プロローグ:訪れし者
「――人類が最も『崇高なる存在』になるために必要なものは何だ?」
深い闇の中、青年の問い掛ける声が響き渡った。
時刻は真夜中。通行人の姿はおろか、遠吠えをする獣の鳴き声すらも聞こえてこない街を、青年と少女が歩いていた。
「……何だそりゃ?」
暫しの沈黙の後、青年の問い掛けに少女が聞き返す。
「先人の言葉だよ。何世紀も前にどっかの馬鹿が言い出した、つまらねえ議論」
と彼は嘲笑気味に語り出す。
遥か昔から、人間という生き物は万物の頂点に立とうとする。「完璧」でいないと気が済まない存在だ、と。
別にそんなことは最近になって世に出回った話ではない。少女からしてみると、それは知っていることがもはや当たり前で、当たり前過ぎて語り合うのもうんざりするほどの代物であった。
「――で、それが何だって言うんだよ」
「随分とノリが悪いな、おいっ!? 普通、そこは考えてみるもんだろ!」
「……興味ねえよ」
たったの七文字で会話を終了させる少女。青年の話題に乗らせようと続ける言葉や突っ込みも虚しく、彼女は無言で先を急ぐ。
「まあまあ、少しくらい考えてくれたっていいだろ? 別に何だっていいんだぜ? 『崇高』と言っても人それぞれ、色々あるんだからよ。――曰く、最強の強さ、優れた才能、厚い人望、巨万の富――」
「それに答えたところで何があるんだよ」
立ち止まり、いかにも「聞くこと自体が面倒臭い」と言わんばかりの顔で、彼女は話を遮り、尋ねた。
「べっつに~? 俺はただ単に、お前の意見を知りたかっただけさ。一度、この耳でこの問いに対するお前の反応というものを、是非とも存じ奉りたいと申し上げまして」
「なーんてな」と、間延びした喋り方で笑顔を向ける青年。笑顔といっても、からかうようにニヤついたその表情はどこからどう見ても、純粋な感情からくる一般的なものとは程遠いものであったが。
どうやら青年の問い掛けには、特に深い意味はなかったようだ。その返答は、少女の中から興味を持つ必要性を一瞬で失わせるのに十分であり、肺に溜まっていた空気を全て出し切るように深いため息をついてから、彼女は青年に視線を飛ばす。
「うぜえし、気色悪ぃんだよ。しかもその敬語、大分間違ってるし」
それだけ言い終えると、再び少女は黙り込み、自分の視界に青年の姿が映り込まないためにも、彼がいる位置とは正反対の方向に顔を背けた。
一貫して冷たい態度を取る少女を見て、青年は会話が続かないことに半ば気を落とし、ため息をつく。
「……はぁーっ、会話がまっっったく続かねえ上に、興味すら持たれていねえな。……だったら、『要因』じゃなくて『存在』の方ならどうだ? 『何が人類の中で最も「崇高」な存在であるか?』。例えば、女神に一生を捧げている者、世のために命を惜しまない勇猛果敢な英雄、人間以外の血を引く亜人種、と、それと――」
と、彼は間を空けてから、
「――『人類最強』を謳っている、能力者と呼ばれる存在……とか、な?」
「……」
――能力者。
それは人間であって、同時に「否」である存在。
それは人間から差別されるが、同時に人間を軽蔑する存在。
それは人間であったが、人間であるにも関わらず、人間にはない『力』を手に入れてしまった存在。
青年の最後の一言に、先程まで興味を持っていなかったはずの少女が、一瞬微かに動揺した。
青年は変わらずニヤついた表情を浮かべたまま、自分の言葉に確実に反応を示した少女の蒼い双眸を見つめて、静かに待ち望む。彼女が次に取るであろう、この問い掛けに対する出方を――。
――「崇高」。
その単語に、思わず少女は、
「……はっ、くだらねえ」
「おいおい、どうした~? せっかくこうすれば少しは考えてくれると思ってあえて触れてみたっていうのに。考えていると思ったら、いきなり笑い出しやがって。お前、能力者絡みの話には結構乗ってくる方じゃなかったのか?」
相手の瞳から視線を外すことなく、からかうような口調で尋ねる青年。無論、心の中を覗くことが出来ない限り、彼女が鼻で笑った理由など決して分からないだろう。
それでもなお、答えを聞こうと彼が問い掛けを繰り返そうとしたその時だった。
――るぐおおおおおおおっ!
暗闇の中を、獣の咆哮に近い、しかしそれとは明らかに違う何かを含んだ声が響き渡った。
少女が気怠そうに前を向くと、ちょうど彼女達の進行方向にあたる位置に『何か』がいた。
『それ』は人の形をしていた。ただし、形をしているというだけで人間とは違っていた。黒い体毛に覆われた人型の胴体。本来なら頭部が備わっているはずの場所に、代わりに取ってつけたかのように無数の触手がくねくねと踊っていた。
『それ』の足元には、中身のない、割れた注射器が転がっていた。
「こいつも、力を手に入れようとした『成れの果て』か」
そう少女は呟くと、腰に差していた剣を引き抜き、ピュッと首に該当する部分を斬り捨てた。
地面に黒い塊が転がり落ち、それまで奇妙な動きをしていた『それ』はピクリとも動かなくなった。
「おっと、もう目的地に着いたようだぜ?」
二人の視線は既に先程の物体ではなく、目の前にある巨大な要塞に囲まれた石造りの門、正確にはその門の上に立て掛けてある、国名が刻まれた石製の看板に向けられていた。
――『エスレーダ』。
「……やっと、やっとエスレーダにたどり着いたか。これで『目的』を果たすことが出来る――」
どこか遠い目をしながら、しかし、それと同時に強い決意を瞳に宿して、少女は石看板に記された国名を見つめたまま、口中で同じ言葉を何度も繰り返し呟く。
青年はそんな少女の様子を見て、彼女の頭にそっと手を乗せると、炎のような紅色の髪を優しく撫でた。
「……さーてと、ようやくここから本格的に始められるってか? 随分と面白くなりそうじゃねえか!」
少女の頭を撫でていたのも束の間。青年は彼女から手を離して再び石看板に目を向けると、これまでと違った笑みを浮かべる。――その瞳は、獰猛な獣の眼をしていた。
「……ああ、そのためにあたしとおまえはここまで来た。『やつら』を見つけ出すために、『目的』を果たすために」
対する少女は一切表情を変えることなく、落ち着いた声で青年に語り掛ける。その蒼い双眸は、微かな希望と、氷の刃を思わせる鋭い輝きを放っていた。
「――で、結局お前は何が『崇高』になるために必要なものだと思っているんだ? アレン」
唐突に話を戻されて、少女――アレンは物凄く面倒臭そうな顔で、はぁーっ、とこれまでよりも更に深いため息をついてから、
「『人類最強の力』を手に入れることだよ、馬鹿馬鹿しい」
と一言。
その返答に満足したのか、青年はもうアレンに問い掛けることはなかった。
暫しの沈黙の後、誰の姿も見えない暗闇の中でアレンの声だけが響き渡る。
「……やっぱ、くだらねえ」
吐き捨てるようにそう言うと、一人の少女と一人の青年は、暗い石門の中へと足を踏み入れていった。
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