騎士の誓い
「センパーイ、この処方箋、どーやって書けばいいんですかぁ?」
わたしの職場、王宮の医務室に仲間であるエラの声が響く。
「ん?あぁこれはね、傷病名を書いてから症状と治療に施した魔術を書けばいいのよ。そうすれば魔法薬剤師の人がそれに見合う魔法薬を調剤してくれるからって、ソレ前にも教えたでしょ?」
わたしが言うとエラはくるくるとした巻き髪の毛先をいじりながら言う。
「えーーだってぇ、医務室って覚える事が山積みじゃないですかぁ。訊けば済む事まで覚えてたらぁキリがないですもん」
「なるほど……いや違うでしょ、わたしや他の医療魔術師が居る時ならいいけど、誰も居ない時はどうするのよ?」
「その時はぁぁ、その仕事を放置しときまぁす!」
「えーー……」
悪びれもなく言い切るエラに、わたしはどう言ってよいものかと言葉を失くす。
その時、わたしの同期で推し友のオレリーがエラに言った。
「エラ、あんたそんな考えじゃ今に絶対大きなミスを犯すよ。ルリユルが教えてくれるからって、なんでもかんでも訊いてその場凌ぎで終わらせて……いい加減にしなさいよ」
「いや~ん、オレリーセンパイってば怖いぃ~ルリユルセンパイ助けて~」
そう言ってエラはわたしの後ろに隠れた。
わたしは良い機会だと思い、背中のエラを引き剥がしてオレリーに差し出した。
「いやいや、オレリーの言う事はご尤も。この際うんと叱って貰いなさい」
「え~ひどぉい!センパイ達がイジメるぅ~」
それを聞いてオレリーが持っていた魔法ペンでエラの頭をぱちりと叩く。
「人聞きの悪い事言うな!」
「いや~ん、暴力反対ぃ~」
「ぷ、ふふ」
エラが医務室に勤め出してからは、こんなやり取りが日常茶飯事だ。
エラは一つ年下の17歳で半年前に医務室に勤め出した医療魔術師志望の子だ。オレリーは医療魔術師の同期で一つ年上の19歳。
魔道具師の娘で、生涯推し活の為に結婚はしない!と豪語している。
今は[うしオトコ]にどっぷりハマっていて、
わたしと同じバックス推しだ。彼女は平民だが高貴な貴腐人でもあらせられる。
オレリーはそういう好きな事の為に働いて、一生自由に生きていくと宣言している。
いいなぁ。
ウチも平民なのに、なまじ中途半端に中産階級なものだから家と家を繋ぐ結婚をさせられるのだ。
この国では、親が認めなければ一生独身でいる事は許されない。
最低限の婚姻義務というものが定められているらしい。
まったく……いい迷惑だ。
そんな制度、早く無くなればいいのに。
あ、ようやくオレリーのお小言が終わったようだ。
エラがげっそりした顔で戻って来た。
「も~オレリーセンパイってば、しつこいんだからぁ~ネバネバですよ、ネバりが強いぃ……でもそういえばぁ、ルリユルセンパイもなかなかのネバり強さですよね~」
「え?わたしが?」
「だぁって~、婚約者が他の女性に騎士の誓いを立てたっていうのにぃ、まだ婚約者で居続けてるんでも~ん、エラだったら絶対にそんな男はイヤですぅ~」
なかなか痛い所を突いてくるわね。
「だって仕方ないじゃない?婚約は家と家の約束事だし、それにどう言えばいいの?シューに、あなたが正騎士になった時に立てた誓いを聞いた司祭がこっそり他に漏らしたのを聞いたって言ってもいいの?」
「え~それは困りますぅ。エラのお兄ちゃんは、エラのセンパイであるルリユルセンパイの事を不憫に思ってナイショで教えてくれたんですからぁ~絶対に言わないでくださいよぉ~?」
不憫なのか、そうか、わたしは不憫なのか。
大きなお世話だけどね。
半目になったわたしを他所に、エラは尚も宣った。
「もう婚約解消したらどうですかぁ?そんな結婚、ルリユルセンパイもイヤでしょ?エラはぁ、マタイトコのシューター兄さまもぉ、職場のセンパイであるルリユルセンパイもぉ、どっちにも幸せになって欲しいんですよ~」
「じゃあ、あなたからお父様を通してブラック男爵に言ってよ。シューには他に誓いを立てた人がいるから婚約はやめた方がいいって」
「そんなコト言えるワケないじゃないですかぁ~」
