばいいのよ。
心を無にして義務で夫と接するようにした。最低限の会話だけして、出来るだけ彼と共にいる時間を減らした。早く愛人の元へ行けばいいのにと願う程に。
「随分、疲れた顔をしているようだ」
義父が私の顔をまじまじと見て、心配をしてくださった。その優しさが辛いと未だに感じるのは、まだ諦められていないから…?駄目よ、忘れないと。
「いいえ、問題ありません」
それを見ていた義母は義父に寄り添って、にっこりと笑った。
「あら、ご実家で療養でもする?」
…時々、冗談か本気か分からないことを言うのよね。返事に困るような話をしてくることもあるし…あまり好きにはなれない。
喧嘩を売ってるなら喜んで買うけど…どっちなのかしら。
義父は心配そうに私の肩に触れた。それがまた心を軋ませる。
「いいえ。寝不足なだけですので、問題ありません」
失礼します、とその場を離れた。
私は大丈夫。まっすぐ歩きなさい。弱みを見せてはいけないわ。大丈夫。唇を噛んで、ぐっと堪える。
私は密かに計画を立てている。いつかこの家を出て行くことを。
離縁となれば、私は平民になるしかない。実家に出戻るわけにはいかない。
今のうちにお金を貯めておこう、と贈られたプレゼントを売り払った。あの初夜から贈られてくる宝石なども全て。
無鉄砲かもしれない。それでも、この息苦しい生活を捨てたいと強く願ってしまう。
白い結婚にしたい夫と、子供が産まれるのを待ち望む義両親の間で、私一人で苦しみたくない。
いつでも出られるように隠している鞄を抱きしめ、その日が早く来ることを願った。
初恋は叶わない。誰かが言った言葉。その通りね。
けれど、後悔したくない。好きな気持ちは嘘じゃないから。
気分を変える為にバルコニーに出て、庭を眺める。出て行ったらもう見れなくなるものね。目に焼き付けておきましょう。
こんなに美しい庭…王宮以外で見たことがないわね…と眺めていると、遠くで誰かがこちらに手を振る。
…庭師?遠くて誰か分からないけど、手を振り返しておくべきよね。
はしたないとは思うけど、手を大きく振ってみた。
すると、相手も大きく手を振ってくれた。口付けを飛ばすような仕草もしてきた。
「ふふっ!私もやり返しちゃおうかしら」
私も口付けを飛ばす仕草をしてみた。はしたないわね。でも、いいわよね。
相手は大袈裟に胸に手を当てて喜んでくれた仕草をする。
この屋敷に面白い人がいたのね。直接会ってみたいものね。
私達は顔も知らない、ただ遠くの誰かとジェスチャーをして楽しんだ。
それが唯一、何もかも忘れられる時間で、幸せな時間だった。
✩義母Side
夫は美丈夫で優しく聡明で、家族思い、愛妻家で誰もが羨む、私の愛する人。
彼からも毎日、愛を囁かれ、彼に似た息子も産まれ、穏やかな時間が過ぎていった。
そんな息子に婚約者が出来た。冷たい目をして、息子に興味などないことはすぐに分かった。
一瞬だけ夫を見た時の瞳に気付いてしまった。
恋、しているのね。すぐに目を背けたことから、良くないことだとは分かっているようだけど。
あの娘が夫に向けた、一瞬の情が。私の心を蝕んだ。
夫は優しく嫁を受け入れた。困ったことがあれば、相談しなさい、私達は家族だからと笑った。
夫は不貞などしない。分かっている。けれど、嫁に近付く姿を見ると憎く思えてしまう。
嫁の存在が疎ましいと感じるようになった。
夫を諦めろ、とばかりに私は夫と仲睦まじく過ごした。抱きしめて、口付けて、愛を囁いた。
全て嫁の見える所で。
けれど傷付いた顔をするのは最初だけだった。
どれだけ私達の仲を見せつけても、平然としている。もう興味がなくなった?そんなわけないわ。
嫌みにも気付かない愚鈍な娘ね。
嫁と息子の仲が悪いのは最初から分かっていた。息子には愛する人がいたから。夫は知らない。知れば別れさせるだろうから。
私は愛する人と幸せになって欲しかったが、貴族ゆえに相応の相手でないと結婚は出来ない。
泣く泣く息子は結婚したのが可哀想だった。私の大切な子供をあんな娘に…
それが余計に嫁を憎む原因のひとつだった。
夫に似た容姿の息子を手に入れたのだから良いじゃない。愛人の一人や二人、普通はいるものよ。
私の夫はそんな人ではないけど。
お飾りが気に食わないなら出て行けばいい。
そうだわ!手を貸してあげましょう。
そうすれば、皆、幸せなんだから。
私は息子の愛する者を呼び出した。嫁にすることは出来ないけれど、愛し合う二人を放っておくことも出来ない。
嫁が出て行けば、夫は認めるかしら。
バチンッ。という音と共に、頬に衝撃と痛みがやってきた。
強く頬を引っ叩かれた。呆然としてしまったが、すぐに正気に戻る。
痛っ!え、何なの!?
