終わらない初恋
私は今、終わらない恋をしている。
私の好きな人。一つ年上の幼馴染、吾妻和之。おとなしくて読書家で、頭がよくて大人っぽくて、頼りがいがあって優しい。私の大好きな大好きな、おにいちゃんのような人。
一年前、私の高校受験の発表日に交通事故で死んだ。原因は、ドライバーの飲酒運転だった。信号を渡っているところを、横から突っ込んできた車に……。即死だったと聞いた。顔を判別できなくなるぐらい、体中に損傷を受けて。
お通夜の時も葬式の時も、みんなが泣いていた。おじさんとおばさんはずっと泣き崩れていて、和之を入れた棺桶に、いつまでたっても縋りついていた。
その様子を、和之の弟である泰人が、呆然として見つめていたのを覚えている。なにが起きたのか信じられない、そんな顔。たぶん、私も同じような表情だったと思う。
どうしてみんな泣いているんだろう。和之が死ぬはずがない。だって、私はあのたった一時間前に、和之と話したんだから。和之はずっと、笑ってたんだから。
頭のいい和之と同じ高校に通いたくて、必死になって勉強した。だから合格発表の時は、真っ先に結果を知らせたくて。
あの日、合格発表の帰り道、私はすぐに和之に電話をかけた。
「カズ! 合格、合格だよ!」
和之が出るなり、私は興奮して告げた。和之はあいかわらず穏やかに笑っていた。
「わかってたよ。頑張ってたもんね。おめでとう……里桜」
たったそれだけで、私は舞い上がりそうなほどにうれしくなる。和之が中学を卒業してから、二人はすれ違ってばかりで、なかなか会う機会がなかった。でも同じ高校に通えたら、毎日のように一緒にいられる。夢みたいだ。
胸がいっぱいの私に、和之はいった。
「そうだ、里桜。これから会える? あ、書類の提出とかあるから無理かな……」
和之から誘ってくれた! どうしよう、うれしい。私はあわてて答えた。
「ううん、そんなことない! すぐいく。今どこ?」
「じゃあ、駅前のカフェで。急がなくていいからね。気をつけて」
「うん!」
気をつけて。その言葉、私が和之にいってあげればよかった。私のことより、自分のことを大事にしてって。ゆっくり来てくれていいからねって。どうしてそういってあげられなかったんだろう。
わずかな時間の間に、和之は遠くにいってしまっていた。高校で埋めようとしていた距離よりも、はるかに遠くに。
遺灰として戻ってきた和之はとても小さかった。私よりも十センチ以上背が高かった人だとは、とても思えない。やっぱりこれは、私の悪い夢なんじゃないだろうか。高校受験頑張りすぎて、ちょっと変な夢を見ているに違いない。
だけど、その夢はどんどん時を刻んでいく。覚めることもないまま、一年の時がすぎた。さすがにこれは現実だと、私も受け入れるしかなかった。
和之はもういない。私の大好きだった幼馴染は、永遠に会うことが叶わない。話すことも、笑い合うことも、好きだと告げることもできない。
終わりのない恋を引きずったまま、私は高校生になってしまった。本来なら、和之と一緒に通うことになっていたはずの高校。登下校も一緒にして、できるかぎりの時間を共に過ごしたい、そう思っていたのに。私はひとりで電車に揺られている。行きも帰りも。
和之と食べるお弁当を想像していた昼休みは、クラスの女子たちと過ごした。そこで彼女たちの、未来溢れた恋バナを聞かされる。
里桜も彼氏作ればいいのに。かわいいのに、もったいない。そう無神経に告げる彼女たちが、正直とても腹立たしかった。人の気も知らないで、恋だの彼氏だのと浮ついて。私にだって好きな人ぐらいいる。ただその人には、永遠に手が届かないだけで。
退屈な学校が終わった後、私はまっすぐに帰宅するため、電車に乗った。空席が目立つシート、隣にいるはずだった和之はいない。疲れた私が眠っても、最寄り駅の手前で起こしてくれる和之は……。
