森の寝不足の魔女
カチ、カチ、カチッ……
一体お前は誰に命じられたのだ?
来る日も来る日も飽きずに、同じリズムを刻み続ける奴。同じ事の繰り返しをしていて飽きないのか? たまには休んだら……そういえば、前に静かになったのは100年は前だったか。けど、ちょっと食事を与えてやったらまたすぐに動き出して、また毎日毎日今日までこうして。悠久っていうのも全く嫌な奴だよな、苦労するよなお前も俺も……
「んん……」
薄汚れた窓を抜け、閉じた瞼からでも薄ら感じる闇夜を煌々と照らす天高く登った月の光。木の葉を揺らす風も無く、珍しく虫達の合唱も止んで、ただ針が一定のリズムを刻む音だけが静かな夜の小屋で聞こえる。
思い起こせばもう何百年と会っては居ない。師匠であり親代わりとして、礼儀所作や魔法に魔女としての心得を教えてくれた魔女から別れの餞別に貰った壁掛け時計。僅かな魔力を注ぐことで、100年もの間動き続けるという職人魔女が手作りで作ったという精巧な魔女時計。悠久の時を生きる魔女にとって、同じ時間を長く長く共にし今の時を示してくれる相棒になる、そう言って師匠はグズグズの笑顔で涙を誤魔化しながら手渡された。
コーン、コーン。
深夜二時を知らせる二回の音が鳴るのに気付く。布団を頭まで被っていても、耳の奥底までに振動し伝わる鐘の音。音が消えてもしばらく耳に残るが、最後まで心地よいのだが。
「んむ……うぅう゛ー」
こんな真夜中、みんな当然寝るものだろう夜行性動物以外は。夜遅くまで起きていれば昼間は眠いし欠伸は止まらず、飛んでる箒から落っこちるわ、『しゃんとして!』と叱られるし……。今日だってグッスリ眠るために魔法に頼らず歩いて運動、夕食は7時にお風呂は湯船にゆったり、寝る前の魔導書は30分だけ。だから熟睡するはずだったのに、あんなこと言われて。
『でも男なのに魔女ってッ、ぷふっ』
出会って間もなく何て失礼な奴だ、指さして笑わなくたっていいだろう。魔力を生み出し、魔術を創り出す存在だから魔女なのだ。本当に性別があるわけじゃ無いのに、人が『』母なる海』だっていうあれと同じだろう?
というか好き好んで男の姿をしてるわけではないんだ。師匠が言ったんだ『弟子の一人は女の子がいいよね』なんて、だから姿性別を変える魔法で俺は身も心も男の子になったのに……けど、今思えばなんてワガママな師匠だろう? 師匠の趣味はちょっと変だと思ってたけど、ちょっとどころじゃないんじゃないか?
カチ、カチ。
魔女時計の針は進んで、止まらず休まず進む。
おまけにだ。一昨日は本気の大真面目、羨ましそうにこういったのだ。
『魔女は夜寝なくてもいいんでしょ? ずるいなー』
一体何処のどいつが、そんな根も葉もない噂を流したのだ! 寝なくても死なない殻って、寝なくてもいいわけじゃ無いん事ぐらい分からないのか。一日中起きてたら気が休まらないだろう? 甘いお菓子を食べなくても生きていけるけど、みんな食べたいだろう。
そうして必死に説明したのに、最後まで納得しないし本当に強情なんだ。ちょっと昔は大人しくて、小さく素直でとっても可愛かったのに。何時の頃からあんなふうに変わってしまったのか。
そして昨日は森の外で別れ際に言われた言葉が耳に残って。。
『眠れないの? だったら私に連絡しなさいよ、私も最近さぁ、その……』
カチ。
カチ、カチ。
カチ、カチ、カチッ、コーンッ――
『ッあ、ああああうぁぁぁッ!! 眠れねーーえッは、ゴホッゴホ』
布団を蹴り上げて宙を舞い再び覆い被さり、巻き上がる埃を吸い込みむせかえる。
眠れなくてモヤモヤして全く睡魔がこなくて、眠れない日がこんなに続く事なんて今までに無くて。自分はどうかしてしまったのか、師匠の言葉を思い出しても……こんな時どうすればいいか教えて貰っていない。人間には優しくしなさいとは言ってたけれど。
