5 帰省 その1
その店のドアをあけると、カラン、と鈴がなった。久しぶりのその音に、アリスは少し嬉しくなった。すると、店主の老婆がアリスを見て笑みを浮かべた。
「おやまあ。帰ってきたのかい。随分、久しぶりだね。元気にしてたかい?」
「こんにちは!おかげさまで、すごく元気ですよ。ところで何のパンがありますか?」
アリスがそう聞くと、老婆はにこにこしながら答えた。
「今日は偶然、たくさん作ったから、どの種類も売ってるよ。アリスちゃんが帰ってきたなら、ちょうど良かったね。おや、リヒト君もいるのかい。久しぶりだね」
「あ、リヒトも何か買っていく?」
「うん、久しぶりだから何か買おうかな…。というか、なんか種類がいつの間にか増えてない?」
アリスはお店の中を一周してみた。確かに、前来た時より、少し種類が増えている。アリスは新しく仲間入りしたパンをじーっと見つめた。
「迷うなー。どうせなら全部買いたいくらいなんだけど、食べきれないし…。魔法を使って保存するのもいいけど、ずっとパンっていうのも飽きそうだしなー…。うーん…」
「パンは逃げないんだから、今日全部買わなくてもいいと思うけど?」
「確かにそうだけど。でも、次来た時に売り切れてたら嫌だし…。それに、次はいつ帰って来られるか分からないもの。どうしようかなー」
アリスがじっくりと迷っている間にリヒトはさっさと選び、会計まで済ませてしまった。
「え!?リヒト、早い!何でそんなにさくっと決められるの?すごいなあ。ちょっと尊敬するかも」
「そんなことで尊敬されても…。あと、早くしないと他のお客さんが来るかもしれないから、急いだほうがいいと思うけど。早く早く」
リヒトにせかされたアリスは、新しく仲間入りした数個のパンを買うことにした。しかし、店を出た後でつぶやく。
「やっぱり全部買いたかったなー。コーデルに戻るときも何か買っていこうかな…。そしたら列車の中で食べられそうだから…。うん、それが一番良さそうだし、そうしよう」
「ついでに、同僚の方へのお土産にでもしたら?」
「あ、それ、いいかも。この前、パン屋さんの話をしてたし、ちょうど良さそう」
そんな話をしていると、アリスの故郷の街の入り口に辿り着いた。街並みはアリスがこの前帰ってきた時と全く変わっていない。でも、久しぶりの故郷だったため、アリスはきょろきょろしながら道を歩いた。
「隣町とか、けっこう高い建物ができて変わって来てるけど、ここは全然変わらないね」
「確かに。隣町は列車の駅があるけど、ここには全くそういうのがないからじゃないかな?ちょっと不便だよねー。すぐそこに列車の駅があるんだし、ちょこっと伸ばせばいいのに」
しかし、変わっていないのは、町の人の態度もだった。アリスは子どもの時からその魔力の強さのために避けられていたが、今も変わっていない。皆、遠巻きにアリスを見て、皆ひそひそと話している。恐らく、あることないこと噂しているのだろう…。アリスは表情を変えなかったが、心の中は複雑な感情で一杯だった。
(こんな風にこそこそ何か言われるのは慣れてるけど…、私だって傷つかないわけじゃないのに…)
アリスは小さくうつむく。…すると、そんなアリスの心境を読み取ったかのようにリヒトが不意にアリスの手を取った。
「…!?ちょっと…、リ、リヒト!?急にどうしたの…?」
あまりにも突然のことにアリスはかなり驚いた。すると、リヒトはいつものようにふわりと笑って言った。
「別に、深い意味はないけど。…あの人たちのことは気にしなくていいから。堂々としてていいんだよ」
「…うん。ありがとう、リヒト」
アリスは少し笑った。彼女の心の中で、嬉しい気持ちと、少し恥ずかしい気持ちが混ざり合っていた。
アリスの家は、街の中でも中心より離れたところにある。なので、街に入っても、そこまでたどり着くのに時間がかかる。十五分ほど歩くと、家がようやく見えてきた。アリスの家の前では、両親がアリスの帰りを待っていた。アリスは二人の元へと駆け寄る。列車で見た夢のように急に二人の姿が消えなかったので、アリスは少しほっとした。
「ただいま、お父さん、お母さん。元気にしてた?」
「お帰り。駅まで迎えに行けなくて済まなかったな。特に病気はしなかったよ。でも、これから寒くなるし、気を付けないといけないな…」
「お帰りなさい。あなたも元気そうで何よりだわ。さあ、中に入って。リヒト君、駅まで行ってくれて助かったわ、ありがとう。そうだわ、お礼と言っては何だけど、ぜひうちでご飯、食べて行って」
アリスは母のその言葉でリヒトの存在を思い出した。
「あ、リヒト、ごめん。一緒にいたの忘れてた…。改めて、駅まで来てくれてありがとう」