その時、私ははっとしてアドの外を見た。気づくと、最寄り駅についていた。私はあわててカバンをとり、電車を飛び下りた。
ホームに立ち、改札口に向かって歩く。改札口の一歩手前で、定期をとろうとカバンを肩からおろした。けど……。
「あ、あれ……」
定期がない。カバンにキーホルダーと一緒につけてたのに。よく見ると、キーホルダーまでもが一緒になくなっていた。
落とした? 今電車から降りた時、どこかで引っかかったのかも。だったらすぐ近くに落ちているかもしれない。私は急いでホームに引き返した。
定期なんてどうでもいい。でも、あのキーホルダーだけは見つけなきゃ。だってあのキーホルダーは、和之が私にくれたものだから。
おりたあたりを、必死になって見まわす。どこだろう。お願いだから出てきて。私と和之の絆を、これ以上とらないで。
けど、どんなに探しても見つからない。電車の中だろうか。それなら、だれかが拾って駅員さんに預けているかもしれない。
でも、もし全然別の場所だったら? 絶望的な気分になった。
「も……、やだぁ」
その場にしゃがみ込んで、深々と息をもらす。目の奥が熱くなってきたけど、涙を流すには至らない。和之が死んだときもそうだった。悲しいのに、悲しくてたまらないのに、どこか現実味がなくて、涙なんて出てこなかった。
これから先、こうしてどんどん和之との思い出が消えていく。和之は私の中で、いつか過去のことになってしまう。いつの日かたまたま思いだし、「そういえばこんな人がいたっけ」って、それぐらいの存在になっちゃう。そんなの、いや。
顔を上げ、足を無理に奮い立たせる。探さなきゃ、見つけなきゃ。
そう思った直後だった。
「すんませーん。これ、あんたのでしょ」
うしろからいきなり声をかけられ、私はびくっとして振り向いた。見返してきた相手も、同じぐらい驚いていた。
「里桜……?」
私も呆然とつぶやいた。
「泰人、くん……?」
会うのは中学の卒業式以来だった。私より一つ年下の和之の弟、泰人は、目を見開いて私を見つめていた。
「やっぱり、里桜?」
「あ、う、うん」
「そっか……。久しぶり」
「久しぶり……」
突然すぎる再会に、なにを話していいかわからない。泰人も気まずそうな顔をしながら、手を出してきた。
「ほら、これおまえのだろ?」
「あ……」
私の定期入れとキーホルダー。拾ってくれたんだ。
「ありがとう」
「別に。大慌てで電車から飛び降りてったやつのカバンからなんか落ちたから、一瞬なにかと思ったけど」
泰人はぶっきらぼうにいって、私の手にそれを落としてくる。よかった……戻ってきてくれた。
心底ほっとする私に、泰人はいった。
「それ、まだ持ってたんだな」
「え?」
「そのキーホルダー。……何年か前、兄貴がおまえにあげたやつだろ」
和之の話題を出され、息がつまるような感覚を覚える。言葉が出ない私は、無言でうなずいた。
「ふうん。そうか……。やっぱりそうだったんだ」
うつむいて、どこかやり切れないようにつぶやく泰人を、私はふしぎな思いで見つめた。
兄の和之と違って、泰人はどこか間が抜けていて、ちゃらちゃらしていて、いつも私に意地悪ばかりしてきた。年下のはずなのに生意気で、私のことを見下すような発言ばっかり。でも和之は、そんな泰人のことを大事にしていた。たった一人の弟だからね、って。
たった一年会ってないだけで、泰人はすっかり大人っぽくなっていた。背がぐんと伸びて、顔つきが精悍になって、サッカーをしている体はたくましく成長していた。
なにもかも和之と違う泰人に、どこか懐かしさを感じるのはなぜだろう。似てないとはいえ、やっぱり兄弟だからかな。
そのまま私たちは一緒に歩き出した。私と和之たちの家は近所で、同じ方向だから。特に理由はない。
道中、私は泰人にたずねた。
