第9話 第六感
かくして、アークルード騎士学校編入試験は開始される。第一試験、三人一組のグループ戦が始まろうとしていた。
「僕が“旗持ち”なんて荷が重いよ……」
カイルは肩を竦めながら溜息を吐く。
自分はよりにもよって旗持ちを任されてしまったのだ。
旗持ちはこの戦いでは『将』の役割を果たす。旗持ちが敗れれば一発アウト。さらには、後方で指揮を取り、グループ内の陣形を円滑に回す必要もあるのだ。
カイルは自分にそんな役割が務まるとは到底思えなかった。
それでも思い出すのはアルスの自信に満ち溢れた言葉。
『俺とフィーネが『兵』として前線を掻き回す。お前はどっしり構えているだけでいい。お前の剣を信じろ』
カイルは何故だかわからないが、直感でアルスのことを信頼できると思った。それほどまでに、彼の所作一つ一つは丁寧で、積み上げられた物のように感じることができたから。
カイルは気を取り直して、剣を握る。
アークルード騎士学校への編入、その切符を掴むために。
「ふー……」
深く息を吐く。深く深く、どこまでも。海の底へ潜っていくように、意識を深層まで沈めていく。感覚が、どこまでも研ぎ澄まされてゆく——。
◆
(それでいい……)
カイルの様子をじっ、と見つめたアルスは彼を心配するのをやめる。あの調子なら不安に思うことは何もない。むしろ期待以上だった。
「さあやるぞ、フィーネ。頼むから置いていかれるなよ」
「心配しなくても大丈夫です。あなたの補佐程度、できなくては騎士になれないでしょうに」
「自分の実力がわかっているようで何よりだ」
アルスは笑みを浮かべながら剣を取った。
それと同時に、どろどろと、自分の底から仄暗い感情が湧き出てくるのを感じる。
強くあらねばいけない。そうでなければ満足することができない。どこまでも強欲な、自らの容器を満たさねばならない。
(引っ掻き回してやるよ。あんたもそれがお望みなんだろう?……『師匠』)
「では、これよりグループ対抗戦、第一試合を始める! 試合、開始ィ!」
試合開始の号令と共に、敵グループが動き出す。
アルスは周囲の動きを瞬時に把握し、無駄のない最小限の動きで敵を迎え撃つ。
「遅い」
剣を払う。
糸の隙間を縫うような剣戟。
この一瞬で、襲いかかってきた一人の剣を弾き飛ばした。
「なっ!?」
「悪いな」
アルスが襲いかかってきた学生の腹に対して即座に蹴りを放つ。剣を持たぬ相手は、後方へ為す術なく吹っ飛んでいく。
一瞬の攻防で敵一枚を無力化することに成功。実力差を見せつけるには充分。
戦場は既にアルスの掌の上。
敵グループ側の“旗持ち”が危機を察知し、指示を出す。
「黒髪のあいつは相手にするな! 纏っているもんが違え! “旗持ち”一点狙いでいくぞ!」
「応ッ」
とはいえ二対三になった時点で状況としては不利に違いない。相手は最初からそうするべきだったのだ。
集団戦では一番弱そうな奴から落とすのが定石である。現にアルスはそうした。
敵グループの残った二名はアルスを完全に無視して“旗持ち”のカイルへと走り出す。
確かに三対三の状況ならそれも優れた策かもしれない。ただ、今この状況でそれは愚策であった。二人で無理やり旗持ちを狙いに行ったとて、誰がその隙をカバーする? 背後から一番の脅威が襲ってくると言うのに。最初の一合の時点で、決着はついていたのだ。
「がああああああああ!」
敵側の学生達の全力の突貫。フィーネはカイルを庇うように立ち塞がる。
「通しませんッ!」
「二対一でできたら大したもんだがなッ」
剣と剣がぶつかり合い、火花を散らした。
一対二と言う不利な状況。この人数差で捌ききれるだけで充分と言えよう。
相手も名門アークルード騎士学校への編入希望者。それなりのエリートなのだから。
ただ、相手はフィーネを相手にしていない。狙うは旗持ちのカイルのみ。故に、
「すみません! カイル、そっちに一名! 旗持ちです!」
フィーネが旗持ちの一名を逃し、一騎打ちの形となる。
(少しだ。ほんの少し。時間を稼いでくれるだけでいい。フィーネはやってくれた。お前も、頼むぞ)
アルスは後方へ駆けながら密かに願う。
相手の特攻さえ凌げれば、後は追いついたアルスでどうとでもなる。一瞬、ほんの一瞬の時間を作るだけでいい。
◆
感覚が研ぎ澄まされてゆく。
意識はどこまでも深く沈んでゆく。
喧騒とした周囲の野次は、いつのまにかカイルには聞こえなくなっていて。まるでこの世界には、自分と向かってきた相手だけしか、存在しないかのように。
「——!」
恐らくフィーネであろう声。
焦りを孕んでいるように聞こえる。
「ふー……」
大きく息を吐く。
——大丈夫。今まで通り、剣を振るうだけ。
「がああああああああ!」
瞬間。
視界に入ってくる敵の“旗持ち”。大振りに振るわれた剣は、今にもカイルの首を取らんとしていた。けれどもなぜか、カイルにはそれが途轍もなくゆっくりに見えた。
(ははっ、剣の世界ってやっぱり面白いや)
研ぎ澄まされた思考は、瞬時に答えを出す。最早考えてすらいない。咄嗟の感覚のみに頼った一撃。
——超反応のカウンター。
その一振りは、まさに『閃光』のよう。
身体が勝手に反応し、振るわれた剣を跳ね除けてみせた。
超感覚で放たれた一閃が、相手の顔を歪ませる。これは最早理屈ではない。説明できない第六感とも呼べるもの。
この場の誰もが、優れた血を持たぬ、田舎者の身で、このような剣を振るえるとは思っていなかった。だからこその、番狂せ。その驚愕もまた、一捻りの時間を生み出す。
(これでいいんだよね。この一瞬があれば、アルスは……きっとやってくれる)
カイルはぼんやりとした思考の中で、アルスのことだけを想う。自分に自信をつけてくれた、明らかな強者。自分の力を見抜き、生まれに関わらず平等に接してくれた。
ならば応えて見せるのが男というもの。
思考を介さぬ超反応のカウンター。
まさに、剣に愛されし神童。
『天才』とは、まさしくこの少年に相応しい言葉である。時々現れるのだ。血に頼らず、隔絶した才覚だけで周りを圧倒する。悲しいかな、神は才能を等しく分け与える。
今はまだ、その片鱗にすぎない。
◆
(完璧だ……!)
アルスは大きく駆け出し、背後から追いつくように敵の“旗持ち”へと剣を向ける。
フィーネと交戦していた敵一名はそれを妨げるかの如く剣で道を塞ぐが、
「一人で二人分相手しようだなんて、随分傲慢ですね!」
フィーネの剣に阻まれる。
アルスは、身動きの出来なくなった敵をついでと言わんばかりに無力化。そのままカイルの元へ向かう。
カイルの、誰もが見惚れるようなカウンター。
その一撃が作った時間を、ふんだんに使わせてもらう。
アルスは駆けながら、剣を振るった。
背後はガラ空き。相手グループの捨て身の特攻作戦。こうなった時点で勝負は決まったも同然。
敵の“旗持ち”の首へと、アルスの剣が吸い込まれてゆく——。
「そこまで! 勝者、旗手カイル・セルウィンの組ィ!」