報われなかった努力は、転生先でカタルシスになった
俺の人生は、努力で出来ていた。
早起き。
残業。
誰もやりたがらない仕事の肩代わり。
評価されることは、ほとんど無かった。
「助かるよ」 「君がいてくれて良かった」
そう言われるたびに、
次はきっと報われると信じた。
だが昇進は別の人間がする。
ボーナスは横並び。
責任だけが増えていく。
それでも、俺はやめなかった。
努力しなかった自分を、
一番嫌っていたからだ。
その日も、残業だった。
終電。
立ったままの車内。
ふと、思った。
(……これ、いつ終わるんだろうな)
その瞬間、
胸が締め付けられ、視界が暗くなった。
倒れる暇もなかった。
気がつくと、白い空間に立っていた。
「……ああ、死んだのか」
妙に冷静だった。
目の前に、女神が現れる。
白い服。
事務的な表情。
「お疲れさまでした」
「……お疲れ、って」
「あなたの人生は、ここで終了です」
ウィンドウが開いた。
【人生評価:未精算】
「未精算?」
「はい」
女神は淡々と続ける。
「あなたは多くの努力をしましたが、
結果として十分な報酬を受け取っていません」
「……でしょうね」
納得しかなかった。
「本来であれば、努力と成果はある程度相殺されます」
「俺の場合は?」
「努力だけが蓄積されました」
再び、ウィンドウ。
【努力ポイント:3,120,455(未使用)】
「……多くない?」
「多いですね」
女神は即答した。
「かなり」
俺は少し考えて、正直に聞いた。
「で、これは?」
「転生後の人生で使用できます」
「能力とか?」
「運、才能、環境、あらゆる方向性に振り分け可能です」
選択肢がずらりと並ぶ。
恋愛。
金運。
才能。
成功。
それを見た瞬間、
胸の奥に、奇妙な感情が湧いた。
「……どれも、違うな」
「はい?」
女神が首を傾げる。
「俺の人生、足りなかったのは」
言葉を探す。
「結果じゃない」
「?」
「報われたって実感です」
女神は黙った。
俺は続ける。
「努力した。
でも、スッキリしたことが一度もなかった」
「……」
「だから」
息を吸う。
「やはり俺の人生には、カタルシスが無かったので」
女神を見る。
「残りポイントは、
そういった感じに全部振ってください」
沈黙。
女神が端末を操作する。
「カタルシス……」
「無いですよね」
「はい。正式な項目には存在しません」
「ですよね」
社会にも無かった。
だが女神は、少し考えてから言った。
「……概念的には調整可能です」
「お願いします」
ウィンドウが切り替わる。
【新規項目生成中……】
カタルシス
現在値:0
女神が、静かに確認する。
「すべて、こちらに?」
「はい」
迷いはなかった。
「……承知しました」
カタルシス
+3,120,455
決定音が鳴る。
女神は、少しだけ不安そうな顔をした。
「……これは、かなり極端な設定になりますが」
「今さらですよ」
俺は笑った。
「どうせ、極端な人生だったんで」
視界が白くなる。
転生が始まる。
その時、女神が小さく呟いた。
「……ちゃんと、報われるといいですね」
――目を覚ますと、おっさんのままだった。
「…………」
沈黙。
次に来たのは、強烈な違和感だった。
視界が低い。
身体が重い。
関節がきしむ。
嫌な予感がして、手を見る。
しわ。
血管。
見慣れすぎた中年の手。
「……は?」
慌てて顔を触る。
ざらつく頬。
渋い顎。
髭の感触。
「いやいやいやいや」
状況を整理する。
俺は死んだ。
女神に会った。
転生すると言われた。
そして今――
「おっさんのままじゃねえか!!」
声が草原に響いた。
「転生って言ってたよな!?
若返るとか! やり直すとか!