「じゃあわたしだって言えないわよ」
「え~……婚約なんてやめちゃえばいいのにぃ」
これ以上話しても無駄だと思い、わたしは今日の業務をさっさと振り分けて診察室へと入って行った。
そう、何も知らずにシューターと婚約したわたしに、本当は義姉のアレクシア様が想い人で彼女を生涯愛し続けるという騎士の誓いを立てたと、半年前にわたしに教えてくれたのはエラだ。
エラはシューターの親戚で、彼女の兄は騎士が誓いを立てる大聖堂の見習い司祭を務めている。
シューターが正騎士になった時に立てた誓いを偶然聞いて妹に教えたのだそうだ。そしてエラからわたしに伝わったという訳なのだ。
“騎士の誓い”というのは、
この国で正騎士に叙任せれたなら誰もが必ず大聖堂にて誓いを立てる習わしの事だ。
“誓いを立てる=心を捧げる”
という事で、国に対する忠誠とはまた別の、個人の心の中の誓いなのだという。
誓いを立てる内容は人によって様々で、
故郷に誓いを立てる者
家族に誓いを立てる者
恋人や婚約者、妻に誓いを立てる者
そしてそれら以外の、自分が大切に想う者に心を捧げ、その者の為に剣を振う事を誓うのだ。
誓いの場には神の代理人である司祭が立ち会う。
立ち会った司祭はその誓いの内容を知る事になるのだが、神の名の下に決して他言してはならないという暗黙のルールがある筈なのだか……何故かエラの兄は妹に話し、その妹であるエラはわたしに話した。
良いのだろうか……いや良くないだろう。
だからといって、教会側に告げ口して、わたしを心配して教えてくれたエラを裏切るような事は出来ない。
この事は聞かなかった事にして胸に納めようと思っているのに……エラってばほじくり返すんだから。
シューターはその騎士の誓いにて
義姉のアレクシア様を
生涯愛し続けると誓ったのだそうだ。
正騎士は誓った相手を象徴する色合い、主に瞳の色の房飾りを剣帯に着ける。
シューターの房飾りの色は淡い水色で、
アレクシア様の瞳は澄んだ水色だ。
ダメだ。
しばらく距離を置こう。
シューターともアレクシア様とも。
このままこの陰鬱とした気持ちで接すれば、いずれ爆発する。
言わなくてもいい事を言ってしまい、それで婚約が解消されるのは構わないが、ブラック家の家族仲を壊してしまうかもしれない。
それどころかアレクシア様の婚約者の家にも飛び火してしまうかもしれない。
そんなの誰の得にもならない。
わたしはそんなの望んでない。
わたしはその日から徹底してシューターやアレクシア様と顔を合わせそうな場所を避けた。
シューターが時々医務室や寮に来たそうだが、運良く居合わせずに済んでいる。
まぁまだ2週間の事だけど。
逃げたって仕方ないけどこのままもう少し……と思っていたら、そうは問屋が卸さなかった。
騎士と医療魔術師は切っても切れぬ間柄という事だ。
魔獣戦対策の演習中に、魔術によって作り出された擬似魔獣が暴走し、辺りに瘴気を撒き散らしたのだ。
本来なら害の無い薄い瘴気を発する筈が、術師の手違いで本物の魔獣並の瘴気が発せられたらしい。
瘴気にも色々があるが、その擬似魔獣の瘴気に触れると熱傷に似た怪我を負う。
複数の準騎士や正騎士が瘴気熱傷を負ったと報せを受け、わたし達医療魔術師は現場の演習場へと向かった。
『シューターは大丈夫なのだろうか……』
一抹の不安が頭を過ぎる。
怪我をしていたらどうしよう……知らず現場に向かう足取りが早くなった。
『瘴気熱傷は専門外だけど、出来る限りの事はしよう』
現場に着くと、辺りは騒然としていた。
魔術により具現化された魔獣なのですぐに消去されたが、それまでにかなりの瘴気を撒き散らしたと見られる。
瘴気に当たり焼け爛れた皮膚の痛みでのたうち回る者や、重度瘴気熱傷で既に意識を失っている者も居る。
シューターは……居た、無事のようだ。
他の騎士達と共に怪我を負った騎士の介抱をしている。
わたしは瘴気の吹き溜まりに気を付けながら急ぎシューが介抱している怪我人の元へと駆けつけた。
