滲む朝
「っ……ハァ……ゼェ……」
眩しい光の照らす朝の中、寄せては返す波の音が鳴る、切り立った崖の上に一つの影があった。
先程までの龍と巨人の巻き起こした戦闘の余波で海岸線は大きく変わり、海上より十数メートル上、今にも崩れそうな岸壁の真上はまばらに背の低い草が茂る枯れた地面が続いている。
そこに一人の人間の姿。
肘より先が消えた右腕を押さえながら、片足を引きずり歩くボロボロになった血まみれの神父服の男が居た。
「……ハ、ハハッ……よもや、あれほどまでとは、ククッ……次、こそは……」
乾いた笑いを浮かべながらゆっくりと歩きを進める男。
そして、何かに気づいたのか、ゆっくりと笑みは崩すことなく男は崖とは反対の山々のある方角の空を見上げる。
「やっぱり生きてたわね、銀斧」
銀斧より十数メートル先、そこには宙に浮かぶ紙の絨毯に乗った黒髪の少女と茶髪の少女、詩乃とエリシア。
二人は地面に降り、絨毯になっていた紙はトランクに吸い込まれる。
「観念して身柄を拘束されなさい」
詩乃より前に出つつ、エリシアはトランクを開いたまま手を銀斧の方に向けながら言葉を投げかける。
「……フフッ……そう警戒されてももう私には何も出来はせぬよ」
「どうだか」
銀斧の発言でもエリシアは体制を崩さない。
そんな二人の緊張の間に詩乃は割り込み、言葉を投げかける。
「……あの時の人だったんですね」
「……あぁ」
「ぶつかった後大丈夫でしたか?」
「あぁ大丈夫だったとも、君こそ元気なようで何よりだ」
「……他人を心配するぐらいはあなたでもするのね」
エリシアは強気な態度を崩さない。
「隣人を愛し迷える子羊を導くそれが私の責務なのでね」
その言葉に詩乃は表情を曇らせる。
「……なら」
「どうして、かね?」
詩乃のその先の言葉を待たず銀斧が答える。
「簡単なことだ、そうすればならなかった。……我らが簒奪された尊き遺体、その一つ、地深くに埋没したその亡骸の上を俗人たちが踏みつけにするなど到底許せるはずもない」
その、銀斧の言葉に落ち着きながら喋っているように聞こえつつも、心の底で燃え盛る憤怒を抱えたような圧を感じ取り、詩乃は手のひらをギュっと握り息を呑む。
それを横目に見つつエリシアはより一層眉を尖らせる。
「あなた……」
「失敬、……それにしても見事だった、貴殿たちの曲がらず、折れぬ、確かな意志と覚悟、その歳でそうできるものではない」
「そう、褒めてくれてありがとう。あなたの魔術もなかなかだったわよ、私たちの魔術には劣ったけど」
エリシアの皮肉に銀斧は笑みを崩すことなく語る。
「ふっ、あぁ汝の姉……ソフィア・ウォルステンホルムにも負けず劣らぬのその技量……見事だったとも」
「……!」
「姉って……」
(確か……行方不明のエリシアさんのお姉さん)
エリシアの話した姉の来歴について思い起こす詩乃。
エリシアは声を平静を装いつつも少し荒げ銀斧に尋ねる。
「……姉について何か知ってるの……!」
「ふむ……知るというほどではないが」
「答えなさい!」
声をより荒げ問うエリシア。
「昔、ある戦場でな……少し肩を並べた程度だが中々、記憶に残る鮮烈な人物でね、先刻の祭りの時、汝を見てすぐ彼女のよく話していた妹だと分かったよ……壮健かね?」
「……姉は今、この神宮島で行方不明になって死亡扱いになってるわ、何か知ってるなら話しなさい」
「ふむ、彼女がそう簡単に死ぬとは思えないが……いや、そうかあの時の……」
「……なに?」
「いや、何でもない……なるほどそれを選んだか……これも何かの縁か、……少女よ」
何かを考えこんでいた様子だった銀斧はエリシアたちに向き直る。
「私が思うに彼女は生きていると言っていい」
「……!」
「エリシアさんのお姉さんが生きて……」
「……もし、どのような運命が待っていたとしても再び汝が姉と相まみえたいと願うならば、星海の宙を探すといい」
「それどういう……」
エリシアが尋ねようとして、足元に異変が起きる。
ぴしっと亀裂が地面に走ったかと思うと、崖のあちこちに亀裂が起き、崖が揺れ始める。
「……私に言えるのはそこまでだ……次の時代が為、御業を我が物にと思ったがこれも運命か……さらばだ少女たちよ、あとは主の意思に従いせいぜい見守らせてもらうとしよう」
