第6話 凡人が天才との差を埋めるには
ダンジョンが崩壊する。
ロレーヌの森を包んでいた禍々しい魔の勢いはするりと剥がれ落ちていき、瞬く間に普段の落ち着いたロレーヌへと戻っていった。
「セリーナ姉ちゃん、俺たち助かったんだよな……?」
「ええ、もう大丈夫よ」
恐怖に怯え、震える子供たちをセリーナは優しく撫でながら宥めた。
「ほ、ほんと?」
「……やっぱり俺、騎士になりてえよ」
「私も……」
そんな恐怖の中でも、彼らは瞳にめらめらと闘志を燃やしていた。怖いだろう、恐ろしいだろう。にも関わらず。歯を食いしばり、それに耐えている。子供ながら大したものだ。
それもそのはず。
あれほどの勇姿を見せられて心が打たれない者などいるのだろうか。
アルス・ランフォード。
騎士とは何たるかを、その背中で、証明してみせたのだから。
セリーナが見上げると、全身火傷で皮膚はボロボロ、満身創痍の姿のアルスがいた。
「アルス!」
セリーナが叫ぶ。只事ではない。今にも壊れてしまいそうな様子だった。
この姿を見て、泣き喚くもんか、と子供たちは必死に我慢する。やってのけたのだ。ダンジョンのヌシを単独で討伐すると言う偉業を。
「心配しないでくれ。やるべき事を、やったまでだ——」
ふっ、といきなり足の感覚がなくなるのをアルスは感じる。セリーナが慌てて駆け寄ってくる姿を見て、
(相変わらずだな、お前も)
得体の知れない胸の温もりを感じながら、意識はここで途絶える。
◆
「辺境のロレーヌにて、ダンジョンの発生。加えて我が校を去った、あのアルス・ランフォードがほぼ単独にて魔術師の討伐……」
「ありえん……偶然か?」
「いや、彼ならやりかねませんよ。彼は間違いなく優秀な生徒でした。運悪く、どうしようもない壁にぶつかってしまっただけで」
王立アークルード騎士学校では、その情報にざわつく教師陣の姿があった。
その様子に仄かに笑みを浮かべるアルスの『師匠』、ローグ・オーディン。この学校では特別講師としての地位を持つ。
現役の騎士として『最強』と名高いローグがなぜわざわざ慈善事業にも似た教鞭を取るのか。それに関してはここの教師陣も腹を探りかねている。
「まぁ、及第点ってところかァ? 現実から目を背けたガキにしては良くやった方なんじゃねェの」
ローグは不気味に嗤った。
その様子を訝しげに見つめながら、四学年担当教師、ゲイリー・ベルクナーは肩を落とす。本来なら、今年もアルスの面倒を見るはずだったのがゲイリーである。教師としてはやはり拭いきれないものがある。
「……やはり彼は失うには惜しい人材でした」
「まだ、失ったと決まった訳ではなかろうてェ」
「彼がこのアークルードに戻ってくるとお思いで?」
「ああ、勿論だ」
あれほど力に執着していたアルスが、また剣を取った。ならば再びこの地に戻ってくることを、ローグは確信していた。
ありもしない力を求めて溺れ、落ちこぼれた彼を救い出せるのも、また力だけ。
◆
アルスは朦朧とした意識の中、夢を見た。
苦々しい、一学年の落ちこぼれだった頃の、自分のことを——。
『甘ったれた剣を振るなと言ってるだろうがァ』
『がはっ』
アルスは『師匠』ローグ・オーディンの木剣の一太刀を浴び、その場に倒れ伏す。
『強くなりたいんだろォ? なら妥協するな。剣のフォームの僅かなズレさえ修正しろ。凡人に妥協は許されん』
『ぐふっ、……はい』
『分かってんのか、一年坊。俺の教えを乞うときながらみずぼらしくも落ちこぼれの田舎者がァ』
ローグは倒れたアルスの首根っこを掴み、睨みつけた。アルスのゆらゆらと仄暗い欲望を孕んだ漆黒の瞳。
——強くなりたい。その歪んだ感情を見て、仄かにローグは笑みを浮かべ、
『……それでいい。その目が大事だ。諦めないという意志が大事だ。凡人が天才の差を埋めるのはそれしかない』
『わかり……ました』
掴んだ首根っこを放し、アルスを解放してやる。
アルスは再び剣を構え、素振りを開始した。
師匠が見せた手本をよく見て、頭の中に焼き付けて反芻する。妥協は許されない。
『やればできるじゃねえかよ。んで、何でそれを今までやらなかった、という話だ』
『あがっ』
ローグがアルスの尻に蹴りを入れた。それでもアルスは歯を軋ませ、淀みなく素振りを遂行する。言いたい事は山ほどあるが、それをグッと堪えた。少なくとも今はそういう時間である。
『“最強”がこの貴重な時間割いてることの意味、よーく理解しやがれェ』
『……わかってますよ』
『なら黙って剣振ればいいってんだよ。余計な口答えするな。“最強”に歯向かえないのはおめえが一番分かってるだろう?』
ローグ・オーディン。
ミドガルド大陸“最強”とも謳われる騎士である。
男にしてはやや伸ばした漆黒の髪に、灰色の双眸が特徴の男。人格にはやや難あり。
そんな“最強”がなぜ、アークルード騎士学校にて特別講師の立場にいるのか。その理由が目の前のアルス・ランフォードという凡人であった。
アークルード騎士学校には『師弟』制度という物が存在する。クラスの担任教師とは別に、生徒個人に『師匠』として、教師が割り当てられるという制度だ。
生徒の適正に基づき、適切な教師が配置され、より適した教育を、というのがこの制度の目的である。
教師は多かれ少なかれこの『師弟』関係に属しているのだが。
『わざわざアークルードが呼び寄せた“最強”の特別講師、ローグ・オーディン。それをおめえは唯一師匠として教えを乞うことができる。その恵まれた環境に感謝せィ』
『はい……』
ローグの『師弟』関係はアルス・ランフォードとのただ一人だけであった。何故なのか、とアルスは疑問に思っていたが、それを聞いても虎の尾を踏むことになるのは分かっていたため口にはしない。
『にしても、おめえ、よくこの俺に教えを乞おうと思ったなァ。チッ、どうせ誰かさんの影響だろうが』
『……悪いですか?』
『望んでるのに他人に影響されねェと行動しない甘さが嫌いなんだよ。凡人が妥協してどうするんだァ?』
『それは……』
『——セリーナ・ローレンス、だろ?』
『な、なんでその名を』
『おめえの行動全部見てるんだよ、一人で放課後惨めに素振りしてたとこ見られて恥ずかしくないのか、お前は。見下されるような目されてるのに気づかないほど鈍感じゃないだろ、アルス・ランフォード』
『…………』
『這い上がりたくばそんじょそこらの優等生程度ぶち抜け。おめえが目指すのはそこじゃねェ。俺と同じ、“天才”、てっぺんの領域なんだよ』
『……わかり、ました』
『今度はおめえが見下せるといいなァ』
アルスはこの男が言うことが許せなかった。自分に手を差し伸べてくれたセリーナをそんな風に侮辱されるなど。されとて、自分に力がないのも事実。口を紡いで、素振りを妥協なく行う。
『はい、修正しろォ。軸をぶらすな。余計なこと考えるな。今は“無”だ。魔術師と戦う時に余計なこと考えてると足掬われるぞ』
『……はい』
アルス・ランフォード十三歳。一学年の、まだ学校生活にも慣れていない少年に、過酷な指導は続いていく。