第3話:少女と青年(1)
これは数十秒前の出来事。アッシュが少女達を目撃する直前へと遡る。
「おい、今おっさん蹴り飛ばさなかったか?」
背後の人だかりに視線を向けたまま、二人のうちの一人である青年――ジンは自分のすぐ隣を走っている少女に言葉を投げ掛けた。
「あ? いたか? そんなやつ」
ジンの隣を走っている少女――アレン・ジュランは自分に投げ掛けられた言葉に対する返答をした。
年は十六。炎のような紅色の長い髪に、凛とした顔立ちと蒼い瞳。額に巻かれた布と同色の黒い戦闘用グローブを身に着け、腰には一本の剣。
彼女もまた、『ある目的』を果たすために異国からこの地にやって来た、旅人と呼ばれる存在であった。
先程自身が起こした出来事など歯牙にも掛けない様子で先を急ぐ彼女に、「さっき、明らかに『邪魔だ』と、しかも名指しで言っていただろ」とジンは心の中で突っ込みを入れた。
年は二十二。アレンとは対照的に色素が全くないかのような白髪に、金色の瞳――ただし、右目は眼帯に覆われている。顔面の右半分には大きな傷跡。背中に巨大な戦斧をくくりつけ、そして春時にも関わらず彼が身に纏っていたのは、マフラーやら厚手のグローブやら外套といった、季節外れなものばかりであった。
取りあえず彼は、先程の出来事に関しては後々面倒なことになりそうだったため、蹴られたおっさんには「災難だったな」ということで片付けることにした。
そんな二人がエスレーダに来たのは、今から二週間と三日前。ちょうど世間に『焼死体事件』の話題が広がり始めた時期であった。
当初は、エスレーダに到着してすぐに『目的』に取り掛かろうとしていたアレン達なのであったが、入国して早々、金銭的問題に直面し、日夜の生活費を稼ぐために働かざるを得なくなってしまったのが現状である。
幸いにも商業が盛んな街ということもあり、働き口さえ見つかれば、旅人でも路頭に迷う心配はなかった。
三日経ったある日、土地勘を覚えるために散策していた際に、アレンは偶然通り掛かった店で「それ」――『エイプリル・スプリング』という名前の飲食店が出している求人情報が記載された張り紙を発見したのであった。
そして現在、彼女はバイトのウェイトレスとして働くことになったのだが、問題はそれだけでは終わらなかった。
「あー、何であの時、あんな張り紙なんかに目がいったんだろうなー」
不意に仕事先を見つけた時の記憶が呼び起こされて、アレンは首を傾げながら愚痴をこぼした。
ちょうど同じことを思ったのだろう。ジンもバリバリと頭を掻き、隣にいる彼女を無言で見つめてため息をつく。その視線は同情というより、むしろ問題児を見るような目であった。
「……やっべえ、マジやべえ! 今日遅刻したら、今週三度目の遅刻じゃねえか!」
通りを走っている最中、アレンは自分が置かれている状況を再認識したのか、大声で叫んだ。
彼女の抱えている問題とは、バイトの遅刻。寝坊など原因は様々だが、彼女は極端なまでに唯一の働き口であるその飲食店を何度も遅刻しているのであった。
「……ところでお前に質問だ。仮に今週三回遅刻したとして、先週何回遅刻をしたんだ?」
「四回」
「確かお前の出勤日は、週の頭から一日置きで計四回だったよな? つまり、先週は全滅。ついでに言うと、仕事を始めた週も初日こそ間に合ったものの、次の日から遅刻をやらかして、まともに通った日数もなし。……お前なぁ、ここまで遅刻をしておいて何か心配するべきもんがあるんじゃねえのか? 問題その一。これ以上やらかしたら、まず何の問題が発生する?」
「……給料がかなり減る」
「……」
可哀想な生き物を見るかのように、アレンを憐憫の目で見つめて沈黙するジン。
「うっせ、何憐れむような目で見てるんだよ。分かってるよ! クビだろ、クビ! そんなことくらい、あたしだって理解してるさ!」
通行人という名の障害物を避けながら、人通りの多い街路を駆け抜けるアレン。
途中、進路を塞ぐ形で露店のものと思われる木箱がいくつか積まれていたが、彼女は何の躊躇いもなくそれらを蹴り飛ばして軌道を確保する。
派手な音を立てて崩れ落ちる木箱。どうやら中身は林檎であったらしく、今この付近では林檎が空中を飛んでいるというとてもファンシーな光景がお目に掛かれるであろう。
露店の店主の悲痛な叫び声が聞こえてきたが、ジンはそれを完全に無視し、遅刻とは別の理由で先を急いだ。