「泰人くん、進学先は決まったの? 受験生でしょ」
「うん」
泰人はどこか気だるそうに答えた。
「青海にいこうかと思って」
「青海高校? すごい、サッカーの名門じゃん!」
「べつに俺がすごいわけじゃない」
そう淡々といわれると、返す言葉を失くしてしまう。黙りこくって歩いていると、今度は泰人が口を開いた。
「里桜は?」
「え?」
「里桜はどうなの、最近」
「私は……」
毎日、学校には通っている。でも、楽しくもなければ辛くもない。友だちと過ごしていても、心から笑えることなんて一度もない。いつもいつも、和之のことばかり考えてしまう。
「……なにもないよ。普通の女子高性ライフ」
「なんだよ、それ。里桜が女子高生とか」
「事実だもん」
泰人はおかしそうにくっくと笑う。成長した体に反して子どもみたいで、なんだかヘンな感じ。
「でも、よかった」
「なにが?」
「ずっと心配してたから。今もまだ、兄貴のこと引きずってんじゃないかって」
その言葉に、私はまた返答に詰まる。唇を噛んで、うつむいた。
泰人はちらりと私を見た。
「思ったよりも元気そうで、安心した」
「……そう」
「ねえ、里桜」
ふいに泰人が歩を止めた。私は二歩ほど先で気づいて振り返る。
「どうしたの?」
「……あのさ」
泰人はささやくようにいった。
「こんなこと、いうべきじゃないかもしんないけどさ」
「なに?」
「俺、里桜のこと好き。ガキの頃からずっと」
泰人がまっすぐに私を見ていた。その真剣な眼差しが、和之と重なった。こんな状況で私は、やっぱり二人は兄弟だな、なんて思ってしまう。
「……冗談でしょ」
「冗談じゃない」
「泰人くんっていつもそう。私をからかってばっかり」
「からかってねえよ。いつだって本気だから」
私はふっと息を吐いた。
「私、もうだれとも恋する気にはなれない」
「知ってる」
「まだカズのことが好き」
「それも知ってる」
「じゃあなんでそんなウソいうの?」
「ウソじゃない」
「ウソだ!」
「ウソじゃない!」
互いに声を荒げ、睨みあった。私たちはいつもこうだった。ケンカばっかりで、私はいつも泰人に泣かされていた。そんな時、間に入って私を守ってくれたのが和之。和之は優しく、どちらのことも責めないようにケンカを止めてくれた。
ふとした思い出に、胸が熱くなりだす。こんな時にもかかわらず、私が考えるのは和之のことばかりだった。彼が逝ってしまってからもう一年もたつのに、傷は癒えないばかりか深くなる一方。
泰人が目をそむけた。
「困らせてごめん。でも俺はマジだから」
「そんなの……」
「じゃあ、俺こっちだから。里桜も気をつけて」
そういったきり、泰人は背を向けて走り去っていく。風にたなびくマフラーの動きが、なぜかとてもゆっくりに見えた。
久々の再会に、なんで急にあんなことをいいだしたんだろう。くらくらする頭をおさえながら、私は深く息をついた。和之のことが好きで、まだ立ち直れきっていない私が、次の恋なんて臨めるはずもないのに。
「俺はマジだから」
そういった泰人の言葉が冗談じゃなかったことを、私は翌日に思い知る。
つまらない授業を終え、くだらないおしゃべりに付きあった後、私は適当に言い訳をしてクラスメイトの誘いを断り、教室を出た。またいつもと同じ日常。私はこのあと一人で電車に乗り、静かに帰宅するのみだった。
ところが校門を出た途端、思わぬ人物に出くわした。彼は中学の制服を着て、きのうと同じマフラーをつけ、当たり前のように高校の校門前に立っていた。
私は驚いて、おそらく数秒間突っ立っていた。泰人がこちらに気づいて近づいてきても、一ミリも動けなかった。
「里桜、なにやってんの? 冷えるから早く帰ろうよ」
「……な」
なんでここにいるの? そうたずねる前に、背後から黄色い声が飛んできた。
