#7 歪んだ恋と残された少女
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「神藤どうした? そんな死にかけの煮干しみたいな目して」
煮干しだと既に死んでるだろ。
これが僕が学校へ行った直後、宮原に言われた台詞。とにかく、朝急いで登校してきた僕の見た目はその位酷かったようだ。
そして、とある授業後の休み時間。
「マジでお前そんな寝不足になってまで毎晩毎晩何してる訳」
「勉強してるんだよ」
「へー。昨日は何を覚えたんだ?」
「連立方程式の解き方」
「前覚えた分野より学年も難易度も下がってんじゃねえか」
宮原は呆れ顔だ。
「古きを温め、新しきを知る。孔子だって言ってるだろ?」
「新しいことを知ろうともしないお前に言われたくないわ。……ああ、ちなみに滝中は休みな。熱出したってよ」
「ショックに弱いな」
「佐倉さんは学校来てるのにな」
そこまで元気というわけでもないだろうが……まあ精神面にはかなり強いものがあるのだろう。少なくとも滝中よりはかなり強い。
僕は正直なところ悲しむことすら難しくなっている。陰陽師の蓮本が言ったあの言葉。
『僕は呪いを回したんやない。文字通り返したんや。呪おうとした本人にな』
話を訊く限り、呪詛返しは呪いを行った本人に呪いを返す術だ。となると、“佐倉玲香を呪った”のは長谷川美奈だということになる。
あの中の良い二人の仲に亀裂が入ることなんてあるのか?
あるとしたら恋愛関係とか?
「おーい? どうしたボヤーッとして。お前も美奈ちゃんの死がショックなのか?」
「別に。逆に僕としては残された佐倉さんのほうが気になるぐらいだよ」
「じゃあ慰めてやれよ」
「無理無理、近づける気しない」
本当に可哀そうだった。授業中に少し佐倉さんのほうを見てみたが……。虚ろになった目は泣いたのだろうか、少し腫れていた。
「まあ確かにな……今は誰も近づけねーよ」
「どうすればいいんだろうな」
「さあ。本人が立ち直るのを待つしかないんじゃねーの?」
「…………」
佐倉さん、本当に大丈夫なんだろうか?
美奈ちゃんは死んだ。
美奈ちゃんは死んだ。
美奈ちゃんが死んだ。
美奈ちゃんが死んだ?
美奈ちゃんが死んだ。
私は死んでない。
私は生きてる。
のうのうと。
無責任に。
無関心に。
無駄に。
無残に。
私は生きている。
美奈ちゃんは死んだ。
私は生きてる。現在進行形。
美奈ちゃんは死んだ。過去形。
美奈ちゃんは止まってしまった。
美奈ちゃんは終わってしまった。
私は何で生きてる?
美奈ちゃんはどうして死んだの?
分かんない。
理解不能。
前のおじさん誰?……あぁ、古文の先生だ。
駄目だ。美奈ちゃんが居なくなってずっとこう。
どんどん駄目になっていく。
頭の中がぐちゃぐちゃ。
めちゃくちゃになった。
美奈ちゃんと仲の良かった私に、担任の先生は気を遣ってくれる。
「佐倉……長谷川のことは気の毒だった。だから、今は授業を必死に受けなくても大丈夫だ。落ち着かないなら学校に来なくても大丈夫だ。落ち着いたら、また頑張りなさい」
「――はい」
その気遣いが痛い。
心に刺さる。
心を抉る。
ぐちゃぐちゃに。
めちゃくちゃに。
私はどうすればいいんだろう。いや、答えはもう出てる。現実を受け止めて、前へ進めばいいんだ。
でも、出来ない。
でも、美奈ちゃんはいない。
で、私はここに居る。
私はどうしたらいいんだろう……。
「あのー、佐倉さん?」
そんな風に、神藤君が私に話しかけてきたのは、美奈ちゃんが死んで三日目の昼休みのことだった。
