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丘に咲く花に水はいらない

作者: 毬目



 今年の空も青い。

 嫌味なほどの快晴に、さすが晴れ女、と言いかけて口をつぐんだ。機嫌を損ねて雨になられたら、それはそれで困る。


 ハンドルを握る手を片方離し、空気を入れ替えようと窓を少し開けた。外から入る風とともにお日様の匂いが顔をかすめる。暑い夏に似つかわしくない爽やかな風を感じるのもまた、この日に限ってはいつものことだった。



「優しすぎるんだよ」

 あの日、病室のベッドで彼女は唐突にそう言った。


 通い慣れた病院の個室で、代わり映えのしない彼女の好物を普段のように据え置かれた冷蔵庫に入れている時のことだった。


 残りの一つをしまい、振り返ると不服そうな顔が目に入り、首を傾げる。優しいことの何が不満なのか。察しの悪いらしい私に、彼女はさらに口をとがらせる。


「大事な休み削って通わなくてもいいんだよ」

「大事な人に会うのは大事なことでしょ」

「有意義に使わないと。合コン行ったり、女の子と遊びに行ったりとかしてさ」

「彼女が浮気推奨してどうするの」

「未来の彼女がそこで待っているかもしれないじゃない」

「はいはい」

 何を言いたいのかわかる。けれど言わせたくなくて、流すように相槌をうった。


 それなのに、今日の彼女はしつこいらしい。

「もっと酷い男におなりなさい」

 ベッドの上で腕を組み私を嗜めるが、責められる謂れはない。


「酷い男ねぇ」

「私のことを利用してみたりさ。病気で彼女を亡くした男性ってきっとモテるよ。同情から始まる恋もあるよ」

「縁起でもないこと言わないの」

 笑えない冗談を当事者がさも当然かのように口にするので、言葉に詰まる。


「心配なんだよ。律儀に一人でいそうだから」

「いいじゃない。たとえ一人でも」

「たしかにね。一人の幸せってあるしね。でも、誰かと分け合う幸せはもっとたくさんあると思うよ」


 窓の外を眺める彼女は、おそらくその向こうに生える大木の先端を見つめているのだろう。

 残り一枚となった木の葉がゆらゆらと危うげに吹かれ、今にも迎えそうな終わりの時を自分と重ねて。


「だから、私じゃない誰かとまた恋をして欲しいの」

 視線を私に戻し、珍しく真剣な表情で彼女は言う。

「あなたはこれからも生きていくんだから」


 頷くことも、否定することも出来なかった。


 ただ、真っ直ぐなその言葉は、私の胸に痛く刺さり、今もあの木の葉のように苦しく引っかかり続けている。



 見晴らしの良いそこは建物に遮られることもない広々とした丘の上だというのに、車を停めた場所よりも不思議と涼しく感じた。


 数えるほどの墓石の中の、申し訳程度に鎮座した石の前にしゃがみ、手にしていた一輪の花を供える。鮮やかな黄色を放つ様はこの季節に相応しいが、それが私には余計に虚しく映った。



 約束した、と言うよりもさせられた。



「律儀で頑固な誰かさんはきっと命日になったらお墓参りに来たりするんでしょ」

 その時の彼女は頑なに話を続けようとした。まるで今話さないと次がないかのように。


「あんまりしつこいと怒るよ」

「私だってちゃんと考えてるの。考えて、この先の話をしているんだから、まぁ聞いて」

 顎をさすりながら、どうしたものかと思案する彼女。

 一方で隣に座る私は、踵をパイプ椅子の足にコツコツとあてつつ、別の話題に転換させる手はないかと苦慮していた。


「わかった」

 しばらく黙った後、一人納得した様子の彼女はこう続けた。


「花をちょうだい」


 お供えで持って来るでしょ? とまたこちらが返答し難い台詞を投げかけて来る。

「全部で十三本ね」

 本数まで指定されるらしい。

「種類は何でもいいよ」

 だが、こだわりはないらしい。


「別に何本でもよくない?」

「数は決めなきゃ駄目。キリがないでしょ?これはあなたが私という呪縛から解かれるためのものなんだから」

「君を好きでいることは呪いなの?」

「恋はおっかないんですよお兄さん。片方が居なくなったら、その思いだけが宙に浮いたまま置き場所がなくなって、とても厄介なんだから」

 戯けて言う彼女の言葉を私は笑うことは出来なかった。


「もし好きな人があらわれて、一刻も早くその人と一緒になりたいってなったら、まとめて一回でもいいよ。花束にしてドンっと。それは気が引けるって言うなら、月命日とかにしてさ。何でもかまわない。あなたがしたいようにすればいい」

 何でいつもそんな風に言えるのだろう。一番辛いはずなのに、どうして一番強いのだろう。


「そうやって決めないと、私に囚われたままになるでしょう?」


 弱い私はもう何も言えない。君を助けることも出来ないのに。ただそばに居ることしかしてこなかったのに。

 彼女は自分の人生以上にその先の私の未来を慮って。


「十三本もらったらおしまい。私のことは忘れる。そしてあなたは新しい恋をするの」


 恋人に、別の人を薦める。そんな残酷な言葉を紡いでいるとは思えない程、彼女は優しい笑顔をしていた。



 自分が愛した人に自分を忘れろと言った彼女の心情は、おそらく私には一生はかることは出来ない。

 だからせめて、彼女の覚悟を約束を守るという形で受けとめるのが私に行える唯一の償いだった。



 十三年目に訪れた景色は今も変わらない。供える花も毎年同じだ。


 知識なんてないものだから、最初の年にたまたま入った花屋で目にとまった向日葵を買って以来、ずっとその花にしている。

 いや、たまたまだなんて言い訳だ。


 初めて彼女に会ったあの日、落としたハンカチの柄と一緒だったから、きっとこの花に惹かれたのだ。日向のような彼女にぴったりな所も。

 けれどそんなことを口にしたら、また呆れられそうだから黙っておこう。



 この丘には雨は降らない。こぼれる雫もない。花を濡らす水は必要ない。ただお日様の匂いが漂って、私を包む。

 その匂いを目一杯吸い込んで、今は、今だけは、君を感じていたい。




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