崩れだす地面、エリシアは少し迷ってトランクから紙を出し絨毯を作る。
「……あぁもう、乗ってハルカゼ! 脱出するわ!」
「で、でも……神父さんが」
崖が崩壊していき、やがて銀斧の居る場所さえも崩れていく。
銀斧は動かず、ただ運命を受け入れるかのようにたたずむ。
詩乃は崩れていく地面の中で銀斧を気に掛けるが、
「もう無理間に合わない、早くハルカゼ!」
強引にエリシアに絨毯に乗せられ二人は崩れていく崖から脱出する。
山々のほうへ飛んでいく二人、詩乃は振り返るが、崩れ去っていく地面の上にはもう銀斧の姿は無かった。
「……魔術師なら受け入れて当然の運命よ、悪党ならなおさら。あなたが気に病む必要は無いわ。何だって救えるなんて不可能な話よ」
「……うん」
「……取り敢えず歩いていけそうなところまで飛ぶわね」
「うん……さようなら」
最期、詩乃は海を見て、そう、ぼそりと呟いた。
◇◇◇
私たちは緩やかに空を飛んでいく。
何キロもの先の道路、魔力のないエリシアさんはゆっくりと絨毯を動かす。
エリシアさんが口を開く。
「……少し話でもしましょうか……ファフニールの術式はね本来、私と姉さんで起動することを想定して調整した術式だったの」
そうして少しの間、私は空中でエリシアさんと話す。
「……一人じゃないと駄目だったの?」
「えぇ、姉さんには特別な力があったの。それが不可欠だったから」
「特別な力?」
「魔術世界では”特異点”と呼ばれてる力。魔術や科学と違い法則を無視して現象を引き起こす力。例えば先のことを予知したり、何も使わずに物を燃やしたり、科学や魔術を使わずにね。そういった類のモノが姉にはあったの」
「そんなのが……お姉さんのはどんなのだったの?」
「望郷の魔眼、簡単に言えば未来を手繰り寄せる力よ、どうすれば自分の願うモノに辿り着けるかが分かるし、その結果を引っ張ってくることも出来る力」
それは話だけを聞けばなんでも思うがままと解釈できそうな。
「それは……凄そう……」
「えぇほとんど無法と言ってもいい力だったわ、……特異点はね、人為的には起こしえない因果を超えた力で通常の人とは違う魂の在り方をしているの。代々受け継いだファフニールの術式を私たちの代で運用するにあたってその違う魂の在り方が不可欠だった」
「だからお姉さんが……」
「えぇ、異能の器、そして核となる術者、この前提が一番安定する条件だった………でも安定するってだけで異能さえ持っていれば一人でも、それこそ姉さんなら運用は可能だった。けれど、姉さんは姉さん自身にとっても大切なこの母の形見の髪飾りごと私に託した」
「……そっか……でも、多分大事な物だからこそ、大事なエリシアさんに持ってほしかったんじゃないかな」
「そう言われるとなんだか照れるわ……というかだからってこんな私一人じゃ使い道のない……」
恥ずかしそうにエリシアさんはそっぽを向ける。
……そうなると一つ疑問が私の中で生まれる。
「でも、ならなんでそんなものなら私も龍に成れたんだろう……エリシアさんも実は異能持ちだったとか……」
そんな考えをエリシアさんに話してみると、どこか呆れたような表情で彼女に見つめられてしまう。
「まだ、気づいてなかったのね……」
「?」
「あなたも特異点、異能持ちよ、それも姉さんと同じ魔眼の類」
「え、そんな」
「銀斧の攻撃を受けたとき、斧が砕けて銀斧の身体がズタズタになったでしょう? あれ、あなたの仕業よ?」
「そういえば、一瞬そんな風に……わ、私が……」
衝撃のあまり頓珍漢なことを言ってしまってたらしい自分も気にならないくらいびっくりしてしまう。
「私もそこらへんは詳しくないから分からないけど、多分、死に関する魔眼かしら……うーん、そうね……死詠の魔眼が一番近いのかしら……思い当たる節はない?」
思い当たる節。
「……昔ね、銀行に迷い込んだ時、強盗の人たちと鉢合わせちゃったことがあって。怖くて目を覆ってて、気づいたら何かに切り刻まれたみたいに強盗の人たちが倒れてて……他にも時々……」
「やっぱり……」
「でもお守りを貰ってからは何ともなかったな……」
「お守り……鍵のやつね、ちょっと見せてくれるかしら」
私は壊れたままポケットに入っていた鍵の先端と首にかけていた鍵を見せる。
