お嬢様、ここは学食ですよ
あたしは前田幸枝。
中高一貫のここ「澄明学園」の学食で働いて、今年でちょうど30年になる。
今じゃこの学園の裏も表も、あたしより知ってる人間なんて数えるほどしかいないわ。
生徒たちからは「さっちゃん」なんて呼ばれてさ。
まあ、悪い気はしないけどね。
毎日毎日、「さっちゃん、カレー大盛りにしてよ!」「唐揚げ一個おまけしてよ!」なんてピーチクパーチクさえずる育ち盛りのガキンチョどもを捌きながら、戦場さながらの厨房を回すのがあたしの日常。
30年もやってりゃ、ちょっとやそっとの騒ぎじゃ動じない。
……はずだったんだけどね。今日ばかりは、腰を抜かしそうになったよ。
お昼のピーク。
食券機のボタンがバカみたいに連打される音と、生徒たちの喧騒に「はいはい、わかったから静かにしな!」なんてうんざりしていた時。
「カレー(並)」の食券を、まるで宝石か何かのように両手でうやうやしく捧げ持った女の子が、列に並んでいたんだ。
あの子は……そうそう、一年生の花城紫音ちゃん。
大人しいけど可愛らしい顔立ちだったから、名前はしっかり覚えてた。
用務員さんから、歩道橋の階段から落ちて一週間くらい休んでるって聞いて心配してたけど
……元気そうで、何よりだったわね。
以前見た時は……ちょっとか弱い感じっていうか、トレイを持つ手が震えてるような、おどおどした子だった。
でも、目の前に立った彼女を見て、思わず手が止まった。
「……こちらが、噂の『カリー』でございますのね。
芳醇な香辛料の香り……実に見事ですわ」
……カリー? ただの業務用カレーだよ。
でも、彼女がそう言うと、プラスチックトレイまで、なんだかシルバートレイに見えてくるから不思議だね。
背筋はスッと伸びて、首の角度から指先の添え方まで、歌劇団の俳優かと思ったよ。
背景にバラが咲いてるよ。
「はい、カレー並ね。お待ちどう様」
「作ってくださったこと、感謝いたしますわ」
あたしが皿を出すと、彼女はふっと微笑んでとても優雅にお礼の言葉を口ずさんだ。
その笑顔がね、もう、なんていうか……。
……長いこと学食やってるけどさ。
「サンキュー」とか「あざっす」は聞き飽きるほど聞いた。
でも、「感謝いたしますわ」なんて正面から言われたのは初めてだよ。
あたし、思わずエプロンで手を拭いて、背筋を伸ばしちまったよ。
極めつけは、彼女が席に着いたときだった。
あたし、厨房の隙間からつい見ちゃったんだけど。
あの子が静かに手を合わせて「いただきます」って言った瞬間、まるで時間が止まったように感じたんだ。
ガヤガヤと騒がしい学食の空気が、あの子の周りだけスッと澄んでいく。
厨房からだいぶ離れた場所にいたはずなのに、あの子の凛とした声が、あたしの耳にまで確かに届いたんだよ。
隣の男子生徒たちなんて、スプーンを口に運ぶのも忘れて呆然としてたけど、あんなもん見せられたら無理もないわね。
一口食べた瞬間、あの子の瞳がキラキラと輝いて、「……刺激的、ですわ」なんて呟いてさ。
あんなに美味しそうに、あんなに気高くうちのカレーを食べる子が、30年やってて今まで一人だっていたかい。
洗い場に戻ったとき、相方に言ってやったんだ。
「ねえ、明日のカレー、もう少しスパイスの配合にこだわってみない?」
「どうしたのさ急に」って笑われたけど、本気だよ。
あんなに「感謝」を込めて食べてくれる子がいるなら、こっちだって「学食のおばちゃん」じゃなくて「料理人」としての意地を見せなきゃいけない気がしたんだ。
花城紫音ちゃん。
いやあ、一気にファンになっちゃったよ。
もしあの子が明日「カツドン」を頼むならさ。
あたし、一番いい揚げ加減の、サックサクのやつをドカッと乗せてあげるつもりだよ!