目の前には厚化粧で、薄っぺらい下着のようなドレスを着た女。
娼婦?何故、娼婦に叩かれたの?
「お飾りのくせに!私が愛されているのよ!」
夫の愛人?が突然、部屋へ押し入ってきたかと思えば、頬を叩いてきた。喚き散らして部屋を荒らしていく。
私はただそれを見つめることしか出来なかった。彼女の後ろにいる人物に驚いて言葉を失っていたからだ。
何故、義母は何も言わないの…?何故、止めてくれないの?何故、微笑んでいるの?
義母の微笑みが恐ろしい。何を考えているの?
「早く出て行きなさいよ!私の彼にいつまでしがみついてるの?気持ち悪い!」
愛人の罵声に義母は笑う。
あぁ、私ってとことん嫌われていたのね。
望まれていなかったのよ。最初から誰にも。
それは私もか。馬鹿らしいわ。
隠していた鞄を持って部屋を飛び出した。もう戻らない。もう私は必要ない。好きにしなさいよ、私だってこんな家、大嫌いよ。
…一人だけは大好きだったわ。
涙なんて流してやらない。悔しくない。悲しくない。
生きてやる。誰も必要ない。自由に生きてやる。
人のいない裏門へ向かい、重い扉を開けていると、背後から声をかけられた。
振り向けずに必死に扉を開けて飛び出ようとした。
「待ちなさい。どこへ行くんだ」
義父に捕まってしまった。腕を掴まれ、無理矢理振り向かされる。見ないで。見たくない。
震える手で押し退けようとした。ガタイの良い人だから、びくともしない。
「離縁しますので、出て行きます」
「離縁?どういうことなんだ」
「詳しくはご子息に聞いてください」
離してよ!触らないで!
何とか振り払い、屋敷を飛び出した。確かこの道をまっすぐ行けば辻馬車がいる。
必死に走って、辻馬車に乗り込んだ。
どこでもいい。ここでないなら。もうあの家族の顔なんて見たくないわ。頭の中から消えてちょうだい。
ガタガタと揺れながら、私はただ外の景色を眺めていた。
先程の義父の顔を思い出す。傷付いた顔をしていた。ごめんなさい…ごめんなさい…
涙は止まってくれなかった。
✩義父Side
「どういうことだ」
彼女が泣きながら出て行ってしまった。
それを見た使用人達から聞いた話にショックを受けた。
妻と息子の愛人が、嫁の部屋を荒らした?
部屋で侍女達と茶を楽しんでいた妻に問い質す。
何故、そんなことをした後に、笑って茶を飲めるんだ!