「えっ、なになにこの子。里桜の彼氏!? うっそ、中学生じゃん。マジヤバッ!」
クラスメイトの女子が数人、私と泰人を見て駆け寄ってきた。みんな目をキラキラさせながら、好奇心に満ちた表情で私たちを見比べている。
一人が私の肩を小突いた。
「なんだよぉ、里桜。彼氏なんていないとかいってたくせにぃ。水臭いぞ!」
さらにもう一人が、泰人をまじまじと見つめる。
「えっ、てか超イケメンなんですけど。何年生?」
いきなり女子高生に取り囲まれた泰人は、たじたじになりながらも答えた。
「ち、中三っす……」
「ひとつ下? えー、マジで? ヤバい、超かわいい!」
みんなが口々に「里桜いいなぁ」なんていいだす。やめてほしい。私たちは別に付きあってるわけじゃないのに。どうして泰人も否定してくれないんだろう。
一人がさらにたずねてきた。
「お二人はこれからおデートですかぁ?」
それに合わせ、ほかのクラスメイトが「ひゅーひゅー」と冷やかしてくる。
私は愛想笑いをつくりながら、どうにかいった。
「別に私たちはそんなんじゃないから。ねえ、泰人く――……」
「里桜、いこう」
ふいに、ぐっと手をつかまれて無理やりその場から連れ出された。驚く間もないまま、私は力に従って歩き出す。うしろからクラスメイトの興奮した叫び声が聞こえてきたが、それすらもどうでもよくなった。
校門から数メートル離れ、クラスメイトが見えなくなったところで、私は我慢できずに叫んだ。
「泰人くん、手!」
「んー?」
私の声に、泰人はどこか間延びした返事を寄こす。まるで、あわてている私を見て面白がっているようだ。
「とぼけないでよ! 手、放して!」
「やだ」
「やだって……」
「放したら里桜、もう俺と話もしてくれないでしょ?」
的確な言葉に、私はうっと返答に詰まる。また泰人はクスクスと笑った。
「里桜、気づいてる? 顔真っ赤」
「なっ、なにいってんの! そんなわけないじゃん」
「ウソつき。手も熱いもん」
泰人が足を止めて、私の方を向いた。つながれた手のせいで距離が近い。突然だったからか、胸がどきっと鳴った。
泰人はその距離感を保ったまま、どこか熱のこもった目で私を見つめている。
「少しは俺のこと、意識してくれてるって思ってもいい?」
「バ……、バカ。そんなんじゃないし」
「ん。そういうと思った」
泰人はまだ笑みを浮かべたまま、今度は自分のマフラーをとって、私の首にぐるぐる巻いた。
「ところで里桜、マフラーぐらい持って来いよ。寒そう」
「いいよ。泰人くんが寒くなるでしょ」
「俺はいいの。里桜に風邪ひかれたら、兄貴に祟られるだろ」
またもふいに飛び出す和之の話。心臓がきゅっとつかまれたように苦しい。
「カズはそんなことしないもん」
「わかってる。でも兄貴は、里桜のことになるとうるさかったから」
「……ほんと?」
「うん」
知ってた? と、泰人は続ける。
「兄貴はさ、里桜のこと、本気で好きだったんだよ」
「……うん」
「里桜と同じ高校入るの、すげえ楽しみにしてた」
「そっか」
「里桜が受験合格した時も、ものすごい喜んでた」
「へえ」
返事をしながらも、内心私は悲鳴をあげていた。和之のことは話したくない。思いだすだけで、胸が張り裂けそうになるぐらい苦しい。和之とのことは、私の中だけでの、特別な思い出にしたいのに。
なぜかその日から、放課後になると必ず校門に泰人の姿があった。約束したわけでもないのに、いつも同じ場所に立って私を待っている。そして私が現れると、決まってマフラーをぐるぐる巻きつけてくる。何度来なくてもいい、マフラーもいらないって断っても、泰人はやめなかった。
泰人と二人で、並んで家路につく。そんなことが一週間も続くと、私も拒むことをあきらめてしまった。
