#6 式神 猛虎。
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気が付いたら僕が居たのは、果ての見えない草原だった。
どこまで行っても青い空、白い雲、黄緑の草原。
そして正面には馬鹿でかい虎が一頭、のしのしと歩いてくる。何メートルあるだろう。
「式神、禍土之虎。君の選んだ式神や。頑張ってそいつを屈服させたら、晴れてそいつは君の式神や」
ふと頭に陰陽師の声が聞こえる。
「蓮本さんですか!? どこなんですかここ!」
「禍土之虎のホームフィールドやな。そこの虎の精神世界みたいなもんやから、倒さへんと脱出とかは百パーセント無理やで?」
「じゃあ頑張るとして――逆に喰われたら?」
「そのまま死亡やな」
「はぁっ!?」
虎が猛突進してくるのをかろうじて転がって避ける。
「どんな無茶苦茶してんだクソ陰陽師!」
「いやいや、ちゃんと武器は用意してあるやんか! それ使うてどうにかしてえや。な? まず懐確認してみいな」
「ん?」
ズボンのポケットを探ってみる。
長方形の紙切れが三枚入っていた。
「この紙切れで戦えと?」
「それ御札や! それと自分の腰にある刀見てみい!」
見ると確かに刀が提げられている。が、ふと正面を見ると虎がそこまで迫っている。
「くそ、仕方ないっ!」
僕は居合い斬りの要領で抜刀して虎を斬る!
もふっ。
刀は毛皮のクッションで完全に止められ、僕は虎に倒された挙句、馬乗りされてしまった。
「あぁ、ちなみにその刀二百年ぐらい手入れされてないから気ぃ付けてな」
「先言え馬鹿陰陽師!」
「ゴァァアアアアァアァァア!」
虎は僕を踏みつけて勝利の雄叫び的なのを叫ぶ。
一方で僕は虎に踏みつけにされている。そして、そのまま体重をかけられる。
「……………っぐ、が、は――」
ヤバイ呼吸止まりそう。くそどうすれば――。
!
御札だ!
僕はお札を出して虎に貼り付けて強く念じる。
吹き飛べ!
直後、音も無く虎に衝撃が襲い掛かり、宙を舞って吹っ飛んでいった。が、奴はぴんぴんしている。
「はっ、はっ、札はあくまで護身用か」
となると刀しか武器がないことになるが……これ本当に刀か!?
僕がとっさに回収したのは、到底刀とは思えない錆の塊だった。突けば折れそうな、薙げば砕けそうな、持っていれば崩れ落ちそうな。そんなボロボロの刀“だった”物だった。
「勝てるかこんなもん!」
「勝てるわ。だってそれ、妖刀やねんで?」
「この錆の塊がかよ!?」
「そうや、刀の状態なんか関係あらへん。力さえ発揮させれば大抵の霊的なモンは斬れるわ」
「そんなもん出来るか! 初心者に何させんだ!」
「逆にそれで勝てんかったら初心者ですらないで。ほんなら精々気張りやー」
それを最後に、電話が切れるような音がしてあっちからの声が途切れる。
「おーいっ! おいっ、蓮本さーん!?」
反応なし。完全に念話は切断されたようだ。
妖刀の力の発動って何をすればいいんだ?