「シュー!」
「ルリ!良かった…しっかりしろ、医療魔術師が来てくれたぞっ」
シューターは痛みにより朦朧としている仲間に必死に声をかけている。
わたしは直ぐさま状態を診た。
これはかなり酷い。
とにかく直ぐに痛みを取ってあげよう。
今、医務室長の要請で瘴気熱傷専門の医療魔術師がこちらに向かってくれているという。
それにオレリーは瘴気熱傷が専門だ。
わたしに出来るのは、怪我人が彼らの治療を受けられるまで、とにかく痛みを取って出来る限りの応急処置をしておく事だ。
麻酔魔法と消炎魔法に加え、清浄魔法も掛けてゆく。
その後は冷却魔法で患部をコーティングして冷やす。
わたしがその治療をしている間にシューターや他の騎士達が自力で歩ける怪我人をわたしや他の医療魔術師の元へと集めた。
瘴気熱傷専門の医療魔術師たちが続々と転移魔法でこの演習場に駆けつける。
良かった。
沢山の医療魔術師が集まってくれた。
これならみんな直ぐに治療を受けられる。
わたしは応急処置をし終わった人をトリアージし、治療の優先順位を振り分けた。
その時、涼やかでよく通る美しい声が聞こえた。
「応急処置は全員済んだのだろうか?」
「アレクシア様……」
シューターの義姉にして想い人の、女性騎士アレクシア=ブラック卿がわたしに声をかけて来たのだった。
監督官の一人として演習に参加していたらしい。
わたしは内心息を呑むも、表面にはおくびも出さずに(多分)答えた。
「はい。とりあえずの応急処置は出来ました。この後の治療内容は室長か専門医の方に聞いていただけると……」
「そうか、わかった。医務室の皆さんのご尽力に感謝する。ルリユル、ありがとう」
アレクシア様はそう言って、女のわたしでも惚れ惚れする微笑みを浮かべ、室長の元へと向かって行った。
カッコいい……!
アレクシア様は女性の中でも長身で、剣の腕前はそんじょそこらの男性騎士よりも凄いという。
さすがはあの時の騎士様の忘れ形見であらせられる。
美人だし優しいし、性格もいい。
そりゃ~シューターも惚れるわ。
……でも……アレクシア様、なんだか……
わたしはシューターの姿を見つけ、駆け寄った。
「シュー、ちょっと」
「なんだ?どうした?」
王宮魔術師達が瘴気の吹き溜まりの処理をしているのを手伝っていたシューターが汗を拭きながら答えた。
わたしはそっと耳打ちする。
「……アレクシア様なんだけど、もしかして熱傷を負っているんじゃないかしら?片側だけ袖捲りをせずに下ろしているの。なんだか庇っているような動作にも見えるし……」
わたしがそこまで言うと、シューターは慌ててアレクシア様の方へと視線を送った。
さすがはいつも目で追っているだけの事はある。
これだけの人間がいる中で、シューターは直ぐにアレクシア様を見つけた。
「……本当だな、なんだかおかしい」
「でしょ?だから……
わたしが言いたかった言葉の続き、
“熱傷専門の医療魔術師の元へと連れて行ってあげて”
とは最後まで言わせて貰えなかった。
シューターが血相を変えてアレクシア様の元へと飛んで行ったからだ。
早っ……
なにもそんなダッシュで向かわなくてもいいじゃない。
あーあぁ、あんなに心配そうに本人に様子を聞いて……
アレクシア様が首を横に振ってる。
きっと大丈夫だと言ってるんだろうな。
私より先に部下達の治療を、なんて言ってるんだろうな。
あ、とうとうシューターが強引にアレクシア様の肩を抱いて連れて行った。
なんて献身的な……
そりゃそうよね。愛する人が怪我したんだもの。
心配で堪らないわよね。
ぽつん……と一人残されたわたしのなんと惨めな事か。
いや行けっていったのはわたしなんだけどね。
シューターってばあんなに焦った顔をしてアレクシア様を連れ立って歩いて……
なんて、実況してる場合じゃない、医務室に戻ってベッドや薬の用意をしておかないと。
重症患者は医務室に運ばれてくるだろう。
わたしはそう思い、医務室に戻る事にした。
だけど……
「えぇっ!?」
く、靴底がっ……!?
