ある悪魔の恋
ある悪魔の恋
俺の手には、いつもフルートが握られてる。
だから呼び名は『笛吹き』
なんでいつもフルートを持ってんだ?その穴から産まれたのか?それともそっちが本体なのか?
百万回は言われただろうな。
だから俺は、おんなじ数だけ答える。
『そうかもな。判ってスッキリしたか?じゃ、死ね』
ともかく、産まれた時から俺はこのフルートと共にあった。本当にこれから産まれたのかも知れない。
このフルートを吹き、人間から欲望を吸い取って糧に生きる。
俺みたいな存在を『悪魔』って呼ぶらしい。
悪魔のフルートでは、他にもいろんな事ができる。
生き物を操り自在に動かして遊ぶとか。
ほら、童話にもなっちまったアレだよ。ネズミでも人間でも自由自在だ。
俺は喋るのが好き。知り合いの悪魔とか通りすがりの人間とか、相手は誰でもいい。
退屈がキライなんだ。
なにしろ悪魔の生命力はハンパない。
たまに勇者とか名乗るヤツに殺されても、時間がたてば元通り。完全に消えるには、心から満足するしかないらしい。
けどな、そりゃ難しい話だ。
誰になんの為に作られたかも判らず産まれ、種の存続という最も原始的な目的すら持たず、死んでも死んでも強制的に生き返る。
こんな虚しい生き方で、どうやって満足しろ?
だから俺は、せめて退屈しのぎに喋って笑う。
時の檻の中で、せいぜい陽気な囚人になってやる。
ある晴れた日、俺は木陰で昼寝をしていた。
小高い丘の上には、他にも何本か木が生えていたが、その木を選んだのは、たまたまだ。
広がった枝葉が、ちょうどいい木陰を作ってた。地面に盛りだした根が、枕に具合良かった。……それくらいだ。
昼寝から覚めて、暇だったからペラペラ一人ごとを喋った。
周りには誰もいなかったし、いたってどうせ、こんなくだらない暇つぶしトークに意味もない……はずだった。
けど、不意に俺は、枕替わりにしてた木が、熱心に俺の話を聴いてる事に気がついた。
動物ならまだしも、植物と意思の疎通は、さすがに難しい。
時折、感心したように頷くのが、なんとかわかるくらいだ。
変な木だ。
それくらいにしか思わなかった。
それから俺は、丘を後にした。
そして何年も経ってから、ほんの気まぐれであの丘へ行ってみた。
木は変わらずそこに立っていて、やっぱり昼寝にちょうど良く、俺の独り言を熱心に聴いた。
それから、何度も木を訪れた。
世界中の出来事を語り、歌を唄い、フルートを吹いた。
もちろん、一声だって返っちゃこない。
何百年も経った。
木はずっと、そこに立っていた。
旨い果実も実らず、申し訳程度の白い小さな花は、たいしてイイ香りもしない。でかいだけの身体でがっしり根を張り、静かに無言で立っている。
いつからか、その根に頭を乗せ、目を閉じて横たわってると、女に膝枕されて寝ているような気分にさえなってきた。
もちろん、木は木だし、たとえコイツが人間の女だとしても、美女からはほど遠いだろう。
どうかしてる……。
てめぇに呆れながらも、お気に入りの娼婦に入れ込む男みたいに、俺は木を訪れ続けた。
そして……
久しぶりに、「悪魔退治」され、俺はバラバラに吹っ飛ばされて、長い時間の末にやっと再生した。
まだやっと動けるくらいだったが、一目散にあの丘へ向かった。
随分長い間、行かなかったけど、きっと変わらない光景が俺を待ってる。
勇者とのスリリングで滑稽な死闘を話してやろう。それから、また俺はあいつの「膝」で昼寝をして……
それ……から……
丘の周辺は、戦火に包まれていた。
俺が眠っていた間に、のどかだったこの国は、戦争をおっぱじめていたらしい。
軍隊のラッパが鳴り響き、兵士達が殺しあい、そこかしこの村を焼きはらう。
丘は、まだなんとか無事だった。
だけど敗残兵達は、あろうことか「俺の木」の待つ丘へ向かっている。
俺はフルートを吹いた。
魔性の音色は、兵士達をフラフラと別方向へ誘う。
ふざっけんな!お前らの勝手な争いに、俺の楽園を巻き込むんじゃねぇよ!!
