推しの牛に押されて……
明日でとうとう休暇も最終日。
この1週間、本っっ当に充実した日々だった。
イコリスから各国の聖地へ。
小説縁の場所へ赴き、推牛サマ方に会い、推牛サマ達のお肉を美味しく頂く……
本当に尊き日々でした。ご馳走様です。
好きな食べ物は最初と最後に食べる事にしているわたし。
イコリス牛に始まったのなら、やはり旅の締め括りはイコリス牛を食さねばならないでしょう♪
休暇は今日を含めてあと2日あるけど、今夜帰るつもりだ。
明日は一日寮でゆっくりして旅の疲れを癒したいし、胃袋も休めたい。
各聖地を周ったおかげで身も心も清められたような気がする。
出発前はあんなに大時化だった心も、今では穏やかに凪いでいた。
今なら冷静にシューと向き合えるだろう。
エラの言っていた事が嘘ならば、本当の誓いを立てたのが誰なのか、オレリーが言っていたように……わ、わ、わわわたしがその相手なのか、ちゃんと確かめねばならない。
もし全て都合よく受け取ったわたしの勘違いなら、
今度こそシューに婚約解消の話をした方がいいだろう。
わたしは子どもの頃から本当にシューが大好きだから。
彼の幸せを一番に考えたい。
シューは今、何をしているのだろう。
この時間なら演習場で鍛錬でもしてるのかな。
それとも哨戒に出ているのかもしれない。
わたしが休暇を取って聖地巡礼の旅に出た事は知っているのかな。
お土産は何がいいだろう。
イコリス牛のしぐれ煮?それともジャーキー?イコリス銘菓のギュータンチップスでもいいわね。
帰ったらお土産を持ってシューに会いに行こう。
そして決着をつけよう。
わたしは沢山のバックス種の推牛サマ達に囲まれながらそう決心した。
その時、わたしのすぐ横にいた一頭の推牛サマが方向転換をした。
その際に軽く体に当たり、突き飛ばされる形になる。
「あっ」と思った時にはもう、体勢を立て直すのは無理だった。
倒れる……!手を突こうとしている先には……
ギュ○フンがっ!!
いくら推しがお出しになった聖物であったとしても直接触れるのは遠慮したい……!
でも無理!避けられないっ!
絶体絶命のピンチの中、ふと見知った香りが鼻を掠める。
それと同時に体が誰かにぶつかるように支えられた。
頬が硬い胸板に触れる。
それと同時に相手の鼓動が伝わってきた。
この香り……知ってる。
この前、抱き上げられた時に知ったこの香り。
でもなぜ彼がここに?
わたしは恐る恐る顔を上げた。
「……シュー……?」
そしてそこにはやっぱり彼の顔が。
「シュー……よね?」
どうしてここにいるんだろう。
これって幻覚?
だけど幻覚や幻聴にしてはやけにリアルな声が聞こえた。
「ルリ……やっと捕まえられた……」
「え?シュー?ホンモノ?」
どうやら幻覚ではないようだ。
思わず素っ頓狂な声を出してしまったわたしに、シューは眉根を寄せて言った。
「偽物の俺がいるのか」
「いやいないけど、でもなんで?どうしてここにいるの?」
「お前を追って来た」
「わたしを?何故?」
「……とりあえず場所をちょっとずらすか」
「……そうね」
さっきから危うくわたしが手を突くところだったギュウ○ンちゃんが芳しく香っている。
さっきまでわたしの嗅覚はシューの香りだけを捉えていたはずなのに、今ではもうヤツの主張が激しい。
わたし達は推牛サマ達の間をすり抜けながら柵の所まで移動した。
その間もシューはわたしの肩を抱いたままだった。
周りに推牛サマたちはいるけれど落ち着いて話せそうな場所まで来て、徐にシューが話し出した。
「サバラン司祭から全て聞いた。嘘を吹き込まれていた事も、それによりお前が苦しんでいた事も……ゴメン、ゴメンな、気付いてやれずに一人で悩ませて……本当にゴメン」
「………」
「誤解を全て解かせて欲しいんだ。その上で、お前の答えを聞きたい」
「答え?」
「俺とこのまま結婚してもいいかという答えだ」
