第37話:過去回想~スーツ姿の紳士
時計塔最上階、展望ホール。
事前に待機させておいた能力者テロリスト達を中央に集め、巨大な窓ガラス越しにイレイザートの街並みを眺めているその男は笑っていた。
名は、ケイレブ・テイラー。アッシュ達能力者を集めて、世界の支配権を握ろうとしているテロリストの首謀者。彼は胸に下げている石製のペンダント、その表面を指でなぞりながら、きっかけとなったあの日の出来事を思い出す。
――無名区域の通りを歩いていた最中、一体どこからやって来たのだろうか。彼の元に白い帽子をかぶったスーツ姿の一人の紳士が訪ねてきたのであった。
その人物は手に持っていたスーツケースを地面に降ろすと、静かに微笑んでケイレブにこう言ってきた。
「――どうでしょう? ワタクシと一緒にこの世界を狂わせてみませんか?」
最初はその胡散臭い恰好をした男の言葉など、真に受けずに適当にあしらうつもりでケイレブはいた。
「世界を狂わす」など、そんな大それたことを平然と言う輩は頭のどこかがいかれているのだと相場が決まっている。だから、彼も対抗して平然とした顔で男にこう尋ねた。
「へぇー、『世界を狂わせる』、ねえ。何をどうすれば、そんなことが出来るのかねぇ」
「他人を信じるよりも先に疑え」、それがケイレブの座右の銘である。
騙すか騙されるかしかないこの世界では、騙される方が悪い。現に彼はそうしてこの無名区域を生き抜いてきたのである。
しかし、ケイレブの返答を聞いた途端、何故か男は目を細めて、ニタリと口角を上げた。
まるで彼のことを予め知っていたかのように。彼の本心を見抜くかの如く、虹色の瞳が怪しく煌めく。
「……ケイレブ・テイラー。やはり、情報通りの方でしたか。……これはとんだ失礼を! よろしいでしょう、そんな貴方には特別に少し先の未来を視せて差し上げましょう!」
突如、男は高らかにそう言い出すと、懐から白く光り輝く何かを取り出した。
ケイレブが目を凝らそうとした直後、男の手の中にあったそれから目が眩むほどの強い光が放たれ、そのまま彼に襲い掛かってきた。
不意を突かれ、抵抗する間もなく、いとも簡単に全身を包み込まれてしまったケイレブ。眩い光に視界が、神経が、脳が侵され始める。
だが次の瞬間、かろうじて保たれていた意識の中に飛び込んできた『ある光景』を見て、愕然とした。
彼が見たもの――それは、西の街を中心としたイレイザートの各地で、能力者が引き起こしたと思われる暴動によって、大勢の住民達が逃げ惑っている姿であった。
ある場所では人の体が燃え上がり、複数の竜巻が建物を破壊していた。別の地点に視線をやると、今度は上空に黒煙を巻き上げながら何度も爆発を起こしているところもあった。どの場所を見渡してみても、いずれも街は混乱状態に陥っていた。
ただし、彼の視点は地上ではなく、空中かあるいはどこか高い場所にあるのか、イレイザートの街々を見下ろす形で眺めているようであった。
夢や幻影などでは片付けられないほどの、鮮明でリアルな映像。
やがてそれらを一通り見終えると、まるで立ち込めていた霧が晴れたかのように、周囲の景色が彼のよく知る無名区域に戻っていた。
「如何でしたか? この街の未来を視た感想は」
まだ脳の働きが正常ではない中、目の前にいた人物――例の紳士姿のあの男は、ニコニコと笑いながら、現実世界に帰ってきたケイレブに尋ねた。
「今のは、一体――」
「これは〈予言板の欠片〉。欠片に選ばれた者が望んでいる、『実際に目にする近い先の未来』を視せる力を持っています。この力が発動したということは、どうやら貴方を所有者として認めたのでしょう。つまり! 先程ワタクシ達が視たのは、貴方がこれから実際に目にする、一番見たいと願っていた未来の姿だったのです! 楽しかったでしょう? 今まで貴方がた能力者を差別してきた愚かな無能力者共が、無様にも貴方がたの手によって絶望の淵に落とされていく姿は!」
両腕を広げ、流暢に嗜虐的な言葉を語る男。
やがて一呼吸置いてから腕を下ろし、再びケイレブに問い掛ける。
「……どうですか? 試してみる価値は十二分にあったとは思いますが、ワタクシの『世界を狂わすことが出来る』という言葉、信じていただけましたか?」
「……〈予言板の欠片〉だか何だか知らねえが、そうだな。さっき俺が視たあの映像が本当に未来の俺が見る光景なのだとしたら、こんなに愉快な話は他にはねえ! ……やってやろうじゃねえか。お前さんが言った、その『世界を狂わせる』っていうやつを。……ク、ククククッ!」
何故男が自分の名前を知っていたのか、そして何故自分にこんな話を持ち掛けてきたのか。そんなことなど、もはやどうでもよかった。男の話には信憑性があり、先程視た未来の姿も偽物として片付けることは出来なかった。
そして何よりも気に入っていたのは、男が言った「楽しかったか?」という台詞。あれこそまさに、今のケイレブにとってピッタリの感想であった。これ以上、疑う必要などあるのだろうか。
「無能力者共を絶望の淵に」。その甘美な響きにケイレブは残忍な笑みを浮かべると、悪魔の誘いを受け入れるように、目の前に差し出されていた男の手を握り、持ち掛けられた提案を呑むことにした。
「交渉成立、のようですね」
刹那、握られていた手の甲から腕に向かって、何かが這っていく奇妙な感覚をケイレブは覚えた。
見ると、彼の右腕に二対の蛇が絡み合っている入れ墨がいつの間にか刻まれていた。
「これはワタクシの協力者になったということの証。早速ですが、貴方にはこの欠片とは別に、この薬も差し上げましょう。一時的ですが、無能力者を能力者に、能力者にはその力を強化させる効果があります」
そう言って、地面に置いてあったスーツケースを拾い上げると、中身を確認させるため、目の前で開いた。そこには、貨幣の詰まった革袋と、緑色の液体で満たされた大量の注射器が所狭しと収められていた。
「これらは定期的にお渡ししますので、仲間を集めてワタクシの代わりにテロを起こしてください。武器や装備等で足りないものがございましたら、それもこちらでご用意致します。後はワタクシの指示通りに動いていただければ、自ずと未来は貴方を迎えに来るでしょう」
蓋を閉じ、男は静かな笑みを浮かべる。続けて、懐から一枚の紙を取り出すと、スーツケースと一緒にそれを彼に手渡した。
「詳細はこちらに書かれている通りですので、後のことは貴方にお任せします。では、祝福の未来が貴方と共にあらんことを!」
帽子を胸に当てて一礼する男。そして深くかぶり直すと、ケイレブに背を向けた。
「――そうそう、言い忘れていましたが」
動き出す直前、男は思い出したようにその場に立ち止まると、帽子の隙間から虹色の瞳を覗かせて、再度ケイレブの姿を捉える。
「その欠片は最初に視た未来しか映せませんので、是非覚えておいてくださいね」