「ゴアアァァァアアァァァアァアァ!」
気づいたら虎がすぐ近くに居る。さっき吹き飛ばしたせいか、だいぶキレかけているようにも見える。
「くそ……うらぁっ!」
硬いものとの堅いものがぶつかった音の直後、僕がヤケクソで振るった錆まみれの刀は、刃先がポッキリ折れていた。
「ゴガアアァァァアァァァァアァッ!」
虎がとうとう勝利宣言。をしているのかもしれない。すると虎は地面を強く強く、踏む。
凄まじい衝撃音とともに隆起する地面。そして、隆起した地面は僕に向かっ――
「うわぁぁあぁっ!」
ボロボロの廃病院(蓮本が影縫鴉を召喚してしまったせいで更にボロボロになってしまったが。)の廊下に、蓮本はたたずんでいた。影縫鴉が病室を壁ごと三部屋ぶち抜いてしまったので、外からは冷たい風がどんどん入ってくる。
「寒っ」
只今別の場所で、神藤功輔は凶暴な虎と戦っているのだが、気にもせずこの男はここに居る。
神藤功輔は陰陽師に化けるか、化けずに死ぬか。
それを見据えて見届けるのが今回課された蓮本の任務だった。
ちなみに影縫鴉は既に紙人形の中に戻っている。更に召喚しようとするなら、更に出血する羽目になるのであまり多用はしたくないだろう。
携帯が鳴っている。蓮本は裾か(すそ)ら携帯を取り出す。陰陽師だって別に文明に疎いわけではない。むしろ情報はあらゆる面で必要になるので、こういった電子機器は欠かせないものとなってきている。
通話ボタンを押す。
「もしもしー、蓮本ですけどー? ……あぁ、支部長はんご無沙汰ですー。……はい、やっぱり集まって来てます。やから多分ここに居るんでしょう……ええ、順調っちゃあ順調ですよ。まぁあの子やったら多分、禍土之虎も従えられる思いますよ。いやいや、そんな余裕ありませんて、ハハハハハ。……ああ、すんません、過程で生徒を一人、呪詛返しで殺してもうたんですけど……はい…はい…分かりました。ほんならすいません、また連絡します。失礼しますー」
蓮本は電話を切る。
彼の目の前には、額に札を貼り付けられて気絶した神藤功輔が横たわっている。
式神との契約は今回一番の不安要素だ。
「……ほんま死なんようにしてや?神藤くん」
独り言は、静かに廃病院の廊下に響いた。
「勝てるわけ無いだろこんなの――」
そう呟く僕の身体には、幾つもの打撲の痕が。
禍土之虎。どうやら式神としての固有能力は地面を操る能力だったらしい。もう何回も地面に“殴られた”。
御札はもう使い切った。
足は酷使しすぎて膝が笑っている。
刀は錆びて折れて使い物にならない。
酸素が足りなくて意識が朦朧とする。
武器も無い。アイデアも無い。何も無い。
向かい合っている正面の虎を退ける手段が無い。
これはおそらく、僕の敗北を意味する。
僕の負け。
……こんなところで死亡ですか。
「どうしようか――」
肉弾戦? 無理、勝てない。武器になりそうな物は? 落ちてない。逃走は? 無理、足限界。
説得?
とうとう頭が回らなくなってきた。“動物”相手に説得なんか出来るわけが無い。
――じゃあ“式神”相手に説得なら?
やってみるか。
「へい、虎さん。ちょっとお待ちになってください。話し合いましょう」
「…………ん?」
やっぱり駄目か?
「――ほう、貴様。この儂に説得を試みるか?だが、今の状況は貴様が圧倒的不利。儂にその説得に応じるメリットは無いわけだが?」
ビンゴ! この虎、人語が理解できるぞ! なら言葉が通じるってことだ!
「ええ、僕の方が不利です」
「ほう?ならばどうするのだ?」
「“屈服”を諦めます。そして、これでは僕と戦う理由が無くなる。そして貴方が戦うメリットも無くなる。別に戦う必要はないでしょう。平和にいきましょう、平和に」
「……クッハハハハハ! 面白い餓鬼だ! よいぞ、言いたいことをどんどん言え!」
「説得に応じてくれるんですね?」
「良かろう。ただし、間違っているのは、儂はメリットも理由も無くとも、貴様をいつでも喰らえる。いつでも殺すことができる。それを忘れるなよ?」
「……分かりました」
これで形勢は五分とは言えなくても、付け入るチャンスぐらいは出来た。
僕と虎は草原に座り込み、面と向き合う。
「しかし、儂に話しかけようとした様な奴は久しぶりだ。なぜその様な事を試みたのだ?」
「だって式神ですよ。動物の姿してても神なんですから、そんなお方が人語を理解してなかったら、ソイツは神なんて呼べません」
そんなこと一切考えてなかったけど。
「態度がでかいな?」
「説得の基本は相手に自分を下に見られないことです」
「クククク……ハッハッハッハッハ! ――面白い! では訊こう。儂を“どうしたい”のだ?」
…………。
「仇討ちを、手伝ってもらいたいんです」
「ほう。誰の仇をだ?」
「――両親の」
「その歳で両親がおらんのか?」
「三年前に喰われました」
「……詳しく訊くぞ?」
「……」
全く。説得に来たのに何でこんな事しなきゃならない?
