隣の女子が突然変異したんですけど
俺の名前は田中蓮。
全国苗字ランキング4位、名前ランキング5位。
中肉中背、偏差値も身体能力も「真ん中」を行く、ごく普通の高校1年生。
そんな俺にも、二大特技はある。
「授業開始五分で深い眠りに落ちること」と「英語の歌のときだけ、前世がロックスターだったかのようにテンションを上げること」。
正直、勉強なんて適当にこなして、早く部活で思いっきり野球がしたい。
方程式が解けたところで、華麗なスルーパスが出せるようになるわけじゃないだろ?
……そう思っていた。昨日までは。
「……不思議ですわ。この方々は将来、技術者になるわけではないのでしょうか?」
隣の席から、鈴の音を転がしたような、場違いなほど美しい声が聞こえた。
薄目を開けると、一週間ぶりに登校してきた花城紫音がいた。
歩道橋の階段から落ちて入院してたって聞いてたけど、なんだか……雰囲気が変わりすぎている。
前の花城は、可愛いとは思いつつも、いつもおどおどして、消しゴムを落としても「すみません」って消えそうな声で謝るような子だった。
でも、今の花城は違う。
背筋に形状記憶合金でも入ってるのかってくらい姿勢が良く、黒板の不等式を、まるで「国家予算の審議」でも見つめるような、鋭くも崇高な目で見ている。
……え、なに、そのペン捌き。速すぎない?
一限目の数学。
花城はノートにさらさらと、恐ろしい速度で数式を書き込んでいく。
机に突っ伏しながら盗み見していたが、臨戦態勢が他のクラスメートと根本的に違う。
合理的で、実戦的。何より、なんだか楽しそうだ。
俺がヨダレを垂らして夢の世界へ旅立っている間に、彼女は「この条件なら、ここがデッドラインですわね」とかなんとか呟きながら、連立不等式という敵陣を完璧に制圧していた。
二限目の地理も、三限目の英語も、彼女は常に「最前線」にいるようだった。
一番ビビったのは四限目の古文だ。
隣からすすり泣く声が聞こえてパッと目を開けたら、花城が「平家物語」を読みながら、ボロボロと真珠みたいな涙を流していた。
「……巴御前様、実にあっぱれな武の方ですわ……」
いや、感銘受けるポイントそこ?
「木曽義仲の最期」にガチ泣きする女子高生、初めて見た。
しかもその直後、鼻をかむ動作さえも、まるで王宮のティータイムみたいにエレガントなんだから。
古文が終わり、やっと昼休みだなと伸びをしていると――
「……ちょっとよろしいかしら?」
「ひゃ、はい!?」
突然声をかけられて、心臓が口から飛び出しそうになった。
花城は、なぜか迷える子羊を見るような、慈悲深い女神の目で語りかけてきた。
「睡眠は重要ですわ。ですが、二限目にあった『地理』という国家機密……
あれは学んでおいて損はございませんわよ?
もしあなたがスパイ候補生なら、死活問題ですもの」
「す、すぱい……?」
意味がわからない。
だが、その瞳があまりに綺麗で、俺は「あ、はい……努力します」としか言えなかった。
その後、五限目の体育で、彼女が投げたドッジボールが音速を超えて相手の胸元を撃ち抜いたのを見たとき、俺は確信した。
花城紫音はこの一週間で、何かとんでもない変異を遂げた。
……俺の人生にも、あんな劇的なターニングポイントがあるんだろうか?
放課後、慌てて部室に向かったせいで忘れ物をした。
教室に取りに戻ったとき、花城がクラスの女王・神崎玲奈と対峙しているのを見かけ、咄嗟に扉の影に隠れてしまった。
あの怖い女子筆頭の神崎を、笑顔一つで(しかも氷点下100度くらいの超怖い笑顔で)追い払う花城の姿は、もはや恐怖を通り越して芸術だった。
こっそりと扉のガラスから覗きながら、やっぱり劇的変化だよな、と溜息をつく。
ていうか、普通にカッコいい。
ただのクラスメートなのに、今日一日で花城のファンになっちゃったよ。
俺は、彼女が今日の一限目で言っていた言葉を思い出していた。
『連立不等式は、可能性の領域を見出すこと』
……よく分かんないけど、明日からは、一限目くらいは起きてようかな。
だって、俺みたいな普通すぎる人間にも、「可能性の領域」ってやつがあるかもしれないだろ?
……まあ、たぶん寝ちゃうけど。