あらんかぎりの力で、フルートを吹き続けた。
けど……復活したての魔力はか細くて、何万という血に飢えたバカどもは、後から後から沸いて来る。
吹くのを諦め、俺は丘へと急いだ。
木は、やっぱりそこに立っていた。
逃げる事も、悲鳴を上げる事もできず、迫り来る灼熱の戦火を、ただじっと見下ろしている。
「――よぉ」
天まで届きそうなほど大きく成長した木に、話しかけた。
「ここももうじき戦火で焼ける。お前も死ぬぜ」
木はわずかに枝を震わせ、理解していると、意図をしめした。
「……なぁ、お前は新しい身体がほしいか?」
フルートを握る俺の手は、じっとり汗ばみ、バカみたいに震えてた。
「歩ける足と、喋れる口。空を飛べる羽根だって、つけてやってもいい。世界中のどこにだって行ける」
残り少ない魔力を全部使えば、コイツの姿を他の生物に変えて、安全な場所に逃がすくらい、なんとか出来る。
「タダ働きなんか、死んだってしねぇのが悪魔なのによぉ。失格だなぁ。でもまぁ、からきしタダってわけでもねーか。お前の膝で、ずいぶん居眠りさせてもらったから、そのささやかなお返しってヤツだ。なぁ、そんでどーすんだ?早く言えよ」
熱がさらに迫ってくる。
俺の大好きな緑の髪がしおれはじめた……。
「俺はな……お前と過ごした時間が、まぁ、そんなに嫌いじゃなかった。つーか、気に入ってるほうに入れてやってもいい」
力を使い果たした俺は、また何十年か眠りにつくだろう。
そしてまた生き返る。
その頃には、もう新たな姿になったコイツは、きっと生きていない。
けど、コイツは自分で世界を眺め、自分の口で喋って、俺じゃない他の誰かと笑いあうだろう。
この丘でこのまま死ぬより、何倍もマシなはずだ。
「だから……お前は頷くだろ?なぁ?」
かすれたみっともない、俺の声……
どんなに残酷な話だって、いつも陽気に話してたクセに……
木が、ゆっくりと身体を横にゆすった。
(いいえ)
【 その新しい体と引き換えに、アナタを休ませる膝を、わたしは失ってしまう。
それなら、アナタと出会って過ごしたこの地で、アナタに愛されたこの身体を持ったまま終わりたい 】
言葉でなく、音すら発しなかったその『声』は、俺の体中に染み渡った。
「――――――そっか」
俺は、深い深いため息をついた。
信じられないほど深い……安堵のため息を。
気が遠くなるくらい長い人生の中、初めて感じる不思議な感覚が、俺の心に浸透して、満ち溢れる。
フルートを唇にあて、息を吹き込む。
俺の奏でる最後の音色が、木を包んでいく。
一つ……また一つ……地味で人目もひかないし良い香りもしないけど、俺の一番好きな花が、緑の髪を彩る。
満開の白い花を咲かせた、「俺の愛しい女」を、抱きしめた。
「ありがとう」
千年よりも長く生き、星の言数より多い言葉を話したけれど、今言いたいのは、このたった一言。
もう何もいらないくらい、満たされてた。
どんな剣よりも魔法よりも鋭い何かが、俺の心臓を突き刺し、命を奪っていく。
きっと……俺は、もう二度と目覚める事はないだろう……
ありがとう。俺の申し出を断ってくれて。
最後まで俺は、お前を失わないで済んだ。
もう一度喋れたら、そう伝えたかったけれど、それは無理だった。
誰になんの為に作られたかも判らず産まれ、種の存続という最も原始的な目的すら持たず生き続けた俺は、長すぎた一生を、ようやく終える。
最愛の「女」と、ここで終える。