十年後の世界
振り落としの町ドライクルに一軒のカフェがあった。
仲の良い兄妹が経営していると評判のカフェで、振りまかれる明るい笑顔と、瑞々しいフルーツは砂漠のオアシスのようだと言われている。
「いらっしゃいませ! こちらの席へどうぞ!」
キラキラとしたエメラルドグリーンのロングヘアーをなびかせ、一人の店員が接客をしている。
元気溢れる表情で、見ている人間を誰しも笑顔にしてしまうだろう。
それは〝あのとき〟から十年の歳月を経て二十歳になった大人のルーだった。
身体も成長して、すっかりと見目麗しい女性らしくなっている。
客に彼女のファンが沢山いるほどだ。
「ミース~! カプチーノとオススメフルーツ切り合わせを一つずつ~!」
「はいよ、今日も心を込めて作るよ」
店の奥にいる背の高いエプロン美青年――ミースが返事をして、慣れた感じで厨房の中を動く。
カプチーノを煎れつつ、フルーツを手早くカットする。
前店主から使っているアンティークの食器に移し、銀のトレイに載せてカウンターに出した。
「出来たよ、ルーさん。持っていって」
「うん!」
エプロンドレスのフリルをなびかせながら、ルーは注文の品を運んでいく。
これが二人の店の日常だ。
日没間際になると店を閉める準備をする。
客も帰り、店内にはミースとルーの二人しかいない。
ルーはカウンター席に座って不機嫌そうに頬杖をついていた。
「ね~ね~。明日のお休み、一緒にいてくれないの~?」
「んー、ごめん。エアーデさんから、周辺の砂漠に増えてきちゃったサンドワームの退治を頼まれちゃってさ……」
「知ってる~……知ってるけどさ~……一緒にいたい~……」
「あはは、また今度時間を作るから許して」
「も~……約束だよ~……」
ミースは床のモップがけを終えて、ルーの近くを通り過ぎた。
「ミース~!」
「うわっ!?」
意表を突かれ、後ろから勢いよく抱きつかれた。
昔からなのでもう慣れているが、ルーの身体が成長しているためにつんのめってしまう。
「る、ルーさん……あの……」
「んへへ~、ミースの背中。おっきく感じる。頼れるルーのミース……」
大きくなっているのはルーも同じなのだが、ミースとしては違う感じ方だ。
胸が背中に当たっていて、さすがの鈍感ミースでも顔を赤くしてしまう。
しかし、雰囲気的にも邪険にして追い払うわけにもいかない。
ただでさえ、明日はサンドワームの方を優先してしまっているのもある。
そのまま固まっていると、ルーの方から囁きかけてきた。
「ミース……ルーのところに戻ってきてね……約束だよ……」
「うん、いつでも絶対にルーさんのところへ戻るよ」
「……ルーのこと。大切?」
「大切だよ」
ルーはそれで満足したのか、ようやくミースから手を離した。
「いひひひひ、ガラにもないね。ほら、着替えてきてご飯にしよ!」
背中を押され、ミースは二階の住居部分への階段を上がっていった。
残されたルーは笑顔を――なくし、寂しそうな表情をして呟く。
「大切……か。きっとそれは三番目とか、四番目に大切だと思ってくれているくらい。だって、ミースには十年前にとっても大切な人が――ルーが見殺しにしちゃった人がいるんだもの……」
ルーの心の傷は時間が解決してくれた。
一方、罪悪感は深まっていくばかり。
冷静になれる環境に浸るほど、心臓が冷水に漬けられたように止まりそうだ。
温めようのない寒さ、虚構感。
それらを紛らわすためにミースを求める。
「ルーってサイテーだね……。こんな大人になりたくなかった」
外は黄昏時を過ぎ、暗闇が世界を支配し始めた。
ミースは夕飯を食べ、湯浴みをして雑務も終えたので眠るためにベッドに入っていた。
風のない砂漠の夜は静かだ。
こんなときは考え事をしてしまう。
この十年間、神殺しの団が消滅して魔界から悪魔たちが攻めてきた。
各地で抵抗したのだが、一騎当千の七大悪魔王に対して為す術なく蹂躙された。
各国は占領され、冒険者は規制、新たな戦力を産み出す可能性があるダンジョンは封鎖という現状だ。
この振り落としの町ドライクルだけは、特殊な立地のために悪魔たちも後回しにして放置されている。
それもいつまで続くかはわからない。
「それでも俺は……その日までルーさんを守り続ける」
ミースもまた、心の中に葛藤を抱えていた。
そんな自分自身の気持ちはどうでもいい――と振り払い、ベッドから出て銀の剣+99を持って外へ向かう。
眠れない夜は素振りをする。
ここ最近は毎日――いや、数年は眠ることができていない。
眠ると死んでしまった二人の最期を思い出してしまう。
剣を振って、ひたすらに振って、気持ちを落ち着かせる。
(考えてはいけない……二人にも言われた……。ルーさんのことを優先してやれと……)
研ぎ澄まされた構えは、すでに熟達の剣士のそれになっていた。
睡眠を取らなくても平気な身体に疑問を思うこともない。
剣を振ればすべてを忘れられるのだから。