第4話 壊れる日常
ランフォード家の平和な食卓。心温まる家族団欒の場。
そんな場所に、この場にはあまりにも相応しくない、高貴な金髪の少女が佇んでいる。
「セリーナさん、うちはこんなのしか出せないけど本当にいいのかしら?」
「問題ありませんよ。たまにはこういうのもありですね。簡素ながら、非常に美味しいです」
「お世辞はいいのよ。でもそうね、そう言ってもらえるとこちらも嬉しいわ」
そこにはランフォード家の食卓に居座るセリーナ・ローレンスの姿があった。
……どうしてこんなことになったのか。
アルスは内心頭を抱えていた。明らかに頬が引き攣っているのが自分でもわかる。
我が物顔でランフォード家に上がり込む図太さと言ったらなんの。こういうところは相変わらず変わっていないらしい。父と母は歓迎ムード。兄はアルスと同じく若干引いている。
「それにしても、セリーナさんはどのようなご用件でここに? アルスが関わっている、とは聞いたんだが」
父の問いに、そうですね、と相槌を打ちながらセリーナは答える。
「アークルード騎士学校への編入への誘い。手紙だけでは心許ないと思いましたので、学内でも親しかった私が赴きにきました」
「な、なんと!」
「あらまあ」
「アルスって奴は……」
好意的な目線二つに少々嫉妬に塗れた目線が一つ。
アルスはますます肩身が狭い思いとなる。
家族は何か勘違いでもしてそうな様子だが、こんな強気な女に惹かれるような男ではないのだ、とアルスは内心強く思う。
「つきましては、ぜひご両親に編入の後押しを、と思いまして。アルスは決めかねているようでしたので。費用の心配はしなくても大丈夫です。何せアルスはなかなかの実力ですから、待遇も破格なのです」
「「ぜひお願いします」」
まんまとセリーナの口車に乗せられていく両親。先程の決闘の約束はなんだったというのか。なんと生意気な。
両親としても、アルスにはこのまま騎士学校に再び編入し騎士の道を歩み実家に還元して欲しいと考えているのだろう。アルス、もはや状況的に詰んでいる。
ニヤリと不敵に笑うセリーナ。してやったりの顔であった。
「ちょ、父さん、母さん……」
「いいじゃないアルス、」
「そうだぞ、あれほど騎士になりたがっていたじゃないか」
「それは……」
それは無知ゆえの全能感から来るものであった。
騎士となることの難しさを、騎士となるような人間の格を、知らなかったからこそ騎士になりたいと言えたのだ。
そんなアルスの複雑な心境が顔に出ていたのか、
「大丈夫かい? アルス」
「兄さん、これは違くて……」
「いいさ、無理して決めなくていい。こういうのは“自分が本当にしたいことか”が大事だろう?」
アルスの良き理解者であった兄のアルフレッドは、助け舟を出した。
「アルスが騎士学校で頑張ってきたのは嫌と言うほどわかる。体格、佇まいが見違えているからね。それにセリーナさんが言うには実力も折り紙つき。それでもこのロレーヌに戻ってきたのは、なにか並々ならぬ理由があるんだろう?」
「兄さん……」
なんて己の情けないことか。アルスは自嘲した。
アルスは俯き、何も言えぬまま推し黙る。
その様子に、両親が落胆したかのような気配を見せたのをアルスは見逃さなかった。
それはそうだろう。ランフォード家の後継ぎは兄アルフレッドなのだから、次男坊のアルスにも何か手に職をつけてもらわねば困る。それも、とびっきりの。
騎士は狭き門というだけあって稼げる職業なのだ。両親が期待するのも当然と言えよう。
「ごめん、父さん母さん——それにセリーナも。俺はまだ、答えは出せない……」
沈黙。
重苦しい雰囲気が、ランフォード家に押しかかる。
——しかし、このセリーナ・ローレンスという女、どこまでも図太い女であった。重苦しい雰囲気など、ものともせずに、
「なら、アルスの答えが出るまでロレーヌに滞在してもよろしいでしょうか? ……とはいえここには宿もありませんし。そうですね——ランフォード家に、泊めていただけますでしょうか」
