闇に蠢く
その街の下には幾重にも縦横無尽に伸びた地下水路があった。
島の成り立ちにも起因するが、様々なパイプや導線が入り乱れ、使われなくなった空間や設備がその地下には入り乱れている。
そして水路の先、とある方角へ細い足場をただひたすらに進むと、その終点には開けた空間があった。
細い水路から開け、壁にはパイプが張り巡らされ、苔がびっしりと生え、湿気の籠る冷たく、暗い淀んだ大きな空間だった。
広々とした床面、その中央にいる一人の男の姿を壁から生えたむき出しの電球たちが照らしている。
よれたコート姿の男は呟く。
「もう少しだ……もう少しで……」
その男の真下には幾何学的な模様が不線形の文字と共に円形状に構成されたサークルのような物があった。
胎動するかのように鈍く輝くそれは見る誰しもに言い表せない悪寒を感じさせるような異様な雰囲気に包まれていた。
それは男の悲願だった。
館を追われ、禁忌に手を伸ばした男の夢の成れの果て。
男は視線を水路の方へ向ける。
ギギッと軋む音と共に暗い水路から電球の照らす淡い光の中へ姿を現すのは陶磁器の様な白い表面の人体を模した成人男性程の大きさの人形。
デッサン人形をそのまま大きくしたかのようなそれは少女を抱えていた。
男が人形に近づく。
「また子供か……あまり取れる生命力も多くないというのに……」
それは男の悲願のために必要な行為。
───やはり設定を変えるべきか。いや、もう少しだ……ある程度取ってそこら辺にまた離せばよい。
それは合理の選択。下手に殺めれば動きにくくなるのは必然。
生かしたまま搾り取っても維持にコストが掛かる。
だとして殺す程に取ったとしてもあまり量に差異は無い。
ならばこその判断、そこに男の慈悲や迷いはない。
「そこら辺に寝かせておけ」
人形はその命令に従い男の作るサークルの傍に少女を寝かせる。
「そして全体に変更の通達。次は成人を持ってこい、出来るだけ若い男性が好ましい」
人形はピピッとその体内から音を鳴らし、頭部から信号を点滅させる。
「よし、では巡回に戻れ」
その球体関節から異音を鳴らしながら人形は立ち上がる。
そして振り向き水路の方へ向かっていく。
───早く急がねば気取られる……。
男は地面に手を伸ばし何かを呟く、それに応えるかのようにサークルは蠢動していく。
そんな中、人形は無機質にそのまま歩みを進め暗がりに戻っていこうとして───動きが止まった。
「?」
命令にはないはずの行動。何か回路に異常が生じたのかと男が立ち上がろうとした瞬間。
人形の全身に亀裂が駆け巡りその身体を崩壊させていく。
バラバラに地面に散らばるパーツ。
───一体、何が。
そう男が思ったのも束の間。
赤黒い閃光が男の眼前で輝いていた。
光はサークルごと男を巻き込み炸裂する。
「ぐぅっ……!」
衝撃により男は吹き飛ばされ、行き止まりの壁に叩きつけられる。
そしてパラパラと降る礫、男はすぐに身体を起こす。
土煙の中、淡い光が照らすのは大部分が抉られ輝きを失ったサークル。
それを呆然と見ようとして男は瞬時に思考を取り戻す。
辺りを見まわすと、先程、寝かせていた少女の姿が消えている。
「何が……いや、そうか! 館の魔術師! そこかぁ!」
そう叫ぶと男の纏っていた右腕の前腕部分の布がちぎれ、複雑に交差する黒い線が刻印された腕が露出する。
男は水路の奥に向かってその腕を振る。
すると、空中に火が生まれ、男が腕を振った方へ大きな火炎が渦を巻き飛んでいく。
そのまま水路の奥へ飛んでいくかと思われたそれは途中で見えない何かにはじかれ霧散していく。
「……勘はいいのね、他がいろいろとお粗末だったけれど」
声の発生源であろう地点から網目の交錯した少しにごったような曇った透明な球状が姿を現す。透明から白に戻りつつ、球形に重ねられた紙が一枚一枚はがれていくように消えていく。やがてそこから姿を現したのは、黒い髪のトランクを持った少女の姿。
その後ろには浮かんだ絨毯のように並べられた紙の上に寝かせられた先程人形が運んできた少女。
男は歯ぎしりを鳴らし臨戦態勢をとる。
「やはり……貴様……何者だ!」
男の咆哮とも取れるような水路に響き渡る誰何。
