03 恐怖のキノコ事件
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そして数日後。
ひっそり独学の魔術薬学は、いまのところ順調だった。
“魔術薬学入門”はその名の通り、簡単だった。内容はあらかた読み終えたので、あとの問題は材料にどう魔術を込めるかというところだった。
魔術を使うには、魔術式の理論と構成、魔術を発現するための力の練り方を覚える必要がある。もちろん自分の力量に合った魔術じゃないと発現までに力が足りないのだし、人にはそれぞれ向き不向きの属性があった。
わたしは記憶力がいいほうなので、読んだ本はたいてい一度で覚えてしまう。実のところフロディス邸にある魔術書の半分ぐらいは読み終えていたのだが、実際に魔術が使えるかと言われるとそうではない。
シェリ・カルート――古代サークレシア語で“人の大地”を意味するこの世界には、魔力が存在する。人々は大気中の魔元素を取りこみ、自分のなかで魔力とするのだ。それが生きる力、つまり生命力になるのだけど、個人個人に貯められる量は決まっている。
たとえばバナードさんやオルディスさんのように、生命活動だけで魔力を使い切ってしまうような人は一般人に含められ、そしてヴェイドさんのように比較的、魔力量の多い人は、魔術師として生計を立てることが認められる。まあ、わたしの場合は……ほとんど魔力の塊のような“精霊”が半分を占めているので、どちらに分類されるかというと、難しいところだった。
魔力が多いのは確かなのだけど、そういう人間は幼いころから教育をきちんと受けて自分をコントロールする術を学ぶ。
でもわたしは精霊の母親とともに暮らしていたため、それまで自分が魔術を使えるとは思っていなかったのだ。もしかすると気づかないところで、魔術を使っていたのかもしれない。でもやっぱり、どれだけ魔力を込めればいいかが分からないわたしは、安易に魔術を使おうとすると暴走する危険があった。
いまのところ魔術を教える気のないらしい、引き取り手のヴェイドさんは、わたしに“魔術禁止令”を出していた。落ち着いたら、ちゃんと魔術を学んだほうがいいと彼は言ったが、多分、このまましらばっくれようとしている。
屋敷の管理がずさんなところから見るに、たぶん彼は教えるのが苦手なタイプだ。天才肌というのも困ったものだ。
「ということで、今日は薬草を煎じてみます!」
わたしは目の前にふよふよと浮かぶ薬草を見ながら宣言した。
カタカル草という、ありふれた傷薬の原料となる草だった。先日、王都の外で摘んできて、干しておいたものだ。もともと森の傍で暮らしていた私には、薬草のありかなど目を閉じていても分かる。名前さえわかればだけど。
「だから、いい加減に返してよね」
わたしは“精霊”からカタカル草を取り返した。小さな光は諦めたようにふわふわと浮かび、また別の物へと宿っていく。それを横目でみながら、わたしは乳鉢に草を放りこんだ。
うまく煎じられれば、かなり性能のいい傷薬になる。
魔術薬学の教本には、それを煎じながら魔力を練りこめと書いてあった。そう簡単に練りこめたら苦労しないんだけど……。ダグラス魔術道具店の店主が、“誰か大人の人と一緒に勉強したほうがいい”と言っていたのは、魔術の練りかたをきちんと教えてもらえ、という意味だったのだ。
「魔力、魔力……魔力~~~~~~~」
これで魔力が込められたら驚きものである。
ごりごりとすり棒を回しながら、ぼちぼち“魔力”という単語がわたしの中でゲシュタルト崩壊を始めたころ、わたしはふと閉じていた目を開いた。
「あ、やった!」
乳鉢の中で、煎じた薬草が金色に輝いていた。ちょっと神々しすぎる気もしたけど、どうやら最初の魔術薬としては成功のようだ。
わたしはそれを、いそいそと薬包に移し、傷薬を作ると約束していた人に渡しに行った。リースブルームの西区に住む、野菜売りのおかみさんの所だった。野菜の蔓を切ったときに、ちょこっと指を切ってしまったらしい。水に触れる機会の多い彼女には地味ーに辛いことだ。偶然買い出しにいったときにそんな話を聞いたもので、思わず「薬を作ってあげるわ!」と大見得切ったのだった。
このご時世、薬なんてものは貴族のもので、庶民は我慢するしかないのである。せいぜい怪しげな民間療法がいいとこだ。魔力を持たない薬師というのも存在するが、それも似たような話だ。
「おかみさん、約束してた薬あげるわ」
「あらあ、本当に持ってきたのかい。いいのかい、薬なんて高価なもの……」
「いいのよ。その代わり、わたしも勉強中の身で……効果は約束できないわ」
わたしは薬包を彼女に手渡した。
「いちおう使ったのはカタカル草だけだから、悪化はしないと思うけど」
「まあ、カタカル草を傷口に当てるようなもんかね」
それも立派な民間療法である。
そして彼女は細切れの布に粉を付け、それを指にまいた。
「あら、あら……!?」
「え、す、すごい!」
金色の粉が傷口についた瞬間、小さな光を放つのがわかった。ようやく光が収まったとき、もう一度指を見てみると、
「すごいじゃないか、傷がぴったりとふさがっちまったよ!」
わたしは思わず笑顔になっていた。大成功だったのだ。
「すごいよフィオナちゃん、あんた立派な魔術師になれるよ! ほら、お礼にこれもっていきな、これも安くしてあげるから」
「ちょっとおかみさん、人参はもう良いんだってば」
「ありがとうね、お蔭で水仕事も平気になるよ」
「ふふ、どういたしまして」
気前よくたくさんの野菜を押し付けられながら、わたしは笑った。こうやって人の役に立てることがあるというのは、とても嬉しいことだった。
そしてわたしは思っていた。
もっと色んな薬を作るわ……!