特に話すこともない私とは違い、泰人はいつもなにか話題を振ってくる。大抵は小さい頃にした遊びや、たわいないことが原因だったケンカ、遅くなり泥だらけで帰って、親に怒られた日の話とか。
昔の話をするということは、必然的に和之のことも話題にのぼる。私たち三人は、小さい頃はいつも一緒だったから。
今日も懐かしい話をしながら、私も相槌を打つ。泰人が私のおやつを食べてしまったことで大ゲンカした時のことを思いだすと、自然と表情が緩むのを感じる。
泰人も笑いながら、その時のことを細かく語った。
「里桜がさ、大泣きしながらうちのおふくろに叫んでたんだよ。「やっくんが里桜のアイス食べたー!」って。でも俺は「やってない」ってウソついてさ。うちのお袋、どっち信じていいかわかんなくて超戸惑ってたの。したら兄貴が来て、自分のアイスを丸ごと里桜にあげたんだよな」
懐かしい和之との思い出に、胸がズキンと痛む。私は小さくうなずいた。
「そう。「僕はいらないから、里桜かわりに食べて」って」
話の最中に、泰人がふと提案してきた。
「里桜、公園寄ろ。寒いからあったかいもん飲みたい」
ここで拒否しても、結局引っぱって連れていかれることは目に見えていた。私は黙って泰人に従った。
自動販売機で、お互いに缶コーヒーを一本ずつ買う。寒空の下、あたたかいコーヒーはとてもうれしかった。
ベンチに座って、無言でコーヒーをすする。一年前は想像もしていなかった。放課後二人きりでいるのが和之ではなく、弟の泰人の方だなんて。
泰人がちらっと私を見た。
「また兄貴のこと考えてる?」
「え?」
なんでわかるの? そうたずねる勇気もなく、私はびっくりしたまま泰人を見た。泰人は涼しい顔で、またコーヒーを煽った。
「わかるよ、里桜の考えてることぐらい。九十八パーセントは兄貴のこと。残りの二パーでほかのこと全部」
泰人はわざとらしくため息をついた。
「里桜の気を引きたくて勝手にアイス食ったりしてたけどさ、結局は兄貴の方が上なんだよなー。今だってそうだろ」
その続きを聞きたくなくて、私は耳をふさぎたい衝動に駆られた。けど、缶コーヒーを両手で持っていてはできなくて。私はただ、無心を装ってきくしかなかった。
泰人は淡々と話しつづける。
「もうすぐ一年かぁ。早いよな。いまだにうちの両親、時々仏壇見て泣いてんだよ」
やめて。
「あんなんじゃ、兄貴も安心して成仏できねえよな」
もうやめて。
「あ、でも兄貴の場合、里桜のことが心配すぎて、どうせ成仏してねえかも」
「……る、さい」
思わず漏れたつぶやきに、泰人が目を丸くして振り返る。
「里桜?」
「うるさいっ!!」
腹の底から怒鳴った。和之が死んで以来、はじめて感情というものが爆発した。怒り、という一番激しい感情が。
「もういや、やめて! 和之は死んだの。私のことを好きだった、とか、楽しみにしてた、とか。過去の話はやめてよ。そんなふうに、終わったことみたいにいわれたら……」
これから先、和之とのことが本当になかったものになってしまいそうで。とてつもなく、怖い。
「……終わったことだろ」
泰人はぽつりといった。
「兄貴は死んだんだから。もうここにはいないんだから、とっくに終わってることなんだよ。里桜が認めてないだけだろ」
「違う」
「違わない。里桜は目をずっと背けてる。兄貴が死んだって口には出してても、本心じゃ認めてない。ずっと兄貴のことばかり考えて、現実見てない。死んでるのと一緒……兄貴と一緒だよ」
私をまっすぐに見てきっぱりそう告げる泰人の目に、いささかの迷いも揺らぎもない。
私はずっと、逃げていたのだろうか。和之が死んだとわかってるのに、和之との思い出にばかり浸って。なにをするにも、和之のことしか考えない。考えられない。それは、私の逃げだったんだろうか。
「……ごめん」
泰人がつぶやいた。
「里桜も兄貴のことを本気で好きだったから……。辛いのは、わかってる。でも」