その問いに少女は涼しげな顔を崩すことなく淡々と言い放って見せる。
「愚問よ、あなた、自分で言ってたでしょう?」
その冷たい瞳の奥に宿した敵意を男に向けて。
「私はただの通りすがりの魔術師、それだけよ」
◇◇◇
「その言葉、宣戦布告と受け取る!」
私に向かって男は再び炎を振るう。
「馬鹿の一つ覚えね」
私は身体の魔力を強く奔らせる。するとトランクのチャックの開いた部分から羊皮紙がひらりと何枚もひとりでに飛び出してくる。
それが目の前で壁を作り、炎を防ぐ。
そしてまた羊皮紙が飛び出してきたかと思うと空中でおのずから自らを折り飛行機の形になると男の方へと高速で飛んでいく。
「……ぬぅ!」
何かを逡巡した男。
そのあと、腕を下におろし手を地面に叩きつけると勢いよくそこから地面がせりあがり土壁が出来る。
そこに勢いよく紙飛行機が突き刺さると同時に閃光を伴い爆発が起きる。
「やはり紙に術式を……!」
そう男が呟くと、新たな飛行機の形の紙が四方八方から男へと飛んでくる。
「ぬぅん!」
男は周囲を追うように丸い土壁を作り防ぐ。
私は絶えず紙飛行機を土壁を飛ばし続け、その隙を見計らってハルカゼの方へ振り向く。
「ハルカゼ、しっかり!」
私はハルカゼに向かって宙に指で魔力である文字をなぞる。
文字は光り消えていくと同時にハルカゼは身体を少し揺らし、呟いた。
「うーん……もう少し……」
「って、もう! 今起きてハルカゼ!」
「うーん……エリシアさん……? ってわ! ここ、どこ……?」
やがてハルカゼは目を覚まし身体を起こすと辺りをキョロキョロと見渡す。
「なにこれ紙がベットみたいに……? 浮いてる……」
「目が覚めた? 逃げるわよ!」
「え!? あ、うん……」
ハルカゼは事態を飲み込めていないながらも戸惑いながら紙から降り、そして、ハルカゼは通路近くの壊れてる人形を見る。
「あそこにある壊れてるの……気を失う前に見た人形……そっかエリシアさんが助けてくれたんだね」
「話が早くて助かるわ。 誘拐されてたの、あなた、まずこの場から離れるわよ!」
「させるかぁ!」
土壁の中から男の魔力の反応。
自然と崩れた土壁、その中から男が両腕に空気をかき集めるようにして振るうと、地面を削り取るような突風が男の周りに起こる。
紙飛行機は風に耐えれず割かれ、散り散りになる。
更に、瞬時に男は床に手を付け、魔力を奔らせる。
すると、私の後ろの奥の水路の天井が轟音と共に大きく爆ぜる。
「わっ!」
チッ、と私は舌打ちをする。奥の水路の天井は勢いよく崩れていき、先へ繋がる道を塞いでしまった。
「……エリシアさん」
心配そうな表情で私を見つめるハルカゼ。
「取り敢えずはそうね……私から離れないで」
余計に不安にさせないように落ち着いた声色を意識して話す。
「う、うん」
ハルカゼは私の背中、後ろに縮こまる様に隠れる。
私は男と距離を保ちつつ観察しながら口を開く。
「……あきれた、その感じだと魔術師崩れってところでしょう、館を追われてまでこんなところで手を染めて何か事を成そうってワケ?」
腕の紋様……魔力備蓄ってわけでもなさそうだし……魔力の探知も強くない……。かと言って錬金術の系統ほど何かに魔力で働きかけてるわけでもない。
「は、恵まれただけの立場でこの私に上からの立場で挑発とはな」
あくまで錬金術を応用して、自然、元素への魔力干渉の手順を省略した北米の土着の精霊術を源流にした魔術ってところかしら……。
「ふん、何を言っても所詮は何かを分不相応にも成そうとする小物の戯言よ。……館の魔術師よ、大人しく拘束されなさい」
「断る。 古い魔術師の家系に共通する、基本系統ばかりの術式に……見たところトランク……もしくは中身、それは魔道具の類だろう。大した才能も持たず、家柄に館に道具に頼っているだけのお前に私が負けるとでも」
距離は二十数メートル、堀が壁に沿うようにあって……かなり広い床面の空間。
逃げ場のない密室空間みたいだけれど、多分何かしらの通路は利便上あるはず……。
「すべては使いようよ、それであなたは? 頼った一つがあの魔方陣? あれ魂喰らいの術式よね。土地に住む命の魂を徐々に吸い上げる、禁忌指定の術」
