第51話:牢獄機関(3)
ジンが鉄格子から離れたのと、扉が開かれたのはほぼ同時であった。
警棒を携えた人物――服装から察するに、彼が尋問官なのだろう。彼は部屋に入るや否や、室内を見渡し、独房の中のアレンに詰め寄った。
「おい、貴様。今、誰かと話していなかったか?」
冷淡な物言いで、アレンを問い詰める尋問官。しかし彼女は鼻で笑った後、薄い笑みを作ってはぐらかすように答えた。
「さぁてな、あたしの大きな独り言だろ。この部屋に話し相手がいるように見えるか? それとも何だ? 怪奇現象を起こすような幽霊でも飼ってるのか、ここは――」
平然と喋るアレンの近くで、突如、鼓膜を突き破るような派手な金属音が鳴り響いた。
痛みに表情を歪ませながら前を向くと、尋問官が手にした警棒を鉄格子に叩きつけていた。
「余計な発言をするな。貴様が話していいのは、こちらから訊かれたことのみだ」
警棒を下ろし、彼はなおも冷たい視線をアレンに浴びせる。そして壁際まで移動すると、壁面に取り付けられている装置のレバーに手を掛ける。
「取り調べの時間だ。少しでも反抗的な態度を見せるようならば、容赦なく拷問を加える」
音を立てて、レバーが途中まで下げられる。次の瞬間、アレンの足首に繋がれていた鎖から微量の電流が流れ始めた。
額に汗を流しながらも、一貫して虚勢を張るアレン。
そんな彼女の姿を、尋問官に気づかれないように息を潜めていたジンは、金色の瞳を光らせてじっと見つめていた。
「……」
照明の灯りすら届かない暗がりの中。入り口から最も死角となる天井の片隅に彼はいた。
背中から展開した闇を壁や天井に張り巡らせて、身を隠すと共に体を固定させる。そして右腕に硬い殻を纏うと、標的が拷問を加えるよりも先に、背後から襲い掛かる――。
「尋問官、中にいるのか?!」
ジンが攻撃を仕掛ける直前、再び扉が開かれ、外から制服姿の中年男が押し掛けてきた。
(くそっ、もう少しだったのに。誰だよ、こいつ)
「所長! どうしてこのような場所に……」
アレンの疑問に答えるかのように、尋問官は即座に叫び、装置から手を離して敬礼した。
中年男――「所長」と呼ばれた人物は壁際の装置が作動していることに気づくと、問い掛けに返事をすることなく、急いでレバーを上げて停止させる。次いで、独房の中にいるアレンの無事を確認してから、ほっと胸を撫でおろした。
「間に合ったか……。尋問官、警棒をしまって速やかにこの部屋を出るように」
「え……っと、それはどういった意味で――」
「早く退室しなさい!」
「か、かしこまりました!」
理由を伝えずに、叱咤する所長。
立ち去っていく尋問官の後ろ姿を眺めながら、このただ事ではなさそうな現状をアレンが把握しようとしたその時だった。
「まあまあ、所長さんもあまり部下を叱りつけなくても大丈夫ですよ。今回の件については私共の不手際もあったことですし」
不意に扉の奥から聞こえてくる若い男の声。どうやらもう一人誰かがいたらしい。
その人物は入室の際に軽く会釈を送ると、アレンの元に歩み寄り、どこかで見たことのある穏やかな微笑みを浮かべる。
「……?」
果たしてそれは目の錯覚なのか、幻覚なのか。まず初めに、アレンは己の認知機能を疑った。
アレンが他者のことを覚える条件。それはムカつく奴か変わった奴のどちらかである。だが、目の前の相手は間違いなく後者に当てはまるだろう。何故ならば、彼が身に纏っていたのは、医者や研究員が着ているような裾の長い真っ白な白衣であったからだ。
ニッコリと微笑む白衣の青年。その表情、佇まいに、錯覚でも幻覚でもないことに気づいた彼女は――。
「はあっ?!」
驚愕のあまり、大声で叫んでしまった。
「しかし、何でまた、貴方のようなお方がこのようなことを……」
「ああ、それはですね――」
「おい、待て、紅茶男! 何でてめえがここにいる?!」
所長と会話をしている青年――飲食店で働いていた際に客として訪れていた紅茶男レイの姿を認識した途端、アレンは鉄格子ギリギリのところまで駆け寄って、焦りと驚愕の表情で彼を睨んだ。
「『紅茶男』……?」
「……ええ、まあ、私のあだ名? みたいなものですので、お気になさらず。ところで所長さん、暫くの間、彼女と二人きりにさせていただけないでしょうか? 極秘任務故、決して誰もこの部屋に近づくことがございませんように。それが終わりましたら、またお話をしましょう」
「はっ! かしこまりました!」
背筋を伸ばして敬礼し、迅速に対応する所長。そんな彼らのやり取りを見届けた上で、アレンは思考を整理する。
一般人の立ち入りを決して許さない牢獄機関。それをどうやってこの白衣の人物は入ることが出来たのだろうか。
加えて、周囲が見せたあの対応。尋問官すら頭が上がらなかったはずの所長が、この人物に対しては敬語で話し、敬礼する始末。異様な光景の数々に、アレンは瞬時に彼がただの変な青年ではないと理解した。
ただし、一つだけ彼女の中に疑問が残った。何故、彼はわざわざこの部屋にやって来たのか?
自分と関係しているのは確かであるが、理由が分からない以上、警戒心を抱かずにはいられなかった。




