05 サンなんとかさん
ゆらゆらゆら……、景色が高いわ。
ヴェイドさんに連れられながら、わたしは茫洋としていた。
そして同じぐらい無感動だった。王城内に入る機会なんて滅多にないのだから、もっと胸が騒いでも良いぐらいなのに、わたしには素直にそうできない理由があった。
ゆらゆら、ゆらゆら。
「なぜ、わたしを抱きあげたのかしら」
「うーん、隣を歩かせると身長差で転びそうだと思って」
わたしはヴェイドさんに抱えられていた。ゆらゆらと揺れる景色はそのためだ。
確かにこうしていると魔力の関係で落ち着くし、ヴェイドさんは結構細身なのに、わたしを抱えて歩く辺りはさすが男の人だと思うけれど、
「年ごろの娘にする対応じゃないわ。……これは立派な侮辱よ、ヴェイドさん」
恥ずかしくて仕方がない。わたしは顔が真っ赤だった。
なんせわたしは十五歳の少女――いや、女性なのだ。ほとんど大人として扱われてもおかしくない年齢なのに、どうしてこんな扱いを受けなくちゃいけないのよ。
それにヴェイドさんてば、さっきからソイルさんが驚愕した顔でガン見しているのに気付かないのかしら。そうでなくても、通りすがりの侍女さん達が次々と口をあんぐり開けて固まっていく。彼がどういうつもりかは知らないが、はやく降ろしてほしかった。
「そういうのはもう少し淑女らしくしてから言いなさい」と、ヴェイドさんは訊く耳をもたずだった。
悪かったわね、子どもみたいで。
「フロディス、彼女はローザリア殿下やレオディス殿下とは違うのですから、廊下を歩かせても大丈夫かと思いますよ」
見かねたソイルさんが声をかけた。
まるでこの国の王女殿下と王子殿下が過去に何かをやらかしたような言い方だ。いったいこの廊下でなにをやらかしたというのかしら。非常に気になる言い方だったが、ヴェイドさんは不機嫌そうにソイルさんを見返しただけだった。
「言っておくけど、宰相殿。二度とフィオナをダシにぼくを使おうなんて考えないことだ」
その命が惜しいのならね、と彼は付け加えた。
「ちょっと、ソイルさんて宰相様だったの!?」
「あれ、知らなかったの? アレイストの教育係もしていたんだよ」
言われてみるとアレクがそう言っていたような気もする。
わたしは驚きすぎてヴェイドさんの腕のなかで固まっていた。宰相と言えば国王陛下の政治の助言役とか、そういう立ち位置ではなかっただろうか。そんな人にあんな態度や、こんな口を聞いちゃうだなんて……ヴェイドさんていったい……。
それにわたしも、あんな口や、こんな……。
ヴェイドさんと一緒にいると、わたしのこれまでの人生が、ガラガラと音を立てて崩れるようだ。わたしが個人的にショックを受けていると、ソイルさんは苦笑をもらしていた。
「私が考えずとも、他の誰かが考えるでしょう。これだけ注目を浴びたのですからね」
「これは誇示しているんだ」
ヴェイドさんは、ずり落ちかけたわたしを抱きなおした。
「ぼくがどれだけ大事にしているかを知れば、誰も手出しできないだろう」
「さすがに大魔術師に挑もうという方はいらっしゃらないでしょうね。……ですが、利用される場合もあるのですよ、私のように」
なるほど、わたしは宰相様に利用されたらしい。
ヴェイドさんを城に連行するためとはいえ、ほとんど自分から着いてきたのだから、本当の意味で“利用された”とは言いにくいのだけど。わたしが彼の大事な預かり子だと見抜くとは、さすがの観察眼である。まあ、普通に彼の屋敷に見知らぬ娘がいたらそう思うわよね。
ソイルさんの言葉に、ヴェイドさんは微妙な顔でわたしを見おろした。
「彼女には探査具が付いているから、誘拐されようが大した問題はない。あとは、フィオナがのこのこ着いて行きさえしなければなあ……」
「ちょっと、いつ探査具なんて付けたんですか?」
さらりと変なことを言わないでほしい。
探査具というからには、おそらく彼の魔導具なのだろう。いったいいつそんな物体を付けられたのだろうか。
「きみに指輪を渡したとき」
「ええっ!?」
お母さんの石になんてことするのよ!?
わたしは思わず首もとを見やった。服のなかに隠しているが、母親の魔石がついた指輪がある。ちょっとこんなのに細工されたら捨てられないじゃない!