そういうニュアンスあったよな!?」
腰に手を当てると、ずしりと重い。
「辛い……」
率直な感想だった。
異世界云々の前に、
この身体で生きるのは、正直きつい。
その瞬間だった。
視界が白く弾けた。
体の内側から、パキパキと音が鳴る。
「――うおっ!?」
背骨が伸びる。
筋肉が締まる。
視点が、ぐっと高くなる。
全身に走る、意味不明な快感。
思わず息を呑んだ。
足元に落ちていた水たまりを覗く。
映っていたのは――
二十代前半の青年だった。
「……若返ってる」
髪がある。
肌が張っている。
腰が軽い。
そのタイミングで、
目の前に半透明のウィンドウが浮かんだ。
【カタルシスを感じましたか?】
「……うん?」
カタルシス。
達成感。
報われた感覚。
「いや……まあ……」
正直に言うと、
ちょっと嬉しい。
「……感じた、かも?」
次の瞬間。
【肯定を確認】
【カタルシス!】
「軽いな!?」
思わずツッコんだ。
「今の、そんなノリで発動するやつか?」
返事は無い。
どうやら、
このウィンドウは会話相手ではないらしい。
「まあいいや……」
気を取り直す。
異世界で目覚めたら、
まずやることは決まっている。
「とりあえず……ステータスオープン!」
ウィンドウが切り替わる。
レベル:1
HP:10
MP:10
攻撃力:5
防御力:5
知力:5
体力:5
「……平凡っぽいな」
突出した能力は無い。
だが、最低限生きていけそうだ。
少しだけ、安心した。
その瞬間。
数値が、ガガガッと書き換わった。
レベル:1
HP:12000
MP:8000
攻撃力:6500
防御力:5000
知力:3700
体力:5500
「…………は?」
言葉が出なかった。
もう一度見る。
何度見ても、
数字が狂っている。
「ちょっと待て」
俺、今なにした?
ウィンドウが、さも当然のように表示される。
【辛い状態が、報われました 】
【カタルシス!】
「いや、辛いって言っただけだぞ!?」
長年の抑圧を検知。
解放処理を実行しました。
「解放の方向性がおかしい!」
試しに、近くの岩に触れてみる。
軽く叩く。
――岩が砕けた。
「えっ」
【想定外の成果を確認】
【カタルシス!】
「今のも!?」
歩く。
【転倒しませんでした】
【カタルシス!】
深呼吸する。
【呼吸が安定しました】
【カタルシス!】
「待て待て待て待て!」
ようやく理解した。
こいつ――
カタルシスを完全に勘違いしている。
俺の人生で不足していた
「報われた感覚」を、
日常のあらゆる出来事に過剰適用している。
たちの悪いドッキリだ。
しかも、解除方法が見当たらない。
「……まあ」
空を見上げる。
青い。
風が気持ちいい。
胸の奥が、妙に満たされている。
「……悪くは、ないか」
【受け入れを確認】
【カタルシス!】
「だから黙れって!」
こうして俺は、
何をしても満たされる仕様で、
異世界を生きることになった。
女神。
あんた、絶対どこかでミスってる。
とりあえず、街を目指すことにした。
異世界に来た以上、
文明と情報とベッドが必要だ。
しばらく歩くと、城壁が見えてきた。
「お、街だ」
門もある。
門番もいる。
いかにも「最初のイベント」だ。
門番が槍を持って立ちはだかる。
「止まれ!」
来た。
「身元の不明な者を、街に入れることは出来ない!」
テンプレである。
「そ、そんな……!」
俺は一歩下がり、絶望したフリをした。
その瞬間。
――というのは嘘だ。
「はいはい、新人さんね」
門番が笑顔になる。
「今は人手不足なんだ。どうぞどうぞ」
あっさり門が開いた。
