温かい光
道で肩がぶつかった男に絡まれていたわたしを救ってくれたアレクシア様。
言わずもがな婚約者シューターの義姉にして想い人だ。
アレクシア様に突き飛ばされた男がやり返そうと起き上がりアレクシア様に迫ったが、立ち上がってみれば女性のアレクシア様の方が背が高く尚且つ帯剣している事に気付き、「お、覚えてろよっ」なんて如何にもなセリフを吐いて逃げて行った。
それを侮蔑の表情で見送るアレクシア様の横顔の美しさに、わたしは思わずうっとりと見上げてしまう。
『素敵……!男役の舞台女優さんみたいっ……シューターとの事があっても無くてもお姉さまとお呼びしたいっ……!』
なんて、もともとヲタ気質なわたしが呑気に考えていると、アレクシア様がこちらを向いて話し掛けてきた。
「ルリユル、大丈夫?可哀想に怖かっただろう。偶然通り掛かって本当に良かったよ」
「ありがとうございますアレクシア様。本当に助かりました」
わたしは深々と頭を下げる。
「義弟の大切な人だからね、何事もなくて本当に良かった。それにしても一人なのかい?シューターの奴は何やって……あぁ、アイツは今日は夜番か……」
「はい。さっきまで友人と食事してて、それで寮に戻るところだったんです」
わたしがそう答えるとアレクシア様は少し考え込まれるような顔をされ、そして言った。
「……最近、以前にも増して義弟が剣術バカになってしまって申し訳ない。ルリユルとの時間も取れていないと聞く。それも全て私の所為なのだ」
「……?」
最近……?前からでは……?なんて思いながらアレクシア様の話の続きを待った。
「私が騎士の職を辞して王国に剣をお返しする事を半年前にシューターに告げてから、アイツは私の亡き父の隠し技を会得しようと躍起になってるんだ」
「えっ?ちょっと待って下さい、一度の情報量が多すぎて処理が追いつきませんっ、一つ一つ伺ってもいいですか?」
わたしが焦って言うと、アレクシア様は微笑みながら頷いてくれた。
「ああ、構わないよ。こちらこそこんな話を急にしてすまない」
だけど立ち話も何だからという事になり、互いの寮のある王宮まで歩きながら話をする事になった。
わたしはまず、一番衝撃的だった事から質問した。
「あ、あの……アレクシア様、騎士をお辞めになるんですか?」
「あぁ。来月には騎士の称号を返上する」
「何故ですかっ?あれだけ懸命に務めておられたのに……」
亡き父の分まで立派な騎士になる、そう志して来たと聞いていたのに。
体の具合でも悪いのだろうか。
でもそうは見えないし……
心配になるわたしの胸の内を読み取られたのかアレクシア様は直ぐに答えてくれた。
「王太子殿下の留学で、護衛の為に付き添って行った婚約者が3年ぶりに帰国するんだ。それで戻り次第、挙式する事になった」
「えっ?結婚されるという事ですか?それで騎士をお辞めに?」
アレクシア様の婚約者は伯爵家の嫡男で、近衛騎士の方だ。
先方に是非にと望まれて17歳で婚約を結び、成人後も未だ婚約者同士のままなのは王太子殿下の留学の為だったのね。
その方と遂に……でも……
「騎士を辞められる事に躊躇いはないのですか?」
わたしがそう尋ねると、アレクシア様は少し寂しそうな顔をされた。
「剣を置く事に未練は無いと言えば嘘になる。
だけど、剣と同じくらい、いやそれ以上に大切な存在が彼なんだ。これからは彼と彼の剣を支えて生きてゆこうと思う。それに、子どもはすぐに欲しいしね」
なるほど。どのみち妊娠すれば騎士の仕事は続けられない。
未来の伯爵夫人としての務めもある。
その為に自らの分身といって良い剣を置く、アレクシア様の潔さが素敵だと思った。
「騎士の職を辞する事を半年前に家族に話したんだ。そうしたらシューターの奴が慌ててね」
慌てた?愛する女性がいよいよ嫁ぐと聞かされて焦ったり悲しんだりするのではなく、慌てた?
わたしは要領を得ず、アレクシア様の言葉を待った。
「まだ私の亡父の“隠し技”を教わっていない!と言ってね」
「“隠し技”?」
「あぁそうだ。ルリユルも直接見たんだったな?10年前の公民館で、父が一瞬で犯人の間合いに入ったのを」
ん?どうだったっけ……?