味を占めたわたしだった。
それからわたしは、風邪薬、頭痛薬、痛み止め、熱さまし、湿布などなど、様々なものを作った。それらは大抵、より質のいいものになり、わたしは街の人々から感謝されることになった。
だが一方で、困った事態にもなっていた。
「そろそろ潮時かしら……」
噂を聞きつけた市井の人が、とうとうフロディス邸を訪ねてきたのだ。
この幽霊屋敷に人が訪ねてくるなど、よっぽどのことである。さすがに調子に乗りすぎたかもしれない。このまま続ければ、すぐにヴェイドさんの耳に届きそうだった。
「ごめんなさい、ヤギの風邪薬は作ってあげられないわ。わざわざ来てくれて申し訳ないんだけど」
「そう仰らないで、お願いします。人間用の薬で良いんです。でないと良い乳が出ないのです」
「でも他にも飼ってるんでしょう? 一匹の風邪なら……」
まさか動物相手に薬を作ってと言われるとは。これじゃキリがないわよ。
わたしがちょっとした薬を作っては譲る間は良かったのだが、噂は広まり、庶民相手に商売をする薬師がいるという話にまで発展していた。
家畜の風邪や怪我といった、以前は気にもとめなかったという些細なことも、依頼にまわってくるようになったのだ。彼らは薬のお礼と言って、色んな物を置いて行った。さすがに不味い事態だった。薬のおすそわけ程度なら王宮から目をつぶってもらえるが、物々交換という商売となると、正式な免許が要るのだ。
「お願いします、どうかお願いします!」
「え、ちょ、ちょっと!?」
わたしは押しかけてきた酪農家のおじさんに掴み掛られ――まあ彼も必死だった――、うっかり背後に置いてあった薬瓶を倒してしまった。
「――――あ、」
わたしの頭は真っ白になった。
「不思議だなあ、どうしてぼくの屋敷にでっかいキノコが生えてるのかなあ?」
「さ、さあ……雨が続いてたから生えてきたんじゃない?」
わたしはヴェイドさんから目をそらした。
よく晴れた昼下がり、フロディス邸の屋根から、毒々しい色のキノコの傘が付き出していた。
頭痛薬にしようとしていたズキンマダラタケというキノコに、実験中だった植物肥料がかかってしまったという、悲劇の産物だった。
「ぼくの見たところ、これはきみの居た森にしか生えない菌種だね。王都の外からわざわざ運んできて植えたわけ? しかもこんな巨大化させて」
「だっ、だから知らないって言ってるじゃない」
「フィオナ」
彼がじとっとした目でわたしを見おろした。もう言い逃れはできなかった。
「……ごめんなさい、わたしがやったの」
「まったく」
ヴェイドさんはあきれ返った顔で、巨大キノコを燃やしつくした。屋根をつきやぶってしまったため、食堂の天井から空が覗いていた。
「魔術局に報せが届いたときは何事かと思ったよ。いや、間違いなくフィオナだと思ったんだけどさ」
彼の顔は怒りで引きつっていた。
その背後では精霊たちが一生懸命、板と金槌を使って修復作業に取り掛かっている。ちょっと精霊さんたち、“僕たち関係ありません”って顔するのやめてよね。あなたたちも秘密を分かち合う仲間だと思ってたのに。
「ちょっとフィオナ、聞いてるの?」
「あ、はい、聞いてます……」
わたしはうなだれた。
「前に魔術は禁止だと言っただろう。半精霊のきみじゃ、低級魔術だって中級ぐらいになる危険があるんだ。もしかして巷で噂になってた“庶民相手に治療する薬師”って、きみのことじゃないだろうな。免許も持たないで商売するなんてどういうつもりだ? 捕まりたいのかい?」
「だって、その……ごめんなさい」
まさか、彼の助手になるためだなんて、本当の目的を言うわけにもいかない。
そしてヴェイドさんはキノコを燃やしたのと同じように、わたしが貯めこんでいた薬草や蛇の抜け殻、蜘蛛の糸、その他もろもろを焼き尽くした。魔術薬学の教本も取られてしまう。
「二度とこんな真似はするんじゃない。いいね」
ヴェイドさんの鬼。悪の魔術師。
「なるほど、それで全部没収されちゃったんですか」
事の運びを聞いたバナードさんは、苦笑していた。
再び治安管理局である。もっとも、今回は“謎の薬師”について聴取を受けていたわけなんだけど。
