第43話 大人の役目
「『◼︎◼︎』」
魔神バルバトスにより、紅き稲妻の矢が放たれる。
放たれたそれは、光の如き速さで空を切り裂く。
紅き閃光。轟く稲妻。
明らかに通常の魔術の域を超えている。
「……ッ!」
その紅き矢尻が、アルスの頬を引き裂き、通過する。
「「アルスッ!!」」
ソロルと、バルバトスに抱えられているクラウディアが叫ぶ。あんなものが直撃すれば頭蓋など焼け焦げるだろう。間一髪であった。
一方でバルバトスは苦々しく目を細める。
(……腕がなまっているな。小童一枚、一矢で葬れないなど)
「……ふぅ」
アルスは焼き焦げた頬を拭い、息を吐く。
あれ程の覇気を受けたことなど、初めてのことであった。恐らく、その気になれば自分など赤子の手を捻るように殺せるだろう。
「アルス・ランフォード! あなたまで戦闘に参加する必要はありません! あなたは学生なのですから!」
クラウディアがもがきながら叫び、アルスに伝える。——学生ではこの戦いについてはこれない、と。
(……わかっているさ。俺は所詮学生。この場には合わない)
下手をすればソロルの足手纏いになる可能性すらあるのだ。下手に動けない。さらに相手が遠距離への攻撃手段を有しているとなれば、自分を守ろうとソロルが動き、彼の負担になってしまう。
「俺は奴の射撃範囲から逃げます。ソロルさんの負担にならないように動く、これでいいんでしょう?」
「……それでいい」
ソロルはアルスとクラウディアに微かな笑みを見せた後、その面持ちを変える。
剣を握り、覚悟を決める。
死なば諸共、相打ち上等。
もう、とうてい自分が生きて帰れるような問題ではなくなったのだから。
「ふは、前線で死ぬのは、いつだって大人の役目よ」
「——っ」
アルスはソロルの貌を直視することができなかった。何故だか、見てはいけないような気がしたのだ。
死地に赴く、男の覚悟を無駄にしてはいけない。
「ソロル、貴方何を考えて——」
クラウディアの言の葉はバルバトスに遮られ、中途で止まる。彼女も気づいてしまった。このソロル・サンスロスという男が、これから何をするのかを。
彼の壮絶なる面を見よ、今にも恐怖で崩れ落ちそうな顔を見よ。失ってはいけない家庭もあるだろうに、彼自身、物欲がないわけではないだろうに。
それでも尚、彼は立っている。
騎士として。誰かのために剣を取るのだ。
「さあ! かかってこい!」
「『…… ◼︎◼︎』」
紅き稲妻の弓矢、その威力こそ認めよう。
だがそれほどの速さ、そして威力の矢——どれだけ溜めがいる? どれだけの詠唱を挟む必要がある?
どれだけ優れた弓兵でさえ、突撃する歩兵には勝てぬのだ。
(ならば、突っ込むのみよ! 俺は死を恐れなどしないぞ! その程度の火事場、とうにいくつも通り抜けてきたわ!)
迸る紅き稲妻。
それを——
「ふ、はは」
『◼︎◼︎!?』
培われた経験から来る勘のみで避けきった。
腹を捩り、体勢を崩したまま、横薙ぎの剣が振るわれる。
バルバトスも堪らず後退するが——それは微かに、彼の腹を切り裂いた。
吹き出す鮮血。
相手も亜人なれど、魔術を使えれど、中身は人間である。
であるならば、剣で斬ってしまえば人は死ぬ。簡単なことである。
『◼︎◼︎◼︎◼︎……!』
バルバトスは嗤う。
つくづく人間とは怖いものだ、と。
死を間近にした人間の火事場力、決して侮っていいようなものではない。
だが、それももはや風前の灯。
死して散る、美しき花の最後のひと咲きに過ぎない。
魔大陸ムスプルヘイムは禁忌に手を染めた。
全ムスプルヘイム人は魔術という禁術を扱えるようになった代わりに異形に成り果て、亜人となったのだ。なれば普通の人間にどうして負けようか。
(もし負けてしまうのならば、私のこの代償はなんだったのだ!)
