振り落としの町ドライクル
「と、到着……」
走り続けてドライクルに到着したミースは、息を切らしながら倒れてしまった。
ルーがそれを心配そうに覗き込む。
「ミース、大丈夫……?」
「だっ、だいじょう……ぶ! 痺れて動けないのに比べたら……一日中、砂漠を走って動けなくなるくらいの方が……気持ちいいくらいだよ……」
ミースは大の字で寝っ転がって息を整えながら、逆さまに映るドライクルの町並みを観察した。
中央を囲むように大きな城壁が見える。
アレは大昔の戦争があったときの名残らしい。
今は兵士もほとんどいない状態で一般に開放されている。
その城壁の周囲にも町が広がっていた。
作りはどれも乾燥レンガで砂漠の町という雰囲気を醸し出している。
ただ、意外なことに緑もそれなりに多い。
その理由は――
「ミース、水くれるって人が……」
「あ、親切にありがとうございます」
気のよさそうな住人がコップ一杯の水を差しだしてきてくれた。
飲み干してコップを返すと、その住人は手を振ってから湖の方へ歩いて行ってしまう。
「アレがこのドライクルのオアシス――ディガ湖か」
ドライクルに緑が多い理由、それはオアシスの中心となるディガ湖があるからだ。
砂漠にある湖としてはかなり大きく、魚なども住んでいる。
神話では古の神との契約によって涸れることの無い井戸がもたらされたのだという。
「先生に習ったけど、神様が〝井戸〟と呼んでも、人間からしたら〝湖〟の大きさか~」
「ミース、もう平気……?」
「うん、落ち着いてきたよ」
ルーは心配そうな表情から、いつもの感情の無い顔に戻った。
少しだけ期待してしまったが、まだ心の傷は癒えていないようだ。
そんなにすぐ回復するようなものではないとは思っているが、ルーのために何かしたいと思ってしまう。
「メラニ理事長の紹介状を持っていく前に、ちょっと寄り道していこうか」
「寄り道……?」
「そう、とっても甘い寄り道!」
ミースとルーがやってきたのは、バザーが多い通りに面したカフェだ。
少し古い感じだが、石造りでオシャレな雰囲気を醸し出している。
ミースは椅子に座り、注文を取りに来た店の老人に聞いてみた。
「すみません、外の看板に『ドライクルで採れたフルーツが食べられる』って書いてあったんですけど」
「あぁ……はい。やっとるよ。お客さん、ドライクルは初めてかい?」
「先ほど到着したばかりです」
「そうかい、そうかい。それならオススメを見繕ってあげるよ」
「ありがとうございます! そのオススメを二人分お願いします!」
老人は柔和でシワだらけの笑みを浮かべて、店の奥の方へ行ってしまった。
他に人はいない。
もしかして、ここを一人で切り盛りしているのだろうか。
ミースは、荒くれ者である冒険者がたむろする酒場ばかり見てきたので、こういうカフェは新鮮だ。
少しワクワクしてしまう。
そこではっと気が付いた。
ルーがまだ椅子に座らず立っていたのだ。
「ルーさん、もしかしてお気に召さない感じで……?」
「よくわからない……」
「と、とりあえず座るといいよ。あとは出てきたフルーツを食べよう」
「うん、ミースがそう言うなら……」
どうやら、ルーを元気にするのはまだまだ先らしい……と思ってしまった。
しばらくすると老人がフルーツの切り合わせを二皿持ってきてくれた。
ミースはその量に圧倒されてしまう。
他の町で食べた記憶だと、結構なお値段になるはずだ。
「あ、あの……これっておいくらくらいなんでしょうか……?」
老人はニィッと口角を上げてきた。
思わず身構えてしまう。
「……平気、平気。外の人間は知らなくて当然だけど、現地で食べるとそんなに高くないから」
そう言って提示してきた額は、普通に一食分のお値段程度だった。
ミースはホッとする。
大収納を失って多すぎる資産を持ち歩けなくなったし、これからのことを考えるとお金も必要になるかもしれない。
そういうこともあり、観光客狙いのボッタクリ店ではなかったので心底安心した。
(しかし、失礼ながらそうなると、お値段と同程度の味になる可能性が高い……ゼニガーならそう言うだろうな……)
今までの経験で、安い食べ物は色々と雑だったこともある。
ミースとしてはお腹を壊さなければ問題ないのだが、今はルーも一緒なのだ。
安全で、美味しい物であれと願う。
眼前のフルーツにフォークをゆっくりと突き刺す。
緑色のあまり見たことの無い果物だ。
既にカットされているので元の大きさや形はわからない。
恐る恐る食べようすると――
「良い香りだ……」
思わず口内に押し込んでしまった。
「あ、甘い!! 蕩けるような柔らかさ! それでいてブワッと拡がる水分! いったいどれだけの美味しさをこの小ささで閉じ込めているんだ! 何なんですか、これは!」
「それはドライクルメロンさ」
「ドライクルメロン……! 超高級品じゃないですか!?」
「……外の人にとってはそうなんだろうねぇ。ワシたちにとっちゃ子どもの頃からのオヤツさ」
「初めて食べましたが、すごい美味しいです! まさに神の果物……」
ミースはドライクルメロンに感動してしまった。
幼い頃から良い物を食べていなかったというのもあるのだが、現地で全く傷んでいないドライクルメロンはそれほどの美味というのもある。
ルーは、それをジーッと見ていた。
気が付いたミースはニコリと笑いかける。
「美味しいから、ルーさんも食べてみよう」
「……わかった、ルー食べる」
最初はいつものように〝言われたから食べる〟という動きだった。
それがドライクルメロンを口に入れた瞬間、息をするのも忘れたかのように止まる。
目が輝く。
「……おい……しい!」
「まだ色々ありますから食べましょうか。一緒に」
「うん、一緒に」
それはあの日から続いた絶望の中、初めて見たルーの微かな笑顔だったのかもしれない。
「あれ、ルーさん?」
しばらくしたあと、ルーの食べる手が止まった。
ミースは疑問に思ってルーの顔を覗き込むと、ポロポロと涙を流している。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ルーだけ生き残ってしまって……。生きて……美味しい物を食べてしまって……幸せを感じてしまって……ごめんなさい……。みんな……ごめんなさい……」
ゼニガーやプラム、それに神殺しの団のみんなへの罪の意識を感じてしまったのだろう。
いや、ずっと感じていたのかもしれない。
それは十歳の少女に耐えられるものではなく、自ら心を閉ざしていて守っていた。
ミースはやるせない気持ちになるが、こんなとき女の子に対してどうしていいかわからない。
プラム以外の女の子を抱き締めて安心させるわけにもいかず、ワタワタとしていると見かねた老人が何かを持ってやってきた。
「これ、サービス。暖かい飲み物は心を癒やすからね~……。辛いときは我慢せずに泣いちゃいな。うちの亡くなった婆さんもそう言ってたよ」
それはチャイと呼ばれる紅茶だった。
アッサムという茶葉を煮出したミルクティーのようなもので、スパイス類が入っていて独特な風味を感じられる。
「ありがとうございます、頂きます」
「……いただきます」
ルーは泣きながらチャイを飲み、また大声で泣いた。
きっと今までの人生の分は泣いたに違いない。