「それはこちらのセリフなんだけど。シューこそ
このままわたしなんかと結婚してもいいの?」
「わたし……なんか?」
あらシューってばどうしてそんな眉間にシワを寄せてるのよ。
わたしは構わず話を続けた。
「本当はアレクシア様の事が好きなんじゃないの?いつも彼女を見ていたのは見取り稽古が理由なだけではないのでしょう?それに、正騎士になってからモテてるって聞いてるわよ?早まった婚約を後悔してるんじゃないの?今からでも気に入った人と婚約を結び直さなくていいの?」
「何を言ってるのかさっぱりわからない。義姉さんの事は誤解させるような事をして本当にすまなかった。純粋に技を習得したかっただけで他に他意はない。ましてや恋情なんて、あるはずがない。そしてモテてる自覚は全く無いが、ハッキリ言って他の女なんてどうでもいい。婚約を早まったと後悔なんか一度もした事が無い」
迷いもない、澱みもない、
そんな声色でシューは一気に言った。
それを黙って聞いているわたしに、逆にシューが尋ねてきた。
「ルリこそどうなんだ?俺の家からの婚約の申し入れだから断れずに我慢してるんじゃないのか?」
それを聞き、わたしは慌てて首を横に振った。
「そんなわけないじゃない!初恋の人と結婚出来るなんてラッキー、と思って喜んで受けたのにっ……あ」
思わずぺろっとシューが初恋の相手だと暴露してしまった事に気付き、慌てて口を塞ぐ。
「……初恋?……俺が?」
「………」
「ルリ」
「………………」
わたしは黙ったまま頷いて、そのまま俯いた。
自分の足元を見ているわたしの視界に跪いたシューの顔が入ってくる。
その瞬間両手を掬い取られた。
「ルリ。俺もお前が初恋だ。そしてその想いは変わらず常に俺の中にある。それどころか想いがますます膨らんで、もう抑えきれないくらいだ」
「……ホント?」
シューは真っ直ぐにわたしを見て大きく頷いた。
「ホントのホントに?」
「ああ」
わたしはシューが腰に佩いている剣に視線を向ける。
剣帯に着いている房飾りを。
「……その房飾りの色は、わたしの色?」
わたしがそう言うとシューも房飾りを見遣り、少し恥ずかしそうにして頷いた。
「言っただろ?お前の魔力の色が好きだって。瞳の色にしようかとも思ったけど、俺にとってルリの象徴の色は魔力の色だったから……」
その言葉を耳にして、わたしの目頭がじん…と熱を帯びる。
「騎士の……誓いは、わたしに……?」
わたしの両手を握るシューの手に力が込められた。
「ああ、ルリに。ルリユルに。
この剣に賭けて、生涯ルリユルだけを愛すると神の前で誓った。そして必ず幸せにすると」
シューの手の上にぽたりと雫が一つ、落ちてきた。
一つ、二つと雫は落ち、手の甲の上を滑り落ちてゆく。
わたしの目から零れ落ちた涙が、雨の雫のようになってその手の上を滑ってゆく。
「……っシュー……」
「ルリ、お前が騎士の妻になると言った時から俺はこの瞬間の為に生きてきた。ガキの頃から今に至るまで、お前との将来を見据えて生きてきた。そしてこれからは同じ景色を、いつも側で一緒に見てゆきたい。だからどうか俺と、俺と結婚して欲しいっ……!」
今、彼の瞳にはわたしが映っている。
わたしだけが映っている。
この半年間、彼の視線を辿ってばかりいて、その先に別の人がいる事に傷付いてきたけれど、彼の瞳には最初からわたししか映っていなかったという事なのだろうか。
そう思っていいのだろうか。
……ええい、もうそんな事はどうでもいい。
大切なのは今、シューの瞳にわたしが映っていて、そしてわたしの瞳にはシューが映っているという事だ。
わたしはシューにプロポーズの返事をする為に深呼吸を一つした。
その時、ドンッと後ろから牛に背中を押された。
「きゃっ!?」
「!?」
またまた前のめりに体勢を崩したわたしの顔の先には……
牛に押されて思いがけず、わたし達は初めての口付けを交わした。
キャッ事故チュー♡
次回、最終話です。