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第九話 刑事

 買い物を終え、私の事務所まで戻って来た所で、路肩に一台の車が止まっているのに気付いた。

 白いトヨタクラウン。かなり古いモデルだ。見覚えのあるナンバーだった。


「あら、不審な車ですこと」


 私はそのクラウンの手前で自分の車を停めた。


「少し待ってろ」


「また厄介ごとでして?」


「いや、大丈夫だ」


 私が車を降りると、クラウンからも男が一人降りて来た。


 くたびれたコートを着た初老の男。コートと同じように、その顔にも長年の人生で刻まれた疲労がにじみ出ている。


 以前にこの男と会った時よりも、さらにその疲労の色は増しているように思えた。


「久し振りだね、城崎君」


 その男、村上(むらかみ)慎吾(しんご)は私の顔を見て気弱そうに微笑んだ。


「だいたい半年ぶりぐらいですね、村上の旦那」


 会うのは私がこの国に帰って来た時に一度挨拶して以来だった。同じ街に住んでいるが、互いに関わるのを避けていたように思う。


 会えばお互いに、思い出したくもない過去を思い出す相手だ。


「事務所を訪ねてみたら留守だったので、少し待っていようと思った。すぐに帰って来てくれて、良かったよ」


「何か御用で?」


「いや、朝一番で県警にある筋から情報提供の依頼があってね。それで探している男と言うのがどうも君じゃないか、と言う予感がして少し気になったんだ」


「ああ、それは多分俺ですよ。外国人の女の子を連れた不審な男を探してるんでしょう」


「そうか」


 村上の気弱そうな顔は変わらなかった。


「誘拐とか、そんな悪い事はしてないんで安心して下さいよ。法に触れる事はやってますが」


「それは、いつもの事だろう」


「言ってくれますね」


「あまり、馴染みの無い所からの話だった物でね。心配になってしまったんだ」


「外交筋、でしょう?」


「ああ。その分だと色々分かった上で、関わっている事件のようだね」


「思った以上の厄介ごとだった。そんな気分ではありますがね」


「何か、警察がやるべき事はあるかい?」


「今の所は、静観しておいてほしいですね。その内に俺の方から泣き付くかも知れないし、あるいは旦那が腰を抜かすような大事がこの街で起きるかも知れない」


「分かった。今は大人しくしておこう。だけど必要があればいつでも連絡してくれ」


「ええ」


「ところで、まだ仕事の方は続いているのかい?」


「数か月に一回は。昨日も一人やりましたよ。旦那が気に掛けている一件とは全く関係無い所でですが」


「殺人事件の報せは、入っていないな」


「向こうも、叩けばいくらでも埃が出る相手でしたから。警察沙汰にしたくなかったんでしょうよ」


 私が依頼を受けるのは、そんな相手ばかりだった。殺人事件と言う事になれば、当然被害者周辺が真っ先に洗われる。


 特に拳銃を使った事件だと、警察も組織犯罪をすぐに疑う。残った人間達も自分達にまで捜査が及ぶのを恐れて、殺しとして通報しないのだ。死亡診断書を偽装する医師は、いくらでもいる。


 だから私がこの国に戻って来てからこなした仕事で、殺人事件として警察が公式に把握している物は無いはずだった。


 報復のために追っている犯罪組織はいるだろう。だが、それも今の所私の情報にまで辿り着いた者はいない。


「そうか」


 私の返答に村上は一度息を吐いて俯いた。


「自首しろ、などとは言わないが、せめて足を洗うつもりはないかね?」


「やめて下さいよ、旦那」


 私は笑うとシガリロを一本取り出し、火を着けた。


「俺は警察は嫌いですが、旦那にだけは手錠を掛けられてもいいと思ってるんですよ。だから俺を止めたいんなら、旦那が自分で証拠を固めて逮捕状を持って来て下さい。その時は逃げも隠れもしません。まあ今はやる事があるんで、少し待ってもらいたいですが」


「私に君を逮捕する資格は無いよ。本当はこうして警察を続けている資格も無い。それは君が一番よく知っているはずだ」


「だったら、そう言う事です。刑事として俺を止めるんでないんなら、何も言わないで下さいよ」


「あの子が、今の君を見たら」


「旦那の中のあいつは、旦那だけの物です。そして俺の中のあいつも、俺だけの物だ」


 村上の言葉を途中で遮って私はそう言い切った。

 私の中では、懐かしさといら立ちの感情が入り混じっていた。


 村上はまた俯いた。それから、顔を上げる。


「色々と、余計な事を言ったね。口に出した所でどうにもならないと思いつつ、君を相手にするとどうしても喋ってしまう」


「それは、俺も同じですよ。だから旦那とは、あまり顔を合わせたくない」


 同じ哀しみを背負っている人間、と言う感情は確かにあった。

 その人間と語り合う事が、哀しみを慰める事に繋がるとは、限らない。


 村上はそれ以上何も言わず、小さく頷くと車に戻る。

 私もそれを見送り、途中でシガリロの火を消すと、車に戻った。


「知り合い?何だかベテランの刑事さんみたいな人だったけど」


「お前の感想通りの人間だよ」


 心配そうに尋ねて来たソルヤに私は答えた。


「あれが、村上刑事ですか」


 思わず舌打ちしそうになったのをどうにか堪えた。イーリスがその気になれば私の過去の事などいくらでも調べられるだろう。


「今の所、俺やお前を逮捕しよう、なんて考える人じゃない。気にしなくて大丈夫さ」


「協力者としては?」


「最悪の事態を想定すれば無くは無い選択肢、と言う程度だな」


 警察の中で事前に話を通しておく人間としては、村上は実際悪くない相手だった。事態が動いた時、最初から状況を把握していて舵を取る人間が一人いるだけで、警察の動きは大きく変わって来るだろう。


 ただ今は、事情の全てを話す気にはなれなかった。話せば、村上は警察官としての責任感から独自の動きをしかねない。


 疲れ切り、錆び付いた老犬。警察の中で村上は、そう見做されている。それは、ほとんど正しい。

 そして、そのほとんどの残りの部分で、あの男はこの街を守る人間として譲れない一線をしっかりと保ち続けている。


 だからこそ、無視し切れない相手でもあった。


 私のわずかな苛立ちに気付いたのか、イーリスはそれ以上村上について話を続けようとはしなかった。

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