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王妃像


 満月の映えた夜空は暗い割には明るい。

 月明かりに映る陰には、他者の同行が無い事を示すように私だけのものだった。

 夫とケンカするたびに向かう場所だから、真っ暗でも決して迷う事のない場所。ちゃぷちゃぷと微かに聞こえる水音は目的地が近い事を私に知らせてくれる。

 今日が満月なのは好都合だわ。

 別に狙っていたわけじゃない。夫もそれを意図して引き止めたわけでもなかったみたいだった。

 でもきっとそれは偶然じゃない。

 私が『ここ』に呼ばれた時のように、意味がある事だと信じていた。


「……王…妃? またケンカか?」

 焦点を合わせるように目を細めた王子像の顔は、すぐに「うんざり」を隠さない素直な表情を見せた。

 彼が苛立っているのは想定の範囲内。うんざりな表情と共に周囲に放つ近づくなオーラ――それに屈する私ではないので、無視するけど。

「失礼ね。私が出歩くのと夫婦喧嘩を直結させないでちょうだい。可愛げのない子にはあげないわよ?」

 夫の幼い頃の記憶を持つ銅像は、私の手の内にいる宝物に気付いたらしい。

 自分が台座に縛られている事を一瞬忘れたように立ち上がり、届かない距離に舌打ちして忌々しげに視線を向けてきた。

 可愛げのない。

「動けない私の夫に代わって連れてきてあげたんだけど」

 それ以上語らず、けれども言外にしなければよかったと匂わせれば、王子像は苦い薬湯でも飲み込むようにして黙り込んだ。

 ほんの少し溜飲が下がって、私は彼を囲う檻へと入り込む。人の侵入を制限する魔法は私には効かないから、苦も無く入る事が出来た。

 本当はすぐにでも奪い去りたい王子像は、私の手の内にある宝物が決して乱暴に扱って良いものではない事を分かっているからこそ、無言で傍にあったバスケットを差し出してきた。中に敷かれているタオルが、宝物――ツバメの寝床になっているみたいだ。

「……ありがとう、ございます」

 すやすや眠っているツバメの姿を見てようやく落ち着けたらしい。安堵と、礼をいう事への不本意さを混ぜ合わせつつも、彼は礼をちゃんと告げた。

 この仔を気に入ってるっていうのは本当みたいね…。

 表情が不自然に強張っているのは、安堵によって緩みそうな表情を必死で平静面に保たせているかもしれない。


「でも、この仔は私のよ?」

 言った途端、彼はバスケットを自らの胸元へと抱きこんでしまった。

 奪われる、という可能性が考えられるからの彼の行動には、私に対して自分の方が優位であるっていう認識は殆どないらしい。

 その通りだ。

 強いものが弱いものから奪い去る。誰が最初に見つけたとか、順番は関係ない。

 今でこそ随分と穏やかになったけれど、私がこの世界に来た時はそんな考えが一般的だったから。

 その時代の頃の記憶を留めたままの目の前の子は、きっと今も理不尽な物事が常識の一角にあるに違いない。

 それでも刃向おうとする忌々しげな表情に、思わず笑いが込み上げた。

 本当の夫でも、今の夫でも、久しく見ていない表情だったから。

「私が人間だった頃に連れていた使い魔を覚えてる?」

「黒猫とツバメ」

「よく覚えていました」

「白々しい。人の使い魔だから生態について覚えろって言ったのはそっちだろうが」

 ふふ、と思わず笑いが込み上げる。確かにそうだった。猫はともかく、ツバメについては害虫を食べる益鳥だって認識しか夫をはじめとした周囲は持っていなかったから、勉強するのに巻き込んだ。

 それを分かっているのに、分かっていない目の前の子が酷く可愛らしい。

「それが分かっているのなら、なぜそんなに解せないって顔をするの? この仔はあなたが見つける前から私のよ? 印がついてるじゃない」

 金色一色なのに、みるみる青ざめるという表現が似合う程に、彼は狼狽して視線をツバメへと向けている。ツバメのどこを見ているのだろうなんて、考えるまでもない。



「漆黒の脚環は、私だけの専売特許だったでしょう?」






「なぜ…?」

「そう聞かれても困るわ。私だって、使い魔が現存してた事知ったの、つい最近なんだもの」

 生活に支障をきたすんじゃ? って不安に思うくらいのサイズだった事には驚いたけれど、それだけ。無意味にこうなるわけじゃない。ツバメの毛の色は私の魔力を物質化した時の色と同じ黒色。膨大な量も相まって、恐れられた漆黒の色。

「最近? こいつが脚環をつけられたのは昨日今日の話じゃないんだぞ」

「知ってるわ。生まれた時からついてたんでしょ? それも私のだっていう事実を裏付けるだけなんだから」

 まるで悪役にでもなった様な気分、なんて考えていたら、自然と表情もそう繕ってしまったみたいだった。彼の苦渋の表情がみるみる深まってしまう。

「その仔は私の使い魔の子孫だわ。血脈へと契約が更新され続ける、永続契約を交えたツバメ。だから生まれた時から私の印たる脚環があったのよ」


「使い魔のツバメは、確かいなくなったはずだ」

「迷子になってそのままね。でも、迷子になった先で子孫を残していた。だから契約が引き継がれたんだわ」

「ツバメの家族に脚環は無かったと聞いた。契約が次代へ随時更新される物なら、両親のどちらかに脚環があったはずだ」

 彼にとってはツバメが私の使い魔である事は具合が悪いのかしら?

「生まれた仔が必ず使い魔になれるというわけじゃないわ。一定以上の魔力がある事が使い魔になる条件よ。条件を満たした仔にだけ脚環が現れたとすれば、両親に無かったのは不自然じゃないわ」

 取り上げられるかもって不安なのかもしれない。

 こんな風に警戒心を向けられるのは初めてだった。守りたいって言うよりは手放したくないっていう独占欲?

「…突然手の平を返した理由はなんだ?」

「?」

「ツバメに対して素っ気ない態度を取ってたことくらい知ってる。態度を豹変させたのは、自分の使い魔だって確証を得たからか?」

 む。可愛くない子。

「使い魔だってことは最初に見た時すぐに分かったわ。私は分かったのに、ツバメが気付きもしないで夫やあなたと仲良くしてるのが面白くなかっただけよ」

「なんだ嫉妬か」

「そんなわけないでしょう!?」

 ずばりと胸中を言い当ててきたので、反射で答えてしまった。

 否定を告げた行為が暗に肯定を示す結果となり、私は視線をバスケットへと固定した。

「……とにかく、私の使い魔なの」

 ペースを乱されちゃだめ、と呼吸を整える。そもそも、ケンカをしに来たわけじゃないのだから、空気を悪くする必要などない。

 事実を告げただけなのに、王子像の機嫌が悪くなっていった。これこそ嫉妬じゃない。

「一度落ち着きましょう。私は別にあなたをいじめに来たつもりはないんだから」





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