エリシアさんは絨毯に乗ったままこちらに振り向き、鍵を受け取る。
エリシアさんはじっと見た後、何かを唱えて手をかざす。
「うん……これ……遺品よ、遺品って言うのは……」
「あ、翠さんから聞いたよ。凄い力を持つ物だって……」
「えぇ、これはもう壊れて機能はしてないみたいだけど」
「え、お守りが?」
「そこまで強力な何かってわけじゃなくて、持ち主に作用する因果を正常に戻すとかその程度ね……壊れたのはあなたの能力に耐え切れなかったのが原因でしょうね。誰に貰ったの?」
「……これは亡くなったお婆ちゃんがくれたの、これさえあれば大丈夫って」
手の中にある壊れたお守りをじっと見る。
「そうなのね……あなたの祖母は全部知ってて渡したのかしら」
「どうだろう……普通の人だったと思うけど」
「……まぁ今となっては確かめようのないことかしら……何にせよ、あなたの魔眼も何かしら考えておいた方が良さそうね」
あれは本当に私がやったことだったのか。
人は凶器一つで簡単に死んでしまう、けれど、私の持つそれはきっとエリシアさんの言う通りなら凶器とは比較にならないほど凶悪な力で。
抑えの効く物はもう何もない。
「……ほんとに私が自分で」
「……気に病むことは無いわ、だって、あなたは死んでほしいだなんて思ってやってなかったでしょう。不可抗力よ……それに大丈夫、ハルカゼならきっと上手く付き合っていけるわ。私もサポートするから」
エリシアさんの手が私の手をそっと覆うように触る。
怖さがすぐに薄れ彼女がいるのなら何となく大丈夫だと思える自分がいることに自分でも少し可笑しくなる。
「うん……」
「ねぇ、よければだけどこれ、直させてくれないかしら」
「え、直るの、エリシアさん!」
「えぇ、ちょっとした復元なら。遺品としての能力の復元は無理だけど」
「お願いしてもいいかな……! その、遺品じゃなくても大事なものなの!」
「ええ。大事なお婆ちゃんからのお守りだものね? 完璧に直してみせるわ」
「あ、ありがとう! エリシアさん」
「お礼なんていいわよ」
私は壊れたお守りをエリシアさんに渡す。
エリシアさんは横に置いているトランクの中にしまい込む。
「……あと、多分だけど。精神的な面も大きかったんじゃないかしら」
「精神的な面……?」
「えぇ、お守りの安心感。さっきも言ったけどそこまで大きな力はこれには無かったと思うから」
「そっか」
きっと何だかんだで私はお婆ちゃんにいつだって助けて貰っていたらしい。
遠くを眺める、海は落ち着いていて遠くの景色まで見渡せる。
海と空の青がどこまでも続き、近くを飛ぶ帰って来たらしいウミネコの鳴き声が私たちを取り巻いている。
「そういえば……ねぇ、あなたいつまでさん付けなのかしら」
「?」
エリシアさんがちょっとムッとした顔で私を見る。
「ニホンだと名前にさんってちょっと距離を置いた呼び方よね……もっとフランクでいいと思うのだけれど……折角、私たち友達になったんだし」
「え、えと、うーん、急にいわれまして、も……」
「……決めたわ私、今日からあなたのことシノって呼ぶから」
ビシッと私を指をさしてエリシアさんはそんなことを宣言する。
「……え! えと」
「嫌?」
「嫌じゃないよ! でも、その……ちょっとその恥ずかしいっていうだけで……」
「ふふ、決定ね。私のこともエリシアって呼び捨てでいいから」
「え、えと」
「ほらエリシアって」
強引に急かすエリシアさん。
「え、えと……エリシア……ちゃん」
「……。……むぅ……まぁ取り敢えずはそれでいいかしら……」
「ごめん……」
少し頬を膨らませるエリシアちゃん、でもやっぱりいきなり少し恥ずかしい。
「……あれって」
何かに気づいたエリシアちゃんが絨毯の高度を下げる。
木々がなぎ倒され、道が崩れ、歩くのも一苦労しそうな地面の上に立つ、一人の女性目掛けて絨毯は降りていく。
そうして血まみれの服を着た一人の女性……翠さんは今までの様に表情を崩さず、私たちを迎えた。
「お疲れ様でした、お二方」
「翠さん!」
「やっぱり生きてるのね……どうなってるのその身体」
「秘密です、それにしてもお二人だけで解決なさるとは……お見事でした」
「生きててよかったです!」
「ありがとうございます」