だから負ける訳にはいかぬ。
死ぬ訳にはいかぬ。
それでは己が受けた神罰と、己が失った大切なものと釣り合っておらぬ。
(嗚呼、私に残されているのは、もはや煮えたぎるようなミドガルドへの復讐心しかないのだよ!)
嗤う。泣きながらも、嗤う。
バルバトス自身、自分でも訳のわからぬ感情に襲われているのを感じていた。ミドガルドへの怒り、死への恐怖、それとも、魔術の使えない人間への優越感か。はたまた——
(ベルゼバブ様、すまないね。この少女は私の好きにさせてもらうよ)
眼前の、自らが抱えている年端も行かぬ少女への感情か。
「……どうか、しています」
クラウディアは同情すらしてしまう。
察するまでもなく、この魔術師は壊れている。
僅かな人格を残しながらも、それが最早自分なのかがわかっていない。そんな様子に見える。でなければ泣きながら嗤うなど、おかしい。
相手は異邦人、暴虐の限りを尽くす魔大陸の人間である。
であるけれど、自分は知っている。
魔大陸の事の起こりを。
何がために彼ら彼女らは狂っているのかを。
ミドガルドがこれまで何をしてきたのかも。
全ての原因はこちらにあるのだ。
……ならばどうして責めることができようか。
復讐。
そのためだけに彼ら彼女らは、踊り狂っている。
「……貴方は、どうしてくれればその歩みを止めてくれますか?」
『…………』
言葉など通じない。
延々と、剣と弓矢の攻防が続く。
寸分違えばお互い即死である。
そんなギリギリの攻防、であれば有利に働くのは。
「『◼︎◼︎◼︎◼︎』」
「……ッ」
魔術師側、である。
いくら騎士、いくら訓練を積んだ人間だろうと、体を動かせば限界が来る。筋肉を酷使すれば疲労する。
魔術は何も消費しない。
魔力なるものも、精神力なるものも、要らないのだ。
ただ淡々と詠唱し、効果を発揮させるのみ。
それでこそ禁術。これでこそ、魔の恩寵。
(所詮、どこまでいっても、魔の人間には勝てんよ。其方らが今まで勝てていたのは魔王ベルゼバブ様が君臨されていなかったからに他ならない。微かな自我、ミドガルドへの復讐心さえあれば、あとはいらぬ。其方らなど、赤子の手を捻るように、殺してくれるわ)
バルバトスは哀しげに終わりを告げる。
(さようなら、いと勇敢なりし者よ)
「『◼︎◼︎』」
紅き稲妻が、ソロル・サンスロスの胸を貫いた。
血が噴き出る。火山の噴火のように、紅き鮮血が、どろどろと彼の胸から溢れ出る。胴体は焼き焦げ、鍛え上げられた美しき四肢は燃え尽きた。
(やってやったぞ。ミドガルドの人間よ。見たか、この無様な死に方を。私はこうして殺していくのだ。魔術さえあれば、赤子の手を捻るように復讐が果たせるのだ!)
「……ッ!!!!」
クラウディアは声にならない悲鳴を上げた。
騎士の皆が殉職していくのは何度も経験してきた。その度に涙を堪えてきた。だが、目の前で死なれるなど、経験などしたことがない。
自らに忠誠を誓った人間が、目の前で無様に死ぬのは、こんなにも恐ろしく、こんなにも惨たらしいことなのか。
鍛え上げられたように見えた大きな肉体は紅き雷によって焼き尽くされ、見るも無惨な姿になっていた。
人は死ぬ。騎士は死ぬ。
その当たり前の事実を突きつけられ、クラウディアは静かに涙を流した。
ぽたりと、一粒の雫が床を濡らす。




