プロローグ
──その日の私は日が変わる頃に仕事を終え、終電に乗って帰宅をしようとしていた。
私は茅野千尋、二十八歳──自他共に認める社畜である。
田舎から都会に出て来てやっとの思いで就職した先が、『若い奴は超過重労働をしてこそ一人前』という考えの企業だったのだ。
そして百時間をゆうに越える残業を行っても次々に任される仕事に、遂に私の体は悲鳴を上げた。
次に目を覚ました時には真っ白な空間にいて、意識しか存在せず私の体は無くなっていた。
「そっか……私、死んじゃったんだね……」
現実感がまるでない空間に、私は自分の死を悟る。
勉強を頑張り、仕事を頑張り、それだけで人世が終わってしまったのか。
『──貴女は、自分の人生に後悔がありますか?』
目の前に一際大きな光の珠が近付いてきて、頭のなかに直接響くように話しかけられる。
体が無いのだから普通に会話をすることは出来ないのだ。
私も頭の中で強く念じて、返事をしてみる。
『はい。私はもっと、もっと色んな経験をしたかったです』
本当は友達と思いっきり遊んだり、普通の女の子みたいに恋愛を楽しんでみたかった。
このまま死んでしまっては、悲し過ぎる。
『分かりました。それでは貴女には次の人生を特別に用意しましょう。ですがそこでどのように生きるかは、あくまでも貴女次第ですよ』
おそらくは神様の一種なのであろう光の珠は、私に輪廻転生を提案してくる。
『えっと……そんなに簡単に転生できるものなのですか?』
『本当は魂が浄化されるまでの途方もない時間を、ここで過ごして貰います。けれども貴女は昔、怪我をした白い鳥を助けてくれましたね?』
『えっと……そんなこともありましたね』
『はい、その鳥は実は私の遣いだったのです。その節は本当にお世話になり、有難うございました』
『いえ、私は当然のことをしただけですから、感謝されるようなことでは──』
『そう、貴女は当然のようにそれが出来る人です。他にも小さな生き物を貴女は救ってくれています。だからこそ今度は貴女を救いたいと、このものたちが言うのだ』
大きな光の珠の周辺に小さな珠が現れ、そして私に近付いてきた。
言葉は通じなくとも、その気持ちの暖かさは伝わってくる。
『そうなのですね。ありがとう、あなた達』
感謝を伝えると小さな光の珠は嬉しそうに明滅を繰り返し、大きな光の珠の元に帰っていく。
『小さな者達に愛されるのは良いですが、今度は同種の者からも愛される人生を送って下さいね』
『あはは……頑張ります』
『ささやかながらに、私からも新しい人生に祝福を致しましょう。それではいってらっしゃい』
こうして私の意識は再び薄れていった。
■■■
再び意識を取り戻したとき、私は金髪の小さな女の子であった。
グランリッヒ王国の侯爵家であるカトローズ家の長女として生を受け、エリスという名前を授かったのだ。
そして幼少期から侯爵家の令嬢として恥を掻かぬように御母様に厳しく育てられた。
本当はもっと遊びたかったのだけれども、そこは元社畜やってただけあって頑張ることは得意だ。
特に苦に感じることなく、直ぐに環境に慣れ親しんでしまった。
神様からしたらせっかく転生させたのに、結局やってることは前と一緒じゃないかと思われるかもしれない。
でもそれでもいいと思えるぐらい御母様は本当にカッコいい女性で、誰もが憧れるほどである。
私も御母様の娘として、少しでも近付けるように努力をしたくなったのだ。
それに普通の子供にとっては泣き出してしまいそうな厳しいスパルタ教育だけど、私にとっては発言の裏にある愛ある言葉が普通に嬉しかった。
努力が報われない状況と違って頑張れば報われることがどれほど素晴らしいことか、回りの人に理解されなくても私は構わない。
しかしこの教育で受けた礼儀が当たり前になってしまったことで、私の人生が一気に変わってしまうことになるとはこの時は思いもしなかった。