わたしはあの時の記憶を反芻した。
確かにあの時、わたしを羽交締めにする犯人と亡くなった騎士様との距離は結構あった。
それなのに騎士様は一瞬でその距離を潰して目の前に現れたのだ。
まるで転移魔法を用いたかのように。
「はい。よく覚えています。わたしはそれで助けられましたから」
「あれは亡父が騎士の修行の中で会得した父だけの技なんだ。父は生前、ここぞという時にその技で窮地を乗り越えてきたらしい。そしていつしかそれが“隠し技”と呼ばれるようになったんだそうだ。当然、娘の私も使える」
そうか。
あの事件の後にシューターは騎士を目指し出した。
彼自身も目の当たりにした、あの時の技をシューターも会得したいと考えているのか。
「それを騎士を辞するまでに伝授して欲しいと懇願されたのだが……」
「だが?」
「困った事に、私はその技を父から教わったわけではないのだ」
「それってどういう事だってばy…いえ、どういう事ですか?」
危ない、話に夢中になり過ぎてついヲタ用語を使いそうになった。
「昔亡父が言っていたんだ、隠し技は教えようが無いと。脚力と足の運びと普段からの動作が肝で、それは教えられるものではなく自分で見て、考えて、自分なりの足運びと体の動作の流れを身に付けて行くしかないと」
「ごめんなさい、よくわからないです」
「つまりだ、要するに“隠し技”の会得の近道はその技を使える者の動きを完璧に模倣(完コピ)する事なのだ。それを告げてからというもの義弟はわたしの一挙一動、何をするのも凝視するようになった。そして気になった動きがあればどんな時にでも訊きに来るようになった……正直、目線が痛いしいつも見張られているようで疲れる」
「見て模倣……見取り稽古という事ですか?」
「そういう事だ」
「ずっと見られて……気が休まりませんよね……」
「そうなんだ……」
何やってんのシューター……
わたしは頭の中を整理した。
つまり。
アレクシア様は来月には騎士を辞めて、更にその後ご結婚されるという事。
それにより、まだ“隠し技”を会得していないのに、もう間近で騎士としてのアレクシア様の所作を見られなくなると焦ったシューターが目を皿にしてアレクシア様を凝視するようになった…
という事は……
シューターがアレクシア様をずっと目で追っていたのは、真剣な眼差しで見つめていたのは……
全てあの時の騎士様の“隠し技”を会得する為にしていたという事っ!?
……でもでも、
確かに見つめていた理由はそうかもしれない。
だからといってその視線に別の感情が込められていないという確証にはならない。
だって、シューターの房飾りの色は
アレクシア様の瞳の色だから。
わたしは彼女の瞳を見た。
本当に綺麗な澄んだ泉のような淡いブルー。
吸い込まれそうに美しい。
この瞳を見て生きてきて、特別な想いを抱かずにいられるだろうか。
“拗らせてるわね――”
先ほど言われたオレリーの言葉が頭に浮かんだ。
結局その後アレクシア様とは相手の婚約者さんの話などを聞いて、互いの寮の側で別れた。
わたしはわたしの寮へと向かって歩いて行く。
するとデジャブ。
寮の門の前で立っている人影に気付く。
門の所の灯りと、寮の建物から漏れる灯りに浮かび上がるそのシルエット。
誰のものかはすぐにわかる。
「……シュー」
「おかえり、ルリ。メシを食いに行ってたんだって?」
「うん……イコリスビーフのヒレ肉350グラムを……」
「打ち負かしてやったか?」
「相打ち、といったところかしら……」
「ぶはっ」
どうして今、このタイミングでここにいるのだろう。
思いがけない話を聞いて混乱の最中にいるというのに。
でもわたしはふと気付く。
シューターの左手に違和感を感じる事に。
「シュー、左手をどうしたの?」
「凄いな。直ぐにわかるんだな、さすがは医療魔術師だ」
確かにシューターは普通に立っているだけだった。
左手を庇うようにしているわけでも、痛みで脂汗をかいているわけでもない。
普段と変わらず、涼しい顔でそこに立っているだけのように見える……だろう、他の人には。
でもわたしにはわかる。
だって、だってずっとシューターを見てきたから。
子どもの頃から、ずっとシューターだけを見てきたから。
わたしはシューターの元に行き、左手を確認する。
「っ痛……!」
少し触れただけでシューターは痛みの所為で顔を顰める。
「一体どうしたのっ?折れてるじゃないっ!」
シューターの左手首は見事に骨折していた。
薄明かりの下でもわかるくらいに腫れている。
これは相当痛いはずだ。
「王宮の文官が階段から落ちてきたんだ。それを咄嗟に助けたら、こうなった」
「こうなったって……相手の全体重がかかった上に壁か床に挟まれたって感じの折れ方ね……」
「ご名答。凄いな、そんな事までわかるのか」
シューターは痛みに耐えながらも感心した素振りで言う。
「いつ怪我したの?この腫れ具合じゃ今、という感じではなさそうだけど」
「夕暮れが過ぎた頃かな」
「それじゃあ3時間くらいこのまま放置してたのっ!?どうしてさっさと医務室に行って治療を受けなかったのよっ!!」
シューターの言葉に、わたしは仰天して思わず声を荒げてしまう。
「だってどうせ治療して貰うなら、ルリにして貰いたいと思って」
「何言ってるの?そんな事の為に痛みに耐えて待ってたのっ!?」
わたしが肉を頬張っている間もっ?
「ルリの魔力の色を、久しぶりに見たかったんだ」
「……え……?」
これまたどういう事だってばよと思ったけど、とにかく治療が先だと気付き、わたしはシューターを医務室へと連れて行った。
椅子に座らせ、骨折した手首に治癒魔法を掛ける。
わたしの手から発せられた治癒の術式が込められた魔力が、淡くふんわりとシューターの手首を包む。
シューターがそれを眺めながら呟くように言った。
「……やっぱりいい色だな」
わたしは施術に集中しながらも尋ねる。
「色?」
「ああ。淡くて涼しげな色合いなのに何故か温かい。俺、好きなんだ。お前の治癒魔法の魔力の色が」
「そう…なんだ……」
“好き”と言われてドキリとした。
努めて冷静に自分に言い聞かせる。
『好きと言われたのは魔力の色だからね?わたし自身の事ではないからね?』
それでも暴れだした胸の鼓動はなかなか鎮まらなかった。
わたしの魔力の色を優しい眼差しで見つめるシューターの顔から目が離せない。
手首の骨が完全に元通りになり腫れも痛みもきちんと引くまでわたしは魔力を惜しみなく注ぎ、シューターに治癒魔法をかけ続けた。
イコリスビーフ350グラムを食べていて本当に良かった、
わたしは心の中でそう思った。