第5話 騎士よ、再び剣を取れ
ダンジョン。
それは突発的に現れる現象で、魔大陸から、人の住むミドガルド大陸への、魔の者からの侵攻である。
「なあセリーナ姉ちゃんこれって、アルスにいちゃんがいってた……」
「ダンジョン、だよな。なんでこんなところに……」
「こ、怖いよ」
「大丈夫、大丈夫だから……」
怯え、震える子供たち。セリーナは子供たちを抱き抱えるように集め、少しでも不安を取り除こうと声をかけている。
そんな様子を呆然とアルスは見つめていた。
◆
「な、なあ。あれなんなんだよ」
アルスの兄アルフレッドは、農作業に勤しむ中、開墾が進んでいたはずの離れの森で、禍々しく空間が塗り替えられていくのを目撃した。
あそこはアルスが日々力仕事を頼まれていた場所のはず——。
「確か、村の子供たちがアルスに懐いていたよな。それにセリーナさんもあそこで……」
父が眉をひそめながら呟く。
「アルス、それにセリーナさんも……。大丈夫かなあ」
アルフレッドの憂いが、届くことはない。
◆
脳が、全身が、剣を取れと言っている。
何のために剣を学んできた。
何のために体を鍛えてきた。
それにこのまま放っておけばロレーヌに被害が拡大する恐れもある。この場でいちばんの実力を持つアルスが、やるしかない。
強くなるために学んできた。
何者でもない自分を何者かにするために学んできた。
——ならばここで剣を取るべきだろう。
答えは明らかだ。なのに、一歩踏み出せない。
それは何故か。
アルスの剣は自分のための剣だった。
己の欲望を満たすための剣だった。
誰かを守るために、魔の者から民を守るために——そんな綺麗な感情で今まで動いてこなかった。
だから騎士学校をやめたのだ。だから『天才』に打ちのめされ、立ち上がれなかったのだ。
「ちょっとアルス、こんな時まで何ぼけっとしてんのよ! 剣を取りなさいよ! あんたの思いはわからないけど、今やるしかないのよ!」
セリーナがアルスの腰に帯びていた剣を指差す。極力抜かないようにしてきた、己の騎士剣。
「あんたはここで子供を守ってなさい! 私はここのヌシを討伐しにいくから!」
セリーナが剣を抜き、吠える。
無理だ。たかが騎士見習い。所詮はまだ学生である。一人でダンジョンに挑むなど、無謀に等しい。
そもそもダンジョンとは、厳しい訓練に耐え抜き、選ばれし騎士となった者でさえ、攻略に複数人を要する物なのだ。セリーナの宣言は、自殺行為に等しい。
……彼女の実力なら、尚更。
ふと、脳裏に浮かぶ子供たちとのやりとり。なんだかんだ彼らはアルスのことを慕ってくれていた。なら、ここで守ってやるのが『騎士』として正しい行いではないのか。
家族の姿も思い浮かぶ。彼らを理不尽に奪われていいかと問われればそんなことはない、と返すだろう。
ふと前方を見やれば、ダンジョンから産み出された魔獣に苦戦している姿のセリーナがいた。あれではダメだ。ヌシには勝てない。
ダンジョンのヌシは理を外れた術、魔術を行使するとされている。その魔力を持って、ダンジョンを現世に留める楔のような役割を果たしているのだ。だからこそ、有象無象の魔獣にはさっさと蹴りをつけ、ヌシを倒しに行かなければならない。
「セリーナ」
アルスには目もくれず、剣を懸命に振るうセリーナ。
その背中はか細く、今にも壊れてしまいそうだった。その姿が虚勢であることはすぐに分かった。
子供たちを守るために。アルスが、無理に気負わずに済むように。
それが彼女の優しさであることに気づかないほど、アルスは鈍感ではない。
「……悪かったよ」
己の剣を握り、深呼吸する。
剣を置いたとは言え、一度足りとてその手入れは欠かしたことはない。己の挫折を噛み締めるように日々研いできた剣を。今、再び。
(大丈夫だ……俺なら、やれる)
騎士よ、再び剣を取れ。
腰から剣を引き抜いた。それと同時にアルスは大きく前方へと跳躍。向かうはセリーナが苦戦している魔獣。一直線に。
一閃。
セリーナがふと見上げると、血飛沫を上げ絶叫する魔獣と、再び剣を取ったアルスの姿があった。
「ア、アルス……」
「セリーナ、残りは俺がやる。お前が子供を守れ。俺はこのままヌシをぶっ飛ばす」
「で、でも」
「うるさい。やると言ったらやる。俺はそういう男だ」
ふっ、とこの場に合わない笑いを見せるセリーナ。
「結局あんた、変わってないじゃない」
「……うるさい。笑うな」
「ほんっと、バカなんだから」
「はいはい。そうだよ、俺はとんでもない馬鹿だよ」
何故こんなにもセリーナが笑っていられるのか、アルスにはわからなかった。まるで全身の力が抜け切ったような。
「……そんなに気を抜くなよ。俺は絶対ヌシを倒す。それでいいだろ?」
「うん。大丈夫。アルスならやれるって信じてるから」
セリーナから向けられるまばゆい瞳に、今日に限っては、何だか耐えることができた。
◆
剣を振るう。何度も、何度も剣を振るう。
道を阻む魔獣を瞬く間に斬り倒す。