泰人が語気を強めた。
「俺は、兄貴の弟なんだよ。俺も両親も、じいちゃんもばあちゃんも、おじさんもおばさんも、兄貴の家族なんだよ! 俺たちが必死で向きあってんのに、なんで里桜が逃げんだよ。俺たち家族が一番つらいはずなのに、どうして里桜が……」
私は驚いて、今までの怒りが消えていくのを感じた。泰人が、泣いている。いつもヘラヘラしてて、意地悪で、デリカシーのかけらもなかったようなあの泰人が、子どものように。
「俺だって、兄貴が死んだなんて、認めたくないけど……。でも、現実に兄貴はいないんだから、認めるしかねえじゃん! 事故の相手も、俺たちに面と向かって謝罪してきて、裁判も終わって、ムショに入って。いい加減、終わったってことにしたいんだよ。いつまで俺らは悲しんでりゃいいんだよ? 兄貴のことは忘れない、当たり前だ。けど、それといつまでたってもめそめそしてんのは別だろ!」
涙を流し、体を震わせながら、泰人は怒鳴った。通夜でも葬式でも泣かなかった泰人が、今はじめて泣いている。
私は唐突に思い知った。兄弟なんだ。いくら似てなくても、そりが合わなくても、和之と泰人は兄弟だったんだ。和之が泰人を大事だと思っていたのと同じように、泰人も和之のこと、本当は大好きだったんだ。
「……ごめん」
気づいた途端、私はそうつぶやいていた。
「泰人くんたちがほんとは一番つらかったのに……。私ばっかり暗くなって、ごめん」
「里桜……」
「ねえ、これ見て」
私はカバンの内ポケットから、あるものを取り出した。いつもいつも、肌身離さず持っている。あの日から。
「カズがね、私にくれたの。あの日、事故に遭う前に」
「前って……」
泰人が驚いたように私を見た。
「里桜、兄貴と会ったのか?」
「うん。合格発表見にいった後、駅前で待ち合わせて」
「でもあの時、そんなこと一言もいってなかったじゃん」
「いえなかった……。夢だと思ってたから。いいことも悪いことも、全部夢だって思いこもうとしてたから」
私の手のひらで、かすかにシャラッと音がする。あの日、和之が最後に私にプレゼントしてくれた。ピンク色の半分に割れたハートのネックレス。もう半分は和之が持っていた。ブラックのハートの半分を。
ふたつくっつけるとひとつのハートになる、ペアネックレスだった。あの日和之はそれを私に渡そうとして、待ち合わせを提案してきた。
「カズね、私が受験合格したら渡そうって、ずっと計画してたんだって。バイト代貯めて、こっそり買ってたんだって。それであの日、これをプレゼントしてくれて……。「里桜のこと好きだから、付きあってほしい」っていってくれて……」
泰人がいたたまれなくなったようにさえぎってきた。
「里桜、もういいよ。もう――……」
「私、うれしくて。すぐにうなずいたの。私もカズが大好きって……そう、いったの。カズは笑って、優しく、キスしてくれて……」
あの日の出来事が、まるで昨日のことのように口をついてでてくる。もはや私には、止めようもなかった。
「高校入ったら、親にもいって、正々堂々と付きあおうねって、約束したの。ずっと一緒にいようって……。このネックレスみたいに、二人でひとつになれたらいいねって、カズはいってくれたの。うれしくて、照れくさくて、でも私幸せで……。そのあと、カズはバイトがあるからってすぐに別れた。私、まだ夢見てるみたいな気分だった。私はカズが好きで、カズも私を好きっていってくれて。カズが好きすぎて、いい夢見てるんじゃないかって思った。そしたら」
私は両手で顔をおおった。
「電話がかかってきたの……。三十分もたたないうちに。カズのケータイからだった。でも、出てみたら全然知らない男の人で……。「ケータイの持ち主が事故に遭った。着歴の一番上があなただったからかけた」っていわれた。ウソだって思ったけど、なんにもいえなくて……」