衝撃の言葉を言い放つ。
アルスは空いた口が塞がらない。
「遠方からわざわざきてもらったんだし、このぐらい大丈夫よね、あなた」
「そ、それは構わないが……」
あれやこれやという間に話が進むではないか。
アルスが内心冷や汗をたらしていると、
「アルス!」
「は、はい」
セリーナはこちらを指差し高らかに宣言する。
「絶対に、あなたにまた剣を取らせてやるわ。覚悟しておきなさい。ぐずぐずしていられるのも今のうちよ、大ばか男め」
◆
騎士は何がために存在するのか。
その主な存在理由はこのミドガルド大陸各地に発生するダンジョンから、民を守るためにある。
ダンジョンからは魔物、そして理を外れた術を行使する魔術師が現れる。魔に対する対抗手段を持たぬ人間にとって、それは恐ろしいものであった。彼らを討ち、ミドガルドの地に安寧をもたらすことこそ、騎士の役目である——。
「と、まあこんなもんだ。騎士については分かったか?」
「にいちゃん、すっげえ! もっと聞かせて!」
「俺も俺も!」
「わ……わたしもぉ」
どういう風の吹き回しか。アルス・ランフォード、ロレーヌの子供たちに騎士とはなんたるかを教えることとなる。
どうやらセリーナとの一戦をこっそり見られていたらしい。子供の好奇心とは恐ろしいもので、アルスの話を聞きたいと言って離さないのだ。
その様子を近くから微笑みながら見守るセリーナの姿もある。
「なんだよ。セリーナ。そんなに面白いか?」
「いや? あなたってそういうところあるな、と思っただけよ」
「そういうところってなんだよ」
「バカにはわかんないわよ」
「生意気な」
セリーナからすると、子供に群がられるアルスの姿のなんと滑稽なことか。面白くて仕方がない。
「にいちゃん、俺にも剣教えてくれよお」
「頼む、一生のお願いだ!」
「わたしにも……!」
明らかに困った顔を見せるアルスに、
「ぷっ、あははははは!」
笑いが止まらないセリーナであった。
「俺は剣は取らないからな。そこの姉ちゃんにでも教えてもらうんだな」
「えーでもにいちゃんのほうが強いじゃん」
「そうだそうだ! 卑怯者め!」
「わ、わたしはお兄さんが好きにしたらいいと思います……」
突如としてアルスに矛先を向けられるセリーナ。そして悪意のない子どもたちの心無い言葉に少し傷つくのである。
「……アルスのばか」
「なんかいったか?」
「ふん! 知らないわよ!」
そんなこんなで、アルスとセリーナ、そして愉快な子どもたちとの束の間の平和な日々が過ぎていく。
◆
「剣はこうやって振るのよ。そこ、背筋を曲げない!」
「うげ、セリーナ姉ちゃん厳しいよおー」
「俺、もう限界……」
「わ、私も……」
アルスが森の中で木を切り倒していく傍らで、セリーナがアルスを目的に集まってきた子どもたちに剣を教える。これがロレーヌの密かな日常となっていた。
子どもたちの内訳はお調子者の少年コンビに、大人しめの女の子一名の計三名。
「やっぱアルスにいちゃんはすげえや。見てよあれ。なんの変哲もない木こりの斧なのに、にいちゃんが振ると名刀みたいだ」
「うっひょー。これが間近で見られるからセリーナ姉ちゃんのしごきにも耐えられるというもの……!」
「す、すごいです」
心ここに在らずと言った様子でアルスを見つめる三人組に思わずため息をつくセリーナ。分かってはいたが、こうも扱いに差が出ると腹立たしくなってくる。
「あんたたち……」
「やっべえ、鬼教官が怒った!」
「お前らがアルスにいちゃんばっか見てるからだよ!」
「ひ、ひぇ……」
セリーナの殺気に立てられ、身震いする子どもたち三名。
微笑ましく、笑いが絶えない。
——そんな、日常に亀裂が入る。
空間がひび割れ、禍々しい魔を帯びたような空間に塗り替えられていく。
ダンジョン。
ロレーヌの森に発生するはずのないそれは、平和な日々を握り潰すように、アルスとセリーナ、そして子どもたちを覆い隠すように、発生した。