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎!!」
斬り倒す度に耳に響く魔獣の絶叫。
アルスは心を無にして作業のようにそれを斬っていく。
返り血をなんども受けるが気にすることなどない。
セリーナが、子供たちが、両親が。
……待っているから。
道なき道を進んでいく。ダンジョンの、ヌシを見据えて——。
◆
そこには魔術師、と呼ばれる者がいた。
人類の敵、災厄の魔の者。ミドガルド大陸を恐怖に陥れた、元凶。
禍々しい黒のローブに身を包み、眼球からは青白い炎が漏れ出ていた。
「見つけたぞ、ヌシ」
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎」
「とにかく、死んでもらうぞ」
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎!」
騎士と、魔術師の戦いが、始まる。
「『◼︎◼︎』」
先手を撃ったのは魔術師。指先から炎が迸った。
辺り一帯は赤い業火に包まれ、一気にアルスは不利な状況へと立たされる。
アルスは全身が焼き焦げるような痛みに耐えながら、魔術師に向かって全力の突貫を決める。
刺突。
閃光の一撃が魔術師の胴体を穿つ。
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎!?」
魔術師はその表情を苦悶に歪めた。
「飛び道具頼りの魔術師に負けるかよ」
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎!」
アルスが剣を引き抜くと鮮血が舞った。魔術師の絶叫がダンジョンに響き渡る。
騎士対魔術師のセオリーは接近戦に持ち込むことである。
魔術師とて肉体が強い訳ではない。その多くが戦闘力のほとんどを魔の力に注ぎ込んでいる。接敵次第近づいて、魔術の使う隙すら与えずに一振りで屠るのがベストとされていた。
「『◼︎◼︎◼︎◼︎』」
魔術師は苦し紛れに魔術を放つ。被弾上等のの立ち回りが災いしたか——アルスの焼き焦げた皮膚からぼう、と大きな火の手が立ち、燃え盛る。
「無駄な足掻きをっ!」
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎!」
アルスは全身を刺すような熱に耐えながら、歯を食いしばり、中段からの薙ぎ払いを放つ。しかし、まさに肉を切らせて骨を断つ——薙ぎ払いは魔力で補強された片腕で受け止められ、もう片方の腕がアルスに伸びていく。魔術師の掌から魔力が溜まっていく。これはまずいと本能で察知したアルスは、大きく後退。
と、同時に。
「『◼︎◼︎』」
魔術師の渾身の大技が放たれた。身体を丸々呑み込まんとする火の球が放たれるが、危機を察知していたアルスはすんでのところでそれを回避。背後から爆発音と共に、焦げついたツンとした匂いが鼻を刺激する。
(これをもろに受けたら丸焦げだ……!)
魔術師は頬を引き攣らせながら、
「『◼︎◼︎』」
少しの溜めの後、またも火球が放たれる。渾身の一撃。アルスは旋回しながら、それをかわし撹乱してみせた。
(焦りが見えてるのがバレバレだ、クソ魔術師)
証拠に、ダンジョンの禍々しい空間に亀裂が入り始めている。
先手の刺突による一撃が完全に致命打となっていた。
ダンジョンを現世に繋ぎ止める役割も担っている魔術師さえいなくなればダンジョンの侵攻は止まる。決着の時は近い。
アルスは全身を襲う猛烈な炎に耐えながら、思考を巡らせる。
(このまま魔術をやり過ごしていけばダンジョンは崩壊する。とはいえそれでは残されたセリーナと子供たちがどうなるかわからない。となれば、最善手は一つ)
最速最短の早期決着。
アルスは足に力を溜めると、ぐんと一気に跳躍。火だるまになっているアルスの突貫はさながら火車のようであった。
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎!?」
魔術師の顔が歪む。それはそうだろう、フィジカルの弱い魔術師にとっては顔を詰められるのが一番辛い。
「『◼︎◼︎◼︎◼︎』!」
魔術師は苦虫を噛み潰したような顔で魔術を放つ。
アルスの体を覆う炎がさらに勢いを増すが気にするものか。
(こちらに隙がないと火球の魔術は使えないと見た賭けだったが、ハマった!)
アルスは大きく剣を振りかぶり、無様に晒されたその首を、
「らあああああああ!」
一閃。
ずり、と魔術師の首と胴がずれ落ち、それと同時に
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎!!!!」
魔術師の絶叫。
たちまちダンジョンは崩壊してゆく——。
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