第43話:能力者達の死闘~争いの対価と代償(3)
「な、何で、アイツはさっき死んだはずじゃあ……っ!?」
「死んでねえよ。と言うより、死ねねえんだよ、あいつは。……あれほど無茶するなって言ったのに、あの馬鹿」
暴言を吐き、歯ぎしりするアレン。そんな彼女をよそに、白かったはずのジンの髪が次第に漆黒に染まっていく。
いや、彼の変化はそれだけではなかった。インクの染みが広がるかの如く、黒く変色していく皮膚。続いて、全身が硬い殻や棘に覆われ、身に纏っていた衣服が闇となって空中へと消えていく――。
この時、アッシュは見てしまった。彼の首元に、罪人を束縛するための首枷がはめられていたことに。右目に巻いてあった眼帯――その下に、血のように赤い三つの眼球が隠されていたことに。
変貌と同時に体中に走る赤い亀裂。やがて四つの瞳が獲物の姿を捉えた瞬間、ジンは咆哮を上げ、手近にいた戦闘員達に向かって一気に駆け出した。
「ガアアアアアアアアアアッ!!」
暴走した相手の攻撃など意に介さず、本能のままに暴れ始めるジン。巨大化した爪で戦闘員達の頭や体を跳ね飛ばし、動かなくなってもなお執拗に死体を損壊し続ける。
貫かれていたはずの胸の傷は、いつの間にか再生されていた。
壁や床に血肉をぶちまけながら、呼吸をするように殺戮を行う化け物。悪夢さながらの光景に、恐怖で立ち尽くしていたアッシュは不意にある記憶を思い出した。
咆哮を轟かせ、強靭な肉体と圧倒的な力で人間を蹂躙していくその姿。あれは、まるで――。
「魔神……?」
そう。かつてアッシュが幼かった頃、村の『兄』達から聞かされた昔話の一つに、魔神が出てくる話があった。
魔物同然の姿と肉体を持った人型の化け物。死ぬことは決してなく、圧倒的な力と破壊衝動のままに全てを襲い、壊し、殺戮する恐るべき存在。
物語の結末では封印されたとあったが、今、アッシュの視界に映っているのは、まさにその昔話の魔神そのものであった。
「お喋りの時間はおしまいだ。向こうで暴走してるやつらはジンが引き受けるとして、さて、あたしは……」
「クかかカカカカッ! なンダぁ、お嬢ちゃン。この俺ノ相手ヲしようっテ言ウのカイ? いいねェ、イイぜェ……ッ!!」
冷めた目でアッシュとケイレブを見据えるアレン。右腕に纏っていた炎が彼らを挑発するように揺れる。
「まともに喋れねえ癖に、ごちゃごちゃうるせえんだよ、おっさん。御託はいいから、ガキと一緒にとっとと掛かって来やがれ」
「……ガキのクセしテ、さっきカラずッとズッとズット、俺ヲ馬鹿ニしやガッテ……ッ!! くくク腐レ、お前モ、メディエーターも、何もかモ全テッ!! 俺ヲ嘲笑う奴ハ、俺カラ奪い去ろウとすル奴ハ、皆皆、跡形もナく朽ち果テろォォォォォッ!!」
片目に涙を浮かべながら、悲鳴にも似た絶叫を上げるケイレブ。
その声に何か嫌なものを感じ取ったのか、アッシュが持ち前の反射神経で横に大きく飛び移ったその時だった。
ケイレブの全身から放出されていた膨大な量の腐食の波動が一箇所に集まり、黒い濁流となってアレンに襲い掛かっていった。
怒涛の勢いで迫り来る波動は軌道上にある床を腐らせ、その場から動こうとしない彼女の全身を瞬く間に呑み込んでしまった。
アレンを閉じ込め、不規則な動きで蠢いている黒い波動。
恐らくアッシュも、あの時避けていなければ二人諸共、彼の能力に呑まれていたであろう。
力を使い果たし、息を切らせながらケイレブは確信する。自身の勝利を。
そして、歓喜とも悦楽ともとれる歪みきった笑みを浮かべると、狂ったようにケタケタ笑って天井を仰いだ。
「……やったゾ、はハ、ハハハハッ! どウダ、メディエーター! さっキはよクモ俺を馬鹿にシテくれたなァッ! 次ハお前ノ番ダ! オ前モこいつノヨウに、跡形モナクこの世界カラ消シ去っテヤるッ!!」
「そんなもんか? おっさん」
喜んだのも束の間。黒い波動の中から、聞こえてくるはずのない声が聞こえてきた。
笑顔のまま、ぎこちない動作で首を傾けるケイレブ。そこには、腐食の波動に混じって、チラチラと炎の渦が垣間見えていた。
その渦は次第に火力を上げ、内側から波動を燃やし尽くすと、中にあったものが露わになった。
