疑惑
「バカな……この俺の野望がこんなところで……」
水たまりに崩れ落ちる男。
「ふぅ、まったくこんな辺鄙な洞窟で企むだなんてわざわざここまで来る身にもなりなさいよね」
深い森の中、近くから流れる水が洞窟の入り口まで漏れ出ており、そこに男は倒れ伏せる。
私は少し後ろの木々の陰から背伸びをしているエリシアさんの元へ駆け寄る。
「お疲れ様、エリシアさん」
「えぇ、これで最後と思ったらとんだ災難だわ」
エリシアさんは洞窟の中に軽く顔を入れる。
「今回のは召喚陣を使って何かを降ろそうとしてたみたいだったわ。壁面の彫刻、ペトログリフから察するに南太平洋辺りの……オセアニアなら……モオ辺りかしら。下手したらこの島が大惨事ね」
「危なかったんだね……」
「まぁこの技量なら十中八九自爆でしょうけど」
エリシアさんと出会って一週間とちょっとが経った。
私は彼女と予定を合わせて数日おきに、あちこちへ行き最後にこの森に来ることになったのだが───
「これで終わりかしら……結局ここ以外に特に目立ったことはなさそうね」
この森で異常を感じ、森の中に私を置いてはいけないということで紙の絨毯で一緒に森の深部に飛び、エリシアさんは今しがた倒れた男の企みを暴き今に至るわけで。
「さて、この男も処理しないといけないしやっぱり館に連絡よね。電話番号は……」
そうして、たどたどしい手つきでスマホを触るエリシアさん。
「私よエリシア……えぇ野良のやつを捕まえて……生きてるわ。場所は」
繋がった電話、恐らくは翠さん。
「えぇ……詳しくは来てから……それじゃあ」
電話を切り、仕舞うエリシアさん。
「館が引き取りに来るわ、それまで待ちましょう」
「やっぱり翠さん?」
「えぇ、まぁ彼女がくるまでゆっくりしてましょう」
そう言ってエリシアさんはトランクから紙を広げ地面にスペースを作るとそこに腰を下ろす。
「ほら、ハルカゼも」
ぽんぽんと横を叩くエリシアさん。
「いいの? ……それじゃあ私も座って待ってようかな」
そうして私たちは翠さんが来るまで座って待つことにした。
森の中、ただ時を過ぎるのを待つ私たち。
三月も半ば、寒さはもうそこまでなくただゆったりとするのにそこまでの苦痛は必要なかった。
「せっかくだし、ハルカゼ、お茶飲むかしら?」
「こんなとこでも飲めるんだね。うんありがとういただくよ……沸かすところからなんだ……」
◇◇◇
雲の多い空、緩やかに過ぎていく木々の光景、それを私は窓から眺めていた。
翠さんの運転する車の中、私はエリシアさんと一緒に後部座席に座っている。
「はぁ、やっぱり車の方が楽ね」
「ありがとうございます翠さん。わざわざ……大丈夫だったんですか?」
「はい、他の魔術師への引継ぎも終わりましたし、それにミスウォルステンホルムにお伝えしたいこともあったので」
「なるほど……」
「そう……」
身体を背もたれに預け脱力しきっているエリシアさん。
「了解しました」
「あぁそうだ、一応ハルカゼも話に参加させたいけど良いわよね?」
「はい」
「わ、私も……?」
「せっかくだし、聞いておいて損は無いわよ?」
「まぁ、確かに……?」
私も聞いて大丈夫なのだろうか、そんなことを思いながら、私も自分の疲れを感じ脱力する。
やがて、窓から写る景色が山々の森の中を抜け出し上から遠くを見下ろす田園風景に変わっていく。
前を見ると、薄く青みがかった灰色の街が広がっていた。
「それで……どうでしたか? この地区の様子は」
翠さんが運転しながら、エリシアさんに聞いてくる。
「そうね、まぁ普通の街かしら。霊脈の魔力がやたらと溢れてる場所がちらほらあったけど。……まぁこれは魔術師崩れ共があちこちで霊脈を刺激してたのもあったけれど」
「やはり……」
エリシアさんが身体を起こし、屈伸する。
「うーん。……報告だとここ最近で二人だったかしら……この地区で仕留めた魔術師崩れ」
「はい、ここ半年で今回の魔術師で七人目になります」
「……不自然なくらい多すぎるわよね、数年に一回ぐらいが本来ここでの魔術師崩れの検挙数なのに」
「えぇ、最近の検挙数の増加は異常です」
「というか、事前に何人かの魔術師崩れの侵入の察知は出来ていたのよね……なのにこんなに野放しに。……こんなに取り逃がすとなると私たちの知らない何者かの手引きがあるんでしょうね……情報は聞き出せた?」
「いえ、捕えた者には魔術による記憶の忘却や制限がかかっており……ゴーレムも恐らくは何者かが男に接触し渡したものと思われますが……情報に繋がるようなものはなく」
「そう……そもそものゴーレムの出どころ自体もまだ分からないのよね?」
「現在調査中です」
「それって……あの大きなやつだよね」
「えぇ……あのデカブツ。最近まで魔術界では戦争が起きてて、何十年前かの時に活躍してた兵器の一つなの。そんじょそこらじゃ見つかるわけはない骨董品なんだけど……男にそっくりなゴレームもあの男の技量じゃ到底作りえようはないぐらい精巧だったし……誰か腕のいいやつでもいるのかしら」