「こっぴどく叱られたわ」
「でも仕方ないですよ。彼が大魔術師じゃなかったら、いまごろフィオナさんは牢獄行きですよ。それだけ魔術に関する法律は厳しいんです」
「そうね」
わたしは落ち込んでいた。
恐怖のキノコ事件に関しては、駆けつけた治安官に、ヴェイドさんが“屋敷で実験中だった”とか何とか言って誤魔化してくれたのだが、彼が普通の魔術師だったらそうもいかなかっただろう。でなければ屋敷そ捜索されて、わたしが噂の薬師だともバレてしまっていたはずだ。
「それでは、謎の薬師については、流浪の旅人だったということで……。さすがに僕も黙っていた分、心が痛みますね」
バナードさんは苦笑いして、頭をかいた。フィオナに魔術道具店を教えたのは彼なのだ。
「ううん、バナードさんは何も悪くないわよ。嘘の報告をさせてごめんなさい」
わたしはかぶりを振った。それに、ヴェイドさんに見つかったことで、わたしはどこかほっとしていたのだ。気軽に手が出せるほど魔術は簡単なものではないと、理解もした。
「でも道具は全部没収されちゃったわ。ちょっと酷いわよ」
「本当だ、あいつは酷いやつだな」
「そうよ、道具はわたしのお金で買ったのに……」
と、ここでわたしは固まった。
あれ、なんか聞き覚えのある声が――…
「…………アレク!?」
隣で堂々と構える人物を見て、わたしは声をあげた。どうしてここに彼がいるのよ!?
「アレイスト殿下!?」
ほら、バナードさんも驚いているわ。
わたしの隣に座る彼は、アレイスト・リディオ・セフィールド=リスタシアという名前の青年だった。リスタシア王国の第一王子だ。彼はなぜか、わたしの髪を勝手にすきながら面倒くさそうに言った。
「なんだ、僕が自分の国を出歩いてちゃ駄目だって言うのか?」
「駄目じゃないけど問題になるに決まってるでしょう。王子様ってそんな簡単にお城をでちゃ不味いんじゃないの?」
「ふうん」
わかってるのかしらこの王子。思わず眉をひそめてやるが、わたしはふと、周囲がざわついていることに気付いた。はっとして管理局を見わたすと、人々が遠巻きにわたしたちを見ていた。
そ、そうよね、どっからどうみてもアレクは王子にしか見えないわよね。彼の美しい金髪と緑の瞳は、彼が高そうな服を着込んでいることを抜きにしても、位の高い血筋だった。
そして、そんな王子に馴れ馴れしい口をきくわたしって……
「……えーと、こほん。不味いのではないでしょうか」
「フィオナ、いまさら畏まった口調になられるとなあ」
「わかったわよ……」
わたしたちは素直に、場所を変えることにしたのである。
空き部屋を借りたわたしは、アレクに向き直った。
「アレク、どうしてこんなところに居るの?」
「ん、ああ……」アレクは思い出したように言った。「君を探してたんだよ」
「わたしを?」
首をかしげたわたしに、彼はうなずいた。
「フロディスを説得して欲しいんだ。次から次へと薬師を辞めさせるのを“やめろ”ってね」
「ヴェイドさんってそんなことしてるの?」
王宮の薬師といったら、相当の腕のはずだ。それをクビにしちゃうだなんて、なんだかんだ面倒見のいいヴェイドさんからは、あまり考えられない。
「ああ。今年に入って何人辞めたかわからないよ」
「どうして薬師さん達は辞めちゃうの?」
「決まってるよ、あいつが恐いからだ。あの魔術師ときたら、気に入らない相手には冷たいのなんの」
「とてもそうは見えないけど……」
怒った顔が恐いのは認めるけど。
「ただひとつ良い事がある」
アレクは苦々しい顔で、わたしの顔をゆびさした。
「フィオナ、君が来てからあいつはまだマシになった」
「そうなのね」
わたしも結構、ヴェイドさんには苦労かけてるものね。彼のなかで何か思うことがあったのだろう。でも、アレクの言う内容は、あんまり良いことでは無いんじゃないかしら。
「うまく説得できるかは分からないけど……いちおう頑張ってみるわ」
「感謝するよ、やつの可愛い精霊さん」
アレクはそういうと、わたしの額に慣れたようにくちづけた。
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