メアリと私
……あのお茶会から1週間。もともとメアリとして生きた7年間の記憶も引き継いでいたため、私はさほど苦労することも無くこの世界に馴染んでいた。知り合いの名前もテーブルマナーも完璧だ。メアリには家庭教師が付けられていて、国家情勢や歴史、ダンスにマナー、魔法についても学んでいる。これも記憶の引き継ぎがあってさほど苦にはなっていない。随分とお兄様、お父様と口に乗せるのも慣れてきている。一方で、お母様にはまだ一度もあっていない。お嬢様言葉も随分慣れてきたのだけど、わたくしとかですわとか、上品な言葉遣いというよりネットミームの印象が強くて、喋っている途中で笑ってしまうことも少なくない。身近に同じような言葉遣いの女性がいてくれたらきっと慣れるのも早いのに。
「ですわ、なんて実際のところそれほど聞いたことがないわよ。嫌味なだけかカマトトぶってるかどっちかじゃない。わたくしの耳には下品に聞こえるわ。わたくし以外がどう感じるかは知ったことではないけど、少なくともあんまり使うとみっともないのは間違いないわね。」
「そうなの?」
「私が言いたいのは、バカの一つ覚えのように同じ語尾を繰り返すのはおやめなさいということよ。おまえ、大学生、とやらだったのでしょう。文章を書く時に同じ語尾を繰り返すのはやめなさいと教わっていたようだけど。」
「まあ、それはそうかも。それとこれとじゃなんか違う気もするけど……ていうか、メアリもカマトトって言葉使うんだ……」
「どうでもいいことに突っかかる小娘ね……おまえ、嫌われるタイプだわ。」
そういえば「ですわ」などを初めとするお嬢様言葉って、日本でももともと流行り始めた頃には下品な言葉だと思われてたんだっけ。少女漫画を通して高貴なひとの言葉遣いって認められていった、ってきいたことがあるなあ。
……それはともかく、小娘とか嫌われるタイプとか、私貴女より歳上なんだけどなあ、と横を見れば、幼くとも完全な美貌を誇るメアリが座っている。私は今、あの映画館を模した精神世界にいるのだった。どうやら気を失ったり眠ったりすると、この世界に私が落ちてくるらしい。毎回ではないけれど、この7日間のうちでこうしてメアリと出会うのももう3回目だ。
メアリはあのお茶会の出来事の映像を何度も繰り返し見ていて、今も座席の前に垂れた白い幕に映った白黒映像を随分熱心に見つめている。手ブレの酷いホームビデオみたいな映像で、私が見たものを映画のように再生しているのだ。そういえばお茶会なのにお茶の一滴も、お菓子のひとつも口にしなかった。緊張ですっかり思い至らなかったけれど。メアリはおまえは歩き方がやかましいのよ、と呻いた。画面酔いしているのかもしれない。
「……メアリは、クー王子のどこが好きになったの?」
「会ったことも無い人を好きになんてならないわ。会っていれば、好きになったのは間違いないでしょうけど。」
「じゃあ、原作のメアリはクー王子のどこを好きになったんだと思う?」
「分からないわ。書いていないんだもの。」
だよねえ、と私は頷いた。『完全無敵王子様!』において、メアリは最初からクー王子に執着する才女として登場する。どうしてそうなったのかはまるで書かれていない。お茶会の回想でもわずか1行、「メアリはひと目で王子に惹かれた。まだ恋には至らない、けれども好意の芽生えであった」と、ただそれだけだ。
「……でも想像することはできるわね。」
「ふうん。……まあ、メアリ本人だものね、貴女は。それで?」
「きっとわたくし、王子に完膚なきまでに負かされたのよ。容姿でも器でも勉学でも、何一つ勝てなかったに違いないわ。だから欲しくなったのよ。わたくし、手に入らないものほど欲しい質なんだもの。」
「ええ?負かされた、のに、欲しくなっちゃうの?」
「わたくし、できないことほど、思い通りにならないことほど燃えるのよ。ヒロインの……マリアだったかしら。彼女を排除するときだって楽しんでいたはずだわ。焦りもあったでしょうけど、まずはやりがいのある仕事だと思ったに違いないわね。」
「無茶を楽しむってスタンスはスポーツかビジネスでは成功しそうだけど……それがヒロインいびりに向かっちゃうとこが良くなかったね……」
「女は競技も仕事もしないわよ、普通。おまえのいたニホンではどうだか知らないけど。」
「不健全だなあ。」
「余計なお世話。」
画面ではちょうどミリアムが騒いでいる。メアリはなんて恥知らずで下品ではしたない女、と罵倒した。続いて黒づくめの子供が画面に歩み寄ってくる。
「ずっと思っていたのだけど、これが本当に魔王になるの?貧相な子供だこと。」
「華奢、って言ってあげなよ。」
「ふん、物は言いようね。」
「嫌ってる?」
「ええ、わたくし、この男は好きになれないわ。おまえたちの言葉だと、なんて言うのかしら……そうね、解釈違いってやつ。」
解釈違い。オタク的な単語がメアリから飛び出すのに面食らった。でも確かに、メアリは過激派っぽい。同担拒否っぽい感じもするし。
「リチャードは王子の慈悲に、慈愛に依存しているのでしょう。バカね、彼は何も分かっていないわ。王子の……彼の神の本質は、愛ではない。」
「どういうこと?」
「誰にも優しいということは、誰にも優しくないということよ。」
「ふうん。」
なんだか、メアリの言い分もわかる気がした。全てのものを等しく愛するということは、誰にも無関心だということだ。メアリはその無関心を、残酷な有り様を愛したのかもしれない。だとしたら、それをつき崩したマリアを驚異に感じたことだろう。
「それにしてもこのミリアムとかいう娘……どこかで……」
「え、何か言った?」
「……おまえの阿呆面を見ている時が抜けると言ったわ。」
「うーん、毒舌……」