例えるならば、炎の防壁。ケイレブの能力から守るように、大量の炎が旋回しながら彼女の身を包んでいた。
「なァ……ッ!?」
あり得ないと言わんばかりの表情で、ケイレブは体をこわばらせる。
やがて宙に消えていった防壁の中から、かすり傷一つ負っていないアレンが姿を現すと、彼は初めて後退りした。
それを近くで見ていたアッシュも、先程自分のことを「低ランク能力者」呼ばわりしていたアレンの言葉を思い出し、その意味を痛感する。
相手とは明らかに実力差があり過ぎる。この二人組を相手にしてしまった自分達の運のなさと愚かさを後悔する、と。
「おまえらが犯した過ちは三つ。一つ、メディエーターと接触し、利用されてることにも気づかねえでやつの協力者として騒ぎを起こしたこと」
悠然とした口調で喋り、一歩ずつアッシュ達に歩み寄るアレン。
彼女が人差し指を立てると、まるで空中に蝋燭の火が灯ったかのように、周りに複数の火球が生み出された。
「二つ、そう簡単に世間様を変えられるはずもねえのに、くだらねえ思想を抱いたまま無謀にも世界に喧嘩を売ったこと」
着実に距離を詰めつつ、今度は中指を立てる。
先程生み出された火球が急激に膨張し、空気を熱しながら数十倍の大きさに成長する。
「そして三つ、……そのくだらねえ思想のせいで、一体何人の無関係な人間を巻き込んで殺そうとした?」
三本目の指が立った時、アレンはピタリと立ち止まり、手首を返した。
その動作に合わせて火球が彼女の頭上高くまで上昇すると、熱量を増して高温の炎の塊と化した。
「……吹き飛ばせ」
アレンが腕を横に薙ぎ払う。刹那、いくつかの炎の塊が彼女の命令に従い、獲物に食らいつこうとする獣の如く、アッシュとケイレブに向かって飛来した。
とっさの判断でそれらを回避するアッシュ。彼が避けたことで標的を失った塊はそのままホールを駆け抜けると、壁や柱に着弾し、爆発した。
「……くっ!」
爆発によって引き起こされた振動が、アッシュの鼓膜と脳を揺さぶる。
軽い脳震盪を起こしつつも、かろうじて体勢を立て直した彼は、塊が飛んでいった地点へ視線を移した。
恐らく衝撃で吹き飛んだのだろう。堅牢な構造で出来ているはずの時計塔内部は着弾点を中心に深く抉れ、上がった火柱が周囲に燃え移る。
長時間に渡り、能力者の攻撃に晒され続けていた最上階は既に天井の一部が崩れ始め、この場所も長くは持たないとアッシュは悟った。
「が、アアァ……ッ」
ふと彼の近くから、誰かの弱々しい叫び声が耳に届いた。
振り向くと、そこには苦痛で顔を歪ませ、惨めな姿で床を這いつくばっているケイレブがいた。
よく見ると、大腿骨の付け根から先の右脚が、ない。
「おまえも憐れなもんだよな。メディエーターと接触さえしてなければ、くだらねえ思想は抱いたままでも、テロリストまで発展しなかっただろうに」
頭上にいくつかの炎の塊を残したまま、淡々とした口調で言い聞かせるように、ケイレブに近づくアレン。
「でも、もう手遅れだ。更生の余地はいくらでもあったはずなのに、それを蹴ったのは他でもねえ、おまえ自身だ」
手前で立ち止まり、一切の情を捨てた眼差しで彼女は見下ろすと、右腕を彼の頭に向けて伸ばした。
「グ、ぐゥゥッ、こンナガキに……っ、こンなガキにィ……ッ!」
「こんなガキにやられて死ぬんだよ、おまえは。……その胸の光の色、おまえが抱いてる心の闇は『屈辱』だったんだな」
ケイレブの胸元を見つめ、最後の方は呟くようにアレンは言う。
「胸の光の色」。その言葉に、アッシュもつられてケイレブの体を見たが、胸はおろか全身のどこを探しても、彼女の言う光は見当たらなかった。
しかし、アレンの目には映っていた。
這いつくばるケイレブの胸の辺りから、青鈍色をした光の筋が放出されているのを。
「ま、今更おまえの心の闇について話しても何の意味もねえよな。楽かどうかは知らねえが、一発であの世に送ってやる。……じゃあな、おっさん」
決別の言葉を言い終えると同時に、放たれた炎の塊。
ケイレブの頭に着弾し、爆発を起こすと、それを最後に彼の体が動くことはもうなかった。




