第24話:忌まわしき記憶
――最初は故郷の遊び仲間だった。
次の作戦に備えて部屋で待機していたアッシュは、不意にそんなことを思った。
彼の生まれは、ここエスレーダから遠く離れたところにある国の、森に囲まれた小さな農村であった。
資源に乏しく、名所もなければ訪れる客人の姿も滅多にないその村では、村人の誰もが近隣でなくてもそこに住む人間の顔くらいは把握していた。
つまりはそれほど小さく、また村人全員が知り合いであることを意味していた。
そんな故郷での暮らしはこうである。
大人達は村ぐるみで互いに協力しあって労働に励み、十二歳を超えた頃から子供達も大人に混じって、性別ごとに力仕事や家畜の世話などの手伝いを始める。
そしてそれ以外の――まだ仕事を手伝えるような年齢ではない子供達は、村にいる子供同士で遊び、生活における基礎を学んでいく。
無論、そういった村の一員であるアッシュも例外ではなかった。
彼が幼かった頃、自分よりも数歳年上の『兄』と呼ばれた人達が自分達年下の遊び相手、及び教育係として共通語の読み書きや計算、集団生活における協力の必要性を教えていた。
そして年月が経ち、十歳を迎えた時には、今度は自分達が『兄』としてかつて教えてもらったことと同じ内容を年下の子供達に教えてやる。
そのような環境の中で――いや、村の協力性もここまで来れば『体制』と言った方が正しいだろう。
とにかく、そのような『体制』の中で育てられれば、長年つるんできた仲間がいても別段おかしい話ではなかった。
十二歳になり、他の子供達と同様、大人達のところへ働きに出掛けても、アッシュは仲間達と一緒に仕事場から抜け出しては近くの森で遊んだり、夜中に村長の家の家畜小屋に忍び込んでは餌に泥水を流し込んだりと、つまるところ「悪ガキ」として周囲を困らせるくだらないいたずらばかりして日々を過ごしてきた。
そんなある日、いつものように仲間達を集めて「悪さ」をしに深夜の村に出向いた時、『あれ』は起こった。
「おい、今日は村長の家じゃなくていいのかよ、アッシュ」
本日の標的である民家の家畜小屋の前で、泥水の入った桶を運んでいた仲間の一人がアッシュに尋ねる。
「ああ。村長のヤツ、とうとう見張り番を雇って小屋を守らせているらしい。だから、今日はここでいいんだ」
「しっかし、暗ぇよな。街灯くらい、付けてくれたっていいじゃねえか、村長の奴」
「村で一番、金持ってる癖になぁ」
片手に持ったランタンを揺らしながら、口々に愚痴をこぼす仲間達。
作物と家畜くらいしか育たないアッシュの村は、外との交易がないに等しく、収益となるものは、 せいぜい行商人達が麓の街へ向かう際の宿泊代としてそれなりの金を落としていく程度だった。
財政力が低く、道の舗装はおろか、辺りを照らす街灯すら取り付けられていない。
そのため、人が寝静まった時間帯に悪さをするにはうってつけであったが、手元にあるランタンの明かりがなければ、この暗闇の中を歩くことはまず不可能であっただろう。
「じゃあ、皆。作戦通り、中に入るぞ!」
「おう!」
アッシュの合図に、仲間達は次々と小屋の中に忍び込み、持っていた桶の中身を家畜の餌に流し始める。
アッシュ自身も、比較的近い場所にあった馬小屋に目をつけ、柵を乗り越えてすぐに泥水を流し込もうと急ぎ足で飼い葉桶に近づいた。だが――。
たまたま足元に転がっていた農具の存在に気づかなかった彼は、つまずいた拍子に手元が狂い、寝ていた馬の頭に中身をぶちまけてしまったのである。
「ヒヒィィィィン!!」
急に泥水を掛けられたことで驚いた馬は興奮し、アッシュがいる柵の中で暴れ始めた。
「うわあぁぁぁぁっ!!」
「アッシュ?!」
アッシュが持っていたランタンが地面に落ちて壊れた音と、彼の叫び声に気づいたのか、仲間達が一斉に振り向く。
しかし、馬は既に前足を宙に浮かせて、アッシュに飛び掛かる寸前であった。
このまま蹴られればどうなるかということぐらい、子供のアッシュでも十分に理解していた。
(嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ! 死にたくないっ!!)
