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後編

 

 ヴァルキュリア侯爵家の夜会会場は、王城のそれにひけを取らない豪奢さだった。

 大貴族の邸宅は、前世で言う、その国を代表する観光スポットのような城だった!


 住む世界が違うことを改めて実感した。マティアス様は、本来なら地方の子爵令嬢如きが会うことすらできないお方なのだ。


「エリゼ嬢」


 そんなことを考えながら立ち尽くしていたわたしは、マティアス様の声にはっとした。


「マティアス様、本日はお招きいただきありがとうございます」


 わたしが挨拶を述べると、マティアス様は安心したような笑顔を浮かべて、わたしの手を取りキスをした。


 その瞬間会場がざわめいて、幾つもの視線が向けられた。


「マティアス」


 彼の名を呼ぶ女性の声がして、顔を向けると、彼によく似た男性と、その男性にエスコートされた女性が並んでいた。


 マティアス様のご両親である、ヴァルキュリア侯爵様と侯爵夫人だ。


 わたしは淑女の礼をとった。


「マティアス、紹介してちょうだい」

「父上、母上、彼女がエリゼ・リモージュ子爵令嬢です」


 緊張が走る。


「はじめまして。リモージュ子爵家が長女、エリゼと申します。本日は場違いながらも参加させていただき、感謝いたします」


 わたしがそう述べると、侯爵夫人はにっこりと笑顔を浮かべて言った。


「エリゼ様。少しいいかしら?」


 彼女の言葉は、自分に付いてくるようにと促すものだった。

 わたしはそれに従い、彼女と共に別室へ向かう。


「マティアス様、本日はありがとうございました。それでは失礼いたします」

「え?」


 マティアス様が不思議そうな顔をして声をあげたけれど、もうこの夜会会場へ戻ることはないだろう。


 わたしは帰りの挨拶を述べて、侯爵夫人の後に続いた。


 別室につくと、侯爵夫人はソファーに腰を下ろすことなくわたしに振り返った。

 ツカツカツカとわたしに近づく。


 いきなり殴られる感じ? 仕方ない。甘んじて受けよう。


 わたしはぎゅっと目を瞑った。



「エリゼちゃん! ありがとう!」



 侯爵夫人はそう言って、わたしの両手を強く握った。


 エリゼ……ちゃん?


 彼女は涙を浮かべながら言葉を続けた。


「わたしたちね、マティアスの結婚は諦めていたの」

「な、なぜ……ですか……?」

「あの子はどんな女性にも興味がなくて……」

「えぇっ!?」

「あ、違うわよ!そういう趣味じゃないわ」

「ええと……」

「それが突然、結婚したい女性がいるって言い出したの!」

「…………」

「あなたは我が家の救世主よ!」

「あ、あの、マティアス様とわたくしとでは釣り合わないと思うのです」

「出世させるわ!近衛騎士隊長になったら、釣り合うかしら?」


 まさか、親子で同じ答えとは!


「違います。わたくしは地方の小さな領地を治める子爵の娘に過ぎません。王家に連なる名門ヴァルキュリア侯爵家嫡男であるマティアス様に、わたくしはふさわしくありません」


 わたしがそう言うと、侯爵夫人は控えていた侍女が持っていたケースから、大きなエメラルドのネックレスを取り出し、わたしの首にかけた。


 見るからに高そう。前世の一戸建てが余裕で買えるわね。


「これは……?」


 わたしは恐る恐る聞いた。


「うふふ。それはね、ヴァルキュリア侯爵家に嫁ぐ方への贈り物よ!」 


 婚約指輪ならぬ、婚約ネックレス!? 


 わたしの話、聞いてます!?


 それに、わたし、マティアス様にお返事した覚えもないのだけれど……!


「あ、あの、わたくしが受け取るわけには……」

「返品不可よ〜」


 わたしがネックレスを返そうとすると、侯爵夫人は楽しそうに言った。


 それならケースに戻そうと控えていた侍女に顔を向けると、彼女はケースを持ったまま、サッと部屋を出ていった。


 凄い!名門侯爵家の侍女は、瞬時に状況に合わせた行動ができねば務まらないらしい。


「求婚状書けたよー」


 そう言いながらヴァルキュリア侯爵様が現れた。


「直接届けようか?」

「あら、良いわね!」


 え……? 求婚状……? 直接届ける……? 何処にですか……? まさか……!?


 わたしは、大貴族であるヴァルキュリア侯爵様と侯爵夫人を前にして、青ざめて震えるわたしの両親の姿が想像できた。


「ま、待ってください!わたくしはまだ……」


 わたしの声をかき消すように扉が開き、マティアス様が現れた。


「父上、母上、もういいですか。そろそろエリゼ嬢を返してください」

「えー!? お父さん全然エリゼちゃんとお話してないよ!?」

「お母さんももう少しお話したいわ! でもそうね!邪魔しちゃだめよね? うふふ。あなた、旅の支度をしましょう!」

「そうだな! 明日出発しようか!」

「そうね! 急ぎましょ!」 


 えぇっ!? 少し止まってもらえますか!?