仕方なく中空に魔法で灯りをともす。埃の舞う小屋の中の空気を入れ換えるため、朝日を取り入れる東側の窓を開けると気付く。衝立小屋の周囲を囲む木々の隙間、ずっとの向こうに見える微かにぼんやりと輝く町の灯り。こんな深夜の時間だというのにあんなにも明るく、人間達はまだ起きているというのか……変わってるよ。
見上げた時計は休まず動き深夜3時を過ぎ。
「はぁ……もうこのまま朝まで起きているか。それとも夜の町を飛んで……」
視線を下げた先、テーブルの上に放置していたそれを見つける。これもまた強引に町に住むあの少女に勧められ、慎ましく暮らす魔女のなけなしのお金で買わされたそれ。
あれこれ使い方を教えて貰ったが全く思い出せずに、なんとか基本的な機能だけなんとか思い出して。でも正直いって、魔法を使う方が遙かに便利で楽なのにどうしてこんな……人間は魔法が使えなくなって不便だろうと身にしみながら。回らない頭で言葉も思いつかず、ぶっきらぼうな言葉で。
『おい、いま起きてるか?』▼
送信し終えて返事が来るまでじっと画面を見つめ続ける。
けどこんな小さな箱で、魔法も使わずに意思疎通が出来るなんて正直いまでも信じられないのだが、なんて一人感心したり。けど直ぐに、いつ来るか分らない返事に立ったり座ったりして。それですら飽きて時計の針の刻む音だけがする小屋の中で、ひたすらじっと待ち続けて30分、1時間、そして……
コーン、コーン、コーン、コーン、コーン、コーン、コーン♪
気付けば鐘の音は7回鳴り響き、辺りはすっかり明るくなっていて翌日の朝を迎えていた。葉の隙間から射す光は今日も柔らかく暖かい光。結局、返事が来たのは朝食を食べ終え昼近くになった11時。『ゴメッん! 寝坊した!』という返事を返される、何となく分ってた。
それでも一言不満の言葉を送ってやろうとかき込む最中に、少女からまたメッセージが。
『今からそっち、遊びにいくね~ 直ぐ行くからよろしく~~』
自由気ままで、何時もバカみたいに明るい少女の顔が直ぐに浮かぶ。自分に共感してあれだけ眠れないとか言っていたくせに。
「はぁ……しかたない。部屋を少し片付けるか」
それを再びテーブルの上に置いて全ての窓を開け放ち片付けを始める。別に今更気を遣う事なんて無いのだけれど、外の畑に植えて収穫し保存していた甘い果実を用意もしたりして、何故だがそうしなければ気が済まなくて。自分でも分らない感情。
この胸に込み上げるモヤモヤとした感覚とドキドキした感覚は一体全体、さっぱり検討も付かないのだけれど。
「せっかくだし、たまには久々に師匠に会いにいって、人間との接し方を教えてもらうか……」
あんな感動的な別れ方をしてしまうと、合いに行くのが恥ずかしいというか躊躇っていた。そんな事を考えながらもせっせと準備して人間の彼女が来るのを待つ。町の人間の中で、唯一魔女である自分に親しく接してくれる彼女を。
「でも、遅いなぁ。直ぐ来るっていったくせに」
再び魔女がテーブルの上で蒼く光って、新着メッセージを知らせてくれるのに気付くのはさらに後、30分経った後だ。その頃にはすっかり太陽は天高く登り昼を回っていて、12時を告げる特別な鐘の音が鳴った直ぐ後に少女は小屋のドアを勢いよく叩くのだった。
「遅いぞ全く」
「ゴメンッ、でも魔女って時間にルーズなんでしょ? 知ってる~」
「お前は魔女の何も分ってないッ! 今日は夜までたっぷり教えてやるからなッ、覚悟しろよ!」
そんな他人から見れば、二人の痴話げんか会話は小屋の外まで響いていたのだが……。人の寄りつかないこの森の中の小屋では、他の誰も知らない秘密であった。
そして、今夜もまた魔女は少女の事で悶々と寝付けなくて。魔女時計の針が進む音と鐘の音を全て聞いては、翌日を迎えて寝不足なのであったとさ。