【想定された困難が回避されました】
【カタルシス!】
「今の、カタルシス要素どこだよ!」
まだ何もしていない。
街に入れただけだ。
だが、胸の奥がほんのり満たされている。
「……くそ」
認めたくないが、
微妙に気持ちいい。
次は冒険者ギルドだ。
酒場併設。
人で賑わっている。
「いかにも、って感じだな」
受付に並ぶ。
若いギルド嬢が、にこやかに言った。
「こちらの水晶に、手を当ててください」
「はいはい」
言われるまま、水晶に触れる。
――光らない。
沈黙。
周囲の冒険者が、ちらっとこちらを見る。
ギルド嬢が、気まずそうに視線を逸らした。
「……これは」
少し言いにくそうに、続ける。
「戦闘に対する才能が無い……
いわゆる、そういうパターンですね」
「ですよねー」
妙に納得してしまった。
前世の俺も、
だいたいそういう扱いだった。
だが、その直後。
水晶が、爆発的に輝いた。
「――っ!?」
眩しすぎて、思わず目を閉じる。
ギルド内が騒然とする。
「なっ……!?」
「光りすぎだろ!?」
【一度下げてから、上げました】
【カタルシス!】
「やり口が最低なんだよ!!」
ギルド嬢が、慌てて水晶を確認する。
「え、えっと……」
顔が引きつっている。
「Sランク……判定です……」
「軽すぎるだろ!」
周囲がざわつく。
「新人でS……?」 「また変なの来たな……」
俺は頭を抱えた。
「……だから言っただろ」
こんなの、
カタルシスでも何でもない。
ただの悪質なドッキリだ。
そう思った、その時。
【社会的評価が急上昇しました】
【カタルシス!】
「評価とかいらねえ!」
ついに我慢の限界だった。
俺は天井を見上げて叫ぶ。
「もういいよ!!」
ギルド内が静まり返る。
「この展開に、カタルシスなんて無いだろ!!」
一瞬の沈黙。
そして――
ウィンドウが、静かに表示された。
【ご要望を確認】
【システムを消失します】
「え?」
「いやいやいやいや!」
慌てて叫ぶ。
「極端すぎるだろ!」
【システム:停止処理中……】
ウィンドウが、薄くなっていく。
俺は焦った。
「ちょ、ちょっと待て!」
「少しはサポートしろよ!」
一拍。
最後に、ウィンドウが表示される。
【カタルシスは消えませんでした】
【カタルシス!】
「消えろォ!!」
だが――
胸の奥は、相変わらず満たされていた。
悔しい。
腹立たしい。
なのに、スッキリしている。
「……こいつ……」
その時、外が急に騒がしくなった。
遠くで鐘が鳴り、怒号が飛び交う。
「スタンピートだーっ!!」
その言葉を聞いた瞬間、
周囲の空気が一変する。
魔物の大群暴走。
街が壊滅する可能性もある、最悪の事態だ。
「……ああ、来たか」
正直、他人事じゃなかった。
理由は単純だ。
「こういうの……
俺の能力で、何とか出来るんじゃないか?」
カタルシスがどうとかは置いておいて、
今の俺は、どう考えても強い。
俺はギルド嬢に声をかけた。
「俺も、参加します」
「えっ……?」
ギルド嬢は驚いた顔をしてから、
すぐに困った表情になる。
「新人さん、ですよね?」
「一応」
「流石にスタンピートは……
命の危険があります」
「いや、まあ……」
命の危険が無い戦場なんて、
そもそも無いだろう。
だが、そのやり取りを聞いていた人物が口を挟んだ。
「いいんじゃないか?」
ギルドマスターだった。
腕を組み、こちらを見る。
「水晶をあれだけ光らせたんだ。
実力はありそうだろ」
「で、でも……」
ギルド嬢はまだ渋っている。
数秒の沈黙。
「……後方支援で」
ギルド嬢が、しぶしぶ頷いた。
よし。
一度断られたけど、参加できそう!
