こんにちは、メアリ・スー2
さて翌日、私はクー王子と初お目見えするイベントを回避して……いなかった。今私は王城の中庭のお茶会の会場にいる。
「ふふ、メアリ、緊張してるの?大丈夫だよ、このレベルならメアリが1番……じゃなくても、多分3番目くらいまでには可愛いから。」
私の手を引いて軽く毒を吐いているのは兄ジェイムズだ。白いブラウスに金糸の刺繍入りのジャケットを着て、金色の髪を軽く横に流している様は10歳ながら実に貴公子らしい。金髪はありふれた色合いだけれど、赤い宝石みたいな眼はひときわ目立っている。対する私はピンクブロンドの髪を緩く巻いて、袖とスカートをたっぷりと膨らませたベージュ色のドレス姿だ。金色の飾りをところどころに差しているけれど、他の御令嬢たちと比べれば随分控えめだ……と思いたい。
原作にはこの茶会の詳しい描写はなかった。それでも漫画版での僅かな記述と小さなコマを思い出し、紐解いてゆくと、たしかこの時のメアリは目の色に合わせた深紅のドレスを身につけて髪をきつく編み込んで結い上げていたはずである。私が今こうして地味な服装をしているのは、少しでも原作と乖離した行動を取るためだ。まず茶会に来ない、というのが一番手っ取り早いのだが、そう申し出たところ父も兄もあれほど楽しみにしていたのに怪訝そうな顔をしてしまったし、なにより……。
(何より、この茶会にはたしかユリアも出席しているのよ!)
我ながら現金だとは思うけれど、推しを拝めるならちょっとの危険くらい見ないふりをすべきだ。なんというか、私はいまどうしてメアリ・スーになってしまっているのかさっぱりわからず、どうにも夢見心地で旅行気分なところが抜けないのだった。メアリ・スーとしての7年間の記憶もあるのに、日本人の女子大生としての20年間の記憶もちゃんとある。死んだ覚えなんてちっともないのにいきなり異世界転生なんて、というのが正直な気持ちだ。もしかして途中で目が覚めて、なんでもない学生生活が再開するのかもしれないし、せめてそれまでは好きな作品の世界観を楽しみたい。
キョロキョロと辺りを見回すと、白いテーブルに花の生垣、芝生がよく映えて、まさに西洋のパーティと言った風情だ。その上リュミエール神王国のシンボルと言っても良い白亜の王城を背景にパステルカラーのドレスを着た御令嬢や上等な礼服を着た御令息がわらわらといるものだから、これが私の好きな作品の世界かとうっとりしてしまう。みんな外国風の顔立ちで手足がほっそりしていて背が高く、なんだか日本人の子供とは全然違うのだ。大人たちは護衛や給仕がいるばっかりで、私たちの親は城の中で別にパーティをしているらしい。
王子と同じくらいの歳の貴族の子供は概ね呼ばれているはずだがヒロインマリアの姿は見つからない。確か、辺境伯家はこの日総出で国境付近に出た魔物の群れを退治することになり、出席できなかったのだ。この頃のマリアはまだ6歳のはずだが……。肝心のクー王子はどこにいるのかしら、と視線をめぐらせると、突然城側に集まっていた。子供たちががさっと左右に避けた。その真ん中を、2人組の男女が通る。クー王子とその姉のクリスタ王女だ。
クー王子は白銀の髪に銀灰色の瞳の美しい少年で、反対にクリスタ王女は真っ黒な髪に紫色の瞳をした可憐な少女である。クリスタ王女はクー王子の髪色に合わせた白いドレスを、クー王子はクリスタ王女の目の色に合わせた裏地と刺繍の礼服を着ていて、夢のようにきらびやかだ。クリスタ王女はクー王子を支えるように腕を絡ませて、優美に微笑みながら歩いている。
「王子殿下はあまり体調が優れないようだね。お披露目がこんなに遅れたのも、彼の体が弱いからだそうだけど、本当らしい。」
「そうですね、じゃなくて、えと、そうですわね!」
……これは原作のかなり後半で明かされる設定なのだが、クー王子は7歳になるまでのほとんどを寝たきりで過ごしていたのだ。リュミエール神王国では光の神リュミエールを祀っているのだが、クー王子はそのリュミエールを体に降ろすことのできる特異体質だった。ただ7歳の頃までは唐突に降りてくる神に体が勝てず、生死をさ迷うことも少なくなかったと言う。また人生のほとんどを神と同化して生きているクー王子は精神構造が神に近く、博愛的ではあるものの情緒は未発達だ。そのため慈悲深いもののクールで無表情な王子様になってしまうのだが……。
(その彼に人間的な情動を呼び起こさせたのが神の乙女マリアなのよね。)
このあたりのことはおいおい整理していけばいいだろう。考え込んでいると兄ジェイムズが挨拶しなくていいのかいと声をかけてきたが、ちょっとどう見ても声をかけられるような状況じゃない。メアリの設定があってあまりクー王子に近づきたくないことを抜きにしたって、クー王子の周りは人だかりがものすごいことになっている。ほとんどが可憐な御令嬢だ。見目麗しいクー王子の婚約相手になろうと躍起なのである。彼女達の見る目は確かだと言っていい、だって今は虚弱な7歳のクー王子はいずれ魔物すらワンパンで退治するスーパーチート王子になるんだもの。
「メアリがそこをどきなさいって一言いえばみんなどくと思うけどなあ。」
「しませんよ、そんなこと。恥ずかしいじゃないですか。」
「……お前、頭をぶつけてちょっと性格変わったんじゃない?」
ジェイムズは私を見て目を瞬かせた。お前がそんなことを言うなんて、という顔だ。うーむ、メアリはナチュラルに見下していくタイプの女だからなあ……ちょっと不自然な態度だったかも。でもジェイムズはそれ以上何も言わなかった。そうこうしているうちにクー王子は目当ての人物を見つけたらしく、少し顔を緩ませた。彼の目線の先にいるのは……この時点でクー王子と深い交流のある数少ない登場人物、ユリアとシトリだ!