▼△
三年前、両親二人が脳死して、弟の右足が麻痺した。
一晩のうちにだ。
三人とも、それまでは全くの健康体だった。
母はごく普通の専業主婦で、毎日のように家事にいそしんでいた。
父はとある大手建設メーカーの営業で、毎日のように仕事に精を出していた。
弟はその頃は小学五年生で、少年野球チームでプロ野球のピッチャーを目指して日々練習していた。
僕はその頃は中学三年生で、部活も引退して受験勉強に忙しかった。気がする。
僕達は四人で仲も良く、問題もなく、諍いもなく、幸せに暮らしていた。
そんな家族の父母が前触れもなく脳死し、次男が事故に遭うこともなく右足の機能を失った。その後通院していた病院の医者は、
「こんなことは現代の医学では考えられない」
と洩らしていた。
そりゃあ、現代医学なんかじゃ解明も証明も治療も、出来る訳がなかった。
全ては、一頭の悪霊の仕業だったからだ。
僕は物心がついたときから霊力があった。だから、一部始終を全て見ていた。
そのとき僕達はリビングでテレビを見ていた。
そしたら、いきなり家の壁をすり抜けるようにして化け物が現れた。
けいようできない。あらわしようのない。
ばけものが。
あっという間に両親の霊体の頭部分を。
喰らってしまった。
平らげてしまった。
ぱくっ。
もぐもぐ。
ごくん。
二人の頭を。一口で。二回の咀嚼で。
喰らって、飲み込んでしまった。
そして頭の霊体を喰われた両親は、そのまま崩れ落ちた。
家族の中でも僕以外に霊力はなかった。だから弟は、何が起こったのかがわからない。単に両親が倒れたとしか、分からない。
「……え?父さん、母さん?どうしたの?」
「ユウゥ!早く逃げろぉぉぉぉぉっ!」
叫んでも遅かった。
化け物は、弟の右足を喰らった。
「っ!ぅうあああぁぁぁあああぁぁああぁぁぁアアアァァアァァァァァアァァァァァァアアッッ!」
弟の悲鳴が聞こえた。耳を劈く、痛々しい悲鳴だった。
「ユウッ!」
弟は現実ではなんともない。しかし霊体は大怪我をしている。
この空間はもはや血の無い殺人現場だった。
「ひぃ…痛い……痛い……痛いよ……」
弟の痛々しい声は、今でも忘れられない。
いきなり、化け物がぐりんと首を僕の方に向けた。
「“ごちそうさま”」
ニタリと笑って、化け物はそう言った。
▼△
「といった訳です」
「…………」
虎は沈黙する。そして口を開く。
「おい、貴様。その化け物は赤い体毛に覆われていなかったか?」
「……?ええ、確かにそうですけれど……」
それがどうしたのだろうか。
「――“ミョウオウ”」
呟かれたその名前は。
「それがその化け物の名称だ」
――こいつは、何かを知っている。僕の敵の何かを。
「どうしてそんなこと知っているんですか?」
「そいつが、儂の前の主を喰らった悪霊だからだ」
「何年前の話ですかそれ!?」
「江戸幕府が開かれた頃の時代だな」
「江戸幕府……!」
四百年前からアイツは存在してたのか!
「あれはもう悪霊ですらない。強いて言うなら、あれはあらゆる人の恨み辛み妬みの集合体だ。今は恐らく400年前よりも更に禍々しく、強くなっているだろうな」
ミョウオウ。
この世にある私怨、憎悪、悪意。
負の感情を集めて、固めて、形作って、意志を持たせた。
そんな化け物。
……僕はそんな悪霊に勝てるのか?
「…………」
「――事情が変わった。手伝ってやろう」
「本当ですか!」
「ただし」
虎は落ち着いた声で言う。
「その折れた妖刀で、儂が斬れたらの話だ」
今なんて言った?
「この折れた刀であなたに勝てって? ……出来るわけがないでしょう!」
「出来なければ貴様に儂は使えんよ」
「……!」
無理だ。刀は折れたし、力の使い方は分からないし、ましてやそんな状況でこの虎、禍土之虎に勝てるはずがない。
「どうした? 斬れんなら喰らうぞ?」
「だって!……切れないも何もこの刀で! この僕に! 何が出来るんですか! 出来ませんよ何も!」
僕は悲痛に吠えた。
説得なんて、とうの昔に頭から消えていた。
「……期待外れだな」
虎はすっと立ち上がる。
「何もしない奴は何も出来ん。やれることをやらんのは出来んのと同じだよ」
虎が一気に飛び掛ってきて、僕は虎にされるがままに馬乗りされる。息がつまる。
「じゃあ、死ね」
鋭い牙を光らせて。
大きく口を開けて。
僕に、牙が襲い掛かる。
がぎんっ、という音がした。
僕の頭蓋が噛み砕かれたのかと思ったが、違う。
虎の牙は僕の皮膚にも刺さることなく止まっていた。
ピタリと“止めていた”。
“宙に浮いた錆まみれの折れた刀が”。
「……出来るじゃないか?」
「……? ……!?」
何が、どうなってる?