【承認されました】
【カタルシス!】
「だからどこがだよ!」
俺はもう、ツッコむ気力も薄れていた。
街の外。
地面が、揺れている。
土煙の向こうに、魔物の群れが見えた。
……いや、ちょっと待て。
「こういうのってさ」
思わず独り言が出る。
「狼系の魔物とか、ゴブリンが主体で、
そこにオーガが少し混じるのがスタンダードじゃない?」
だが、現実は違った。
ミノタウロス。
アイアンゴーレム。
ワイバーン。
「……全部、中ボスクラスじゃん」
「これ、スタンピートじゃなくて中ボス会議だろ……」
その瞬間。
「撤退――っ!!」
誰かが叫んだ。
冒険者たちが、一斉に背を向ける。
「え?」
「ちょ、待て!」
あっという間だった。
さっきまで横にいたはずの冒険者が、
次の瞬間には誰もいない。
俺だけが、ぽつんと取り残される。
「……えっ?」
地鳴りが近い。
魔物の群れが、一直線にこちらへ向かってくる。
「いやいやいやいや」
これは、おかしい。
カタルシスどころの話じゃない。
「これは……」
足が、すくむ。
「死ぬだろ……!」
逃げようとして、転ぶ。
視界いっぱいに、魔物。
――飲み込まれた。
……暗転。
しない。
代わりに、
胸の奥が、妙に静かだった。
「……あれ?」
痛くない。
怖いはずなのに、
頭が冴えている。
その時、
何も無い空間に、文字が浮かんだ。
【極度の抑圧状態を確認。】
「今まとめるな」
【前世における類似状況:
・理不尽な責任
・孤立
・逃げ場なし】
「再現するな!」
【耐えましたね。】
その瞬間。
――世界が、弾けた。
衝撃波。
俺の周囲から、
円を描くように魔物が吹き飛ぶ。
ワイバーンが空中で裏返り、
ゴーレムが砂になる。
「……え?」
俺、何もしていない。
【最大級の抑圧 → 解放完了】
【カタルシス!】
「今それ言う!?」
ミノタウロスが突っ込んでくる。
反射的に、手を出す。
――地面が割れる。
【理不尽を打ち返しました】
【カタルシス!】
「だから違うって!」
気がつけば、
魔物の群れは跡形もなく消えていた。
静寂。
俺は、その場にへたり込んだ。
「……意味が分からん……」
胸の奥は、最悪なほど満たされている。
こんなの、
カタルシスでも何でもないはずなのに。
【生存しました】
【カタルシス!】
「黙れ……」
遠くから、
逃げた冒険者たちが戻ってくる。
「……生きてる?」 「ていうか、魔物は……?」
俺は答えられなかった。
知らない。
勝手に終わった。
スタンピートが終わった後、街は大騒ぎになった。
「街を救った英雄だ!」 「たった一人で、あの魔物の群れを……!」
冒険者たちが、距離を保ちながら俺を見る。
敬意と恐怖が、入り混じった視線。
ギルド嬢は、完全に混乱していた。
「え、えっと……Sランクどころじゃ……」
ギルドマスターは、頭を抱えている。
「報告書、どう書けばいい……」
俺は、その様子を眺めながら思った。
(ああ……またこれか)
評価。
持ち上げ。
役割の押し付け。
前世で、何度も味わった流れだ。
「……すみません」
俺は、静かに口を開いた。
「英雄とか、いらないです」
ざわつきが広がる。
「え?」
「街を守る役目も、冒険者としての責務も、
俺には重すぎます」
ギルド嬢が慌てる。
「で、でも! あなたの力があれば――」
「だからです」
俺は、首を振った。
「その『だから』で、
前の人生は終わったので」
場が、静まり返った。
その夜。
街の外れ、小さな丘に腰を下ろす。
星が、やけに綺麗だった。
「……なあ」
誰に向けたわけでもなく、呟く。
「カタルシスってさ」
風が吹く。
「達成した瞬間とか、
勝った時とか、
褒められた時に来るもんだと思ってた」
だが違った。
今、俺の胸の中にあるのは――
何も欠けていない感覚。
足りないものが無い。
追い求める理由が無い。
不思議なほど、静かだった。
その時。
何もない空間に、
ウィンドウが浮かんだ。
【最終確認】
【カタルシスは、十分に供給されていますか?】
「……ああ」
俺は、素直に答えた。
「もう、十分だ」
ウィンドウが、少しだけ間を置く。
了解しました。
【以降、追加処理は行いません。】
「……は?」
驚いた、その瞬間。
ウィンドウが、消えた。
完全に。
何も残らない。
俺は、しばらく空を見上げていた。
だが――
胸の奥の満たされた感覚は、消えなかった。
それどころか、
より自然に、そこにあった。
「……ああ」
ようやく理解した。
俺はもう、
カタルシスを得続ける必要がない。
既に、得てしまっているからだ。
翌日。
俺は街を離れた。
名も残さない。
役割も持たない。
畑を手伝い、
飯を食い、
夜は静かに眠る。
強いか弱いかなんて、
もうどうでもいい。
努力が報われなかった人生は、
確かに不幸だった。
だが――
報われなかった努力は、
無意味ではなかった。
ただ、
精算されていなかっただけだ。
そして今。
人生は、ようやく帳尻が合った。
最強でも、英雄でもない。
ただ――
満たされている。
それが、
俺にとっての最高のカタルシスだった。