編み上げブーツの底が溶けているっ……!?
どうやら気を付けて歩いていたつもりでも
知らず瘴気溜まりを踏んでいたらしい。
歩き出そうとした瞬間に、靴底がベロリと捲れ落ちてしまった。
騎士達の長靴は、魔獣の瘴気を想定して頑丈に作られているが、わたしが履いてる一般的なオシャレブーツがこうなるのは当然か……
ど、どうしよう。
素足で歩いたら足の裏が熱傷になってしまう。
誰かに靴を持って来て貰う?
みんなあんなに忙しそうなのに?
困った。こういう時に転移魔法が使えると便利なのに……
わたしは本当に困り果てた。
オレリーも他の医療魔術師の仲間も、
みんなわたしが居る位置からかなり離れている。
それに皆さんそれぞれ治療中だ。
仕方ない。
誰かが近くを通り掛かるまで立って待っていよう。
わたしは剥がれた靴底の上で、虚しく立ち尽くしていた。
こんな時わたしにも颯爽と助けに現れてくれる人がいたらなぁ……
なんてぼんやりと考えていたその時、ふいに体が宙に浮いた感覚がした。
「!?」
な、何っ!?何事っ!?
訳がわからないが地面から足が離れ、びっくりして思わず何かにしがみ付く。
そして恐る恐るそのしがみ付いた何かを見やると、
それはシューターその人だった。
「シュ、シュー!?」
なんとわたしはシューターにお姫様抱っこされているのだ。
「な、な、な、何っ!?いきなりっ!?どうしたのっ!?」
わたしはビックリし過ぎて挙動不審になった。
ジタバタと身動ぐ。
「ルリ、暴れるな、危ない。靴底が抜けたんだろ?」
「どうしてわかったのっ!?」
「一部始終見てたからな、靴底が無くなって目が点になったところから……ぶはっ」
そう言ってシューターは思わずといった感じで笑い出した。
「ちょっ……笑い事じゃないわよ!って、え?それよりアレクシア様はっ?付き添って行ったんじゃなかったの?」
「義姉さんはちゃんと医療魔術師の元へ送って行った。それで直ぐに戻ったんだよ」
「え、仕事熱心ね」
「……まあな」
凄いわシュー、大活躍じゃない。
そんなに職務に忠実な人だとは知らなかったわ。
でもおかげで助かった。
「ありがとう、シュー。誰か通り掛かるのを待っていたのよ」
「通り掛かった奴にこうやって抱き抱えて貰うつもりだったのか?」
「違うわよ、そんな重くて申し訳ない事、出来ないわよ。靴を持って来て貰おうと思っていたの」
「ふーん……じゃあ俺は役に立ったわけだな」
「まあね」
「じゃあこの間、出かけられなかった事は帳消しという事で」
「それはダメ」
「ダメなのかよ」
「当たり前よ、牛一頭まるまるプレゼントしてくれないと」
「出来るか!……でもやっと会えたな。なんだかこの頃ルリに全く会えなかったんだけど」
「え?そう?たまたまタイミングが合わなかったみたいね……?」
まぁホントは避けまくっていたからね。
距離を置くどころか思いがけずこんなに至近距離になっちゃったけど。
シューターの腕は硬くて逞しかった。
体に触れる胸板もいつの間にこんなに厚くなっていたのだろう。
シューターがアレクシア様を見ているように、
わたしもシューターを見ているつもりだったんだけどなぁ……
いやこの頃はアレクシア様ばかり見ているシューターを見ていられなくて目を逸らしていたけれど。
わたしはなんだか居た堪れなくなり、思わず俯いた。
シューターはそんなわたしにお構いなしに
ずんずん歩いて、医務室へと連れて行ってくれた。