「だ、旦那様…どうしたのです。そんな怖いお顔で…」
「奴の愛人と部屋を荒らしたそうじゃないか」
「違います!私はしていません!」
「では、何故止めなかった!」
黙ったまま俯き、涙を流す妻をもう信じられない。
優しく愛らしい妻だと、それがいつしか醜いものになっていたのか。
嫁がそこまで憎かったのか。愛人を使ってまで追い詰めたかったのか。
「君がそこまで愚かだとは…もういい。部屋で大人しくしていろ。私の許可なく、外へ出るな」
吐き捨てて部屋を出ていくと、喚き散らす声が響いた。
侍従に「絶対に部屋から出すな」と命令して見張らせた。
彼女を探さなければ。行く当てなど無いであろう彼女では、平民として生きていくのは難しいはずだ。
もっと話しかけてやれば良かった、と今更ながら後悔した。
いつも遠くから見守っているつもりだった。時々、見せる笑顔に一喜一憂していた。こんなことが起きるだなんて…
辻馬車なんて乗ったこともないであろうに。怖い思いをしていないか。まだ19の若い娘だ。危険な目に遭うかもしれない。
居ても立ってもいられない私は、恐らく街へ向かったであろう彼女を探しに馬車に乗った。
どうか無事でいてくれ。一人で泣かないでくれ。必ず君を見つけるから。
✩彼女Side
辻馬車から降りて、私は安宿へ泊まることにした。外観も中もとても古く、貴族であれば誰も泊まらないであろう宿。
埃っぽいけど、慣れるわ。虫さえ出てこなければ…
硬いベッドに座り、鞄の中から着替えと少しのお金を出した。
これから一人で生きていく為に仕事を探さないと。宿の方に聞いてみようかしら…
…今日は休んで、明日から頑張りましょう。
硬いわ…枕もカチカチじゃない。うぅ…眠れるかしら。石を枕にしてるみたい。
目を閉じて、ひたすら羊が柵を飛び越えていくのを数えていた。
✩息子Side
仕事から帰ると、屋敷のどこかから女の叫び声がした。発狂している、といった方が良いのか、何かを破壊する音が響く。
音に怯える侍女に話を聞けば、僕の愛人と母が妻を追い出したと…
震えた。まさか、家にまで来て…いや、それより母と二人で追い出したとは、どういうことなんだ。
母のいる部屋へ行くと、家具は傷だらけ、窓は割れて、カーテンは破れ、イスはひっくり返っていた。
髪の毛をボサボサにした母が叫びながら、テーブルを叩いていた。
何だ、これは…
こんな母上、見たことがない。明らかに様子がおかしい。
恐る恐る近付いて声をかけた。
びくりと震えたかと思えば、狂気的な瞳で僕を見た。ゾッとする…気味が悪い。
「あぁ…っ、あなた!おかえりなさいっ」
父上と勘違いしているのか、抱きついてきた。
それが恐ろしく感じ、思わず突き放してしまった。
涙を溢れさせ、その場に崩れ落ちた。まるで子供のように。
「嫌よ…お願い、私はあなたを愛してるの。あの女の目が…あなたを奪おうとしているの、分からない?私達の愛を壊そうとしてるわ…」
何を言っているんだ…
ブツブツと呟いてまた目をギョロッと動かした。
近くにいた侍女に医者を連れてきて、眠らせるよう頼んだ。強い薬を使ってくれと。
部屋を出ようとすると、縋り付いてきた。
「僕は父上ではありません。母上…目を覚ましてください」
「あぁぁぁぁぁ…あの嫁のせいよ…何故、どうして…嫁はあなたを狙ってるの…」
父上は不在なのか。僕も妻を探さなければならないのに、母は僕の腕を強く掴んだまま離さない。
「私達、愛し合っているもの…ねぇ、そうでしょ?」
✩義父Side
人も使って探して、ようやく見つけた。安宿から出てきた、平民の服を着た彼女を。
キョロキョロと辺りを見回す。目当てのものを見つけたのか、笑顔になり、歩き出す。
愛らしいな。屋敷にいた頃は、いつも作られた微笑みだった。笑顔が見れたのは…バルコニーで…
ふと気付くと、彼女の後ろに怪しい男達が付いてきている。
彼女はどう見ても平民の服を着た令嬢だ。狙われている。
慌てて彼女を追いかける。駄目だ、行くな!襲われてしまう!
路地裏へと引っ張り込まれてしまい、急いで彼女の元へと走る。
駄目だ…!