「それも、然り。我が宿願にとってはすべてが些事」
「時間稼ぎなら無駄よ、人形、反応がないでしょ? 干渉して全体を動かしてる術式自体を壊しておいたの。いくら待ったって一体も来たりはしないわ」
「……」
男は表面上は取り繕いつつも苦々しい表情を私に向ける。
「ならば! ここで私が殺す!」
言い捨てると男は腕を広げた。男の周囲に黒と白が交互にまだらに輝く球状の魔力。
さらに壁にチョークか何かで書かれた文字の様なものがあちこちで輝く。
流石にこういう時の魔術は一つぐらいは仕込んでるわよね。
「ハルカゼ! もっとピッタリ寄り添って!」
「う、うん!」
私の背中にぴったりと密着するハルカゼ。
「ハァッ!」
男が魔力を籠め術式を放つ。
私たちごと取り囲むようにまだらの光の奔流が私たちの周りで渦を巻き、そしてそれは瞬時に膨れ上がり天井に届くほどの高さになると、周囲を覆いながら狭まり襲い掛かってくる。
「……!」
「さらばだ!」
その黒と白の魔力の嵐は地面をえぐりながら私たちに向かって収縮してくる。
「ふ……ふふ、これではどうすることもできまい!」
微かな視界の中で見える男の笑い。
嵐はなおも、私たちを包み、跡形もなく消そうとし──
「!?」
私の展開している術式に阻まれる。
私の目の前で嵐の一部分が弱まり光がはじけ飛ぶ。
「これって……バリア?」
「まぁ、そんなところ!」
私とハルカゼの周囲で、白い紙が消えながら透明な多角形となり、それが集まり一つの面となって球状を成し、バリアとなって私たちを守っている。
私は術式を紙に付与し展開しつつ嵐を防ぎ続ける。
「な、耐えているだと……防御術式……術式の中和か? いやいずれにしろ……奴の周りに浮かんでいた紙程度では、事前準備も、付与できる術式も……!」
きっと、男は喋りながら今気づいた。私の周りでいくつかの白い紙が現れる直前、透明から白に戻っていることに。
「事前に魔力と色を消し、透明にしたまま展開しておいたのか!」
男は歯噛みする。
嵐は術式阻まれ、私たちに届くことなく、徐々に細く霞んでいく。
それはほとんど消えていき───
「お返しするわ!」
バリアが消えると同時に、私は言い放つ。
術式を作り、魔力を手に込め、射出する、それは赤黒い閃光となり男を襲う。
「チィッ!」
男は地面に手を触れ土壁を形成する。
生成した土壁は男の術式によって強化されてるのだろう。
しかし、
「ぬぅっ!」
閃光は土壁の中央に当たるといともたやすく粉々に消し飛ばして見せる。
壊れゆく土壁から男は距離を取ろうとして上にいる私を見上げる。
そこには紙を空中に浮かしジャンプ台のように踏み込む、私の姿。
私はトランクから紙を大量にあふれ出させる。
私の前に瞬く間に集い並ぶ紙たち。
私の術式に寄り、紙は一気に青白い炎を帯びる。そして、螺旋を描く魚群の様に集まり、槍の体をなす。
そして、それを男に手段さえも講じさせる暇なく叩き込む。
「ぐぬぅおおおっ!!!」
男を抉るように飲み込む青白い炎が襲う。
それは床面に着弾し、煙と共に男を巻き込みながら散っていく。
地面は一帯が焼き焦げ、黒色に染まる。
その中心にへたり込むように、男は崩れ落ちた。
「ごはっ……」
私は男の近くに着地し、男の様子を確認し始める。
僅かに手は動いており、小さく喉から音を鳴らしている。
「ぐっ……」
「……まだ生きてるのね。 無駄に頑丈なのかしら、いや、もしかしてあなた……」
これって、もしかして───
瞬間、男は僅かに口元を歪めた。
それと同時に───
「エリシアさん!!! 前!!!」
私は呼びかけに応じ、前を見る。
行き止まりの壁の先から、強い魔力の反応が漏れ、壁の亀裂から光が漏れている。
「……っ」
私は空間に魔力で文字を瞬時に描く、すると、突風が私の身体をやや後方の壁まで吹き飛ばす。
それと同時に一応残しておいた紙でハルカゼを強引に持ち上げ、こちら側やや前方に無理やり連れてくる。
「わっ」
壁面にお互いを寄り添うように逃がして、そして、私とハルカゼを守る様に防壁を術式を付与した紙で作る。
壁面に半球状に作り、そこでハルカゼをかばう。
