#3 呪われた少女と戯れる陰陽師
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転機が訪れたのは翌朝だった。
それは間違いなく僕の日常を狂わせた。
まあ、もともと日常と呼べるほど平凡なものでもなかったのかもしれない。
でも、その日を境に僕の生活は明確に変わった。
僕は結局あの後、寝ることなく朝食を食べ、鞄を持って学校へ来たのだった。
学校へ着いた時間は午前六時。少々早すぎた。
僕は職員室前にぶら下がっている三年F組の鍵を取りに向かったが、無かった。
へー、早い奴もいるもんだな……。とか思いながら僕は教室へ向かった。扉を開ける。
「っ!?おっ、おっはよう!」
ぎこちなく挨拶をしてきたのは佐倉さんだった。
「……っおはよう」
全然冷静になれてない。あ、今、顔つりかけたよ。
全身から緊張感がにじみ出るのを感じながら、僕は席に着いた。……緊張感?
淡々と鞄の中身を移し、朝の授業の用意をして。
沈黙した。
……どうしよう。
あー、絶対ぎこちないって思われた……。
私はテンパっていた。
こんな心臓に悪いドッキリは受けたことが無かった。この次にびっくりしたのは、小五の誕生日のときの、帰宅直後の顔面パイだった。
今日の朝、珍しく目覚ましより早く目が覚めてしまい、特にすることも無かったので学校へ来たら。
ハッピーだけどアンラッキーなサプライズが待っていた。
神藤くんの行動がさっきから気になる。すると、顔が火照るのを感じて、思わず顔を伏せる。
美奈ちゃんがあんなこと言うから!
まだ六時七分。多分三人目以降の人が教室に来るのは、六時半を回ってからだろう。
あと二十三分以上も!耐えられる気がしない。
……――。
私は意を決して神藤くんの方を向いてみた。目があったならその時はその時――
本を読んでいた。
私は顔をまた伏せた。
本なんか読まれちゃったら話しかけられる気なんてしない。
――どうしよう。
私が次の行動を考えていたら。
突然。息が苦しくなって。
息をしようともがいてあがいて。
気づけば酸素が足りなくて。
目の前が真っ暗になった。
意識が無くなる直前に、神藤くんの声が聞こえた。
気がした。
異変が起きたのは僕が教室に来て、まだ五分も経っていないときだった。
僕がどうにか話しかける手段を模索していると、佐倉さんがいきなり苦しそうに息をしだしたのだ。
呼吸困難?心臓麻痺?
佐倉さんは心臓や肺が弱い、なんて話は聞いたこともなかった。
「佐倉さんっ!」
駆け寄った頃には、既に彼女の意識は無くなっていた。喉には、息が出来なくて苦しそうに掻き毟った痕があったが。
それ以上に目立っていた、喉の側面にある黒い渦のような紋様。
佐倉さん、刺青なんて入れていたのか?いや、昨日話したときにこんなものは無かった。
じゃあ、コレは一体……?
「あーあーあーあー。もう、なんでいつの間にかこないな面倒になっとんねん」
!?
後ろに誰かいた。
そこにいたのは黒っぽい感じの袴に紺色の甚平を羽織った猫みたいな印象の男。
教室から入ってくるところは見ていない。一体どこから……。
と思ったら窓が開いている。
……嘘だろ?ここ四階だぞ?
「おいおい、コレは君が撒いた種やで。はようせなこの子、死んでまうでな?」
「っ!?」
今この人、死ぬっつったか?
しかも僕のせいだって?
「見てみ?この喉んとこの黒い渦の紋様。これは、【呪い】や。しかも結構なもんやな。この子よっぽど怨まれとったんか、無茶苦茶ごっつい呪いやわ。これは厄介やで?心肺停止までおおよそ三十秒ってところやな」
「っ!?お願いします、助けてください!この子は絶対に死なせたくない!」
間髪いれずに僕は頼み込んだ。
「……ずいぶんと全力やな。もしかしてこの子のこと好きなんか?え?」猫男はヘラヘラと笑みを浮かべる。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」
「はいはい……ほんならちょお待ってな」
すると、猫男は袖から人の形をした紙のようなものを取り出した。そして取り出したそれを、黒い渦の紋様に当てる。
そして、言葉を放つ。
「悪は呪、呪は黒。禍禍しき呪詛の紋、是を呪の身代として一切の呪詛をこの身に宿せ」
突然、黒い渦の紋様は紙人形に移った。
「黒は呪、呪は悪。禍禍しき呪詛の紋、是を呪の祖の身心として一切の呪詛をその身に宿せ」
紙人形は燃え尽き、塵となって散っていく。
断末魔が聞こえた。ような気がした。
「ふう、お疲れさん。もう大丈夫やでー」
「……」
「何やえらい大人しゅうなったなぁ?ま、意中の子が助かって一安心やもんなぁ」
「……呪いはどうなったんですか?」
「んー、まあ少なくともその子はもう大丈夫やで。そのことに関しては心配要らんわ」
「あなたは誰なんですか?」
「ん……――まあ大したもんとちゃうわ。通りすがりの陰陽師っちゅーとこやな」
そんな会話の直後、佐倉さんが目を覚ました。
「……神――藤くん?」
「良かった、目が覚めたんだね!」
「おー、良かった良かった。ちゃんと呪詛返しは成功したみたいやな」
「……?」
窓枠に腰掛け、陰陽師は言う。
「僕は蓮基廉平や。というわけで神藤功輔くん。ほんならまたよろしゅうな」
そう言って、陰陽師は仰向けに窓から落ちていった。
四階の窓から、躊躇いも無く。
死んだかあの人?
直後、何かがプツンと切れたように教室に生徒がなだれ込んできた。
「お前らー!早く席につけー!!」
そのまま皆、着席していく。
「あ、戻らないと……佐倉さん、身体は大丈夫?」
「うん」
「じゃ、気分悪くなったら保健室に行ってね」と言って僕も着席する。全員が着席し終わって、担任の方を向く。
「……朝からだが、残念な報せがある」
いつになく真面目な顔の担任に、クラスがざわつく。
「長谷川美奈が、ついさっき亡くなった」
長谷川美奈。
昨日まで佐倉玲香の親友だった女子。
昨日から佐倉玲香の親友“じゃなくなった”女子。
陰陽師が言っていた。
『おー、良かった良かった。ちゃんと“呪詛返し”は成功したみたいやな』
――呪いを返した?
誰に?
ざわめきが止まった。
ホームルームが終わった後、すぐに担任にこっそりと聞いてみた。
クラスはまだ、突然の同級生の死で騒いでいる。
佐倉さんの受けたショックは言うまでも無い。
でも僕が気になっているのはそこじゃない。
「先生、長谷川さんが死んだときに、身体のどこかに黒い渦みたいな刺青ってありませんでしたか?」
「何で知ってるんだ?」
「大丈夫です、誰にも言いません」
「――ああ、そうだ。死因の心不全、肺機能の停止に関係はおそらく無いだろうが、昨日までは無かった黒い渦状の紋様の刺青が確認されたらしい」
「……そうですか」
「誰にも言うなよ?」
「誰にも言いません」
そう言って僕は教卓を離れた。
……やっぱりそうだ。恐らくは。
長谷川美奈は“佐倉玲香の呪い”を受けて死んだ。
多分、佐倉玲香への“呪詛”を返されて。