第33話:とある女の話
――これは、かつてヤスガルンにいたとある女の話。
ただし、「ヤスガルンにいた」というだけで、彼女の生まれはその隣国に位置する、いくつかの村で構成されたとても小さな国であった。
豊かさはなくとも、差別も偏見もない、穏やかな日々が続く平和な祖国――そのように言えたのは、数ヶ月前までの話であるが。
――魔物の大量発生。
原因は不明だが、何の前触れもなく現れたそれらに住民達は対抗する手段もなく、更には村から村へと、次第に拡大していく被害を危険視した近隣諸国が介入し、無名に等しかった女の故郷は鎮圧対象になってしまったのだ。
彼女を含め、「難民」となった者達に与えられる生き方は、ヤスガルンで衣食住が保証される代わりに、住み込みで工場で働くか、あるいは死体清掃員などといった人々から忌み嫌われる職種に就くかの二択のみ。下層民同様の扱いを受けながら、劣悪な環境に慣れていくしかなかった。
しかし、女には一つだけ、生まれ育った村の人間しか知らない秘密があった。
それは、彼女が能力者であるということだった。
故郷とは違い、能力者に対する偏見が強い異国の地。無論、自身がそうであることは誰にも話さずに、彼女は一人で隠し通すつもりであった。
だが、隠していたものが明るみに出る日が訪れたのは突然だった。
ある日、女はいつものように製錬工場で同業者達と再生技術である巨大な機械を動かしていたのだが、途中、何か不具合でも生じたのだろう。彼女のすぐ近くの機械が爆発し、真下に仲間を残したまま落下したのである。
「このままでは押し潰されてしまう」、そう判断した女は何の躊躇いもなく、今まで隠してきた力を使ってその同業者を助けたのであった。
その後のことは、彼女の予想通りだった。
難民ということもあり、工場の管理人に解雇を言い渡された挙句、人気のない路地裏に連れていかれて、殴る蹴るの暴行を受けたのだ。
女が能力を使い、一人の人間の命を助けて得たもの――それは、感謝でも称賛でもなく、「自身が人間ではない『何か』」というレッテルであった。
その時だ。
不意に管理人の肩を掴んで、彼の暴行行為を止めさせる人物が現れた。
薄れゆく意識の中で女は、偶然通り掛かった警官隊か通行人が助けに来てくれたのだと思っていたが、管理人が背後を振り返った次の瞬間、彼の体が急に燃え上がったのだ。
絶叫と肉の焦げる臭いが立ち込める中、気を失う直前の彼女が目にしたのは、炎の中で黒く変色していく管理人の姿と、生きたまま人間を燃やしている、暗い朱色の髪をした少年の憎悪に満ちた鋭い眼光であった。
女が目を覚ましたのは、既に少年が去った後の出来事。
完全に錯乱状態に陥っていた彼女はすぐさま人通りの多い大通りへと逃げ込み、警官隊に保護されたのだが、取り調べの際に「赤い髪の……」とだけ言い残し、ヤスガルンから姿をくらましたのである。
――女は恐れていたのだ。事件のことを話してしまえば、少年の怒りを買ってしまうのではないか、今度は自分が殺されてしまうのではないか、と。
やがて逃げ出すようにエスレーダに移り住んだ彼女は、身分を『旅人』と偽り、飲食店のウェイトレスとして働く中で、多少なりとも事件の記憶から解放されつつあった。
――あの『紅い髪の少女』が同僚として現れるまでは。
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