「あぁ、ごめん神藤くん、何か用?」
ビックリした!そういえばここ三日間、同級生の子とは誰とも話してなかったんだ……。
「ええっと、あの、えーっと……」
そういって神藤君はブレザーのポケットを探って、私に四つ折の便箋を渡してきた。
「これ、長谷川さんのお母さんから預かってきたんだ。君宛の手紙らしい」
「え?」
「あ、僕は読んでないから!だから安心して」
そう言って神藤君は便箋を机に置いて戻っていった。
便箋は二枚あった。
『玲香へ
おはよう玲香。
こんな風に手紙書くのなんか小学校以来だね。あの頃は〝玲ちゃん大好きっ〟とか平然と恥ずかしいこと書いてたけど、それも良い思い出になりそう笑
こんな手紙で言っちゃうのもなんだけど、私は今病気にかかっています。それも漫画なんかで見るような不治の病。治療法は今はまだ見つかってないんだって。心臓とか肺の細胞がどんどん劣化していって、最後はどこかの臓器の活動が止まっちゃうらしいんだ。そんな意味の分かんない病気に私、なっちゃった。しかも余命二ヵ月って医者の余命宣告まで受けちゃったの。
でも、生活に支障が出るまではもう少し時間があったから、私は玲香と居ることにしたの。
私がこれを書いてるのは十一月の終わり頃だけど、玲香がこれを読んでるのはいつかは分からない。余命二ヶ月っていっても、死ぬのが早まるかもしれないし、逆に延びるかもしれない。
でも、いつ死んでもいいように私は玲香と普段どおり過ごしてたんだ。
後悔も未練もないように。
ただこれが玲香の手にある頃には、私はもう死んじゃってるはず。
お母さん→親切なクラスメート→玲香って順序でちゃんと渡ってきたでしょ?笑
死ぬまでの間、玲香と一緒に居られてとっても楽しかったです。ありがとう。
この手紙を読んでくれたなら、私に悔いはありません!
玲ちゃん大好きっ!
長谷川美奈』
「――美奈ちゃん」
これを家で読んでいた私は、机で泣き崩れた。
手紙を渡すときにはヒヤヒヤした。でもまあ何とか無事に受け渡しが成功してよかった。
あれは長谷川美奈の書いた手紙じゃない。
また、長谷川美奈の母親から受け取った手紙でも、断じてない。
どういう事かというと、あの手紙は長谷川美奈が遺した手紙ではないということだ。
そういえば手紙、読んじゃってるな。まあ見ておいて良かっただろう。あんなもの、見せたら大変なことになる。
実際は、手紙は一枚だけあった。
長谷川美奈は確かに佐倉玲香と仲が良かったのだろう。
だが、気持ちというものは移り変わる。あくまで当時の気持ちは当時の気持ちでしかない。小学校の頃に仲の良かった親友も、別れて数年も経てば親交も薄れる。子供の頃サンタクロースを信じていても、中学生や高校生になってから信じることなど出来ない。
長谷川美奈も、そうだった。
それにしても――自分が問題の中心になっているとは思いもしなかった。
長谷川美奈の家を訪ねたのは手紙を渡す前日の放課後で、つまりは僕が死にかけてマガさんと契約を交わした日の放課後で、要するに昼休みに宮原と佐倉さんのことを心配した日の放課後だった。
あれからどうしても、長谷川さんが佐倉さんを呪った理由を知りたかった僕は、強行手段に打って出ることにした。
長谷川美奈の家に行ってきた。
僕が偶然、長谷川美奈の家を知っていたのは、スーパーの帰りにたまたま出会って一緒に帰ったことがあったからだ。
ただ、少し問題があるのは家への入り方だ。長谷川美奈との親交が全くといっていいほど無かった僕。どうしようか……?
