裏切りの赤
「ぐっ! ……あッ!?」
凄まじい重力加速度を感じて、景色がめまぐるしく変化する。
砂漠から町の風景が流れたあと、カフェの建物に激突して止まった。
かなりの衝撃だったが、魔力を防御に回していたために死んではいない。
「カフェが崩れてしまった……先代に謝らないとな……。それにしても砂漠からドライクルまで飛ばされてきたのか。いったい、ウィル・コンスタギオンはどういうつもりで……」
痛む身体を押さえながら立ち上がったのだが、近くの壁に背を預けている男がいるのに気が付いた。
その男は赤いフードで姿を隠しているが、優雅にティーカップを持って紅茶を飲んでいる。
ミースは折れた銀の剣+99を構えながら警戒した。
「こんなところで何をしているんですか……町の人たちは避難中のはずです……」
「この茶葉はニルギリ・ブロークンかな。とても飲みやすい紅茶を扱っているね、ミース」
「そ、その声は……ハインリヒさん!?」
十年経っても聞き間違えるはずもない。
それはミースを神殺しの団に誘い、自らもその団長として率いてきた最強の男、獅子公ハインリヒである。
「十年前、ワールドクエスト中に行方不明になって心配していたんですよ! いったい、今まで――」
そこでミースは思い出してしまう。
無事だった喜びで忘れていたが、ずっと考えていた可能性。
負けようのないメンバーでワールドクエストに失敗した理由。
「心配してくれていて、ありがとう。質問の答えだが――……悪魔側に寝返っていたよ」
「ハインリヒ……さん……」
最強の男が裏切れば、どんな戦局でも容易く覆されるだろう。
悪魔側が破竹の勢いで人界を支配していったのも当然だ。
「ミース、お前に聞きたい。ルーはまだ記憶があるのか?」
ミースはギリッと奥歯を噛み締める。
睨み付け、何も答えない。
「冷たいな。しかし、僕も十年前ほど優しくはない」
風が吹き、ハインリヒの顔を隠していたフードがハラリと取れた。
生き疲れたような険しい眼差し、目の下には濃すぎるくま、眉間には深い皺。
何かに取り付かれた亡者のように見えた。
「言わないと殺す……と言っても、答えるキミではないだろう。そうだな、代わりに住人を連れて来て一人ずつ殺してもいい。何ならエアーデとかどうかな?」
「ハインリヒさん……あなたって人は……!!」
「どうだと言うんだい?」
「あなたのせいで神殺しの団のみんなが……世界中の人間が……それに……それにゼニガーとプラムも死んだんだぞッ!!」
「そんなことか」
「そんなこと……だと……」
ハインリヒは自嘲気味に笑った。
「以前、僕は言ったじゃないか。一つの大切なモノのために、他をすべて捨てられる覚悟があるのならね――と。それをやっているだけさ」
ハインリヒが言っているのは、ミースたちが神殺しの団に入るときのことだろう。
ミース、ゼニガー、レドナの三人と、町の住人たちを天秤に掛けられるか? という話だった。
それをハインリヒは本当に選んだのだろう。
少数のために世界を裏切るという行為を。
「ハインリヒさん……どうして……裏切ったんですか……?」
「質問中なのはこちらだ。今、ルーが記憶を失っているかどうかということにしか興味がない」
ルーの記憶の有無。
ミースはその意味をわかったが、今のハインリヒ相手には絶対に答えたくない。
折れた銀の剣+99を構え、ハインリヒに斬りかかった。
「無謀だよ、キミが僕に勝てるはずがない」
すでにフラついているミースの剣筋を、ハインリヒは黒い鉄塊で軽々と弾いた。
それは一度だけ使っているのを見たことがある鑑定不能の神剣だ。
なぜか、常に付き従っていたルインのことを思い出す。
「ルイン先生は……どうした……」
「それは……ふふ。答えたくても僕の口からは言えないね。ルイン本人から聞ければいいのだが――」
「まさか……!」
ミースは、それを『ルインも殺した』という意味で受け取った。
怒りがこみ上げてくる。
裏切ってもまだ直接は手を下していないという認識だったのだが、それが直接仲間に手を下したとなれば意味が違ってくる。
ミースは激情に任せて斬りつけるも、簡単にあしらわれ続けてしまう。
「ルイン先生を殺したな……!! どこまで卑劣な……! お前なんて神殺しの団の団長なんかじゃない!!」
「……そうだね。僕なんかより、キミの方が相応しいかもしれない」
「え?」
意外なほどにあっさりと認め、ミースの方が相応しいとまで言ってきた。
一瞬、呆気にとられてしまう。
――そこへ、一番来てほしくない少女の声が響いた。
「ミース……!! それと……団……長……?」
「ルーさん……!? どうしてここに戻ってきてしまったんだ……」
遠くで立ち尽くして、こちらを見つめているルーの姿があった。
「ミースが……心配で……。でも、どうして……なんでミースと団長が戦って……」
「僕を団長と呼んだということは、ルーはまだ記憶があるんだね?」
ミースは嫌な予感がした。
全力で叫ぼうとしたのだが――
「ルーさん! 逃げ――……がはッ……」
「――九の拘束の第一を解除」
ハインリヒの持つ黒い鉄塊は、赤い大剣へと変化していた。
それはミースの胴体を軽々と貫いている。
「ミースッ!!」
「に……逃げ……」
夥しい出血が地面に血溜まりを作っていく。
明らかに助からないだろうと実感できる。
死相が出ているミースに対して、ハインリヒがそっと顔を寄せてきた。
「いいかい、ミース。この言葉を覚え、〝僕〟に伝えてほしい」
「……な、何を……」
ハインリヒは呟く。
ミースはそれをただ黙って聞く。
それが終わると剣は引き抜かれて、ミースは地面に転がった。
「嫌ぁーッ!! ミース!! ミース!!」
ルーは駆け寄ろうとした。
しかし、ミースとの間にハインリヒが立ちはだかる。
「これが僕からの手向けだ。――九の拘束の第九を解除」
赤に染まった。
それはハインリヒの周囲が赤に包まれた程度ではない。
大地が、空が、すべてが赤き炎に包まれて、終わった。
今日のキャラデザ公開はプラムとなっております。