「やめろ!」
角を曲がると、目の前には男達が倒れており、彼女は殺気を放ちながら男達を睨んでいた。
「ぶ、無事だったか…!」
「…え、あ、お、お義父様っ!?」
小さく「いやぁぁぁぁ…」と恥ずかしそうに座り込む。
「君は強いんだな」
「…あの、父が王宮の騎士団長でして…我が家は『己の身は己で守るべし』を教訓にしており…」
剣術や護身術が得意なのです…と呟いた。
そうだった。彼女の父親は女であろうと容赦ないと聞いた。だが、彼女を守る為に教えていたのだろう。
「危険な目に合わせてしまった。すまなかった」
「いえ!私が勝手なことをしたせいで…」
「…戻ってきてはくれないか?」
「…申し訳ありません。それは…」
やはりあの二人がいては戻ってはきてくれないか。
離縁したとして、実家にも帰れないとなれば…こんな治安の悪い場所での生活。
「では、別邸はどうだ?本邸からは離れているから、二人に会うことはない」
いくら強くても若い娘をこんな所に置いておくわけにはいかない。
言い聞かせても断ることは分かっていたので、無理矢理彼女を別邸へと連れて行くことにした。
「すぐに使用人を用意する。着替えや必要なものも今すぐに」
「お義父様…私はもう嫁ではなくなるのです」
「…償わせて欲しい。妻と息子の愚行で、君を傷付けてしまった」
「…では、私が仕事を見つけ、家を借りられるまで…ここにいてもよろしいでしょうか」
「いつまでもいてくれ」
今にも泣きそうな顔で、小さく頷いた。
もう怖い思いなどさせない、と心の中で彼女に誓った。
彼女の震える小さな手を強く握る。涙が溢れそうな瞳を見開いて、頬を赤く染める。柔らかそうな唇がワナワナと震えている。
それに見惚れてしまい、お互い見つめ合ったまま動けなくなった。
ドクンと高鳴る心臓に驚き、胸を押さえた。
あぁ、私は…
✩彼女Side
義父に見つかってしまい、家出してあっという間に別邸へと押し込められてしまった。
義父は毎日やってきて、体調の確認をした後、お茶をしよう、食事をしようと誘ってくる。
…これでは、いつまで経っても自立出来ないわ。
それに醜聞にだってなっていそうよ。嫁とはいえ、別邸で義父と一緒じゃ、愛人だと思われても仕方ないわよ…
駄目よ!お世話になっているのにそんな醜聞!許せないわ!
「お義父様。私、仕事を探しに行きたいのです」
「それなら、私の仕事を一緒にするかい?」
「何のお仕事ですの?」
「領地の見回り」
「それは私がいなくても出来ることでしょう?」
もうっ、と口を尖らせれば、義父は声を上げて笑う。
こんなに長く話をしたことなど、今まで一度もなかった。
それが楽しくて嬉しくて幸せで。駄目だと分かっているのに。
そんな日々があっという間に過ぎていき、気付けば四ヶ月経っていた。
雪が降り積もり、人や獣の姿も見えない。暖炉があっても寒くて仕方なかった。
ある日の夜、酔った義父がやってきた。
「離縁が決まったよ」
「…それでは、私はここを出て行きます」
「違う。私と…元妻のだ」
「え!」
「ふふっ。今日は…祝いの日だなぁ…」
肩を貸してソファーに座らせると、手を掴まれた。
祝いの日…?そんなわけない。だって、あんなに愛し合っていたのに。いつも寄り添っていたのに。羨ましい、妬ましいとさえ思ってしまった程に。
…私のせい?私が家出したから…?
強く手を引かれ、腰を抱き寄せられた。
義父の膝の上に座ってしまい、慌てて離れようとするも離してはくれない。
わ、わ、わ…っわぁぁぁぁぁっ!は、恥ずかしいっ!
「ん、もう少しこのままでいてくれ…寒いんだ」
「…はい」
これは夢なのかも。
夢なら…少しくらい大胆なことをしても良いでしょう?…よ、よぉし!
…少し乱れた髪をそっと手で直していく。サラサラね…良い匂いもする…はっ、これ以上は駄目よね。
でも、こんなに近くで見ることはもう二度と無いかもしれない。
じっくり見てもいいかな?いいよね?
やっぱり美しい人ね…若く見える。秘訣は何かしら。髭が少し生えてるわ…あ、こんな所に小さなホクロ…
私は義父が目を覚ますまで、じっくりと観察をして楽しんでいた。触るだなんて、はしたないことはしてないわ!見てただけ!
✩義父Side
彼女を別邸に閉じ込めて4ヶ月。
彼女を外に出せば、二度と帰ってこないかもしれない恐怖があり、外出の許可を出せていなかった。
もう少しすれば、あと少しすれば…と先延ばした結果、まるで監禁しているようだと使用人達から言われた。
仕事を終わらせ、本邸には帰らず、別邸に入り浸るようになった。
彼女との時間は楽しく、嫌なことを忘れられた。
周囲に嫁を愛人にするつもりかと問われた。
そんな日陰者にするものか!
