幼馴染がゲル状になって訪ねて来た
ある大雨の日、俺の腐れ縁な幼馴染はゲル状になって訪ねて来た。
「いやマジ何が困ったってさあ、石ころとか土とか巻き込むから徐々に動きづらくなるんだわ」
玄関でのんきに言うそいつは、たしかにところどころ石や草を抱き込んでいた。
黒っぽいが、これは元の色か? それとも汚れた色?
こんな姿になっても声帯あるんだ。思考はどこがつかさどっているんだ?
言葉を失ったまま俺は髪をかきしゃがみこむ。
「なにがどうしてそうなった」
「いつもの治験バイト。すっげー高額でさ、でもうん、まあ、怪しい感じの会社とクスリで。オレもさすがにやばいかなーと思ったら本当にヤバかったわ。ウケる」
「どこらへんにウケる要素があるんだバカ」
うねうねと動き、さながらウミウシのような形になる。微妙に順応しているんじゃねえぞ。
幼馴染は『健康だけが取り柄だから』といって通常の治験バイトからはじまり、どう考えても闇しか感じない治験も受けて来ていた。
長い付き合いの俺もさすがに心配はしていて、だが幼馴染はここまで死なないんだからいいだろと笑って取り合わなかった。その結果がこれだ。
もう百パーセント幼馴染のせいで、罪悪感とかも覚えないけれどさあ……。
「そんな姿になったら研究対象とかになって閉じ込められたりしないのか?」
「オレもそう思うんだけど、その時びびりまくってじっとしてたら死亡判定受けたらしくて、そのまま下水に流された」
「きったな!! ウンコ塗れってことじゃん!」
「おいダイレクトに言うなよ! ショーシャンクって言えよ!」
「うるせえ!!」
下水に得体も知れないものを流す研究所もどうかしている。万が一詰まったらどうするんだろう。こいつパイプユニッシュで溶かせるのかな?
ともあれ、いつまでもここに居させるわけにもいかない。汚れているなら洗わないとならないし。
「あー……。風呂使うか?」
「おう!」
元気なあいさつでウゾゾと床に上がろうとするのを止める。
なんで粘膜のあとっぽいのがあるんだよ。
「今風呂桶持ってくるから……」
「お! 直送便だな!」
「冷凍便にするぞお前」
なんだかんだで桶に押し込むと風呂場に連行した。
ズボンをまくり上げ、シャワーのお湯を出す。暖かい蒸気が立ち上る。
「熱くないか?」
「知覚はほとんどなくなってるんだわ」
「人間やめてるなァ」
もう人間と言っていいかも分からないけど。
そっとお湯をかけるが溶ける様子がないので安心する。雨は大丈夫でもお湯は駄目とかあると思っていたのだ。姉貴の持っているお湯で落ちる化粧品みたいな感じで。
固形石鹸を手のひらで擦り、幼馴染の身体(身体?)を撫でるように洗っていく。小学生の頃に夏休みちびっこ実験室で作ったようなスライムの感触に似ていた。
濁った水が桶からあふれ出し、排水溝に流れていく。この中に幼馴染の一部が含まれていないよなとぼんやりと心配した。
ごみを除き、何度かすすぐと幼馴染は黒から透き通った緑色になる。固形の洗剤みたいだな。
「俺の心みたいにきれいになった」
「まだ洗い残しあるんじゃね?」
「流すぞ」
「詰まらしてやらぁ」
それは困る。
よいしょと綺麗になった幼馴染を桶ごとリビング兼寝室に連れていく。ちょっと散らかっているので足で隅に寄せながらテーブルに置いた。
「洋介」
「ん?」
「どうすんだ、これから。ゲル状でできるバイトってあるのかよ。そもそも大学どう通うんだ。ペン持てるのか」
もっと大事なことがあるはずなのに、誤魔化すようにして俺は言う。
バイトも大学も、無理だよそれじゃ。
幼馴染の存在は闇に消されたはずだ。なあおい、家族になんて説明すりゃいいんだ。
朝目覚めたら虫になっていたよりも状況は悪いぞ。だってグレゴール・ザムザはまだ生き物だったけど幼馴染は生き物のかたちすら残していない。
「どうしようかな、これから。とりあえず航也んちに住まわせてくれ」
「最初からそれが言いたかったんだろ」
「へへ」
何年の付き合いだと思ってんだ。わからないわけないだろう。
幼稚園からずっと、合わせたわけでもないのに学校が同じでここまで来た。
この先進路が違くてもなんだかんだそばにいると思っていたのに、なんでお前は人を辞めちゃうんだよ。
「とりあえず、明日バケツ買ってくるわ。水含んだらちょっと体積増えたし」
「やだっ、アタシが太ったって言うの!?」
「水太りだな」
「それなー」
ケラケラと笑う。人間であったならば、きっとバカみたいな顔をしていたのだろう。
手を伸ばしてゲル状の幼馴染に触る。指に粘度のある液体が絡みついてきた。
「しみったれた顔するなよ」
「するだろそりゃ」
「死んだわけじゃないんだぜ」
「社会的には死んでるんだよ」
「別に下水ん中でボーッとしても良かったんだけどさ。お前、オレが消えたら必死こいて探すだろ? だから頑張って帰ってきたんだ」
どれだけ自惚れてるんだよ。
俺はきっと、俺の生活を犠牲にしてまでお前は探さねえよ。
そう言ってやりたかったが喉から声は出なかった。もしかしたらそうかもしれないから。
「……リモコンにサランラップ巻かないとな」
「ん?」
「俺がいないときテレビ見るなら、チャンネルが汚れないようにしないといけないなって」
「くるしゅうない」
「本気で流すぞお前。それか鉄粉混ぜて磁石にくっつくようにするぞ」
「ちょっと面白そうなのやめてほしい」
ゆらゆらと幼馴染は揺れている。
どのクセが、いまの状態に繋がっているのだろう。
もう人間のすがたには戻れないのだろうと予感はした。どこに皮膚や、筋肉や、血液があるというのだろう。体積だって随分減ってしまった。
触れていた部分の指を鼻に持っていき嗅ぐ。石鹸の香りだけがした。
――人間商売さらりとやめて
ふと、とある詩人が妻をあらわした詩を思い出す。
読んだときはなにも思わなかった。だけど今なら分かる。
透明な隔てが、俺たちを別けた。横で生きてはいるが共に歩くことはできなくなった。
「天然の向こうにいくなよ」
そこは人間のかたちの俺が死んでもたどり着けない場所なのだ。