エピローグ:復讐の連鎖は密やかに続く(2)
「そんな怖い顔をしないでくださいよ。ワタクシはただ、貴方の質問にお答えしたまでです。それにこの薬は貴方がたもよく使っていたではないですか。何をそんなに怒っているのですか?」
「『何を』、だと? ……ふざけるなっ! その薬の正体が使用者の肉体と魂を侵食して魔物に変えることも、オマエがそれを知っていてオレ達に使わせていたことも分かっているんだぞ! 人をモルモットみたいに扱いやがって……っ。オレ達を魔物に変えて、一体何を企んでいる!?」
メディエーターのとぼけた態度に、アッシュは感情に任せて叫び、脳裏に焼きついているあの出来事を思い出す。街で待機していた仲間が喰い殺される間際に発したあの断末魔を。気が狂ったように何かを喚きながら暴れ回っていたケイレブ達の正気を失ったあの瞳を。
怒りを剥き出しにした目で睨み、知り得る限りの情報を突きつけて、アッシュはメディエーターの反応を待った。
「ああ、そうでしたそうでした! 貴方がたは既に、この薬の正体をご存じでいたのですよね。教えてくださった方は、さぞ博識な人物だったのでしょう。――ただし、貴方は一つだけ大きな勘違いをしています。確かにこの薬――〈エデン〉は使用回数と濃度にもよりますが、力を与える代わりに使用者を魔物へと変えていきます。今回のように高濃度の物を無能力者が使えば、一発で成り果てるのはまず確定でしょう。ですが、我々能力者はある程度〈エデン〉に対する耐性を持っていますのでどうかご安心ください。……まあ、理性を失って暴走する様を『魔物』として捉えるのでしたら話は別ですがね」
アッシュの言葉を否定せずに、メディエーターは改めて〈エデン〉と呼ばれた薬の説明をする。
――「大きな勘違い」。
会話の中で、確かにメディエーターはそう言った。
その単語にアッシュは内側から沸き起こる激しい感情を懸命に抑えながら、彼の言う勘違いとは何か、そしてそれは何を意味しているのかを聞き出すべく、じっと耳を傾けてみることにした。
警戒心を抱いたままのアッシュを見て、メディエーターは微笑みを崩さずに、更に続ける。
「しかしこの〈エデン〉、一回分を製造するのに膨大な時間と労力、コストを要するのが問題点なのですよねぇ。貴方がたはそのことを知らずに何の遠慮もなく使っているようでしたが、スーツケースをいっぱいにさせるほどの量を作るのは結構大変だったのですよ? 加えて高濃度の物まで作り上げるとなると、通常の何倍もの手間が掛かってしまう。それをたかが貴方がたを魔物に変えるだけのために、わざわざワタクシが使わせていたと本気で思っているのですか?」
最後の台詞は怒りからくるものなのか、はたまた別の感情からくるものなのか。
笑みを浮かべているその表情とは裏腹に、ぞっとするような声音でメディエーターはアッシュに訊ねる。
言葉に宿った殺意。それは一瞬でアッシュの神経を戦慄させ、抱いていた敵意を喪失させるのに十分であった。
「……さて、本題に入りましょうか。ワタクシが高濃度に凝縮した〈エデン〉を貴方がた能力者に手渡した理由。それはテロを成功させるためでも、ましてや暴走を引き起こすためでもありません。この〈エデン〉の侵食に耐えきれる、器の大きい魂を探し出すためだったのです」
先程とは打って変わり、元の穏やかな口調で語り出すメディエーター。
消え去った殺意に、アッシュは未だに恐怖で固まっている体の緊張を少しずつ解きながら、彼が言ったある単語について恐る恐る質問する。
「『器の大きい魂』……?」
「ええ、そうです。以前、手始めにこの辺りの国で何人かの協力者を使って試させていただいたのですが、どうやら器が小さかったのでしょう。どの能力者も無能力者も暴走したり魔物に変わったりと、騒がしいばかりでした。魂の器は肉眼で判別出来るものではないので、当てずっぽうで探すしか方法はないと分かっていましたが、本当に失望させられますよ。そんな中、ちょうど無名区域で無能力者に強い恨みを抱いている一人の能力者を見つけましてねぇ。名はケイレブ・テイラー。彼はいつの日かその手で世界に反逆を起こそうと考えていました。しかし、彼にはそれを実現出来るほどの力は持ち合わせていない。そこでワタクシは〈エデン〉を譲って力を与える代わりに、テロと称して器の大きい魂を探し出す手伝いをさせることに致しました。……ですが、結果はお分かりのように、どれも暴走を起こすような小さなものばかりで残念でしたが。それはそうと、ここまで聞いていてまだお気づきになられないのですか?」
まるで何かを示唆するように丁寧な物言いで、メディエーターは目の前の少年――アッシュの瞳の奥を覗き込んで尋ねた。
「他の仲間達と比較すれば能力者としてのランクは低いものの、多くのテロリスト達がいた中、高濃度の〈エデン〉を使用しても唯一暴走せずに己の力を最大限に発揮することが出来た能力者――それは紛れもない貴方のことを申し上げているのですよ? アッシュ・ストリッカーさん」
アッシュの姿を捉えたまま、今までの回りくどい言い方を止めて、メディエーターは単刀直入に真実を告げる。
唐突に知らされた他者とは異なる自分の素質。
天からの啓示を授けられたかの如き現実味がない感覚に、アッシュは呆然と立ち尽くす。
「オレが、器の大きい魂――」
メディエーターの瞳に映った自分の姿を見つめながら、「まさか、」と自虐めいた笑みを浮かべてぽつりと呟くアッシュ。
生憎、選民意識というものを持っていなかった彼は、もしかしたらそれもメディエーターが自分を利用するためについた嘘なのかもしれないと警戒していたのであった。――しかし、もしこれが本当の話だとしたら?




