5話 新しい名
喜三郎の異世界での容姿の設定を、彼の若かった頃の姿へと変更しました。
短く刈った黒髪に、切れ長の黒い瞳を持つ青年は茫然と巨木の立ち並ぶ森の中に佇んでいた。青年は黒い衣服を身に纏い、腰には黒鞘の日本刀を下げているのだが、それ以外に荷物らしい荷物は持ち合わせていないようだ。
なぜ青年がロクな荷物も持たずに、このような森にいるのかと言うと、答えは実に単純だ。青年は自分の意思でこの森に入った訳ではないのだ。女王アリアとの会談の最後に強い光に包まれたと思った喜三郎は、気付けば自身の若かりし頃の姿で森の中に佇んでいた、という訳である。困惑した表情で周囲を見渡す喜三郎、するとすぐ近くに白い着物を着た少女が倒れていた。
「はあ……。 儂の受け持つ現世に送るにしてもこう、何というか前振りとかないものなのかのう、それに何故に花瑠璃さんまで一緒なのかの?」
喜三郎は目の前に倒れている花瑠璃に視線を向けたまま、深い溜息を吐くと、そう呟いた。
「う、ううん……⁉」
意識を失った状態で倒れていた花瑠璃は、小さく呻くと目をゆっくりと開き、周囲を観察し――――
――――絶叫した。
「ええぇえええっ!? なんで私が森の中へいるんですかっ!! ハッ!? 女王様、女王様は何処に!?」
突然気付けば森の中へと降り立っていた花瑠璃は、驚きのあまり女王の名を繰り返し叫んでいる。その様子を傍から見ていた喜三郎も、気づいたら森の中だった為に花瑠璃に掛ける言葉が見つからない様子である。
「ううう、ヒックッ……ッ女王様ぁ……」
ついに泣き出してしまった花瑠璃、女王の宮殿での様子から、花瑠璃が女王を深く心酔している事は見て取れた事もあり、いきなり女王に森の中に放り出された彼女に対し、喜三郎は困った表情で、さてどうしたものかと思案するのであった。
「とりあえず、アリア殿に連絡を取ることは出来ないのかの?」
青年は現在、泣きじゃくっている少女、花瑠璃に出来るだけ優しく声を掛ける。
「貴方は誰ですかっ!? 私をどうするつもりなんですかっ!? なんで女王の名前を知ってるんですかっ!?」
警戒心や敵意を隠そうともせずに、花瑠璃は青年へと喚く。
そんな花瑠璃の対応に、困った様子の青年。
「………(お主、なかなか面倒くさい女子じゃのう)」
青年は聞こえないほどの小さな声で呟いたのだが、花瑠璃には聞こえたらしく、更に怒気を孕んだ表情で青年を見上げていた。
「儂じゃ、喜三郎じゃ、お主と共に女王と話をしておったジジィじゃよ」
若い頃の姿になっている喜三郎が花瑠璃に自分は喜三郎であると告げる。花瑠璃は彼の言葉を受けて暫し思考を巡らせる。
「えええっ! 喜三郎様!? 喜三郎様がどうして森の中に!? なんで若いんですか!?」
先ほど喜三郎と名乗った青年は、驚いた表情をしている花瑠璃。そんな様子を見て更に面倒くさそうな表情で、先程までの女王との会談の様子を告げた。
「……お主、ひょっとして、聞いておらなんだのか?」
「……………」
沈黙で返事をする花瑠璃。喜三郎は花瑠璃に少し呆れた笑いを漏らすと話を続ける。
「ハア、図星じゃったか……。
しかし、何故女王は、儂だけではなく、お主まで現世に送ったのかの?」
ややバツが悪そうに花瑠璃は、周囲を見渡すと小さな声で返事をした。
「それは、おそらくこの場所は……、私が神の末席に加わる前に過ごしていた世界だからです」
沈んだ表情で、返事で答える花瑠璃に、喜三郎は納得した様子である。
「なるほど、お主が儂の『守護の神』としての案内人と言う事か……」
嫌そうに頷く花瑠璃、彼女は女王の意思は汲めても納得はしていないのだろう。その時、花瑠璃の懐から美しい声が聞こえてきた。
『ご理解が早くて助かります、喜三郎様。
それと花瑠璃、あまり喜三郎様を困らせてはいけませんよ』
花瑠璃は、急いで懐を探ると、そこには手の平程の大きさの手鏡があり花瑠璃は、その手鏡を大事そうに懐から取り出した。
声の主はこの手鏡であるらしい事を悟った喜三郎と花瑠璃は、声の主に問いかける。
「ふむ、アリア殿、せめてこう……、もう少し前振りとか合っても良かったんじゃないかのう…
流石にわしでも混乱するんじゃが……?
あと、先程の理解が早くて助かると言うのは、花瑠璃さんが、儂の案内人と言う事でええのかの? ちと見ていて可愛そうなのじゃが?」
「女王様ひどいですっ! せめて何かしらの説明があっても良いじゃないですか!!」
『ええ、花瑠璃がそちらの世界を案内してくれますよ。あと突然の転送に関してはは申し訳ありませんでした、少しタイミングが狂ってしまったようで……
それと花瑠璃、貴方、事前に説明したら断っていたでしょう? 喜三郎様に、案内人が必要だったのよ。大丈夫、喜三郎様がその世界にある程度慣れたら帰ってきてもいいから』
「本当ですか!! 約束ですよ女王様!!」
女王の言葉に、希望を見出したのか、花瑠璃は明るい笑顔で答えていた。
結構ひどい事されとるのに単純な娘じゃのう、と喜三郎は呆気にとられながら花瑠璃に視線を向ける。
『それと、最後になりますが喜三郎様、そちらの現世での『名前』を授けさせて頂きます。
名は、世界と魂を定着させるのに必要で、お受けにならなかった場合、2週間程で魂と世界の縁が途切れて、繋がりが絶たれてしまう事になりますので、お受けになって下さいね』
「うむ、せっかく新しい命を授かったのじゃ、新たな名前をつけてくれると言うなら歓迎するぞい」
『それでは、汝に死後の世界の女王アリアが、新たなる旅立ちを祝して名を授けます。
汝の名は 「シグルス」
シグルスの進む道に常に幸福が舞い降りるよう、祈りを捧げます』
シグルスと呼ばれた青年は声の主に対し、新たな名前を受け入れると女王に感謝の意を述べた。
「うむ、新たな名を感謝する。
この名に恥じぬよう、アリア殿から賜った使命を必ずや達成してみせましょうぞ」
「あのぅ、女王様、私は?」
とやや不満げに恐る恐る聞く花瑠璃。
『あら貴女、その世界での名前あるじゃない』
花瑠璃の意見は軽く一蹴され、花瑠璃は複雑な表情をしている。
『ではね、花瑠璃。いえもう「ルミア」と呼んだ方が良いかしら?
では、もうあまり通信できる時間が残ってないので、そろそろ失礼します。
これから暫くは連絡を取る手段がないので、二人で協力して頑張って下さいね』
先程まで女王の声がしていた鏡は割れてしまい、ルミアと呼ばれた少女は、何とも言えない複雑な顔をしており、その一方で、シグルスと呼ばれた青年はこれから始まるであろう冒険と、愛する婆さん探しの旅に胸を膨らませていたのであった。