 ヴァルキュリア侯爵様と侯爵夫人は楽しそうに部屋を出て行った。


「マティアス様……」


 わたしが彼に顔を向けると、彼は満面の笑みを浮かべていた。


 え……? こうなることをわかっていたの……!?


「さぁ、行こうエリゼ」

「ど、何処へ……?」




 わたしの予想は大きく外れた。ヴァルキュリア侯爵様も侯爵夫人も、わたしを認めないと言うようなことはなかった。


 そして、予想はひとつだけ当たった。


 わたしはその日、夜会会場へ戻ることはなかった。

 なぜならそのまま、マティアス様の私室へ連れ込まれたからだ。




 ***




 新入社員研修を終えて、彼女と暮らしている部屋へ帰る途中、大通りから部屋の窓を見た。


「あれ? 暗い?」


 部屋の照明は点いていなかった。


「残業かな?」


 時刻は二十時。正午過ぎには到着する予定だったはずが、飛行機の欠便で遅くなってしまった。



 マンションのエントランスにあるポストを見ておかしなことに気づく。


 暮らしている部屋番号のポストの受口には「入居者募集中」と印刷された紙テープが貼られている。


 『わかった。支度しとくね』


 彼女の言葉を思い出した。


 しまった……! またやってしまった……! 


 帰ったら一緒に引越し準備をする予定だったが、言葉足らずな俺は、彼女ひとりにそれをやらせてしまったらしい……。


 行動力がある彼女は、ひとりで引越しを終えてしまったようだ。


 それでも彼女がいるかもしれない。

 そう思って部屋に向かったが、俺が持っていた鍵は、玄関ドアの鍵穴に入らなかった。


 スマホには彼女からのメッセージはなく、そこにあったのは、“ご注文の商品、お渡しの準備が整いました”という、ジュエリーショップからの通知だけだった。


 この時点で少しだけ、嫌な予感はしていたんだ……。


 俺は、不動産会社に勤める従妹に紹介してもらった、二人で暮らすための、新たに契約した部屋へ急いだ。


 しかし、そこには宅配業者の不在票しかなかった。


 彼女は今何処に……?


 俺は慌てて彼女に電話をしたが、掛けた電話は繋がらなかった。 


 もしかして、俺、フラれた……?


 俺は何処を探せばいいのか、誰に連絡すれば良いのかわからず、スマホに保存された彼女の写真を見ては、彼女に電話をかけることを繰り返し、不安な気持ちで夜を過ごした。


 翌日、翌々日は土日で、彼女が勤める会社も、俺が就職した会社も休日だ。


 しかし、じっとしていられるはずがなく、俺は彼女の勤める会社に向かった。


 彼女の勤める会社の正面玄関は休日出勤の社員のために開いているようだったが、当然部外者が入ることはできない。


 俺はその場で立ち尽くしていた。


 暫くすると、運良くひとりの女性が現れた。彼女は以前会ったことがある彼女の上司で、彼女が姉のように慕う女性だった。


 俺はその女性に声をかけ、彼女の居場所を知らないか尋ねた。




 そして、俺は、絶望とはどういうものであるのかを身をもって知った………。




 彼女の上司である女性が同行してくれるというので、俺はその女性と共に彼女の実家を訪ね、自分の身元や彼女との関係について話した。


 彼女の両親は自分たちも娘を亡くしたばかりなのに、俺を気遣ってくれた。


 俺が彼女を誤解させることがなければ、彼女は死ななかった。

 俺は彼女の両親にそう言って謝罪した。


 彼女の両親は、あなたは若いのだから、この先の人生、自分を責めることなく、幸せに生きてくれと、娘もそう思っているはずだと言ってくれた。


 俺が彼女の実家を後にするとき、彼女の母親は、彼女のスマホと、彼女が最後に持っていた部屋の鍵に付いていたというキーホルダーを渡してくれた。


 そのキーホルダーは俺も同じ物を持っている。

 俺たちにとって特別な物だった。


 彼女のスマホは充電されてなくて、電源が切れたままだった。


 俺は家に帰りそれを充電した。彼女のスマホの電源を入れると、待受画面は俺たちが出会ったきっかけである、コーヒーショップのタンブラー。


 彼女がたまに日記帳アプリを使用していたことを思い出し、アプリを開く。

 画面にはパスコードの入力画面。それは簡単にわかった。


 彼女の日記を読んで、涙も嗚咽も止まらなかった。


 彼女の日記には、俺に対する恨み言など一切なく、俺への応援、俺への感謝、そして、俺への愛が綴られていた。

 最後にはただ一言、『ずっと大好き』と書かれていた。



「ごめん……! ごめんな……! 勘違いさせて、悲しい思いをさせて、本当にごめん……! 寂しかったよな。ごめんな……。 俺も好き、ずっと好き、ずっと大好き!愛してる!ずっと……。 神様、彼女を返して……。返して……」





