俺の知る神戸という人間
ここで初の、東園視点です。
どさり、と買ってきたばかりのトリミング道具、コットンや犬用シャンプー等が、力の抜けた俺の手からずり落ちた。歩道に。
「はあ?」
俺は我が目を疑った。視力は悪いが、今は眼鏡を掛けているから、恐らくこの光景は現実なのだろう。
あの、あの神戸が、女と楽しそうに話している。
それも、制服からしてこの辺の女子高生。恐らく、一般人だろう。それも別に、興味を持つような女じゃない。
地味でどこにでもいそうな女。
唖然と見つめていると、あることに気が付く。
あれ? あの女、俺の近くに住んでる奴か?
いや、それよりも!
あの神戸が、何故、仕事でも無いのに女といるか、という事だ。それも、あんな笑顔で。
「あいつって、笑えたって?」
学生時代から神戸を知っているが、あんな優しそうな笑みは初めて見た。ほとんど真顔人間だったのに。
それに、あの雰囲気。まさか、春でも来ちまったか?
しばらく様子を伺っていると、どうにも恋人には見えない。
「恋人でも遊びでも無さそうだな?」
神戸は、あの見た目から信じられないくらい性格が悪い。
見た目だけでモテる事もかなりあったが、まず、優しさが足りない。
誰かに好かれようとなんて、微塵も考えていない。それどころか、他人をゴミの様に思っている。
故に、高校から大学まで、誰にも好かれなかった。
よく目にする「お年寄りは大切に」や「妊婦さんや子供には思いやりを持って」といった様な事がまるで無い。
バスや電車で人に席を譲らない。声を掛けてきた女の子等には「気持ち悪い」の一言。
女に興味が無いのか、そういった遊びも全くしない。
なら男なのか、と言われれば、男にも興味がない。友達や交流さえも無視なのだ。
ああ、こいつは一生このままか。せめて結婚でもすれば良いのに。そう思った事もある。それ以外は、完璧なのだから。
それなのに…………。
「まさか、まさか、初春じゃねーだろーな?」
嫌な予感がする。
全てにおいて無欲だった、あの男が。まさか。
女と別れた後も、何やらフワフワしている。
いつもと違う。俺に気づいているだろうに、この反応。気づいていて、隙だらけな、この反応。
俺は、ほぼ確信した。
俺の経営するペットサロンに来た。
直ぐに女について詰め寄るが「分からない」と言う。
分からない? 冗談だろう?
俺から見れば、完全に落ちている。骨抜きだろう。気づいていないのかもしれないが、表情が緩みっぱなしだ。
俺は、正直嬉しかった。
今までが今までだったから、女に興味を持った神戸を見れて良かった。
だが、突然問題が浮上した。
協力なら、と。神戸の恋の為なら、と見守ることを了承した瞬間。
「例のアプリ」
幻聴かと思った。
例のアプリを女の、花月とかいう子のスマホに仕込んだと言う。
目眩がした。
あれは、そういう目的の為に使うものじゃない。
…………分からなくは無い。
俺も、好きなキャラが一緒の奴を見ると殺したくなる。俺だけのりーちゃんなのに、と。
コミケやイベントに行くときも、お気に入りのキャラ以外の浮気は絶対にしない、そう決めている。
りーちゃんも俺だけだと思いたいから。まあ、画面から出てこないんだけど。
欲した物が無い人間は怖いな。何だってするだろう。
花月って子の弟にまで接触しようとしている、神戸のは完全に可愛い初恋じゃない。狂気すら感じる。俺の想像とは全く別ものだった。
一生懸命スマホを操り、メールを愛しい子に送っている神戸を、ちらり、と髪の隙間から見ると、独占欲が強く滲み出ている。
花月って子の意思も、あまり関係が無いように思える。典型的なストーカー、ヤンデレタイプ。
神戸が、こんな粘着男だったとは。花月ちゃんも可哀想に。
「なあ、俺がその花月ちゃんってのに、触れたら、お前さ」
「殺すよ」
俺が言い切る前に、神戸が鋭い視線を向けた。
嫉妬が深く、黒く根付いている。
「まあでも、東園は長い付き合いだからね、腕くらいなら良いよ。服の上からね」
「あー、そうかよ。悪かったな」
どうしてお前にそこまでの権利があるんだ。そう思うが、もう何も言うまい。
神戸自身も、感情をあまり理解していないらしいし。
それにしても、神戸をこれだけ夢中にする女。それも女子高生、どんな奴だろうか?
…………いた。というか、何故俺の店を見上げている?
ぽかーんと気の抜けた感じで、ただ俺の店を見上げている、神戸の意中の相手、花月ちゃん。
スマホの振動に気づき、ポケットから取り出す。
あの分じゃ、俺の店からしばらくは動かないだろう。
差出人が神戸からで、思わず辺りを見回す。
まさか、見ているのか、と。
メールを開くと、直ぐに理解した。
俺の店で働いてる事にした、だ? 嘘ばっかりだな。
それと同時に、ここに来る口実にもなるのか。感心するくらいの熱中っぷりだ。
こんな女の、どこがいいのか。
じーっと見つめる。上から下まで。下から上まで。
見た目は、やはり変わった所もない。
性格か? そこまでたどり着いた時、俺に気づいた。
「あ、あの?」
度胸は多少あるらしい。俺みたいな見た目に声を掛けるとは。それとも、偽善か? 憐れに見えたか。不安な顔で見つめてくる。
いや、純粋そうな、単純そうな子だな。
何も知らない、白に限りなく近い場所にいるのだろう。俺達の様な、黒を黒で塗り固めた様な生き方や考え方は、したことがないだろう。
でも、良かった。
どこかで作戦を練るような、変な同業者より、余程良い。
神戸の笑顔も、単純に優しい、としか思えないのだから。普通の優しいちょっと変わったお兄さん。そう思ってくれるのだから。
神戸は、初めて幸せを知るのかもしれない。
でも、この子は少し、いや、だいぶ。
「…………大変だな」
ぽつり、と声に出していた。
不思議そうな、怯えた顔をしている、この子は。
あんな狂った奴を、相手にしなければならないのだから。そして、それを止められるのも、暴走させるのも、この子に掛かっている。
ほとんど何も知らないが、花月ちゃんのたった一言、たった一動で、神戸を動かず原動力になる。
頑張ってくれ。
その時まで、見守っていこう。そう思えた。