すると、その前を眩い光が地下空間を照らしたかと思うと、何もかもを消し飛ばすように巨大な線状の光が通り、視界の全てを消し飛ばしていく。
私たちにとてつもない衝撃が響いてくる。
ハルカゼを傍に抱えつつ、衝撃に耐える。
ビリビリと身体に振動が伝わってくる。
「きゃっ」
「なんて威力!」
すぐに強い魔力の反応は消え、衝撃は止む。
私は足元を確保しながら防壁を解除する。
ただ開けた視界がそこにはあった。
十数メートル先までかつてあった通路は無くなっており、その残骸だけが焦げて残ってる。
私は、光の発生源を見る。
壁の奥。
煙の中、そこには鋼鉄の人型の何かがあった。
やがて晴れてその姿が鮮明になっていく。鈍色の金属のような表面。
二階建ての一般的な家をも超すような巨大な体躯。
装甲をそのまま付けたかのような、かろうじて人型に見えなくもないその分厚い鎧を纏った異形の姿。
「……なるほどだいぶ問題物のゴーレムみたいね」
「ゴーレム?」
「……まぁ、まずは」
「わ!?」
私はハルカゼの足から身体を持ち上げ、お姫様抱っこのような抱え方で抱き上げる。
「腕を私の首に回して、取り敢えず掴まってなさい。ここから離れるわよ」
そう言い私は紙を絨毯のように展開し、私たちを乗せ宙に浮き、上へ向かう。
「近い……」
何かを言うハルカゼ、ちゃんと首に腕を回してはいるため、お姫様抱っこの要領で持ててはいるが少し遠慮気味で持ちにくい、もっと近づいてほしいのだけれど……。
ちょうど頭上、先程の余波で天井がさらに崩れており、大きな穴が開き、淡い光が上から差し込んでいた。
私たちは上へ通り抜ける。
そこには何かのベルトコンベアや、機械がずらっと並び、物々しい鉄骨の柱や空中に吊るされた通路がひしめき合う何かの工場の風景が奥まで続いていた。
百メートル近くの長さに何十メートルもの幅の巨大な空間。
長年使われていないのか、ほとんどが錆び劣化し、所々崩壊している。
天井は幾つか壊れ穴が開いており、もうすっかり夜らしく、そこから月の光が舞い込んできている。
「これ……」
「廃工場みたいね……ちょうど真上はこんな風になってたのね」
私は紙をさらに展開し伸ばし、そこにハルカゼを降ろす。
ハルカゼは座ると落ちるのが怖いのかそこで縮こまる。
私は振り向き座る、トランクは身体に寄せておく。
「……大丈夫、簡単に落ちないようになってるから、私の腰に捕まってて」
「……うん」
ハルカゼが腰に捕まると同時に下からゴーレムが這い出てくる。
私は距離を取るため工場の奥へ絨毯を動かす。
ハルカゼが私に語り掛ける。
「あれ……なに?」
「ゴーレムよ、マンガとかアニメで見たことない? ……まぁ額の文字を消したら止まるみたいな都合のいい仕掛けはないけれど」
「ロボットみたい……」
床面を壊しながら、這い上がってきたゴーレム。
月明りが照らす巨躯、やがてその頭部、半月の様な形をした中央の十字のくぼみにある光る単眼がこちらを向く。
『まさか避けるとは、一筋縄ではいかんか』
ゴーレムから出ているのか曇った男の声が離れたこちらまで届いてくる。
「あなたほどじゃないわ。もうとっくに身体は捨ててたのね」
這い出てきた穴の中を見る。
先程の攻撃でも倒れた男の身体は残っていた。
男の身体は背中側がえぐれているのだが、その断面から見えるのは赤い血液でも白い骨でも内臓でもない、まるで粘土を割ったときに見えるような土色の断|面《・。
「エリシアさん、あれって……土で出来た……人……?」
ハルカゼが信じられないとばかりに穴の中の残骸を見て驚く。
「えぇ。土塊を男に似せて、術式もそっくりそのまま使えるようにして創った後、意識を移して本体が操ってたんでしょう。あれもゴーレムっていえばゴーレムね」
「本体って……」
「あれよ、あのデカブツ。恐らくあの中に元凶の男がいるわ」
「あの中に……?」
「えぇ、肉体や意識、知覚の主体はあのゴーレムにあるんだろうけれど、コアとしてまだ中心部にはあの男自身がいるはず。そこを叩けば……」
強い魔力の奔流を感じ取る、源は勿論あのゴーレム。
『計画は変更せざるを得ないが、しょうがのないことだ。魔術師! まずは貴様から消させてもらおう!』




