自転車とカラスと太陽と
真冬の、まだ日も昇っていないような早朝に散歩をしていた私の背中に「おはよーさんっす」と声がかけられた。
振り返った私の目は登り始めた太陽に一瞬眩んでしまうが、しかしすぐに目も慣れて、後ろに荷台をくっつけた黒い自転車に乗った学生服姿の少年を捉えた。
少年はまだあどけない顔にニコニコと人懐こい笑みを浮かべている。
「よっ、少年。今日もゴクローさん。あのあと自転車の調子はどう?」
「はい、調子がいいっす! お姉さんのおかげでアマさんに怒られなくて助かったっす!」
何日か前に同じように散歩をしようと家を出た私は、ちょうど私の家の前で自転車のチェーンが外れて泣きそうな顔をしていたこの少年を見つけたのだ。
私は家が代々個人の自転車屋をやっていることもあり道具が一通り揃っていたので、少年の自転車を手早く直した。
「代金はその内に払ってくれれば良いからさ」
故障していたわけではなく単純に外れていただけだったので払ってくれなくても良かったのだが、どうしても代金を払うという少年に根負けして私はそう言った。するとその日の内に少年は代金を持ってきていた。
本当に助かったっす、と過剰なほどに何度も言う少年に私は少し辟易しながらその代金を受け取った。
その日から、散歩をしている私を見かけるとこの少年は話しかけるようになったのだ。
「ところで、毎朝なに運んでるの?」
私は少年の自転車の後ろにある荷台を指して聞いてみた。新聞か、牛乳か。私の乏しい想像力ではそのどちらかくらいしか思い浮かばない。
少年はニコッと笑うと「あれっすよ」と言って自分の後ろを指差した。
しかし差した先にはなにもなく、道が昇ってくる太陽に向かってまっすぐに伸びているだけだった。
「あれを引っ張ってるんすよ。っと、あんまり遅れちゃうとまたアマさんに怒られちゃうのでこれで! また自転車の調子が悪くなったら持ってくるっす!」
そう言いながら少年は自転車を走らせた。風を受けてカラスの羽のように膨らむ学生服の背中を眺めて、そして今度は少年の背を追いかけるように昇ってくる太陽に目を向けた。
ほんの一瞬、少年の自転車から太陽に向けて紐のようなものが伸びているように見えたが、一度まばたきをすると跡形なく消えていった。
「ひょっとしてとんでもないお得意さんが出来ちゃった?」
私はそう呟いてから軽く笑うと、散歩を再開した。
昇ってきた日の光が暖かく、気持ちよく散歩が出来そうだった。
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