 それからの俺はどう人生を歩んだのだろうか。


 彼女に会いたくて会いたくて、そればかりを考えていたように思う。


 鏡に映る俺は、年を重ねて老いていくが、画面の中の彼女はいつまでも変わらず若いまま。


 俺が天寿を全うたら、再び彼女に会えるだろうか……。俺は、彼女に誇れる自分でいようと、懸命に生きた。


 しかし、結婚だけはどうしてもできなかった。


 彼女の命日には、俺は必ず彼女の墓を訪れ、花を手向けた。

 彼女の両親は、どうか幸せな家庭を築いてくれと言うが、彼女以外に結婚したいと思う女性はいなかった。

 俺の両親にも申し訳ないと詫びたが、両親は俺の気持ちを汲んでくれた。



 そして俺は旅立ちのときを迎えた。旅立ちの瞬間、再び彼女に会えることを期待した。



 彼女に渡せなかった指輪は、彼女と共に眠っている。




 ***




 彼女を見つけたのは、王城の夜会会場だった。


 彼女だ…………!!


 ひと目ですぐにわかった! 彼女は、前世の俺が知る彼女と同じ、黒髪と黒目が美しい女性だった。


 彼女は、彼女の上司と思われる女性と共に、挨拶に回っているようだった。

 一通りの挨拶を終えた彼女は、バルコニーへ向かった。


 俺は、彼女の上司らしい女性に面識があったため、すぐに彼女について聞いた。


 エリゼ・リモージュ子爵令嬢。二十歳。独身。王城で働く事務官。


 彼女は俺と同い年になっていた! 

 俺は神に感謝した。前世の俺が知る彼女は、俺との年齢差を気にしていたことを知っていた。

 何度もそんなものは関係ないと言ったのに。


 そして、さらに幸運なことに、彼女は独身だった!


 彼女は俺を覚えているだろうか。いや、彼女が覚えていようが覚えていまいが関係ない。

 俺のやるべきことが決まった。


 俺は彼女を追ってバルコニーへ向かい、彼女の前で跪いた。そして……。


「結婚してください」


 前世の俺が、彼女に告げることができなかった台詞が出てしまった。


 今世においては初対面のはずなのに、やってしまった……。


 彼女を見ると、一瞬、スンっと無表情になった。


 ああ、変わらない。彼女のクセ。間違いなく彼女だ……!


 俺は再び彼女に会えた……!


 俺を不審がっただろう彼女は、戸惑いながらその場を去った。


 しかし、俺は彼女の捕まえ方を知っている。彼女は押しに弱い。


 覚悟して。俺は絶対に離れない。今度こそ共に未来を生きよう。




 ***




 大聖堂の扉がゆっくりと開き、その壮大さと荘厳さがわたしの視界を一瞬で埋め尽くした。

 天井まで届くかのような高さの柱、色とりどりのステンドグラスから差し込む光が、大理石の床を美しく彩る。


 わたしは祭壇へと進む。ヴェール越しに見える世界は、幸せで溢れている。


 マティアス様がわたしの手を優しく握り、微笑みを浮かべる。


 神父様の言葉に続き、わたしたちは誓いの言葉を述べる。大聖堂は拍手と歓声で一杯になる。


「それでは指輪の交換を」


 えっ?


 この世界に指輪交換の文化はない。


 神父様が差し出したリングピローには、二つの指輪が並んでいる。それは見覚えのあるものだった。


 前世のわたしが大切にしていた四つ葉のクローバーのキーホルダー。それと同じデザインの指輪だった。


 四つ葉のクローバーは、前世のわたしと彼の誕生日である、四月二日の誕生花。




「絵里」




 懐かしいその名前に彼を見つめると、彼は大粒の涙を流していた。


「勘違いさせてごめん。悲しい思いを、寂しい思いをさせて、本当にごめん。俺もずっと大好き。愛してる」



 ああ、やっぱり彼だった。



 だって、わたしを両腕の中に閉じ込めるあなたも、膝枕してと甘えるあなたも、激しくわたしを求めるあなたも、わたしを宝物のように優しく扱うあなたも、小さな仕草から口癖まで、全部同じなんだもの。


『ずっと大好き』 わたしが書き込んだ最後の言葉。


「パスコードの数字、わかったの?」


 わたしの頬を涙が静かに伝う。


「うん。絵里、単純だから。四つ葉のクローバー(4968)だってすぐにわかった」


 あなたのスマホのロックもクローバー(0968)だったじゃない。知ってるんだから!


「エリゼ、愛してる。今度は一緒に歳を重ね、同じときに旅立とう。そしてまた、同じときに生まれ変わろう。私は何度でも君を見つけ出すよ」


 マティアス様はそう言って、わたしの左手の薬指に指輪を嵌めた。


「やっと君に渡すことができた」


 わたしは震える手でマティアス様の左手の薬指に指輪を嵌めた。


「マティアス様、ずっと大好き」


 わたしがそう言うと、マティアス様はわたしを強く……、強く抱きしめた。


 そして神父様の咳払いが聞こえるまで、何度もわたしにキスをした。


 

 わたしたちの左手には、四つ葉のクローバーをモチーフにした指輪が輝いていた。






 ——完——







多くの作品の中から、この作品を読んでいただき、ありがとうございました。


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