結局、嘘をつくことにした。
チャイムを押す。
「お忙しいところすいません。長谷川さんのクラスメイトの神藤といいます」
「あら、神藤くん?美奈からお話は聞いたことあるわ。どうぞ上がって」
思った以上にうまくいった。少しセキュリティが甘いような気もするが、まあ被害に遭うのは僕ではないから別に知ったことじゃない。
リビングに上げていただき、お茶をいただいた。
「長谷川さんのことで色々忙しい時にすいません」
「いえいえ、私もクラスメイトの人に色々訊きたかったんです。美奈、苦しそうにしてたとかありませんでしたか?」
「僕も突然のことで驚いたんです。学校では何も変わった様子は無かったもんですから……」
「そうですか。美奈から何か聞いたり……してませんよね」
「すいません、お力になれなくて」
「いいえ」
しまったな……会話のことを考えてなかった。が、仕方ない。ちょっと早いけど……。
「すいません。長谷川さんの部屋を見せてもらってもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
ここが一番不安だったところだったが、案外すんなりと行けた。理由を問われればそこで切るしかない計画だったのだ。
二階へ上がり、長谷川美奈の部屋の前に来た。
「失礼します……」
一言で言うと、女の子っぽい部屋だった。
ピンクを基調にしたカーテンやクッション、ベッドのところには可愛らしいクマのぬいぐるみが置いてある。
とても、佐倉さんを呪った子の部屋とは思えなかった。
その時、僕は机の上に手紙を見つけた。言うまでも無く、僕が今日佐倉さんに渡したものじゃない。
「これは……?」
「美奈が最後に残した手紙なんです。友達の佐倉さんに残した手紙らしいんですけど、渡す機会が無くて……」
「――僕が、渡しておきましょうか?」
「本当ですか? お願いします」
「二人とも、仲良かったんですね」
「ええ、小学校の頃から仲が良かったんです。昔は手紙のやり取りなんかしてて……昔見せてもらった手紙なんかには『玲ちゃん大好きっ!』って書いてあったりもしてましたよ。今回は見てませんけど……」
「……」
そんなに仲が良いのに、どうして親友を呪う事になったのか。理由は想像も付かない。
「じゃあすいません、本日はありがとうございました」
「いいえ。また何か美奈の事が分かったりしたら是非教えてください」
母親は、無理をしているのがよくわかる笑顔を、こちらに向けてきた。僕も軽く会釈をした。
僕は長谷川家を出た。が、厄介だったのは渡すと約束したこの手紙だった。
家に帰ってから、この手紙を開いてみた。
中には一枚だけ、便箋が入っていた。
ほんの気まぐれだった。仮にこの気まぐれな行為が無かったら、僕は彼女に追い討ちをかけるだけだっただろう。
まあ、手紙と呼べるような内容でないだろう。
『私は神藤君が好きだ。幼稚園の頃から小学校の頃も中学校の頃も高校生になってからもずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと好きだ。なのに、なのに、ずっとずっと好きなのに。今更なんなの?あんたはなんなの?「そんなんじゃないって」って思いっきり気になってんじゃない。――ふざけるなっ!神藤君は私がずっと好きだったんだ。神藤君も私のことが好きなんだ。きっとそうだ絶対にそうだ確実にそうだ百パーセントそうだ必然的にそうだ確定的にそうだ。だから私はあんたを絶対に許さない、神藤君は私のものだ。私は神藤くんのものだ。私達は結ばれてるんだ。
邪魔なあんたを呪ってやる。』
読み終わった直後に、吐き気がこみ上げた。
トイレに行って嘔吐した。腹の中にあったものが、多分全て出た。
色んな感情がぐちゃぐちゃにごちゃごちゃに入り混じって。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
寒気しかしない。
気持ち悪い。
「なんなんだよ本っ当に……僕が何したんだ?」
過ぎた厚意は邪魔。
過ぎた好意は悪。
身をもって思い知った。
「……手紙の、偽物作らないと」
こんなものを見せるわけにはいかない。
狂っている。
要は、長谷川美奈は佐倉玲香を好きな人を奪われたくない、という理由で呪ったのだ。
その対象は僕。
げに恐ろしきは女の執念。
百物語より背筋が凍るんじゃないだろうか。
「手紙となるともっと砕けて……女子っぽく書かないといけないのか」
結構な罪悪感。いろんな人の意思を捻じ曲げてるな僕。
……ちょっと恥ずかしいが、書くしかないか。仲が良かった頃の、長谷川美奈になりきって。
という経緯で完成した僕の手紙(長谷川美奈が書いたという設定の手紙)。
渡した直後は、また結構な罪悪感が生じたものだが、それ以上に安心感があった。
そしてあの手紙は陰陽師にお払いをしてもらった上で燃やした。
これで長谷川美奈の、佐倉玲香に対する悪意を伝えるモノは全て無くなったことになる。
しかし……あのマドンナNo.2に僕は好かれてたのか……ストーカー気質じゃなかったら良かったのに。
僕の片思いの人を殺そうとした彼女から、そして逆に殺された彼女から、学ぶべきことは一つだ。
妄想も自意識過剰も程々に。