「寝てても良かったのに……今来たの?」
「いえ、先程から。情報統制のために目撃者の記憶を忘却させたり、通路を封鎖したり、近隣の住民を眠らせたり、撮影ドローンを壊したりといろいろしていたら遅れてしまい」
その言葉で何かに気づいた様子のエリシアちゃんは片手で頭を抱える。
「……忘れてたわ……隠匿でも付与した結界の一つでも貼れたのに……申し訳ないわ」
「いえ、彼の銀斧相手にそんな余裕はないでしょうから、むしろここまでの被害で倒されるとは感服です」
「……他の魔術師たちは?」
「ほとんど重症ですが殺害目的ではない攻撃だったのが助かりました……人員の再編成は必須になりますね」
「そっか……」
「となると後片付けは私が……面倒ね……」
ほっとする私の横、エリシアちゃんはため息をもらす。
「連絡もしないと……それに……それに、そうね」
そしてエリシアちゃんは少し何かを考えて私に向き直る。
「……シノ」
「なぁに? エリシアちゃん」
「今更だけど本当にありがとう……あなたがいなければどうにもならなかったわ」
「うん……私も同じだよエリシアちゃん、でもどうしたの、改まって」
歯切れの悪い彼女、私は首をかしげる。
「……お別れよ、私たち」
「……え」
予想だにしてなかった言葉。
「そっか……ここにいる理由はもう無いもんね、お仕事だもんね」
それでも、エリシアちゃんの発言に私は心を揺らしつつもどこか納得しながら返答した。
「えぇ……事件は解決したし……あのエセ神父を信じるなら姉は生きてるその情報が分かっただけで神宮島に来た意味はあったもの」
エリシアちゃんは元々事件の調査でここに来た、後始末もあるし、それに今回の件が終わってもまたいろいろな仕事があるのだろう。
離れ離れになりたくない、そんな気持ちを押し殺して、応援すべきなのだろうけれど、私は。
「でもやっぱり寂しいな、折角友達になれたのに」
「……そうね」
思わず出てしまった私の発言に困り笑いを浮かべるエリシアちゃん、私はそんな彼女の態度に慌てて言葉を足す。
「あ、えと、ごめんね! エリシアちゃんもそんな別れたくって言ってるわけじゃないのに……」
「いいのよ、別に」
何て言えばいいんだろう、今この場で彼女に。
いや、違う、大事なことはきっとずっと昔に教えてもらってるから。
だから、心の通りに。
「エリシアちゃん!」
「……! な、なにかしら」
予想よりも大きく出てしまった私の声、エリシアちゃんも思わずびっくりして目を丸くしている。
「その、私、大切にする! エリシアちゃんと出会って起きたこと今まで全部! 忘れない! 私たちはどこにいても友達だから。 やっぱり私大丈夫! 一人じゃないって思えて寂しくないだろうから! ……やっぱり寂しいって思う時もあるかもだけど」
辺りに響くほどの大きな声で私はエリシアちゃんに伝える。
普段、出さない声量のせいかやたらと息が上がる。
そんな、私を見て彼女はクスクスと笑いだす。
「エ、エリシアちゃん!」
「ふふ、ごめん、シノ。つい……そんなこと私に言ってくれる人がいるとは思わなかったから……そうね私たち友達だもの」
エリシアちゃんはそういうと晴れた顔を私に向けてくれる。
「寂しい時は連絡するわ」
「……うん」
そよぐ風の中私たちはお互いを見つめ笑い合う。
確かに結んだ絆を胸に私たちはきっと生きていける。
「……そういえば連絡しないといけないんじゃ」
「そういえばそうだったわね、何か連絡手段持ってる? 翠」
「いえ、生憎全て壊れまして」
「そうよね……ここから術式組み立てて連絡した方が早いかしら……」
エリシアちゃんが悩んでいるとどこからともなくパサパサという音。
翠さんの飼ってる鷹だろうか、空を見回すと一羽のフクロウがこちらに向かって飛んできている。
そしてフクロウは私たちの近くにある木々の枝に止まる。
『その必要は無し』
「「!」」
「フクロウが喋ってる……」
フクロウから発せられる声は通る厚く鈍く鋭いそんな声。
フクロウをよく見ると首があると思われる位置から首飾りの様なものをぶら下げている。
「標館の紋章……いや、魔力の波長にその声……まさか、大師父様!?」
エリシアちゃんはフクロウから発せられる人物に心当たりがあるらしく驚愕の表情でフクロウを凝視した。