「……儂の負けだ。喰えん奴に勝つ術など儂は持っておらん」
虎は僕を馬乗りにされた状態から、僕を解放した。
「さぁ、その刀で儂を貫いてみろ」
「いや、でも……!」
「心配するな。儂がその刀で死ぬことは無い」
「…………」
刀がぼんやりと妖しく、青く光る。僕はそれを手にする。
「……じゃあ、僕の勝ちですか」
「ああ、思い切っていけ」
僕は勢いよく刀を突き出す。折れて錆まみれのそれは、易々と、しかし深々と突き刺さった。
虎の周りを、光が被いだす。
「……儂は貴様に屈服した。忘れるなよ、その刀の力を引き出したのは紛れも無い貴様だ。だから、自信を持って奴……ミョウオウに挑め」
「…………」
僕の意識はだんだん遠のいていく。
「今後から宜しく頼むぞ、我が主よ」
目が覚めたら、僕は廃病院のベッドに寝ていた。
「……お? ……おおお! 功ちゃん良かったなあ、帰って来れたやん! お疲れさぶふっ!」
殴ってやった。
「痛った! 帰るや否や即暴力かいな! アカンでなそういうの暴力反対!」
「やかましいわ自己中陰陽師! お前のせいで僕は生命の危機だったんだよ! それに功ちゃんって呼ぶな!」
「いやいや、陰陽師は皆あんな感じで式神を屈服させて手に入れんねんて!」
「全員が全員、あんなひのきのぼうより弱いようなもん振り回して戦ってるわけねえだろうが! 何だよ、あの切れ味ゼロの刀は!」
「何だよって妖刀やけど?」
「開き直んな! ……もうちょっと使える武器をくれりゃ良かったのに」
「でも結果的には勝てたんやろ?」
「それはまあ」
「ほんなら、禍土之虎との契約も済んでるはずや」
蓮本はそう言ってあの紙人形を取り出し、それと袴のポケットからナイフを取り出した。
「ほい、これでちょっと召喚してみいな」
「どうやってですか?」
この陰陽師はいちいち教育の仕方が雑だ。
「まずナイフで自分を切る」
「自傷行為しろってか」
「式神の召喚には血による契約者の証明が必要や。ナイフやなくてもええけど何らかの形で出血は必要やで?」
「……やっぱりナイフか」
仕方なく僕は小指を切る。小指に小さく、鋭い痛みが走った直後、真っ赤な僕の血が流れる。
召喚するたびにこんな事しなきゃいけないのか。
「そしたらその血を紙人形に付けるんや」
僕は小指を先を紙人形の腹の部分に当てる。血が広がり、紙人形の腹が真っ赤になる。
「ほんなら復唱してなー……〝凡てを引き裂く猛虎の牙よ、我が血印にて此処に其の姿を顕現せよっ!〟」
「凡てを引き裂く猛虎の牙よ、我が血印にて此処に其の姿を顕現せよ!」
すると目の前が光り、大きな大きな虎が出現した。言うまでもなく、禍土之虎だ。
「遅かったな主様。……まあ召喚は成功した様で良かった」
「おお、本当に出てきた!」
「ちなみに戻したかったら【帰呪】って言ってな」
「じゃ、マガさんまた」
「まさかそれ儂のあだ名か?」
「帰呪」
マガさんは光の粒となって紙人形に戻っていった。
「ハハハッ、マガさんってなかなかやるな君。おもろいで?仮にも十二支の中で二番目に強い式神をそんな名前で呼ぶかいなフツー」
「でもあだ名でも付けないといちいち禍土之虎とか呼ぶの面倒でしょう」
「ん?なんや自分、キャラブレてきてないか?敬語なったりタメ口なったり」
「ちょっとは言いたい事を心の中に留めろよ」
遠慮無しだな本当。
「別に余計な事言わなかったら敬語のままでいますよ」
「お……ほんなら気ぃ付けるわ」
すると突然、窓から強烈な光が差し込み、僕の目を眩ませる。何が起こったのかと一瞬身構えたが、なんてことは無い。
ただの朝日だった。
「夜明けてんじゃないですか!?」
「いや、君帰って来んのえらい遅かったからなー」
「早く家帰らないと!」
「ほんならお疲れさーん、寝坊するなよー」
「後で覚えとけよお前!」
僕は猛ダッシュで家へと帰った。