「里桜、やめろ。もういいから」
「カズが事故に遭ったって聞かされて、いわれるがままに病院いって……。おじさんとおばさんにも連絡した。でも私たち全員が駆け付けたころには、もう、カズは……」
遠くにいってしまった。私たちのだれもが、まだまだいくことはないと思っていたところへ。幸せな告白からわずか三十分。カズと恋人になれたという奇跡のような時間は、それだけだった。
しゃべり終えた私の肩を、泰人が力強く支えてくれた。
「ごめんな、里桜。そんなこと話させて……」
「泰人くんは悪くない。あの日、私が浮かれて会いにいかなかったら……」
「そんなことない。兄貴はきっと、幸せだったと思う。最期に里桜に、気持ち伝えられて」
だから、と泰人はささやいた。
「もう泣くのを我慢すんな」
そのたった一言だけで、張り詰めていた気持ちが一気に弾けた。今までずっと押し込めていたなにかが溢れだして、私は声をあげて泣いた。和之が死んでからはじめて、私は涙を流した。そしてようやく、痛いほど理解した。和之がもういないということを。私はこれからも、生きていかなきゃならないということを。そして、泰人が今、懸命に私を励まそうとしてくれていることも。
赤ん坊のように嗚咽をあげ、泣き叫ぶ私を、泰人はいつまでも抱きしめてくれていた。ぎゅっと握りしめていたネックレスが、シャラシャラと音をたてている。そのことに気づくと、無言でそれを首にかけてくれた。
今まで一度もつけることができなかった。片割れを失くしたペアネックレスなんて、余計に惨めになりそうで。でも泰人は、優しくいった。
「兄貴からの、恋人としてのはじめてのプレゼントだろ? だったらつけなきゃ。兄貴もきっと、里桜につけてほしいって思ってる」
今までの私なら、もう和之の気持ちなんてわからないんだから、と突っぱねていた。でも今日は、とても心穏やかに、ネックレスを見つめることができる。私の恋人、和之からのプレゼント。最初で、最後の……。
私の心中を察したのか、泰人は告げた。
「兄貴が里桜にあげたいって思ってたもの、これから全部おれがくれてやる。兄貴のかわりにはなんねえけど、兄貴が考えてたことぐらいはわかる。兄貴が里桜にしてやりたいって思ってたことも、連れてってやろうとしてたところも、これからは全部全部、俺がやってやる。俺のことを好きになんかならなくたっていい。一生兄貴のこと好きでいい。だから、もう無理するな」
「……うん」
私はうなずいた。
「ありがとう、泰人……」
和之のことは、今日明日では忘れるなんてできない。でも、時間をかけてゆっくりとなら、前に進むことができる。大丈夫。私はもう、一人で我慢なんてしなくていいのだから。これからは隣に、一緒に和之のことを思って泣いてくれる、この人がいる。
気づくと、泰人は私のことを、抱きしめるようにして背中をなでてくれていた。母親が子どもをあやすような手つき。泰人がやるとぎこちなかったけど、あたたかい手のひらに安心感を覚えた。
ねえ、カズ。天国で今の私たちを見てるかな? カズは心配性だから、今もまだ、困り顔で見守ってくれてるよね。私がヘンに無理してないか。泰人が私をいじめてないか。私たち二人が、ケンカしてないか。
大丈夫だよ。私は一生、あなたを忘れない。これから先、もしかしたら、だれかほかの人を好きになったとしても。私の中であなたは、永遠に輝いて生き続ける。ずっと、ずっと……。
少し切ないお話を書いてみたくて、思いきってあげてみました。
カズくんはきっとイケメンだと思います(`・ω・´)
中途半端な終わりかもしれませんが、続きはありません。
この後二人がどうなっていくのかは、ご想像にお任せいたします。
無責任な作者で、どうも申し訳ございません<(_ _)>