彼女は…彼女は…私の大切な人だ。
だが、日陰者扱いされることが許せず、まず私には、やっておかなければならないことがある。
息子には嫁と離縁するよう、書類を渡した。
「ち、父上…」
「お前には失望した。娼婦の子供を我が家の後継ぎにするつもりだったとは」
「そ、それは…」
「己の妻を騙し、私を騙し、この家の当主になる予定だったのだろう?残念だ。お前はもう後継ぎから外れてもらう」
「父上!」
悲痛な声を出す愚息を睨む。いつからこんな愚かになったんだ。溜息を吐く。
そこに妻がやってきて、座る私の脚に縋り付いた。
「あぁ、旦那様っ。おかえりなさいっ。私、ずっと待っていました!」
何もかも嘘に思えてしまう。
愚息の愛人のことを知っていたくせに。嫁いびりまでしていたくせに。私を欺いていたくせに。
怒りが溢れ出てきてしまう。
「部屋にいろと言ったはずだ」
「そんな、旦那様がやっとお帰りになられたのに…嫌です!私の旦那様でしょう?」
「…おい、誰か彼女を連れて行け。部屋で大人しく出来ないなら、縛ってしまえ」
「旦那様!嫌よ!」
「書類にサインをしてくれるなら、話をしよう」
「サイン?本当に?分かったわ!」
現実を拒否した妻は、幻想の中で生きているのだろう。
私が嫁を探しに行った日から、様子がおかしくなった。
正気ではないのだろう。聞いたことには誤魔化さず、きちんと答えるからだ。それが己に悪い結果をもたらす答えだとしても。
ただ一つ気になることを言われた。
『嫁が貴方に色目を使うから!知ってるのよ!顔合わせの時、あの女の目が物語っていたわ!貴方を好きなのよ!』
正気ではない、と思いながら、まさか本当に?と動揺した。
女の気持ちは女にしか分からない…
意気揚々とサインを書く元妻になる女。内容も読まないのか…と思ったが口には出さなかった。破り捨てられるかもしれないからだ。
書類をサッと使用人に渡し、届け出るように手配してもらった。
愚息は青ざめて、項垂れた。
「さて、何の話をすべきだろうか」
「私達のことよ。もうどこにも行かないで。もっと一緒にいる時間を増やして」
「それは無理だな」
「愛し合っているのよ。ねぇ、また子が欲しいわ。私、沢山産める気がするわ」
「…君は変わったな。何がそこまで君を変えたんだ?」
穏やかで涙脆い、子供っぽい所もあったが愛おしく思えていた元妻。幸せだったあの頃を思い出す。
息子も産まれ、穏やかな時間が過ぎ、当主を譲ったら領地でゆっくり暮らそうと決めていた。
その息子に裏切られ、元妻に裏切られ、私達の幸せは嘘で出来ていたことを知る。
あぁ、疲れた。何も考えたくない。
けれど、終わらせなければ。
「君には先に行って欲しい場所があるんだ。そこで待っていてくれ」
まもなく元妻の家族がやってくる。引き取ってもらう為に。
真実を言えば、突撃されるかもしれない。
だから騙すことにした。
「どこなの?」
「君の家の領地。そこならゆっくり過ごせるだろう」
「貴方は?いつ来てくれる?」
「さぁ、いつになるかな。女主人なのだから、しっかり家を守ってくれ」
私は永遠に元妻のいる場所には行かない。
そんなことも知らずに、私がかつて愛した笑みを浮かべて頷いた。
あんなに愛し合っても冷めるのは一瞬だったな、と失笑した。
長年の愛が終わりを迎えた。
✩彼女Side
あの酔った日から義父は変わった。少し痩せたように見える。顔つきも険しいが、私の前では微笑みを絶やさない。
離縁したのは本当のようで、本邸には全く帰らなくなった。気付けば、別邸で一緒に暮らすようになった。
…これは、どういう関係性になるのかしら…
ずるずるとこのよく分からない関係性になってしまっているが、私は離縁したらすぐにこの家を出なければならない。
夫に離縁届を送った。さっさと書きなさいよ!と一言添えて。
それでも返事も無ければ、離縁届も出されていない。
…本邸に行きたくないわ。今、どうなっているのか分からないけれど、義両親が別れたのだから…良くはないわね。
あぁ、でも…会いたい人がいるわ。
庭で手を振ってくれたあのお方に。私の心を救ってくださった。お礼を言いたいわ。名前も知りたい。
義父に相談すると、何かを言いたそうにしていたけれど「あぁ、また今度」とはぐらかされてしまった。
まぁ、仕方ないことよね。
そうそう!仕事も見つけたわ。針仕事なら、刺繍が得意な私にピッタリ。
義父の目を盗んで、時々街へと出ている。
使用人の皆が家に閉じ込められているのを可哀想だと思ってくれたおかげで、馬車を出してくれる。
平民を装って針仕事をしているだなんて、義父に気付かれたら叱られるかしら?