「ありがとう、って言ってももう遅いから。久しぶりの家で嬉しい、って言うのは分かるけど、置いて行かれた時、地味に傷ついたからね?」
アリスはもう一度リヒトに謝った。両親は苦笑いしている。
「にしても、本当にここら辺、全く変わってないなー。ここだけ過去に取り残されてるんじゃないの?」
アリスは、そうつぶやいた。それは、街に入った時だけでなく、人で賑わっている通りを歩いていた時や、家までの静かな道の途中でも感じたことだった。本当に何も変わっていないのだ。道の途中の、古い空き家も壊されず、そのままだったし、今にも崩れ落ちてしまいそうな建物も全く修理されていなかったのだ。まるで、この街だけ、時が止まっているようで…。隣町と比較すると、その違いはかなりはっきりしている。すると、アリスの母が少し顔を曇らせて言った。
「確かに、アリスの言う通り、ここら辺は停滞しているわね。理由ははっきりとはしてないけど…、たぶん、最近、びっくりするほど物価が下がっているからじゃないかしら?だから、大した収入が手に入らないのよ…」
「そうなの?さっき、通りを歩いた時はそんな感じがしなかったけど…。そもそも、気付いてなさそうだったけど?」
「まあ…。かなり少しずつだから、気付かなくても仕方ないだろう。でも、確実に下がってきている。このままだと、大変なことになるだろう。ただ…、何もできないのも事実だ」
アリスの父は、少し悔し気な表情でそう言った。その場の空気が少し重くなる。アリスは、その空気を振り払うような明るい声で言った。
「とりあえず、中に入ってお昼ごはんにしない?早く買ってきたパンを食べたいなー。朝から何も食べてないし」
「アリス…、食事を抜くの、健康に悪いからやめておいた方がいいと思うよ?それに、ちゃんと栄養を取っておかないと魔法を使った後ですごく疲れるし、大きい魔法を使ったら倒れる可能性もあるから…」
リヒトのその言葉があまりに真実味を帯びていたので、アリスは少し首をかしげた。
「もしかして、リヒト…、自分で実証済みだったりして?人のこと言えなくない?リヒトもちゃんと食べないとダメだよ?」
「努力はしてるつもりなんだけど…。実験とかに夢中になると、それ以外のことを忘れちゃうんだよね」
そんな会話をしているアリスとリヒトの傍で、アリスの父はどこか複雑そうな表情をしていた。
「何だか…。娘を取られた気分なのだが…。久しぶりに会ったのに…」
「そんなこと言ったら、この二人は小さい時からずっと一緒にいたではないですか…。それに、仲が良さそうですし、いいのでは?」
アリスの母は苦笑しつつ、彼女の夫を慰めたのだった。
久しぶりに家族やリヒトと一緒に食事をとった後、アリスは久しぶりの自分の部屋に籠って、探し物をしていた。魔法機関にほとんどの荷物を持って行ってあるため、部屋に置いてある物はとても少ない。しかし、そのことは今のアリスにとってはありがたい。物が少ない分、探し物がはかどるのだ。
「んー…。確か、ここら辺にあったはず?本棚に置いておいたはずなんだけど。もしかして、魔法機関に持って行っちゃったかな?それか、捨てちゃった…?」
しばらく探していると、ようやく目当ての物を見つけた。アリスは、それについていた埃を払った。アリスが探していた物、それは、魔法の本だった。この世界で日常的、かつ、基本的な魔法が全て載っていて、魔法を探すときに非常に便利なのだ。アリスは、夢に関する魔法が存在するのか気になっていたため、調べてみようと思ったのだ。…と、コンコン、と部屋のドアがノックされた。アリスは本を持ったままドアを開ける。そこにいたのは、リヒトだった。
「いちいちノックなんてしなくていいのに。昔は普通に何もしないで入ってたのに…。どうしたの?」
「親しき中にも礼儀あり、ってことで、念のため。聞きたいことがあって来たんだけど、今大丈夫?」
「いいけど…、聞きたいことって?何かあったの?」
「大したことじゃないし、話したくないなら別にいいんだけど。駅のところで、夢の魔法がどうこう言ってたよね?その理由がちょっと気になって」
アリスは少しの間、無言でいた。話すべきか、話さないべきかで迷っていたのだ。
「…自分一人でどうにもできなさそうだったら、言うね」
リヒトはアリスのその答えにうなずき、少し他の話をした後で部屋を出ていった。その後で、アリスは少し後悔する。
「心配かけたくないから何も言わなかったけど…、言った方が良かったのかな?心配してくれたのに、そっけなかったかな…」
しばらくアリスは、魔法の本を開かずに悶々としていたのだった。
読んでくださり、ありがとうございました。