彼はわたしが、探査具を捨てようとすると見越していたのかもしれない。
「いちおうよろしく頼まれた身だしね……」とうんざりしたように彼は言った。
「そういう問題じゃないわよ……!」
わたしたちの会話を聞いて、ソイルさんはまた笑った。
「あなたたちは仲がよろしいのですね」
「「よくない!」」
はからずしも、被ってしまうわたしたちであった。
「フィオナはここで待っててくれ」
連れて来られたのは、王城内の一角だった。
そう言い残してヴェイドさんはレオディス殿下が伏せる私室へと向かった。わたしを置いていく場所が王宮の書物庫だったあたり、彼なりに気をつかってくれたのだろうと思う。
さすがは王宮というだけあり、書物庫は立派だ。ゆるやかに弧を描く室内には、床からはるか上の天井までびっしりと本が並んでいた。それ以外にも大きな棚が立ち並び、めまいがするほど壮観だった。いったい天井あたりの本はどうやって取るのかと思ったが、梯子がかけられているので多分それで取るのだろう。
わたしは入り口の前に立っていた兵士さんに、おずおずと声をかけた。
「あの、これって読んでもいいんですか……?」
「閣下のお知り合いですから、構いません。汚すのだけは駄目ですよ」
いいんですか。
そしてひとり残されたわたしは、緊張した面持ちで身近にあった本を引き抜いた。う、選択をミスったわ……恋愛指南書なんて読んでどうするのよ。
よく見てみると、この本のある棚は自己啓発本なんかが並ぶ棚だった。しかし、いまどき恋愛指南書なんてものを読む人は居るのかしら。わたしは手もとの本をパラパラとめくった。
以前ヴェイドさんから手渡された本も、誰から借りたのかこういう夢見がちな系統の小説だったが、正直に言うとわたしはあんまり、恋愛ものが好きじゃなかった。だいたい、この手の本って、大抵手のうちが古くさすぎて使えないのよね……。
もっとタメになる本がいいのよ。
わたしは禁止され取り上げられてしまった魔術書のことを思った。そうしていると、ふいに頭上に影がさした。
「おお、その本を手に取るとは、きみもお目が高い!」
「へ?」
「可憐な黒き魔女の少女よ、きみも誰かを落とそうと思ってるのか? その本は俺もオススメだ。実に素晴らしい内容なんだ、とくにこの一〇四ページの三段目が……」
「ええと……誰ですか?」
わたしは完全に引いていた。
話しかけてきたのは、一人の青年だった。
下衣はゆったり、上衣はぴったりという異国風の服をまとい、短めの明るい茶色の髪がゆるく波打っている。でも彼はめずらしい黄色の瞳をしていた。
「砂漠の太陽のように、恋に悩む男……愛の狩人とでも言っておこう」
これまた強烈なのが来たわね。
ヴェイドさんといい、アレクといい、王宮には変わった人しかいないのかしら。ああでも、普通代表で宰相様のソイルさんがいたわ。
愛の狩人の青年は、実に楽しげにわたしの顔をのぞきこんだ。
「きみの瞳は、とても澄んだ清らかなる水の色……青なんだね。髪も同じ色だ、実に美しい」
「え?」
わたしは彼の言葉に目を瞬いた。
髪が青いだなんて言われたのは初めてだった。
「わたしの髪も目も、黒だと思うわ」
「ああ、他の者にはそう見えるのか」青年はなんでもないことのように言った。「俺にはそう見えるだけだ、あまり気にするな少女よ」
「え、ええ……」
彼はもしかして、わたしのように精霊が見えるというやつなのだろうか。
確かに黄金にきらめく瞳は、普通の人には見られない色だ。
「あなたも、もしかして半精霊だったりするの?」
「ん?」
訊ねられた彼は、きょとんとした顔を見せた。
「いや、俺はごく普通の人間だ。半精霊というのはもっとこう、尊いものだろう?」
「尊い? あなたの国だとそういう認識なの?」
「そうだなあ、少なくとも神話にも出てくるような存在だ」と、彼は言った。
半精霊が尊いだなんて。
わたしは過去に、合いの子の忌み子だと罵られたことがある。国が違えば、そういうふうに扱われることもあるだなんてとても意外だった。最初は不審者にしか思えなかったけど、わたしはもっとこの人の話を聞きたいと思った。
「ところで小さな姫君、きみは誰を落とそうと言うんだ? 恋愛の先輩としてアドバイスのひとつでもしてやろうじゃないか」
「その話は別にいいわよ」
わたしは彼の質問に困った。
「わたし別に落としたい人はいないの……」
すきな人は、居るんだけどね。
「ほう、どんなやつなんだ? 言ってみろ」
「ええっ」
口にしたわけでもないのに、青年はそう言ってわたしの顔をのぞきこんだ。咄嗟に聞かれたものだから、わたしは思わず頭にヴェイドさんを思いうかべていた。銀細工を薄く長くしたみたいに綺麗な髪、そして水底のように深く相手を包み込む瞳……………って、わたしなに真面目に考えてるのよ!?
