2話 死後の世界の船とじじいの嗚咽
喜三郎は先程、花瑠璃に案内されて乗り込んだ船に揺られながら辺りを漂う他の船に視線を向けていた。
「のう花瑠璃さん、あれらの船は何処に行くのかのう?」
喜三郎が乗っている花瑠璃の船は白く大きな船であり、その外装、内装は共に見事なものである。それに対し、喜三郎が視線を向けている船は真っ黒な小さな船である。疑問に思った喜三郎は花瑠璃に尋ねていた。
「あちらの黒い船は、喜三郎様のいた世界で言う所の地獄へと向かう船になります」
花瑠璃は穏やかな笑みを浮かべたまま、そう告げると説明を続けた。
「死者は生前の行いによって行き先が変わるのですが、船の色はそういった行き先によって分けられています。『黒』は現世での魂の穢れを祓う為に地獄へ、『青』は魂の修練の為に現世へ転生をし、『白』は魂の修練を終えたものが天の国へ昇る為の船になるのです」
花瑠璃の説明に対し、少し腑に落ちなさそうな表情をした喜三郎が、彼女に質問を投げかける。
「ならばこの白い船に乗っている儂は天国へと向かっておるのかの? ちと、いや、かなり意外じゃのう。儂の向かう先に婆さんが居れば良いのじゃが…」
「いえ、この船は確かに白いんですが、他の白い天の国行きの船とは別物なんですよ。この船には金の薔薇の模様があるでしょう? これは我が主の宮殿へと向かう専用の船であることを示す証なのですよ」
「ふむ、なるほどのう。しかし、まあ、婆さん探しはまだまだ先の事になりそうだのう…」
溜息を吐き、残念そうに呟く喜三郎。しかし彼はどこか幸せそうにも見えた。何故ならば、現世で婆さんと死に別れる事となって20余年、彼は片時足りとも婆さんへの愛を忘れた事がなかった。その婆さんともう少し時間が掛かるとは言え、また再び逢うことが出来るかも知れないのだ、嬉しくない筈がない。今まで20年以上待ってきたのだ、今更それが少し先延ばしになった所で大差はない。
花瑠璃はそんな喜三郎の様子に表情を曇らせていたのだが、何かを決心したかのように喜三郎に語りかける。
「あの…、誠に申し上げにくいのですが、喜三郎様の奥様は…その…既に転生されて…いるんです」
喜三郎は彼女が何を言っているのか暫く理解出来ず、ただただ絶句していた。ようやく花瑠璃の言葉の意味が呑み込めると彼は項垂れ、絞り出すように声を漏らした。
「なん…じゃと、では婆さんには会えんのか………ッ!?」
花瑠璃がさらに言葉を続けようとした瞬間、喜三郎は周囲にあった青い船に向かって跳躍し―――、ようとして花瑠璃に羽交い絞めにされた。
「ええいっ! 離せっ! 離さぬかぁ!! わしは婆さんの所に行くのじゃあァ!!」
「駄目ですっ! あの船へ乗ったからって、奥様の所へ行けると限ったわけではありませんし、それに、それに奥様は、すでに転生先で結婚されてます!!」
花瑠璃から再び告げられた衝撃の事実に絶句する喜三郎、彼のこれまでの人生で最も衝撃的な言葉だったようだ。
「そんな…婆さん…生まれ変わっても一緒になろうと近いあった仲じゃったのに…」
年甲斐もなく涙を流して、声にならない声を出しながら嗚咽する喜三郎。
そんな彼を余所に、船は目的地に近づきつつあった。彼の嗚咽は静かな河の風に運ばれてどこまでも、どこまでも運ばれてゆくのだった。
花瑠璃はそんな彼の様子を見て、この人は本当に「最後の武士」などと呼ばれていた人物なのだろうかと徐々に不安になっていくのだった。