火輪眼
マンガの写輪眼ではありません
火輪眼です(^^;)
江戸時代、ヤクザものの男が
真言の乞食坊主に呼びとめられ
「おぬし、死相がでておる」
といわれます
「何をいってけつかんねん!」
と、やり返そうとするのですが
ケンカなど造作もないことなのに
どうしても続きを聞きたくなります
色々、坊主は根拠をあげますが
最後に
「おぬしのその眼、黒目のまわりに
赤い筋がとりまいておろう、
それは、火輪眼といって、大凶相
あと四ヶ月の命である、よく気をつけて過ごされよ」
といって、さって行きます
部屋に戻って手鏡でみてみると
いった通りの相がでている
また、そのあとも縄張り争いから
命を狙われたり、思い当たることが
度々あり
「よぉ〜し、こうなりゃ、頭まるめて
仏弟子になるぞ!、この稼業から足をあらう!」
とばかり、
寺の小僧になり、そのあと、人相見の真言の乞食坊主に弟子入りして、ついには日本一の人相家に
なったのが、水野南北です
あちこちのお寺に押しかけ弟子になろうとしますが
もとヤクザもんの恐ろしい剣幕にどこのお寺の
住職も怖かって、いまでいったら
「これはお車代、おいしいものでも食べて下さい」
と、金一封もらって追い返されます
最後に禅寺、黄檗宗のお寺の住職が
「麦と白豆だけを食べて半年過ごすことが
できたら、受け入れよう」といわれ
なんとか、これを耐え抜き、寺の掃除をしたり
無縁仏の墓を直したり、色々善根を積んだ功徳で
命をながらえます
同じような話が東海一のおお親分
清水の次郎長もそうで
これはパターンが逆でして
米屋の丁稚としてカタギとして働いていた
次郎長の前に通りがかった旅の僧が
米屋の前でお経をあげています
いくらかつつんで、お賽銭をあげた
次郎長の人相を何気にみたお坊さんが
「むむっ、これはいかんな死相がでておる」
「はっ?」
「まあ、見たところ気丈のよう、いっても
差し支えなかろう、あともって三年の命
気をつけて過ごしなさい」
「坊さん、それは本当のことかい?
分かった、信じるよ
でも、もし三年たっても生きていた場合、
ただじゃすまさないよ
そのクビもらうよ?」
「ああ、もしそうなった場合、
めでたいこと、喜んでこの首差し上げましょう」
といって去って行きます
そのあとの次郎長、カタギの米屋を一軒
潰して、もともとの仁侠気質
死ぬのが三年先というなら、それまでは
死ぬことないと考えて
好き放題暴れまわって、そのあたりで顔が
知られるようになりました
そのあと、2年たち、3年たち
とうとう4年が過ぎました
「あのクソ坊主、いい加減なこと抜かしやがって
」
料理屋で昼からいっぱい飲みながらぼやいていても
後の祭りです
ちょうどその時
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 ・・」
と料理の店前で読経の声が
(あん、坊主か、うん?この声!
まさかあの坊主か!)
っと、店前に飛んでいっては
坊主の胸ぐらを掴み、突き上げては
「おい!このクソ坊主、忘れたとはいわせねえぞ!
おれだ!4年前に死相がでているとか抜かしやがって!約束通りその首もらうからな!」
お坊さんはびっくりです
「何をなさるか!仏の道に仕えるもの
向かって」
とかいいますが、お坊さんも思い出します
「おうおう、あのときの御仁か
覚えておる、覚えておる
そうかそうか、3年過ぎても生きてなさるか
それでは約束通り、この首をしんぜよう
ただ、その前にもう一度人相をみせてくれんかの」
「おお、いいともじっくりみやかれ!」
「おうおう、あれ?、おかしいな、死相がきえておる」
「何をぬかしやがる、いまごろになって!」
「まあまあ、待ちなさい、ひとつ聞きたいのだが
あんた、この三年の間、誰かを助けたということは
ないか?どうじゃ?きっとあるはずじゃ」
といわれ、次郎長がじっくり考えると
「ああ、あるよ、あるある」
といって、その話しを聞かせます
次郎長が酒を飲んでいると
隣りの部屋からすすり泣く男女の声が聞こえます
娘に惚れた奉公人があいたさに
娘の働いているお店に通うのですが
奉公人にお金がつづくことはなく
奉公先のお金に手を出し、使い込んだのが金十両
当時これは大罪、バレれば斬首の刑です
「もう二人で心中するしかない」
と、すすり泣いている話しを偶然
聞きつけた次郎長は
自分も死相がでていると
不安の日々を送っている
金で命は買うことなんてできないと
人肌ぬぎます
使い込んだお金を肩代わりして
二人を夫婦にさせて
生活できるように所帯を持たせてあげました
それを聞いたお坊さん
「おお、良きことをなさった
その善根により凶相が消えたのじゃ
その上、八十まで生きる長寿の相まで
でておるわ」
という顛末です
人生の浮き沈み、幸運、不運
人生色々ですが、ラッキーカラーや
幸運の方位で幸せになるのではなく
善根により幸せになるのだと
思う次第でございます
「だまってすわれば」を参照しております
名著です、次郎長は他の書物にあったのを
思いだして書いております