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Psychedelic~サイケデリック  作者: 幻想箱庭
第1章 始まりの幕は意図せず上がる
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第6話:飲食店 エイプリル・スプリング(2)


「何をしているのですか、フォルトロスさん!? せっかく開店前に綺麗に清掃したばかりの床が……。ああ、汚いっ!」


 アレンの元へ向かおうとしていた足をいったん止め、(わめ)き散らすようにソニアを叱責しだすルチエラ。

 その様子を傍から眺めていたアレンは、「ああ、()()あいつか」と胸中で呟きながら、座り込んだまま謝罪の言葉を述べ続けるソニアの姿をじっと見つめる。


 柔らかく、緩やかなウェーブの掛かったマロンブラウンの髪に茶色の瞳。

 普段からおどおどしているその姿はまるで小動物のようであり、失敗を犯す度にすぐに涙目になって謝りだしてしまうほど人一倍気が弱い性格の持ち主であった。


 聞いた話では、彼女はヤスガルンのとある製錬工場で働いていたらしいのだが、働き始めてすぐに工場を解雇され、行き場を失ったままこの国エスレーダにやって来たのだという。

 彼女が普段見せている態度も、不注意でよく物を落とす理由も、工場を解雇された時のトラウマから来ているのだと、赤の他人であるアレンにも容易に推測出来た。


 別にアレンはこの店で働く全ての従業員の過去や境遇を知っているわけではない。

 というよりも、そもそも覚える気すらない。


 アレンが他者の事情を知っていたのは、ただ単に相手がムカつく奴、あるいは変わった奴のどちらかであったからだ。

 その中でもルチエラは前者に該当する人物で、基本的にアレンの中に残る大半がこの前者である。


 しかし、一方でこのソニアという女はルチエラと違い、後者に属する珍しい人物であった。


 自分と同じ役職で、異国の者同士。

 何かと失敗しては、どこかの店長代理にあくどく叱られる。


 アレンはそんな似通った境遇の彼女に情を抱き、結果として記憶の中に残るようになってしまった――というわけではなかった。



 アレンがソニアのことを意識しだした本当の理由。全ての始まりは、店で働くことになった初日の朝のことであった。当時の記憶をアレンは思い出す。







「――ということで、このお店で働くことになりましたアレン・ジュランです。ご迷惑をお掛けすることがあるかと思いますが、精一杯頑張りますので、皆さんどうぞよろしくお願い致します!」


 開店前の厨房内。

 従業員達に見守られる中、アレンは事前にジンから教わった「仕事先における礼儀作法」を駆使しながら自己紹介を行っていた。


 普段では絶対にしない丁寧な言葉遣いと穏やかな笑顔。

 幸い周囲に気づかれていないようだが、演技を行っている当の本人は、自身の顔が引きつり、こめかみ部分が微かに痙攣しているのを感じ取っていた。


(ガキの新年の目標発表じゃあるまいし、何で毛ほども思ってねえ自己紹介をこんな大勢の前でやらされなくちゃならねえんだよ。しかもこんな喋り方で仕事をしろって……。おい、ジン。社会のやつらは本当にこんな喋り方で生きてるのか?)


 内側から湧き上がる苛立ちを持ち得る限りの忍耐力で我慢しつつ、アレンはこの場にいない人物に向けて訴え掛けてみる。

 しかし、返ってくる声など当然なく、抑えていた負の感情が増すばかりであった。


(こいつらもこいつらで、ずっと笑顔でこっち見てくるし。……ここは、そこの床の上に黒くて素早い虫でも出たと、最大級の虚偽妄言でもかましてやるか?)


「す、すみませんっ! 遅くなりました!」


 アレンが企てを実行するよりも先に、突如、店の裏口の扉が勢いよく開かれ、外から慌てた様子の一人の女が駆け込んできた。


 急いで店にやって来たことによる疲れからくるものなのか、遅刻をした恥ずかしさからくるものなのか、彼女は息を切らした状態で顔を伏せたまま、入り口の前で立ち止まっていた。


「ああ、フォルトロスさんか。そんなに気にしなくても大丈夫だよ。遅れたと言っても、開店までまだ時間はあるから」


 アレンの手前に立っていた男――エイプリル・スプリングの店長は、遅刻をしたことに対して特に咎めることもなく、温かく彼女を迎え入れた。


 成人であるにも関わらず、未だに俯いた状態で何度も謝り続ける女。

 店長に誘導されながらこちらに向かってくる間も、一度も顔を上げずにただ似たような言葉を繰り返すのみであった。


「それよりも、こちらにいる彼女は今日からこの店で働くことになったアレン・ジュランさんだ。フォルトロスさんも最近ここで働き始めたばかりの方だから、二人とも互いに協力しながら頑張っていくように。もし何か困ったことがあったら、遠慮せずに私に訊きなさい」

「……え、新人さんがいらしていたのですか?!」


 店長の言葉に、それまで謝っていた女が一気に顔を上げた。

 しかし、遅れてやって来たことが気恥ずかしくなったのか、女はアレンと向き合う前に再び俯くと、今度は落ち着きのない動作で慌てふためいてしまった。


(……こういう面倒なタイプの人間は大嫌いだ)


 正直、関わり合いを持ちたくないと思いながらも、これがこれから仕事をしていく上で必然的に接していかなければならない相手。


 そう認識したアレンは胸中で深いため息をつくと、半ば諦めて目の前にいる女をいったん受け入れることにした。


「初めまして、アレンと申します。まだ分からないことだらけですが、よろしくお願いします」

「あ、はいっ! ……えっと、アレンさん……ですよね? 私、その……ソニア・フォルトロスと言いますっ! あの、……一緒に頑張りましょうねっ!」


 笑顔の裏側でそのようなことを考えている人物の本心に気づかずに、ソニアと名乗った女は声を弾ませ、顔を跳ね上げる。

 どこかおどおどした表情を浮かべながらも、同時期に入った新人の存在がよほど嬉しかったのだろう。

 若干の緊張感を帯びてはいるものの、太陽のように明るく輝いていたその笑顔は――アレンの顔を見た瞬間に凍りついた。



 それが彼女、ソニア・フォルトロスとの最初の出会いだった。








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