「そっ、そんなのどうでもいいじゃない!」
わたしは顔を真っ赤にして、こちらを見る青年をおしやった。自分で思ったよりも力が入った声に、自称“愛の狩人”はにやにやと笑った。
「いいねえ、少女の初恋! 甘酸っぱく切ない物語のような響きだなぁ。花の乙女よ、告白はしないのか?」
「気持ちを伝えるって意味なら、もうとっくにしてるわよ……」
ただ、全く相手にはされなかったけど。
それも相手との年齢差を考えれば納得だ。ヴェイドさんとわたしは、年齢が三百歳以上も離れているのだ。わたしがフロディス邸に置いてもらえているのも、彼がわたしの境遇に憐れんだからだからに違いなかった。
わたしの言葉に、謎の青年はとても同情したような顔になった。
「ああ、きみも俺と一緒なんだね。お互いつらい思いばっかりだな、同士よ……」
なんとなくその言い方はむかつくわ。わたし別に、いまの生活で満足してるもの。
「お兄さん、あなたも好きな相手に告白したの?」
「もちろんだ。でもまともに取り合っちゃくれない。この切なる想いはもう十年も前から変わらないというのにね」
「気の長い話だわ」
でもそれでも思い続けるだなんて、とても真摯な人なのね。
そしてさんざん、愛する人がどんなに素晴らしいかをわたしに説いた“愛の狩人”の青年は、思い出したように「さて、そろそろ失礼するかな」と言い出した。その頃には、わたしはすっかり聞き疲れをしてしまっていた。
「お兄さんの好きな相手って、いったいどんな神様なのよ……」
「神様か、まああながち間違っちゃいないなあ」
はいはい、もうわかったわよ。
青年はにんまりと顎に手をあてながら、わたしを見おろした。
「小さな恋する天使よ、機会があればまた会おう。俺の名前はカッタルーダだ。正式には、カッタルーダ・ファリィス・セラ・ドオシュ・バスティ=シャリファ・シャ・クヴォイ・ネフィティ=セルケート・デヴォラ=スーノィ・サン――」
「ちょ、ちょっといくらなんでも長すぎよ!」
わたしは名前のあまりの長さに驚き、カッタルーダ・ファリィス・セラ・ドオシュ・バスティ=シャリファ・シャ・クヴォイ・ネフィティ=セルケート・デヴォラ=スーノィ・サンなんとかの青年に目をむいた。青年はさすがに異国出身なだけあって、名前もとても変わっていた。
「特別にカルーって呼んでも構わないぞ」
「そうさせてもらうわ……」わたしは肩をすくめた。「わたしはフィオナよ」
「そうか、フィオナか」
カルーはわたしの名前を反芻するようにうなずいた。
「では美しき花の娘よ。また会おう」
彼はそう言って溢れる笑顔で去っていった。嵐のような青年だった。
「フィオナ、すっかり待たせたね」
と、言ってもどってきたヴェイドさんの姿を見ると、なんだか彼の顔をとても久しぶりに見るような心地がした。
「どうしてそんな、疲れた顔をしてるの。まるで屋敷の大掃除をしたみたいな顔をしてるけど」
「そ、そうね……」
不思議そうに訊ねるヴェイドさんに、わたしは小さく息をついた。
変わった人と知り合っていたせいで、時間が経つのが早かった。王宮に長く居たら身がもたないわ、と少しだけ思っていた。
「なんだ、若いのにだらしないぞ」と、ふいにアレクが割って入った。わたしは突然あらわれて当然のように会話に加わる彼を見て、眉をひそめた。
「アレク、あなたって神出鬼没ね」
「フロディスには負けるがな」
そりゃそうね。
最近のヴェイドさんときたら、転移陣の場所も関係なく転移するんだから。すぐ隣の魔術師は、さいきん歩くのがしんどくて、と歳をくったおじいちゃんみたいに言い訳した。体を使わないからよ、きっと。
「ところで僕の友人を見かけなかったか? 異国風でくるくるした髪の、言動と名前が恐ろしく長ったらしい男なんだが」
間違うことなきカルーだった。
「その人ならついさっき、どこかに行っちゃったわ。さっきまで話してたんだけど」
「そうか、また入れ違いになっちゃったな」
ま、後で探すか……とアレクは頭をかいた。
「二人ともせっかく城に来たのもなんだし、お茶でも飲んでけよ。隣国の珍しい菓子が手に入ったしな」
「わあ、どんなお菓子なの?」
「ええとなあ……」
そう話しながら、わたしはヴェイドさんの向こうに居るアレクに近寄ろうとした。そしてヴェイドさんの真横を通り過ぎたとき、ふと、わたしは立ち止まった。
「どうしたの、そんな目で見て」
「ヴェイドさん……においが変……」
つぶやくように言ったわたしを、ヴェイドさんは呆けたほうに見おろした。
「なんだ、とうとう加齢臭か?」
「あ、アレクは黙ってて!」
そういうことが言いたいのではないのだ。
わたしは彼からただよう魔力の変化に、気づいたのだ。
「ヴェイドさん、あのね……いまのヴェイドさん……」
それは過去に感じたことのある、あのおぞましい男の気配だった。
「闇の魔術師みたいな、変な感じがする――…」
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