死の恐怖が迫って来る。
脈打つ心臓。やけに鮮明に映る目の前の景色。
自分の全てが終わる、終わる、終わる。
「く、来るなぁっ!!」
アッシュは大きく叫び、脅威を振り払おうと反射的に腕を薙いだ。
その時、彼は脳裏に極彩色に光り輝く渦のようなものを見た。
まるで心の中にある死の恐怖を塗り潰すように、目まぐるしく色を変えながら精神を占領していく渦。
やがて、それが一つの色へと定まった瞬間、アッシュの内側で何かが解き放たれた。
突如、響き渡った爆発音。
彼の声に応えるように、足元に転がっていたランタンの火が急激に膨張し、炎の塊となって馬に直撃した。
「ビヒィィィィィッ!!!!」
耳をつんざくような鳴き声を上げて、アッシュの目の前で地面を転げ回り、炎上する馬。
炎は全身を包み込み、やがてその体がピクリとも動かなくなると、辺りに焦げ臭いにおいを漂わせて、ゆっくりと黒い物体に変わっていく。
「……なっ」
自分でもよく分からない、そう言わんばかりの顔で固まるアッシュ。
腕で薙ぎ払った途端、色のようなものが脳裏に見え、何かの爆発音が聞こえたと思った直後、巨大な炎の塊が馬に襲い掛かってあっという間にその巨体を包んでしまったからだ。
腰が抜けて動けぬまま、呆然と燃える物体を眺めることしか出来ないアッシュであったが、次の瞬間、耳を疑うような絶叫が聞こえてきた。
「う、うわ、うわぁぁぁぁ! 化け物だぁぁぁぁっ!! 誰か、誰かぁぁぁぁっ!!」
仲間の誰かが、そう叫んだのだ。
――化け物。
それは自分が人間ではない『何か』であることを表した言葉。
この世界には能力者と呼ばれる、人類を超越した力を持ち、それ故に差別を受けている人間が存在するという。
だが、それと自分を結びつけることは今のアッシュには出来なかった。
胸の辺りから橙色の光の筋を放出しながら、アッシュは仲間達に向けて必死に手を伸ばす。
「ち、ちが……っ。これは、オレじゃあ……っ。待って、置いてくなよっ!」
「ひっ、こっち見るなぁっ!!」
「皆、逃げろぉぉぉぉっ!!」
各々が何かを叫び、一目散に逃げ出す仲間達。
叫び声を聞きつけたのか、小屋の外から大人達のざわめく声が聞こえてくる。
一人置いて行かれたアッシュは、ただ走り去っていく仲間達の背中を見ながら、恐怖と絶望で心が染まっていくのを感じた。
「待てよ! オレは化け物なんかじゃない! 待って、待てよ、皆ぁぁぁぁぁぁっ!!」
「――アッシュ!」
「はっ!」
自分の名前を呼ぶ誰かの声で、アッシュの意識は現実に戻された。
とっさに顔を上げて前を見ると、同じ部屋で待機していた装甲服姿の仲間が心配そうにこちらを覗き込んでいるのが分かった。
「お前、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
「……あ、はい。大丈夫、です……」
(いけない。またやってしまった……)
胸中で自分をたしなめたアッシュは、深く息を吸い込み、ゆっくり吐き出した。
額から流れ出ていた冷や汗を拭ってみると、湿り気特有の気持ち悪い感触が手に残った。
ふと頭に思い浮かんだ言葉が、まさか余計な記憶さえも呼び起こしてしまうとは。
しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。
頭の中の雑念を掻き消すように、アッシュは首を左右に振って思考を切り替える。
(とにかく、次の作戦を成功させるためにも気を落ち着かせなければ――)
「侵入者だーっ! 侵入者が基地の中に入ったぞ! 増援に来てくれ!!」
突如、部屋の外から仲間の叫び声が聞こえてきた。見張り役のものだ。
能力者で編成されたテロリストがいる空間にも関わらず、増援の要請。
(――まさか、警官隊? 警官隊にこの基地が知られたのか?)
「アッシュ! ケイレブの旦那がすぐこっちに来いと言うとるで! わしと一緒にはよう来るんや! 皆さんは、加勢に行っとくれ!」
あまりにも唐突過ぎる事態に動転していたアッシュの元に、別室で待機していたキースが慌てた様子で飛び込んできた。
彼が出した指示に仲間達はすかさず銃を手に立ち上がると、要請に応じるべく総出で部屋を後にする。
「アッシュ! こっちや!」
腕を振って合図を送るキース。
そんな彼に促されるまま、アッシュも遅れてその場から立ち上がり、ケイレブが待っているという場所へ急ぎ足で向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