それでも、いつかはこの家を出て行く。それは決定事項。
今日も義父の帰宅前に戻っておかないと。
いつもより早い時間に終わらせて帰宅した。
さてさて、着替えたら…「おかえり」
…あら、幻聴?いやね、私ったら…好き過ぎてついにおかしくなったのかしら。
聞かなかったことにして、部屋へと戻ろうとすると腕を掴まれた。
「お、お義父様。おかえりなさいませ」
大きな溜息を吐かれた後、抱きしめられた。
突然のご褒美に驚き、体が全く動かなくなってしまった。あぁっ、そんな…私の体、裏切ったわね!
「帰ってこないかと思った…」
「そんな恩知らずなことは致しません!」
恩返し出来ていないのに、猫のように消えたりなどしないわ。
…ちょっとだけ…義父の胸に顔を埋める。
良い匂い…こんなこと出来ちゃうなんて…あぁ、はしたない女だと思われたくないわ。
それでも、もう少しだけ。
諦めた恋がまた動き出す前に。
きちんと諦めるの。
忘れたりしないわ。私の大切な初恋だもの。
「傍にいてくれないか」
「…お義父様」
「私と再婚して欲しい」
「そ、それは…同情されているなら、私は…」
「違う。君に惚れている」
惚れる…?私に?ありえない。
信じられなくて。誰をも魅了してしまう程の方に…惚れただなんて言われても…
「あ、わ、私…」
「君に惚れたのは最近。でも、きっと前から惚れていたのかもしれないな。君のやんちゃな姿に」
それは…どういうこと?やんちゃな姿…?
え、私、恥知らずな行動してた?そんなっ、淑女として生きてきた私が、そんなこと…
「口付けを投げ返してくれたじゃないか」
く、口付け…!?
待って待って…口付けを投げ返してって、まさか。
あの庭で手を振っていたのは。
「お義父様だったのですか!?」
「そうだ。君が少しでも元気になってくれればと思ったんだ」
「あぁぁ…恥ずかしいぃぃぃ…!」
思い出すだけで頬が赤くなってしまう。
いやぁぁっ!私ったら口付けを投げ返すだなんて!
令嬢…いえ、夫人でも、そんなはしたないことしないわ!
「あの、忘れてください…」
「あんな可愛らしいこと、他の人にもやってないだろうね?」
「うぅ…してません…」
手を握られたかと思えば、指輪を嵌められた。
「そのやんちゃな姿を秘密にする代わりに、私を受け取って欲しい。君を幸せにすると誓う」
「…っ、はいっ」
「ははっ。良かった…断られたらどうしようかと思ってた」
強く抱きしめられ、涙が溢れた。
『初恋は叶わない』けれど、叶うこともあったのね。
一度諦めた恋が再び動き出した。
「ずっと…ずっと前から貴方に恋していました」
結婚前から。貴方を初めて見た時から。
✩義父Side
息子の離縁届を受け取り、廃嫡にした。後継ぎは親戚の子に決まった。まもなく成人を迎えるので、私と彼女は領地へ引っ越すことに。
元妻は今も健気に待っていると、元義兄から聞かされたが、全く心に響かなかった。もう二度と会うことはない。
息子は平民となり、愛人と暮らしているそうだが、もう既に仲が悪くなっているとのこと。金がなくなれば、そうなるだろうと分かっていた。
そして私と彼女は領地へと引っ越して、庭を散歩中だ。
引っ越してきたばかりなので、庭師に頼んで彼女好みの庭にしてもらっている。
「またジェスチャーでもするかい?」
「…もうっ、意地悪!」
「楽しかっただろう?私は楽しかった」
「…今は隣にいるんです、その、ジェスチャーより…言葉で貴方に愛を伝えたいです」
「っ!君の言う通りだな…では、早速伝え合おうか」
言葉にしよう。君への愛を。この命が終わるその時まで。いや、終わった後だって。
お互いが魂だけになっても。