エリシアさんは肘をつき窓を眺める。
「誰が何しようとしてるんだろうね……」
「そこよね……ここにこだわるんだからこの地区に何かあるのは間違いないのでしょうけど」
「そこに関してはご報告が」
「報告? あぁ、……ノックス・タイラーね」
「はい」
「それってあのお姉さんが言ってた……」
お姉さんの話ではその人物は島の復興の立役者だと言っていたけれど……。
「えぇあの胡散臭い女主人の言ってたことがちょっと気になってね館の方で調べさせてもらったの……それで」
「まず男の素性ですが、以前からこちらでも調査を行っており、同様の結果で経歴に特に怪しい点は見られませんでした。戦時下に島に永住、独身の後、死亡。遺体も確かに確認済みです。しかし」
「しかし?」
「ミスウォルステンホルムの指示通り現地の魔術師を向かわせ、調査結果の審議とその証左に絞ったところ島への移住以前に不自然な点がありました」
エリシアさんは前傾姿勢で話に喰いつく。
「教えて」
「経歴自体はいたって自然。百年ほど前、アメリカの片田舎の中流家庭に生まれ大学へ進学し、建設会社へエリートコースで就職。出世街道を進む中、戦火により会社に大きな痛手が飛び会社は倒産。退職し、それを機に彼は単身日本へ渡り神宮島は夕凪島に永住し、島の発展に生涯を費やした。……島に彼が現れる前、アメリカでの通っていた大学や会社や地元の学校にも彼が存在していたという記録は確かでした。しかし、誰も彼を知る者はいませんでした」
「……いない?」
「会社に勤めていた人物や彼が居た大学や地元の住民に現地の魔術師を当たらせてみたところ誰一人として彼を知らなかったそうです」
「昔の人物ならそれ自体は起こりえる話だけれど……」
「はい、ですが問題はここから。彼のいた家庭、その家系を当たってみたところ誰一人として彼を知ってはいませんでした。彼には弟がいたようですが、その弟の子供曰く、その弟は子供の頃ニューヨークに忙しかった両親と家族三人で一度だけ旅行に行ったことがあるという思い出話をよく語っていたそうです」
「それって……」
そのノックス・タイラーという男は経歴のすべてが出鱈目だったということになる。
「……とはいえどう繋がるってわけでもないわよね」
「そして、島の開発計画で……気になる点が一か所だけ、工事の都合や、インフラの管理、整備目的など、夕凪島の開発計画の際、地下にかなりの通路や空間をいくつも作っていたようです。そのうちいくつかの地点は資料にも残っておらず、こちらもまだ把握できていない場所があるようで」
「あそこの地下水路もそれかしら……もしかしたらこの地区そのものが何かしらの大がかりな魔術に関わってるかそれを行う儀式場なのかもね。ありがとう翠……次は取り敢えず島の開発跡の調査かしら」
「……私にも手伝えることがあったら何か言ってね」
「えぇ……島の動向も怪しくなってきてるし、ここから先は私一人で動くわ。けど、何かあったら気軽に連絡して頂戴ね」
これからはあまりエリシアさんと会えなくなるのだと私は悟りつつもエリシアさんの背中を押す。
「うん……寂しくなるけど、応援してる」
「それで翠……貴方たちは魔術師崩れたちへの警戒を強めつつ、島の調査を最優先に。これは命令よ 」
「かしこまりました。他の魔術師たちにも至急伝達します」
前の窓に映る景色はもうすっかり街の手前だった。
「そうね、せっかくだしハルカゼのマンション前まで送ってもらったら?疲れてるのならその方がいいわ」
「……うん、そうだね、えっと場所は───」
そうして翠さんに私の部屋があるマンションの住所を伝える。
そうして、あっという間にマンションの前に車は着いた。
私は車のドアを開け外に降りる。
「それじゃあ、身体に気をつけてね、エリシアさん」
「えぇ、あなたも元気でね、また会いましょう……連絡いつでもしてくれていいから」
「うん、それじゃあね」
車のドアが閉じ、車が動き出す。
会釈をする翠さん、それに合わせて私も会釈を返す。
その後ろではエリシアさんが手を振っていた。
私も手を振り返す。
車が見えなくなるまで私はずっと、手を振っていた。
先週までの冬の様な寒さは和らぎつつも、曇り空の空はどこか冷たい風を予感させていた。
◇◇◇
いつまでも手を振るハルカゼ、それに私は見えなくなるまで返し続けていた。
ホテルに戻ったら急いで支度をしないと。
当分の間は暇は無そうね……。連絡する時間も中々なさそうだし……あの子には悪いけれど当分お茶をする暇もなさそうかしら。
……これが終わったら誘ってみましょう。
だから、心は決まってる。全ての企みを打破するのだ。
あの子の笑顔を守るために、そして魔術師として魔術世界の正しい運営のために。
そうして、手のひらをギュッと握る。
あの日の誓いを守ってみせる。
そんな、心の中の独白。それはただ私の中で反芻し続けていた確かな指針。車窓の外、眺めていた過ぎゆく街並みは変わらず薄みがかった空の下にあった。




